2014年10月31日金曜日

東京青雲会~《枕慈童》

2014年10月29日 宝生能楽堂 14~16時半

素謡 《敦盛》 シテ 川瀬隆士 ツレ 辰巳和磨 ワキ木谷哲也

舞囃子 《松風》 辰巳大二郎 
     松田弘之 大倉源次郎 大倉慶乃助

仕舞 《源氏供養クセ》 金野泰大
    《融》        佐野弘宜 
    《清経クセ》    内田朝陽

舞囃子 《鵺》 田崎甫
     松田弘之 大倉源次郎 大倉慶乃助

  《枕慈童》 シテ 金井賢郎 
           ワキ 村瀬提 ワキツレ 矢野昌平 村瀬

      松田弘之 大倉源次郎 大倉慶乃助 金春國直



                                                        
初番の素謡《敦盛》が、「謡宝生」の面目躍如といった感じで、とても良かった!
シテ、ツレ、ワキのお三方とも素晴らしかったのですが、
シテの川瀬さんがずば抜けて巧い!
この方、舞も魅力的なので、またぜひお舞台を拝見したいと思いました。


次の舞囃子《松風》の
辰巳大二郎さんは大阪出身なので、芸風も関西風。テンポが通常の宝生流の中ノ舞よりも、ゆったりしていて繊細華麗。
夢ねこは(自分自身が関西出身ということもあり)、こうしたゆったりしたテンポが好きなのです。
腰もとても低い位置にキープされていて、姿勢も佇まいもきれいでした。
関西の若手能楽師さんの間で切磋琢磨されてきたのだなあという印象。
この方も注目株のおシテさんです。
(直近では、「満次郎の会」のツレ天狗で拝見する予定。嬉しい!)


仕舞を拝見した後、ちょっと仕事関係で連絡しなければならないことができて、次の舞囃子《鵺》の時はロビーに出ていたため、拝見できず。
(モニターから大倉源次郎・
慶乃助コンビの迫力ある演奏が聞こえてきました。


能の《枕慈童》ではシテの金井賢郎さんが好演されていたように思いますが、夢ねこの頭の中はほとんど仕事モードになっていて、舞台に集中できず、ごめんなさい……。


破竹の勢いで進化し続ける和英宗家。
その牽引によって、若手の方々もめきめきと伸びていらっしゃる、というのが全体的な印象でした。

2014年10月17日金曜日

能楽五人囃子「能の来た道、日本のゆく道」

2014年10月8日 国立能楽堂 19~21時

【プログラム】

オープニング お囃子演奏「獅子」
         一噌幸弘 大倉源次郎 安福光雄 観世元伯

トーク 「能のきた道」 大倉源次郎 聞き手 中村暁

ワークショップ1 お囃子の解説と演奏
          「波頭」  掛け声の重要性
          「揉之段」 エア小鼓

ワークショップ2 能舞台・能面・能装束解説と謡 
          坂口貴信
          謡「高砂」(待謡)
          合奏・舞囃子の一部「高砂」

トーク 「日本のゆく道」  大倉源次郎

エピローグ&アンコール
          「早笛」「舞働」



パンフレットやサイトを見ただけではどんな内容かいまいち分からなかったけど、
出演メンバーが豪華だったため間違いないだろうと申し込んだ謎の公演。
ふたを開けてみると、上記のように盛りだくさんな内容で、
お囃子好きにはたまらない公演でした。

                              

                                                              
オープニングは脂の乗りきった現役バリバリの囃子方による「獅子」の演奏。
いつもの囃子座ではなく舞台中央に4人が並ぶ形式だったので迫力満点!

                
各人の掛け声が獅子の咆哮に聞こえ、身体の芯が熱くなってきます。
ジャズかフュージョンのセッションのようなノリで、気分が盛り上がる!

                                               
             
その後の源次郎師のトークでは、能楽のざっくりとした歴史のほかに、
「小包ではなく小鼓」や「能なんか症(お能なんて高尚だからわからないという症状)」
といったお馴染みの持ちネタを披露。


          
                                       
そしてお待ちかねのワークショップでは囃子方の皆さんが再び登場します。

まずは、それぞれのお道具の特徴を簡単に解説。
                   
                                                            
源次郎さんが、能管は「のど」があるためオクターブに上がりきらないということを説明するために、
一噌幸弘さんに実演してもらおうとしたのですが、
幸弘さんがいきなり「笑点」のテーマを吹き始めて大暴走。

 
源次郎さんが「時間が押してるから……」と止めようとするも、
幸弘さんの暴走は止まらず、「笑点」を吹ききって見所から大喝采。

   
元伯さんと安福さんが「やれやれ」と苦笑モードに入っているのも面白かった。
                                              
(それにしても、能管でこれだけ正確な音階を出せるなんて凄い!
この後、幸弘師は「ちびまるこちゃん」のテーマ曲も演奏。
不可能を可能にする方なんですね。)

                             
太鼓の又右衛門台が考案される前は、専用の太鼓持ちがいたというトリビアも。

                    
 
次に、
囃子方が拍子不合へのアシライでも掛け声だけで間合いをはかる様子を示すべく、
大小鼓が背中合わせになって「波頭」の演奏で実演。
囃子方同士が相手の手を見ずに、掛け声だけを頼りに演奏しているのがよく分かる。

                                     
それから見所の観客も参加して、源次郎師の御指導のもと、みんなでエア小鼓。
元伯さんと安福さんもエア小鼓をされていたのですが、
元伯さんが手を間違えたらしく、顔を真っ赤にして照れ笑いをされていて、
とってもキュートでした。

               

その後、休憩をはさんで後半は、坂口さんによる能舞台・面・装束の解説。
この方、トークもめちゃくちゃ上手いですね。
落とし所や笑わせるポイントを心得ている。
芸力・人気ともに同世代では群を抜いてるし、男前だし、トークも巧い。
そのうえ人気や見た目の良さに胡坐をかくことなく、
拝見するたびに芸がグレードアップしている……。

                

その後、坂口さんにお稽古をつけていただいているイメージで、
「高砂」の待謡のワークショップが始まり、
囃子方も加わって、観客の謡の後、「高砂」の舞囃子の一部を、
坂口さんと囃子方の皆さんが披露。
そしてふたたび源次郎さんのトークになり、
最後は、今日の出演者の紹介の後、お能には珍しくアンコールとして
「早笛」と「舞働」の演奏と舞が披露され、お開きとなりました。

                       
驚くほどコスパの高い公演で大満足。




追記: 主催のジャポニズム講演会は、東本願寺法主次男御夫妻が会長・副会長を務めていらっしゃる協会。
大谷派といえば京都の一大勢力ですから、こうした豪華な催しもされるのですね。

能を知る会 鎌倉公演・昼の部《六浦》



解説 紅葉二題 中森貫太
                                                     狂言 《狐塚》 野村萬斎 深田博治 月岡晴夫
                                                                        
能 《六浦》
里女・楓の精 観世喜正 
      ワキ大日方寛 ワキツレ則久英志 アイ内藤連
      囃子 寺井宏明 飯田清一 亀井広忠 観世元伯
      後見 坂真太郎  遠藤喜久
      地謡 中森貫太 奥川恒治 鈴木啓吾
      桑田貴志 小島英明 佐久間二郎

質疑応答 中森貫太

プログラムを見ての通り、この日は狂言・能ともに役者がそろっていて、能舞台は大入り満員。
すんごい熱気でした。
(帰りに電車内でご一緒した女性は広忠さんの大ファンで、北海道からわざわざいらして、
この日は都内のホテルに泊まるとのこと。
東京からでも遠いと思ったけれど、もっと遠方からいらっしゃる方も少なくないのですね。)

                                                                              
鎌倉能舞台は噂通り、こぢんまりとしていて、舞台と見所が近いのだけれど、
最大の特徴は舞台の高さが低いため、観客と演者がほぼ同一平面上に存在すること。
そのため演者の等身大の大きさが把握しやすい気がします。
(高い舞台上だと、演者は実際以上に大きく見える。)

                                                                            
夢ねこが座っていたところからだと、座っている囃子方と目の高さがほぼ同じになるのも、なんというか、臨場感満点です。
(つまり、ほとんどお見合い状態になるのです……。)

                                                                        
それから、見所の座席がすし詰め状態のようにぎっしり詰まっているので、
閉所恐怖症を喚起するようなところがあります。
(もうだいぶ慣れたけれど、矢来と青山の能楽堂も最初は少し息苦しかった。)

                         
さてさて、
かんた先生の楽しい解説(能の基本情報や《六浦》のざっくりとしたストーリーなど)の後、
萬斎さんの狂言。
(この日は萬斎ファンも多かったので、見所のボルテージは全開!
まわりの女性たちがアツーイ視線を送っているのが夢ねこにも感じ取れるほど。)
やっぱり萬斎さんは、間の取り方や声のテンションの上げ下げ、
表情筋の動かし方などが巧くて、狂言にあまり興味のない夢ねこでも楽しめました。

                            
休憩を挟まずに、いよいよ、喜正さんの能《六浦》。
《六浦》は初見だけれど、鎌倉で《六浦》を見るというのもいいものです。

次第の囃子で都から東国に向かう旅僧が登場し、六浦の称名寺を訪れ、一本だけ紅葉していない楓に気づき、その謂れを通りがかりの里の女に訪ねる。

           
(鎌倉能舞台の揚幕は舞台と平行になっていて、
見所の正面に向かって幕が揚がるようにいてつくられているので、
演者も正面を向いたまま幕から登場します。
ちょっとバラエティー番組っぽいけれど、シテが正面向きで登場するというのが
なんとなく新鮮。)

                          
前シテの里女は、水色の唐織に面は増。
紅無だけれど、摺箔と唐織の間に朱色の重襟のようなものを着けていて、
さらに無紅唐織の八掛も美しい朱色なので、
奥ゆかしくも、あでやかな妙齢の女性といった風情。
紅葉の華やかさを内に秘めた印象です。
増の面が神秘的な雰囲気を醸しだしています。

                                              
寺の本堂の楓が一本だけ紅葉していないのは、
その昔、中納言藤原(冷泉)為相が、他の紅葉樹に先んじて色づいた一本の楓を見て、
「いかにしてこの一本にしぐれけん、山に先だつ庭のもみじ葉」と詠んだことから、
歌に詠まれる栄誉を得た楓は身を退くのが正道であると思い、紅葉を停めたからだと里の女は説明し、
自分こそその楓の精だと明かして、千草の花をかき分けて消え失せる。

                          
中入のあと、一声の囃子で後シテ(楓の精)が登場。
浅葱色の長絹(鎌倉能舞台が新調したもので、この日が「初おろし」だそうです)に同系色の大口。
かげろうのように儚げな長絹には笹の模様があしらわれています。
面は前シテと同じ増。

                                                           
(演能後の質疑応答で、かんた先生が解説されたのですが、
この日、《六浦》で使う面について、シテと囃子方と地謡の間で議論が交わされたそうです。
喜正さんが持参したのは増の面。若くて華やかな印象です。
それに対し囃子方は、喜正さんが演るなら少し年が上の近江女で、しっとりとした序之舞にした方がいいのでは、という意見だったそうです。
もちろん、シテがプロデューサーで演出家なので、シテの意向で行くことになりましたが、シテが用意した面や装束によって曲のテンポや調子がガラリと変わります。
喜正さんは「演者のひとこと」で「華やかに丁寧に勤める」とおっしゃっていて、
まさにその言葉通りのお舞台でした。)

                                                                      
楓の精は四季折々の草花の移ろいを語りながら、ゆったりと舞い始めます。

喜正さんは能役者の中では大柄な方ですが、
鬘物の時は通常よりもさらに中腰になられて、
楚々とした可憐な女性にしか見えない。

その透明感のある美しい舞姿の下では、
白鳥の水かきのように驚異的な身体能力が総動員されているはず。

軽やかな袖を翻すたびに芳香が漂い、
見る者はただただ恍惚感に包まれる。

                                   
この日は、名手揃いの囃子方の調子がいまひとつで、
特に広忠さんにいつもの凄まじい気迫が感じられない。
(たんに、静かな鬘物だったからかもしれないが。)
珍しく、くしゃみをされていたし、お顔もずっと真っ赤だったので、体調を崩されていて、
熱でもあったのだろうか。
太鼓と笛は良かったのだけれど、この能舞台はどうも音響が良いとはいえないようだ。
打音や掛け声が観客の衣服に吸収されている気がした。

                                            
それから、なぜか序之舞でシテの足拍子と囃子がやや合わない場面が何度かあり、
これもちょっと不思議だったのだけれど、
もしかすると事前の打ち合わせと本番との間に齟齬があったのかもしれない。

                           
そんなこんなで、「あれ?」と思うことはあったのだけれど、
地謡は良かったし、
何よりもシテの力量がすべての不都合を補って余りある。

                                                             
増の面が壮絶なまでに美しく、
シテの舞姿と謡がこの世のものとは思えないほど美しい。
俗世の物理的法則から解放されたシテは、
どこからどう見ても、人間ではなく、楓の精が舞っているようにしか見えない。

                                       
鎌倉まで足を運んだ甲斐のある名演でした。

2014年10月4日土曜日

国立能楽堂十月定例公演 《三輪》

狂言《鎧》 茂山千五郎 茂山宗彦 茂山千三郎

能《三輪》 シテ浅井文義
 ワキ宝生欣哉 アイ茂山茂
 囃子:藤田六郎兵衛  飯田清一 亀井忠雄 観世元伯
 後見:浅見真州 谷本健吾 (装束係?鵜澤光)
 地謡:浅見慈一 馬野正基 北浪貴裕 長山桂三
        坂井音雅 坂井音隆 坂井音晴 安藤貴康


《三輪》は好きな曲のひとつ。
作り物は出るけれど、シテにもワキにもツレがいないシンプルな構成なのに、
三輪山を御神体とする大物主信仰や仏教、大和朝廷系の天照信仰など、
さまざまなエッセンスが盛り込まれた複雑で濃厚な内容。

鬘物と脇能の要素がミックスされているのも鑑賞していて楽しい曲です。

前場では、三輪の神が里の女に身をやつして、僧の前に現れ、
「罪を助けてたび給へ」と救済を請う。

前シテの里の女は、「増」の面に、とても豪華な紅無秋草の唐織という出立。
手には数珠と、秋草の入った籠を持って登場。

橋掛りに現れたシテは、
女性の悲しみを体現したかのような、憂いに満ちた表情と物腰。
今の自分の気持ちとしっくり合っていて、
物語の世界にどんどん引き込まれていく。


ワキの欣哉師が相手の心の奥底に語りかけるような
思いやりのこもった真摯なまなざしをシテに注ぎ続けていて、
その姿を見ているだけでも癒される……。

こういう曲のワキは、人生経験豊富で
酸いも甘いも噛み分けたうえで世の無常を悟って出家した、
みたいな風格のある人が望ましい。
そういう意味で、欣哉師は拝見するたびに素敵なワキ方になっていく気がする。


私は脇正面が好きなのだけど、
ワキのこうした細やかな表情や演技が堪能できるのも
脇正面の醍醐味の1つ。

それから、《三輪》のように作り物の中で物着をする曲では、
物着の様子を鑑賞できるのも脇正面の楽しみです。


作り物の中での物着はシテにとっても後見にとっても大変なのだろうけれど、
作り物の奥に入った副後見の谷本師も、
作り物の外から装束を着せつけた浅見師も
手際良く、そして何よりも姿勢を一切崩さずにシテに着付けをされていて、
「後見」だけで一つの芸として成り立つのだと感じ入ってしまった。

とても大切な装束を、人間ではなく本物の神様に着せつけるような
(限られた時間内での)丁寧で行き届いた着付け。
熟練の後見の無駄のない動きはとても美しく、一番の仕舞を観ているよう。


物着を終え、杉の木立の作り物から現れた三輪明神(後シテ)は、
風折烏帽子に長絹、緋大口。
そしてなぜか、面は曲見(洞白作)。

《三輪》のような曲では、里女などの前シテには深井か曲見を使い、
神が顕現した後シテでは、神秘的な増を用いることが多いけれど、
この日は、前シテに増、後シテに曲見が使われていて、
おシテの意図は何だったのだろうと、拝見した後も謎のままでした。
衆生済度のために三輪明神が人間と同じ迷いの心を持っていることを
強調するためでしょうか。

よく分からないまま、演能は進み、神楽に突入。
この日も観世元伯師の太鼓が冴えていて、
エコーがかかったような澄んだ掛け声が能楽堂に響き渡る。
(元伯師の太鼓を聴くと、幸せな気分になります♪)

元伯師も、亀井忠雄師も、
これくらいのレベルになると、打音から濁りがまったくなくなり、
精製に精製を重ねたような純度の高い透明な音になる。

この透明度の高い音に、藤田師の鋭い笛が加わり、
神々しく舞うシテを精妙な音のヴェールが包み込み、
舞台も見所も、神代の岩戸の前へとトリップしていく。

いつしか囃子は神舞に転調して、
男神とも女神ともつかない、
両性具有にして、三輪明神でもあり、天照大神でもあるシテが、
人間の迷いと、女の悲しみを一身に背負って
狂おしく、美しく、厳かに舞いながら、
玄賓の夢の中に消えていくのだった……。

と、夢見心地のまま幕を閉じた、秋らしい好い舞台でした。