2015年7月19日日曜日

梅若会定式能7月 《采女・美奈保之伝》

2015年7月19日(日) 13時開演  梅若能楽学院会館

能《弱法師・盲目之舞》 シテ 角当直隆
  ワキ 高井松男、 アイ 野村万蔵
     杉信太朗、鵜澤洋太郎、國川純
    地謡 梅若玄祥 山本博通 内藤幸雄 山崎正道
     井上燎治 鷹尾維教 鷹尾章弘 土田英貴
  後見 松山隆之 小田切康陽

仕舞《大江山》  川口晃平
  《水無月祓》 鷹尾維教
  地謡 松山隆雄 赤瀬雅則 上田英貴 小田切亮磨

狂言《伊文字》 野村萬、野村虎之介、野村万蔵、野村晶人

  〈休憩〉

能《采女・美奈保之伝》シテ 会田昇
    ワキ 福王和幸 ワキツレ村瀬彗、村瀬提 アイ 能村晶人
  槻宅聡、曽和正博、大蔵慶之助  
    地謡 角当行雄 鷹尾章弘 山本博通
     山中迓晶 川口晃平 井上和幸
  後見 梅若長左衛門 松山隆雄

仕舞 《頼政》  梅若玄祥
  地謡 山崎正道 小田切康陽 川口晃平 山崎友正

   〈休憩〉→なし

能 《鵜飼・素働→空之働》 シテ 梅若紀彰
    ワキ 森常好  ワキツレ 舘田善博  アイ 河野佑紀
  一噌庸二→小野寺竜一、住駒光彦、柿原光博、観世元伯
  地謡 梅若長左衛門 山崎正道 鷹尾維教 角当直隆
     松山隆之 河本望 井上和幸 梅津千代可
  後見 山中迓晶 赤瀬雅則



梅雨も明け、夏休みも始まって、夏本番!
大盤振る舞いの豪華な番組には、水をテーマにした二曲が含まれ、
猛暑のなか透明なミストを浴びながら鑑賞するような涼やかな7月の定式能でした。

(それにしても鵜飼の小書や笛方が変更になったり、二回目の休憩がスルーされたりで(笛方は仕方がないにしても)変更が多すぎです……。一部の方々の心はすでに山形とギリシャに行っていたのかもしれないけれど、せめて二回目の休憩ナシは事前に言ってほしかった……。)

《采女・美奈保之伝》がとりわけ素晴らしい舞台だったので、
順番が前後しますが、感動冷めやらぬうちに《采女》から感想を。


【名ノリ笛→道行】
名ノリ笛に乗って、諸国一見の僧&従僧登場。
京の都から奈良坂を過ぎて、春日の里に到着します。

横から見ると、福王さんがワキツレ2人に比べて、
胸からお腹にかけて大量の詰め物(補正?)をしているのが分かる。
以前、矢野昌平さんも不自然なくらいたくさん詰め物をしていたから、
これが福王流がワキを演じる時の着付け方なのだろうか。
(細身の人は細身のまま、格別恰幅良く見せる着付けをしない下掛宝生とは対照的。)
個人的には、痩せて枯れた風情のほうが諸国一見の僧のイメージに合う気がする。


【シテ登場→猿沢池案内】

会田昇師のお舞台は初めて拝見するのですが、
揚幕の奥から現れたのは、その愛らしさに思わず微笑んでしまうくらい麗しい里女。
朱と白の段替えの唐織に、面は若女でしょうか。
普通の若女よりは増に近い感じで、穏やかな雰囲気を持ちつつも
目鼻立ちのはっきりした現代風の美人です。

「美奈保之伝」の小書なので、
彼女が僧たちを春日社に案内してその由来を語る部分はカットされ、
シテはいきなり、「のうのう、あれなる御僧に申すべきことの候」と言って猿沢の池を案内し、
昔、帝の衰寵を恨んでこの池に身を投げた采女を弔ってほしいと頼み、池の中へと消えていく。

湖面に乱れ浮く水中花のような采女の姿を描写するシテとワキの掛け合いが美しい。



【後場→ワキ待謡→シテ一声】

待謡とお囃子が響くなか、ひっそりと揚幕があがり、
水中の藻に見立てた緑色の無地熨斗目をかずいたシテが
橋掛りを音もなくスーッと進み、一の松で熨斗目を落として、湖面に浮かびあがる。

後シテは鮮やかな水色の色大口に、柳と流水が見事に折り込まれた紫の長絹。
露も鬘帯も水色で、aquaづくしの爽やかでセンスの好い出で立ち。

会田師は面の扱いが巧みで、とても表現力豊かなシテ方さん。
何も大仰なことはなさらないのですが、息の詰め方や間の取り方で
シテの心情や情景を繊細に描写し、観客をぐいぐい引き込んでいきます。

ワキとのやり取りの後、クリ・サシ・クセはカットされ、序の舞(水上の舞)になります。

この序の舞の時の槻宅さんの笛が曲趣にぴったりで素晴らしかった!

無音の足拍子で水面に浮かぶさまを表し、
袖を返さない舞で、水に濡れた風情を表現する。

水に揺らめくように身を沈め、わが身とわが愛を哀悼する。
愛に敗れ、忘れ去られた数多の采女たちに鎮魂の舞を捧げる。


笛が盤渉調に転じ、采女はさらに深く、舞のなかに没入する。

水、水、水……。

笛の音も、装束も、舞も。

水の非在によって実在以上に鮮明に水をイメージさせるという能の表現テクニック。

五感で水を感じながら、私は胸が震えた。

能は、やはり、頭で考えるのではなく、心と身体で感じるものなのだ。


シテは舞の途中で橋掛りに行き、二の松あたりで、欄干の下の水底をのぞき込む。

遠い日の影。 懐かしい人。 届かぬ思い。

シテがそこに見たものを、観客も想像し、自分の思いと重ね合わせる。


長い「間」。

《井筒》を思わせる水鏡の型。

この時のシテの姿があまりにも甘美な切なさを湛えていて、涙が自然にあふれてくる。


地謡もワキも、シテの心に寄り添うように感じられるのも良かった。

シテが揚幕の奥に消えてきちんと間を置いてから、余韻をそっとなぞるように、
ワキが静かに立ちあがり、おごそかに去っていく。


こんなふうに「間」を最後の最後まで大切にする丁寧な舞台と演者が好きだ。








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