2016年2月1日月曜日

宝生閑師に捧ぐ


「綺麗に謡っていたんでは駄目だと思うね、能の場合は。内的な力の反動みたいなものが声になって出て来て、表現しなければならない。良い声で、声だけで謡っていると西洋音楽的になってしまうんだよ。そういうのは謡じゃないんで、ある程度語りの要素を持っていて、力みたいなものが出てきたときに本当の言葉が伝えられるんだ。」

             ――土屋恵一郎『幻視の座 能楽師・宝生閑 聞き書き』 




宝生閑師が逝去された。

観能を始めて2年と少し。
そのなかで数々の印象的な舞台を遺してくださったのが閑師だった。

《紅葉狩》の鬼女との格闘で転倒されたのを不安な思いで見守ったこともあった。

《砧》の待謡での、
魂の底から絞りとるようなかすれた声で謡う悔恨と鎮魂の謡に号泣したこともあった。

そして何より、過去記事「心の舞台」に書いたように、
昨秋の鬼気迫る舞台でのお姿と、
舞台人としての壮絶な生きざまを示すあの表情を、
わたしは生涯忘れることはないだろう。


最後まで自己に一切の甘えと妥協を許さず、
正々堂々と闘い抜いた宝生閑師に
心からの敬意と感謝を送りたい。


すべての戦いを終え、
素晴らしい後継者に恵まれた今、
後顧の憂いなく、
どうか安らかにお眠りくださいますよう謹んでお祈り申し上げます。




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