2016年4月24日日曜日

謳潮会大会

2016年4月24日(日) 15時半~19時  セルリアンタワー能楽堂
(番組は拝見したものだけを記述)

素謡《定家》シテ 社中の方 ワキ 武田祥照

舞囃子《敦盛》《砧・後》《胡蝶》《蘆刈》《吉野天人》
 一噌隆之・杉信太郎 観世新九郎 柿原弘和 観世元伯
 
独鼓《鶴亀》 観世元伯
 
番外舞囃子《野守》  武田祥照
       杉信太郎 岡本はる奈 柿原弘和 観世元伯
       地謡 武田尚浩 小早川修 武田友志
           武田文志 佐川勝貴

番外能 《田村》 武田崇史
       ワキ 大日方寛 アイ 山本泰太郎
       一噌隆之 観世新九郎 柿原孝則
       後見 武田宗和 武田尚浩
       地謡 武田志房 松木千俊 藤波重彦 武田友志
           角幸二郎 武田文志 武田宗典 佐川勝貴





このブログで何度か書いているけど、武田祥照さんは宝生宗家・関根祥丸さんと並んで注目している若手シテ方さん。
九郎右衛門さんにも早くからその才能を見出され、来月の《翁》でも千歳を勤められます。
去年の番外舞囃子《三輪》で鳥肌が立ったので、今年も楽しみにうかがいました。


素謡《定家》のワキの謡をはじめ、シテの社中の方も、地謡も素晴らしく、脳内で舞台の情景がありありと浮かんでくる!
(舞良し、謡良し祥照さん、味方玄師の《定家》のときも見所(かな?)にいらしていたような……帰りにお見かけしました。)

舞囃子が始まるころにはほぼ満席の盛況ぶり。

囃子陣は神遊を再結成したような配役で、相変わらずカッコよく、息もぴったり。
大小鼓の間合いとか、とても勉強になる。
とくに最近、新九郎さんの鼓が好い、と思うことが多くなった気がする。


杉信太郎さんの笛は昨年末の「広忠の会」以来だけれど、森田流らしく好い具合にクセのある響きと独特の音色。
東西をまたにかけて活躍していらっしゃる超売れっ子笛方さんなのも納得です。


番外舞囃子《野守》 武田祥照
シテも囃子も地謡もとてもよかった!

岡本はる奈さんの小鼓も良い響き。
笛の信太郎さんは、盟友・祥照さんの舞台だからか最初緊張されてた様子だけれど、祥照さんと二人できっと将来、一流のシテ方さん・笛方さんコンビになりはるんでしょうね。

元伯師の舞働はいつもながらビシッ決まっていてタイトな音色。

シテの祥照さんは足拍子・謡とも迫力満点。
身体はまだ少し薄いけれど、凄まじい気迫です。
そして、とびっきり高さのある飛び返り3回。
一瞬、空中で止まったかと思うほど滞空時間が長く、そして美しい。

来月の千歳がほんとうに楽しみです。
(わたしも連休明けに九郎右衛門さんの舞台があるのを支えに、ハードなGWを乗り切ります!)



番外能 《田村》 武田崇史
祥照さんも去年3月に青翔会で舞われた《田村》。

弟の崇史さんは立ち姿がきれいなシテ方さん。
去年拝見した時にハコビが逆ムーンウォークっぽいと思ったのですが、今年はよりお能らしいハコビに。

前シテは朱色縫箔着付にグリーンの水衣というヴィヴィッドな色合わせ。
たぶん童子の面?
シテがスラリとしているので、同じくスラッとしたワキの大日方さんと名所教えの時に仲良く並ぶと現代的でフォトジェニック、絵になるお二人です。
シテは下居姿も美しく、舞台映えします。

後場はカケリで、柿原孝則さんの前のめりの大鼓が炸裂。
舞いもキリッと清々しく、良い意味で若さの際立つ颯爽とした勝修羅の舞台でした。










2016年4月21日木曜日

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》終曲まで

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》花見の道中まで」からのつづき

能《熊野・読継之伝・村雨留》シテ熊野 梅若紀彰
      ツレ朝顔 山中迓晶 
      ワキ平宗盛 舘田善博 ワキツレ 野口能弘
      藤田貴寛 幸清次郎 亀井実
      後見 梅若長左衛門 川口晃平
      地謡 会田昇 山崎正道 鷹尾維教 内藤幸雄
         鷹尾章弘 松山隆之 土田英貴 梅津千代司



花見の酒宴で中ノ舞・村雨留】
牛車から降りた熊野は、母の病気平癒を祈願して「清水の観音さん」に合掌。
そこへ花見の酒宴が始まったとの報らせが入る。

熊野はけなげにも宴を盛り上げようと脇正を向き、ほろ酔い気分の宴客に向かって、「さあ、この見事な桜を歌に詠みましょう!」と呼び掛ける。

ここからクリ・サシ・クセ。

サシの「花前に蝶舞う芬芬たる雪」が花下の舞を予告する鐘のように響き、
シテの微動だにしない典麗な下居姿の、黄金比で造形された彫刻のようなフォルムが観客を魅了する。


この美しい彫刻をうっとりと鑑賞するなか、諸行無常を説いたクセが流れ、
平家の栄耀も、熊野の容色も、衰亡の定めを免れないことが示される。


清水寺の酒の宴。
何もかもすべては、うららかな春の日のひとときの夢。


立ちい~でて峰の雲~


雲霞がたなびくように咲き誇る桜に、滅びの予感をしのばせながら、
熊野は静かに立ち上がり、舞い始める。

扇を上げて酒を汲み宗盛に酌をして、「深き情けを人や知る」でシオリ、立ち上がって橋掛りへ行き、二の松でしばし立ち止まり、戻りながら中ノ舞へ入ってゆく。

ここの足拍子のほとんどがやや強めだったのは、熊野の胸の内の焦燥感、「今この瞬間にも母の命が消えてしまうかもしれない」という焦りや苛立ちの表現だったのでしょうか。


とつぜん降り始めた村雨に花が散らされ、熊野は中ノ舞二段でぷっつりと舞い止める。
観客の心に、熊野の影が陽炎のようにまだ舞い続けているような余韻を残して。



【短冊ノ段→終曲】
正中下居したシテは、左袂から縦に三つ折りした白紙の短冊を取り出して開き、右手に持った閉じた扇を筆に見立てて、床上の墨に筆先を浸けるべく、沈思黙考するようにゆっくりと、優雅な所作で扇を床に下ろしてゆく。

そして短冊にさらさらと何かを書きつけ、右手で扇を開き、扇に短冊を載せて立ち上がる。


短冊のアシライが急ノ舞のようなアップテンポに変わり、熊野は自作の歌を宗盛に捧げる。
(テンポの速い囃子と熊野の真剣な行為とのミスマッチがなぜかコミカル。
→ここで急展開になるからこういう囃子なのかな?)


いかにせん都の春も惜しけれど、なれしあづまの花や散るらん  


熊野の歌に心打たれた宗盛は、君がそこまで言うのであれば、と熊野の帰省を許す。

熊野の望みを叶えてあげたい気持ちと、彼女を手放したくない思いとの間で揺れ動きつつも、最後は男気を見せた宗盛。
舘田さん演じる宗盛にはそうした心の動きがさりげなくあらわれていた。


喜んだ熊野は立ち上がっていったん幕前まで行き、一の松に戻って雲ノ扇で「明けゆくあとの山見えて」と山をのぞみ、「東に帰る名残かな」と都の春への心残りをちょっぴり滲ませながら東路を急ぐ。


宗盛に対する熊野の気持ちは最後までとらえどころがなく、永遠の謎。

二人にとってはこれが今生の別れとなり、
彼女が再び京の都を訪れることはなかったのだろうか。






2016年4月18日月曜日

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》花見の道中まで

梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》シテ登場まで」からのつづき

能《熊野・読継之伝・村雨留》シテ熊野 梅若紀彰
      ツレ朝顔 山中迓晶 
      ワキ平宗盛 舘田善博 ワキツレ 野口能弘
      藤田貴寛 幸清次郎 亀井実
      後見 梅若長左衛門 川口晃平
      地謡 会田昇 山崎正道 鷹尾維教 内藤幸雄
         鷹尾章弘 松山隆之 土田英貴 梅津千代司



朝顔とともに宗盛邸に着いた熊野は暇を乞うために、母からの文を宗盛に見せようとする。

読継之伝の文之段】
通常ならば宗盛が、「故郷よりの文と候ふや、見るまでもなしそれにて高らかに読み候へ」と、素っ気なく言うところを、「なにと老母の方よりの文と候や、さらばもろともに読みて候べし」となり、熊野と2人で(実際には交代で)手紙を読むことになる。

ワキが独特の抑揚(節)で朗々と謡い、シテもよく響く声でしっとりと謡いあげて、オペラを思わせる情感のこもった音楽的なやり取り。


ワキの舘田さんは、大好きな熊野と何でも一緒にしたい、彼女と一緒にいると幸せなんだ!みたいな、熊野へのぞっこんぶりが伝わってくる愛すべき宗盛像を演じていらっしゃって、熊野と向き合って文を受け取る時の熱い視線などもじつに表現力豊か。
観客も二人の男女の心の交流に引き込まれてゆく。


ワキは地謡左端前で正面を向いて「老い鶯逢ふ事も、涙に咽ぶばかりなり」まで読み、正中下居したシテが宗盛の肩越しに文をのぞきこむようにして、「ただしかるべくはよきように申し」から引き継ぐ。


「読継之伝」の小書ってほんとうによくできていて、これで小書なしの時の暴君・宗盛のイメージがガラリと変わり、熊野の潜在意識のなかにも別れがたさと母への思いとの葛藤のようなものが芽生えたように感じとれるのだ。



車出シ→花見の道中
この春の桜はこの春一度きり、その桜を君と一緒に楽しみたい、どうか見捨てないでくれ。
そう言って宗盛は、花見車を出すよう従者に命じて、熊野を車に乗せて清水寺に向かう。
宗盛を襲うこの無常感は、自らの行く末を漠然と感じとったものなのかもしれない。


でも、誰にとっても桜は「この春ばかりの花」であり、自分も桜も、この世のすべてが明日どうなるかさえわからない。
だからこそ今この時を楽しみたいという彼の気持ちは痛いほどよく分かる。


威勢のいい車出シアシライで花見車の作り物が角に出され、熊野だけが車に乗り込み、朝顔はその後方に控え、宗盛は脇座前に立ち、ワキツレがその後ろに控える(牛車に同乗している設定)。


「東路とても東山せめてその方なつかしや」と、花見の道中が謡われるなか、シテが作り者の左前のポールを握って、脇座の方(東方向)に懐かしげに目をやりシオル型や、「四条五条の橋の上……色めく花衣袖を連ねてゆくすえの」で脇正にうつろな目を向けて、華やかな都の情景と憂いに沈んだ自分の心の対比とを表現する場面など、見どころの多い道中のシーン。


会田昇師率いる地謡も梅若らしさが存分に発揮され、美しい都の春のにぎわいが観客の脳内に再現される。



この道中の詞章が熊野の気持ちとリンクするように非常に巧く書かれていて、詞章を頼りに、宗盛・熊野一行の道中を現在の地図でたどってみると、


平宗盛邸(左京八条四坊五町)を出て、鴨川沿いに北上する際に、四条五条の橋の上をゆく花見客の華やかな装いを眺め、車大路(現在の大和大路という説もあるが、たぶん松原通の鴨川以東の道)を出たところで右折して東に進み、六波羅の地蔵堂(おそらく六波羅地蔵・西福寺?)を伏し拝み、六道の辻とされる愛宕の寺(六道珍皇寺)を過ぎ、右手に鳥辺山を望みながら清水坂を進み、産寧坂の角にある経書堂を目にして、子安塔(かつては仁王門のすぐ近くにあった)を過ぎ、清水寺境内に入ってゆく。



六道珍皇寺にはその昔、小野篁が夜毎に地獄に下りて閻魔大王に仕えた際に通ったとされる「冥土通いの井戸」が今でもあって、六波羅密寺とともに異界感あふれる場所。

松原通も、わたしが関西にいたころは観光汚染されていない昔ながらの京の町の風情が残っていて、とても好きな通りです。


冥界のイメージが濃厚なこの地を通り過ぎる時、熊野の心に母の身を思う気持ちがさらに深まり、暗い影を落とす。
紀彰師演じる熊野のふうっと翳りのある表情が、そんな彼女の気持ちを物語っているようでした。



梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》終曲まで」につづく





梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》シテ登場まで

梅若会定式能4月《朝長》・仕舞からのつづき

能《熊野・読継之伝・村雨留》シテ熊野 梅若紀彰
      ツレ朝顔 山中迓晶 
      ワキ平宗盛 舘田善博 ワキツレ 野口能弘
      藤田貴寛 幸清次郎 亀井実
      後見 梅若長左衛門 川口晃平
      地謡 会田昇 山崎正道 鷹尾維教 内藤幸雄
         鷹尾章弘 松山隆之 土田英貴 梅津千代司


相当期待していたその大きな期待をもはるかに上回る驚きと感嘆に充ちた紀彰師の舞台。何度も反芻して心に刻みつけておきたい《熊野》でした。


【ワキの登場→ツレの登場】
名ノリ笛で、ワキ・ワキツレ登場。

ワキは風折烏帽子、朱色の露がアクセントになっている深みのある緑地狩衣に白大口。
このところ、わたしのなかではワキ方注目度No.1の舘田さん。
この日も人間味のある宗盛を好演されていた。

熊野と「この春ばかりの花」を見たいがために老母の病気のことは知りながら、都にとどめおいている旨を宗盛が告げると、次第の囃子に乗ってツレがもったいぶらずにサクッと登場。

ツレの朝顔は、朝露のように爽やかな秋草模様の灰緑地唐織に朱の鬘帯。
病母から託された文を懐中にしのばせた彼女は、いったん常座まで出て、熊野を迎えに遠江国(静岡県)から都に上ってきたことを述べ、橋掛りに戻って道行を謡ったあと、熊野宅に着いた態で幕に向かって案内を乞う。
迓晶師の朝顔はそつがなく、シテに影のように寄り添う献身的な女性のイメージ。



【シテの登場
シテの登場の囃子はアシライ出シ。
《熊野》はアシライ尽くしの曲で、このアシライ出シでは掛け声を長く引き延ばし、コミをたっぷり取る囃子、車出シアシライでは軽快な囃子、短冊のアシライではしっとりしたアシライから、扇を広げて宗盛に短冊を渡す段になるとテンポの速い急調に転じるなど、囃子の聴かせどころが多い。

大小鼓は2人のベテラン。
大鼓の亀井実師は派手さはないのですが、姿勢のきりっとした、いぶし銀の渋い演奏で、シテの謡の邪魔をすることなく(こういう大鼓方は貴重な存在)、文字通り「はやし」方として舞台を引き立てていました。


そのアシライ出シに乗って、熊野の登場!
紀彰師はいつも登場とともに観客の目と心を惹きつけ、虜にする方なのですが、このときも、ただただその美しさにため息。感嘆。

泉鏡花が「絶代の佳人」と呼んだのはこういう女性のことではないだろうか。
時の権力者が夢中になるのも無理はないと思わせる、説得力のある美しさ。

面は、増系の女面だろうか(それとも古風な若女?)。
花見車に見立てたような御所車と花をあしらった白銀とプラチナゴールドの段替唐織。
並みの人間では着こなしが難しそうなゴージャスな唐織を、紀彰師はシックでエレガントにまとっている。
こういう装束も意表をつくし、センスが好い。
ご自身の引き立て方、面・装束の引き立て方を研究し、熟知したうえでの着こなし、佇まい、微妙な所作。

シテは三ノ松で立ち止り、朝顔から渡された老母からの文を読む。
(「老母」ってこの時代だからたぶん40代くらい?)
母の容体が危ういことを知り、動揺を隠せないかのように文を持つ手をかすかに震わす。

いつも思うけれど、紀彰師が面をかけ操ると、面に生気が吹きこまれ、人が面をつけているのか、面から手足が生えているのか分からなくなるほど、シテと面が一体化し、観客は生身の美女を観ているような錯覚に陥る。


意を決した熊野は、もう一度暇を乞うべく、朝顔とともに宗盛邸に赴く。




梅若会定式能4月《熊野・読継之伝・村雨留》花見の道中まで」につづく


2016年4月17日日曜日

梅若会定式能4月《朝長》・仕舞

2016年4月17日(日)  13時~17時20分   梅若能楽学院会館

能《朝長》青墓の宿の長/朝長の霊 松山隆雄
     ツレ 川口晃平 トモ 小田切亮磨
     ワキ 森常好 ワキツレ 森常太郎 野口琢弘   
     アイ 能村晶人
          栗林祐輔 森澤勇司 國川純 大川典良
     後見 小田切康陽 松山隆之
     地謡 梅若玄祥→休演 角当行雄 山本博通 井上燎治
        井上和幸 山崎正道 角当直隆 土田英貴

狂言《茶壺》 野村萬 野村虎之介 野村万蔵→能村晶人

仕舞《養老》  小田切康陽
  《八島》  鷹尾維教
  《隅田川》 角当直隆
  《芦刈キリ》井上和幸
  《国栖》  山本博通
  地謡 角当行雄 会田昇 鷹尾章弘 山崎友正 梅若雄一郎


能《熊野・読継之伝・村雨留》熊野 梅若紀彰
            ツレ朝顔 山中迓晶 
      ワキ平宗盛 舘田善博 ワキツレ 野口能弘
        藤田貴寛 幸清次郎 亀井実
            後見 梅若長左衛門 川口晃平
      地謡 会田昇 山崎正道 鷹尾維教 内藤幸雄
         鷹尾章弘 松山隆之 土田英貴 梅津千代司

 

荒れ模様の日曜日。
電車のダイヤルも乱れに乱れ、開演直前にヨレヨレ姿で能楽堂にたどり着く。
こういう会に行くといつも思い悩むけれど、社中外のわたしのような一般客(一見さん)はやはり場違いなのだろうか……?


《朝長》
囃子はよかった。
國川さんは相変わらず安定していて、大小鼓は息が合ってたし、栗林さんは最近とみに好い音色で味のある笛。聴くたびに深みが増してくる。
大川さんは前にも書いたけれど、関東の金春流ではいちばんうまいと思う。

 

シテは、
初同のときの「荻の焼原の跡までも、げに北邙の夕煙」で、悄然と西の彼方に目をやり、「雲となり消えし空は色も形もなき跡ぞ」で、荼毘にふされて天に昇る朝長の霊に思いをはせるように遠くを見やる視線の表現と面の扱い、

それと朝長の最期を再現するところで、「膝の口をのぶかに射させて」で、扇でぐっさり膝を突き、「腹一文字にかき切って」で、扇を腹に突き立てて切腹する迫真の場面、
などが印象深い。


ツレ面がほっこりして可愛らしく、青墓の女主人を気遣うツレの様子が感じられました。


能村さんの間狂言が素晴らしく、この舞台では際立って見えた。
(シテ語が聴き取り難かったので、間狂言で背景・状況が一気にクリアに!)


地謡も玄祥師不在で、全体的にとても長く感じた《朝長》でした……。




狂言《茶壺》
拝見したかったのですが、体調不良で休憩しました。




仕舞
梅若会では、まだお顔とお名前が一致しない方がかなりいらっしゃるのですが、この日初めて会田昇師の素顔を拝見。
(去年の《采女・美奈保之伝》で感動して以来、どんな方か気になっていたのです。)
会田師は居住まいの美しい方でした。

皆さん、袴がおしゃれ。

仕舞で注目したのが、鷹尾維教(ゆきのり)師と山本博通師。

梅若会のサイトにはプロフィールが載っていないけれど、鷹尾師は福岡で、山本師は大阪で活動されているシテ方さんなのですね。
ふむふむ。

お二人ともそれぞれタイプは違いますが、尾骶骨から腰・頸にかけて一本筋がスーッと通っていて、気骨のある舞でした。
一度お舞台を拝見したい。


梅若会定式能4月《熊野》につづく(明日以降に書く予定)






2016年4月12日火曜日

ボストン美術館所蔵「俺たちの国芳・わたしの国貞」

会期:2016年3月19日~6月1日     Bunkamuraザ・ミュージアム

《国芳もよう正札附現金男 野晒悟助》1845年
山東京伝読本のヒーローを描いた大判錦絵
着物に描かれた悟助トレードマークの髑髏模様は、国芳らしくネコの寄せ集め

かなり混んでいましたが、幕末浮世絵好きのわたしにとってはパラダイス!
会場に4時間くらいいたけれど、まだまだ見足りないくらいでした。
嬉しいことに、「当世艶姿考(アデモード・スタイル)」というコーナーが期間限定で撮影可能だったので、気に入った画像の一部を紹介します。




国貞《見立邯鄲》、1830年、団扇絵間判錦絵
↑能の《邯鄲》に取材した作品。

唐団扇を思わせる透かし団扇から、洗い髪をなびかせた女の赤い唇がなまめかしくのぞく。
女が見つめているのは、「胡蝶の夢」を暗示する蝶の金物細工。

儚さを象徴する蝶の遠景では、輿を担いだ勅使たちが盧生を迎えに赴き、
女の背後には邯鄲の宿らしき建物が見える。





国貞《美人八景 晴嵐》、1833年、団扇絵間判錦絵

↑夜空の微妙な色合いのぼかし表現、風に靡く髪と手ぬぐいの躍動感、そして、絞りの布の絶妙な質感表現が秀逸。

円熟した絵師・彫師・擦師の技術の粋が味わえる。





【三都美人くらべ】
面白かったのが、大阪・京都・江戸の三大都市の傾城が妍を競うという趣向の《全盛遊 三津のあひけん》。
三人の花魁に狐拳(ジャンケンの一種)のポーズをとらせ、
結果は「あいこ」で勝負なし、というオチがついている。


国貞《全盛遊 三津のあひけん》「大坂新町」、1818-25年、三枚続の一枚
↑『廓文章』の舞台・吉田屋のあった大坂新町。

紅色の打ち掛けに緑の帯という、補色同士のインパクトのある組み合わせ。
コテコテの浪花遊女らしいコーディネート。
髪にも、赤い鹿の子で印象的に。

唇には当時流行の高価な笹色紅。
メイクとファッションには金に糸目をつけない上方魂があらわれている。





国貞《全盛遊 三津のあひけん》「江戸新吉原」、1818-25年、三枚続の一枚
↑こちらは江戸の傾城。
裾に梅柄をあしらった渋い紫鼠の打ち掛けに、エキゾチックな更紗模様の内着、襟や膝元からのぞく赤い襦袢が色っぽい。

表面はシックに、でも、隠れたところにオシャレ。
江戸のモードを感じさせます。



国貞《全盛遊 三津のあひけん》「京嶋原」、1818-25年、三枚続の一枚
↑最後は、京都嶋原の花魁。
前に長く垂らす「だらりの帯」は、赤地の大胆な蝶の柄。
一般的な「はんなり」のイメージとはひと味ちがうところが面白い。

現在も京舞妓に受け継がれている吹髷も、嶋原太夫のあかし。





国貞《角町 大黒屋内 三輪山》1830-39年、大判錦絵三枚続の一枚

↑渓斎英泉の影響を思わせる猪首・胴長の美人画。
禿を脇侍のように左右に配して、源氏名の「三輪山」を構図で表現している。







国貞《本朝風景美人競 相模江ノ島》
↑働く女性も国貞が描けば妙に婀娜っぽい。




国貞《本朝風景美人競 陸奥松島》、1830-35年

↑松島の海を思わせる深い藍色の打ち掛け。
赤い内着に青い博多帯をキュッと締めた粋な艶姿。

衣裳は豪華でも、足元は裸足なのに注目。
ほとんどの浮世絵には、(たとえ雪の日でも座敷内でも)足元は裸足で描かれている。
それが江戸の粋であり、色気であり、江戸っ子の健康法でもあったのかもしれない。







国貞《新吉原仮宅之図》、1816年、部分
↑吉原炎上後、日本堤に移転した新吉原。

作品タイトルには仮宅(仮小屋)での営業と、
廓が「火宅」の縮図であるという意味をかけているのでしょうか。







国貞《姿海老屋内 七人 つるじ たつた》

↑文政末期(1818-1830年)にベロ藍という人口絵具が大量輸入され、
天保の改革の奢侈禁止令で錦絵の彩色が制限されたことあいまって、
藍色の濃淡だけで描かれた「藍擦絵」が大流行した。

この流行の火付け役となったのは英泉だったが、
国貞は唇に紅を施してアクセントを利かせている。
(花魁も英泉風の猪首・五頭身美人?)





撮影可能コーナーは国貞の絵ばかりだったのですが、
国芳の作品も《相馬の古内裏》《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》《観世音霊験一ツ家の旧事》などの有名どころをはじめ、武者絵、役者絵、そしてネコの絵が充実。

また、当時の千両役者(七代目市川團十郎、二代目岩井粂三郎、三代目坂東三津五郎、三代目尾上菊五郎、五代目市川海老蔵)を描いた色紙判擦物三枚続(国貞)は、御贔屓筋だけに配った非売品の限定品で、絵具に銀泥が使われていたり、桜花や着物の菱紋にエンボス加工が施され、色紙の厚みを利用して立体感がつけられた贅沢な作品群でした。





2016年4月7日木曜日

美術館の春まつり・菱田春草《王昭君》

会期 2016年3月25日~4月8日  東京国立近代美術館所蔵作品展


先週末、お花見帰りにぶらりと立ち寄った「美術館の春まつり」。
同行者がいたのであまりじっくり鑑賞できなかったのですが、
春草や御舟、玉堂、土牛など日本画の名作が充実していて大満足の内容でした。




菱田春草《王昭君》部分、1902年、絹本彩色

肖像画工に賄賂を贈らず、清廉を貫いたために匈奴に嫁すこととなった昭君。
伏し目がちでふくよかな面差しは応挙の美人画を彷彿とさせ、
画面からは菩薩のような神々しささえ漂ってくる。

愁いをたたえながらも、
毅然と運命を受け入れる昭君の品格が恐ろしいほど見事に描かれ、
薄く透き通る白い紗の着衣が彼女の曇りのない内面を表わしているかのよう。






春草《王昭君》、部分

昭君を見送る宮女たち。
(彼女たちは画工を買収してみずからを醜く描いてもらったため匈奴行きを免れた。)

空涙を流す者、ホッと胸をなでおろす者、思わず蔭でほくそ笑む者。
ダ・ヴィンチの《最期の晩餐》のようにそれぞれの心の動きを巧みに捉えた群像表現。

これを20代後半で描いた春草。
こういうタイプの天才はやはり長生きできないのだろうか。







速水御舟《丘の並木》、1922年、絹本彩色

御舟も燃焼し尽くした夭折の天才画家で、この絵も28歳のころの作品。

画像では上手く再現できなかったけれど、
繊細な枝ぶりと夕空の微妙な色のグラデーションが詩的な情趣を醸す美しい絵だった。





川合玉堂《行く春》、部分、1916年、紙本彩色

玉堂《行く春》、部分、渓谷を下る外輪船


玉堂《行く春》、全体、六曲一双

長瀞の春を描いた六曲一双屏風。
長瀞の川下りは今では観光専用になっているが、もとは木材運搬として生活・産業に欠かせない運送手段だった。

玉堂の絵には、
額に汗して働く人々の営みが敬意に満ちたまなざしで丁寧に描かれている。
血の通った、ぬくもりのある絵。

この絵の前に座ってぼーっと眺めているだけで、心が安らいでくる。
奥多摩の玉堂美術館へまた行きたくなった。




花曇りの日の満開の桜