2014年6月13日金曜日

荒磯能6月公演《玉鬘》《鵜飼》つづき


狂言の《悪坊》
悪名高い悪坊が、1人の僧を無理やり同行させ、腰をもませている間に眠ってしまい、僧侶の持ちものとすり替えられる。目が覚めた悪坊に残されたのは僧侶の所持品。仕方なく出家姿になってみると、これも仏の導きだと改心するお話。

面白い狂言と面白くない狂言を分ける要素のひとつは、「間」の取り方だと思うけれど、この日の狂言は間の取り方も発声も巧くて、楽しめました。



休憩をはさんで、能《鵜飼》
楽しみにしていた武田文志さんの舞台です。
        
ワキ・ワキツレが登場してアイとの掛け合い。
旅僧は村人に宿を請うが、この村ではよそ者に宿を貸すことは禁じられているから、御堂に泊るよう勧められます。
         
旅僧の一行が御堂で待っていると、一世の囃子で、手にたいまつを持った老人があらわれます。
この老人の立ち姿、ハコビがとても美しく、「鵜使ふことのおもしろさに、殺生をするはかなさよ」と、少し老人らしく枯れた味わいのある謡で橋掛りを進んできます。
             
シテが僧に自分が鵜使いであることを明かすと、従僧(ワキツレ)が、数年前にこの鵜使いの家に泊り、丁重にもてなしてもらったことを思い出します。

(この一宿一飯の善行が起因となって、殺生戒を犯した鵜飼が成仏できるので、《鵜飼》では珍しくワキツレがキーパーソンとなっています。)
         

シテはワキに請われるままに、鵜飼の様子を再現して見せるのですが、この鵜之段が凄くよかった!

右手にたいまつ、左手には鵜籠に見立てた扇を持ち、鵜を自在に操りながら、魚を取るさまを舞で表現します。
         
おもしろの有様や、底にも見ゆる篝火に、驚く魚を追ひまはし、かづき上げすくいあげ、隙なく魚を食ふ時は、罪も報も後の世も、忘れ果てておもしろや。
 

闇夜でたいまつの明りだけが灯り、水面に無数の鵜の姿が見え隠れする情景が浮かんでくるようで、「殺生がおもしろくてたまらない」という鵜飼の気持ちが生き生きと描写されていました。
         
そして「思い出たり、月になりぬる悲しさよ」で、シテはたいまつと扇を投げ捨て、悲しげな足取りで、闇路(冥途)へと帰っていきます。

         
中入後、早笛で、後シテの閻魔大王が登場。
         
たぶん小癋見の面、唐冠、赤頭が重いのか、おシテは少しバランスが取りにくそうでしたが、跳び安座や足拍子など、激しい動きの舞を舞いながら、鵜飼が僧侶をもてなした善行により成仏できたことを僧に伝え、法華経の功徳を称えて去っていきます。

           *  *  *  *  *

帰りは土砂降り覚悟でしたが、能楽堂を出ると、澄んだ夜空に明月が出ていて、「ああ、いい舞台だったなあ」としみじみ感じながら帰途に着いたのでした。


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