2014年6月4日水曜日

第三回・坂口貴信之會(3)


揚幕があがると、いきなりシテの小沢刑部友房が登場。
直面だし、装束も庶民的なので、何の予備知識もなく見れば、アイ狂言が出てきたのかと思うほど。
小沢は、主君の安田庄司が望月秋長に討たれた後、小沢は近江の国守山で宿を営んでいる。
           
そこへ安田の寡婦と遺児・花若が訪れる。
ツレの安田の妻は深井(?)の面をかけ、武家の奥方らしい気品ある物腰と装束を身につけていて、何の予備知識もなければこちらをシテと思ってしまいそう。
やはりオリジナルでは安田の妻がシテだった可能性が濃厚です。

小沢は自分の身元を明かし、三人は懐かしい再会を果たす。
このとき子方の藤波重光くんが、「父に逢ひたる心地して、花若小沢に取りつけば」と、シテに駆け寄っていくのですが、この仕草がなんとも可愛い!
             

思えば《望月》って、子方にとってもとても難しい曲なのですね。
鞨鼓(八つ撥)では、囃子に合わせて撥を打ちながら、囃子とは無関係にすり足をするという、高度な技が要求される。
逆に言うと、こうした複雑な技は、神経回路が柔軟に組み替わる子どものうちからやっておくほうがいいのかもしれない。
《望月》では子方の謡や詞も多いし、「いざ討たう」など、詞を発するタイミングも重要。
    
能楽の家に生まれた人はこうした重要な役を幼少期から勤めて、経験を積んでいく。
(ということは、家の子ではない能楽師の方々は素人が思う以上に相当重いハンディを背負っていることになる。きっと、成人後にこの世界に入ってきた方々は想像を絶するような努力をされているのだろうな……。)
          

話が少し脱線したので元に戻すと、主従が旧懐の念に浸っているところへ、なんと、主君の敵・望月が同じ宿に来合わせる。

望月は身元を明かさないよう従者(アイ)に命じるが、従者は「これは信濃の国に隠れもなき大名、望月の秋長殿、では御座ないぞ」とうっかり漏らしてしまう。

《望月》ではシテの場合、謡が少なく、台詞が多いので、若干やりにくそうなのに対し、こうしたせりふ回しに馴れているアイ狂言は水を得た魚のよう。
ここで従者が望月の名を明かさなければ望月は殺されずに済んだのだけれど、どこか憎めない愛すべき存在をうまく演じていらっしゃった。

             
『幻視の座 能楽師・宝生閑 聞き書き』(土屋啓一郎・著)では、ワキの視点から見た《望月》が述べられていて、望月秋長だけに全面的な非があったわけではなく、それなりの理由があったのかもしれない、だから酒を飲ませて油断させた隙に問答無用で殺してしまうなんて……という旨の記述があった。
《望月》は細かいストーリー展開よりも、芸尽くしを愉しむための曲だから、登場人物の心情を深読みする必要はないのかもしれないけれど、ワキのドラマとして見ていくのも面白い気がする。
         
そういう意味でも、最後に望月が討たれる場面で、ワキ自身は笠だけ残して切戸から退場し、シテと子方がこの笠を望月その人に見立てて刺すという観世流の演出のほうが象徴主義的な能らしくて私は好き。

              
ところで、能《望月》では歌舞伎っぽい劇展開が続くため、囃子方は待機時間が多い。
亀井広忠さんの「広忠舞台日記」によると、「この待ち時間が結構精神的に辛く、囃子方や地謡の座っている姿こそが与える緊迫感といったものが重要になってくる。ただ座っているだけではない。座ってい乍ら気力を発して立ち方にエネルギーを与えていくのである」とおっしゃっている。

この日もいつもの苦み走った凛々しい表情で(ガンを飛ばすような目つきで?)、舞台上に大量の「気」を送っていらっしゃった。ちょっとお辛そうだったけど。
              

望月の宿泊部屋で酒宴が始まり、安田の妻が扮した盲御前が一萬箱王(曽我兄弟)の物語を謡った後、花若の八つ撥が始まり、その間にシテは中入。

            
八つ撥が終わって乱序が始まり、半幕でシテが姿を見せ、獅子の前触れを告げる。
この乱序が迫力満点で素晴らしかった! これだけでも来てよかったと思う。
             
見所の気分が盛り上がったところで、揚幕がさっとあがり、シテが獅子が突進してくるような中腰の姿勢で橋掛りをスピーディーに進んでくる。
かぶっていた衣をとると、赤頭に広げた扇を二本重ねて獅子頭に見立てた座敷芸としての獅子舞の出立。

両手をぴんと張ってカマエながら、反り返ったり、頭を左右に振ったりと激しい動き(この頭を振る型は「獅子身中の虫を払う心」で為すそうです)。

         
こうした激しい動きをしても獅子頭に見立てた二本の扇はけっして落ちることはないのに、望月を討つ直前ではうつ伏せていたシテが、まるで手品かイリュージョンのように赤頭・扇・覆面をするりと取って、元の小沢の姿に戻る。

この座敷芸風獅子頭の早変わりの仕掛けは秘伝とされているそうである。

シテが揚幕に戻るか戻らないうちに、スタンディングオベーション並みの割れんばかりの拍手。
感動を素直に伝える見所のリアクションが新鮮だった。
         
今回のような、狂言がなくて能・舞囃子・仕舞だけで構成されるプログラムって好きだなー。

ちょっとしたお祭り気分で楽しかった!!



                              

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