2016年5月26日木曜日

井筒の女の木彫像?

燦ノ会・能楽鑑賞講座の帰り道。
アートコンプレックスセンターのある信濃町には、慶大病院以外では行ったことがなかったのですが、周辺の通りにはいろいろと面白いものが。           

これはもしや、《井筒》の木彫像?

  ↑古道具屋さんにディスプレイされた井筒の後シテらしき木彫像。
   (初冠の老懸がとれている?)

お店の方が能楽関係者らしく、店先には能楽公演のポスターも貼られていました。




能楽公演のポスターなども貼ってあった古道具屋さん「時代屋雅」







2016年5月25日水曜日

燦ノ会 能楽鑑賞講座

2016年5月24日(火)19時~20時半 The Artcomplex Center of Tokyo

ステンドグラスと煉瓦造りが素敵なアートコンプレックスセンター

Part1 《高砂》  シテ 大島輝久
(1)解説 佐々木多門
(2)謡の実演
 「高砂の尾上の鐘の音すなり……相生の影ぞ久しき」
(3)使用面・装束の紹介
(4)仕舞《高砂 キリ》の実演  

Part2 《桜川》 シテ 佐々木多門
(1)解説 友枝真也
(2)謡の実演
 「まづこの川の名におふこと……げに面白き川瀬かな」
(3)使用面・装束の紹介
(4)仕舞「網の段」の実演

Part3 みんなで謡おう! 附祝言《高砂》

Part4 質疑応答



佐々木多門・友枝真也・大島輝久さんが主催する燦ノ会の鑑賞講座。
会場となったスタジオには能舞台にも転用できるステージが設置されていて、
主催者・参加者のあたたかい雰囲気と相まって居心地の良い空間でした。

こういう会の講座に参加するのは初めてでしたが、目からウロコの内容。

いつも妄想を暴走させながら一人で舞台を観てきたけれど、やはり演者の視点から曲を語っていただけるのは貴重な機会だと実感しました。
これからは時間があればなるべく参加することにしよう。



《高砂》の解説
多門さんのソフトで穏やかな語り口が心地よくて、癒される。
この声で中原中也の詩集を朗読してほしいくらい。

面白かったのは、播磨国の高砂の松と摂津国の住吉の松とは、(瀬戸内海の)海底でその根っこがつながっていると考られていたということ。

遠く離れた夫婦の松が根っこでつながっているなんて、ロマンティックなお話。
結婚式で謡われてきたのも祝言曲というのもあるけれど、その根底にはこうしたロマンティックな発想があったからでしょうね。




《桜川》を解説した友枝真也さんは、飄々としてマイペース。
淡々としながら、ボソッと面白いことをおっしゃるのが可笑しい。

真也さんのお話のなかで印象に残ったのは、物狂能の曲中にはハイになっている「躁」の部分と、我に返っている「鬱」の部分があり、見どころはハイな状態で舞うところ、という解説。

最後に「躁」のピークに達したあとで、物狂いは我に返って、愛する人と再会するというのがパターンとのこと。
なるほどー。



使用面・装束の紹介では、《高砂》と《桜川》で使用する小牛尉(小尉)や邯鄲男、曲見の面、それから狩衣や唐織・縫箔、すくい網の作り物などを見せていただきました。


豆知識として、
小牛尉と三光尉の違いは、小牛尉は鼻の下の髭が描かれていて神がかった顔立ちなのに対し、三光尉は植毛した髭を生やし、人間的・庶民的な顔立ちをしていること。

それから狩衣は能装束のなかでもおそらく最も重い装束で、これをつけて神舞を舞うのは体力勝負だそう。



曲見の面は、若曲見といってもいいほど、若くて美しい女面。
曲見のなかにはその名の通り顎がしゃくれてあまり美人ではない面もあるのですが、この面は品のある美形でした。




そして、謡・仕舞の実演。
会場となったスタジオは音響も非常に良く、喜多流の謡を間近で堪能できて贅沢な気分。

仕舞も申し分ないほど充実していて、大島さんは《高砂》のキリ、多門さんは網の段を披露してくださって、本番の舞台がますます楽しみに。

両曲ともそれぞれのシテの個性にとても合っているように感じました。



最後はみんなでおなかの底から「千秋楽は民を撫で」と謡って、大満足。

(去年正月の国立能楽堂公演で多門さんの指導で「高砂や~」を謡ったことを思い出します。)


目にも心にも楽しくて、勉強になる講座でした!


お土産の特製ポストカード5枚組

         






2016年5月12日木曜日

蔵元めぐり ~ 稲田本店

GWのつづき。
斐伊川の氾濫とスサノオによる治水が八岐大蛇神話になったという説があり、
その斐伊川が流れるこの地には「稲田姫(大蛇に生贄にされるところをスサノオに救われた姫の名)」という、大山の湧水と固有の酒米・強力米でつくられたお酒の蔵元があります。

蔵元・稲田本店
予約をすれば蔵元見学ができるので、当日電話をしたら、
とても丁寧に案内してくださいました。







↑ 麹室の前には神棚が。
杜氏の方々は毎朝ここで手を合わせて心身を清め、美酒の醸造を祈願するそうです。




製麹室

↑ 酒蔵のなかでも最もデリケートな場所。
人によって保有する菌が異なるので、ごく限られた人しか出入りが許されないとのこと。

酒蔵を案内してくださったスタッフの方も、ここへは入ったことがないそうです。





貯蔵蔵

↑ 今年の仕込みは3月で終わり、貯蔵室で眠るお酒たち。
日本酒の国内需要は伸び悩む一方で、海外輸出が増えているとのこと。
特に、アジアの富裕層の需要が伸びていて、
この日も香港に出荷する商品の瓶詰め作業がされていました。




試飲コーナー
↑ 最近では日本酒以外にも、梅酒や焼酎などもつくられていてボトルのデザインも可愛い。
 でもやっぱり、日本酒がいちばん。
 稲田姫の大吟醸、純米吟醸「いなたひめ強力」と「稲田姫」の3本をお土産に購入。




純米吟醸「いなたひめ強力」

↑ 地元でしかつくられていない酒米「強力米」を100%使った「いなたひめ強力」。
  名前は勇ましいですが、リンゴの香りのする芳醇なお酒。
 白ワイン感覚できりっと冷やして飲んでも美味しい。




2016年5月11日水曜日

寺町通り

大型連休は遠方W帰省でした。 
(観能とは無関係なのでご興味のない方はスルーしてくださいませ m(_ _)m)
夫の実家の大きな法事がメインだったので以下はお寺近くの風景。


回船問屋後藤家住居(重要文化財)

↑ 上の住居は、回船問屋を営んでいた豪商の邸宅。
  内部は非公開だそうです(見てみたい……)。



寺町通り

↑ 昔の面影が残る寺町通り。 のんびり、ゆったりと、時が流れてゆく。





旧加茂川通り

↑ 大正初期まで運河だった旧加茂川沿いの町並み。




中海と対岸の山々(車窓から)





セルリアンタワー能楽堂開場十五周年記念特別公演 《養老・水波之伝》後場

 《養老・水波之伝》前場からのつづき

能《養老・水波之伝》樵翁/山神 片山九郎右衛門
   樵夫 武田祥照 天女 武田友志
   勅使 宝生欣哉 従者 則久英志 御厨誠吾
   一噌隆之 幸正昭 亀井広忠 前川光範
   後見 味方玄 梅田嘉宏
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
       永島充 佐久間二郎 小島英明 川口晃平



【出端→天女ノ舞】
出端の囃子で後ツレ・楊柳観音(番組では「天女」)登場。
出立は朱色の舞衣に緑地色大口。
天冠に下弦の月が載っているのは楊柳観音の別名「水月観音」によるのだろうか。

後ツレは中ノ舞二段オロシで右袖を被いてしばし静止し、
その後、脇座前に行き、袖を被いたまま揚幕のほうを向く。

ツレの視線の先では、後見が巻き上げた半幕から、
すでに面・装束をつけた後シテの床几に掛かった姿がのぞいている。

(間狂言抜きのこの短時間でビシッと着替えを終わらせる後見の力量も凄い!)


シテが準備万端なのを確認したツレは、予定通り天女ノ舞を三段で終え、「ありがたや、おさまる御代の習いとて」と謡い出す。



【後シテ出→水波之伝】
地謡「これとても誓いは同じ法の水、尽きせぬ御代を守るなる」の途中で幕が上がり、
揚幕の奥から「われはこの山、山神の宮居」と声がして、
芍薬輪冠を戴いた後シテが颯爽と登場。

衣紋に着けた狩衣は開場15周年の能楽堂に敬意を表した深く濃い目のセルリアンブルー。
半切、黒頭、面はどこか影のある三日月(かな?)。


シテは常座、ツレは大小前に並び立ち、
「神といい」「仏といい」「ただこれ水波の隔てにて」「衆生済度の方便の声」と
掛け合いながら、本曲のテーマを提示する。


ツレは笛座前に控え、地謡を経て、シテの達拝となり、いよいよ水波之伝

岩間から水がコンコンと湧き出るように大太鼓が通常の神舞と同様にカカリを打ち出し、初段から急の位となり水が一気にほとばしり、奔流となって流れてゆく。

初段オロシで流れが淀むように囃子がにわかに減速。
シテは大小前で静止し、左、右とゆっくりと足拍子を踏み、前に出て身を沈める。

水の抵抗と質感さえ感じさせる所作のあと、囃子は再び急の位となり、
シテは滝のごとく流れ下る急流のようにスピード感あふれる舞を舞う。


正昭師が着実に打音を刻み、
広忠さんが解き放たれた野獣のように吠え猛り、
光範さんの早打ちが冴えに冴える!


そして何よりも、
舞い手の磨かれた芸のかっこよさ、にじみ出る品格、洗練。


最後の段で笛が盤渉調になり、
シテは水が渦巻くように左袖をグルグル、右袖をグルグルッと力強く巻き上げ、
両腕を掲げてまわり、水飛沫を上げるように両袖をバンッと返す。
(この型の記憶が曖昧で、もしかしたら順番が前後するかも。)


シテワカから囃子がしずまり、ゆったりとしたイロエになって、
「水滔々として波悠々たり」で、シテは橋掛りへゆっくりと歩を進め、
二の松で立ち止まり、見所側を向いて左袖を被き、
轟音を立てて流れ落ちる瀑布を遠望する。


じっくりと長く間をとって、
この国の豊かで美しい水という、雄大な自然の恵みに眺め入る。

この澄んだ美味しい水こそが「薬の水」だと、その視線は語っているようだった。



シテが橋掛りから舞台に戻る時に、小鼓・太鼓がナガシの手を打ち、
地謡が「君は舟、臣は水」と謡い出し、終曲へ。
最後にシテは脇正で袖を巻きあげ、留拍子。



江戸期に元章が小書「水波之伝」を考案したのは
この日のためではなかったのかと思わせる絶巧の舞台でした!







2016年5月10日火曜日

セルリアンタワー能楽堂開場十五周年記念特別公演 《養老・水波之伝》前場

片山九郎右衛門の《翁》からのつづき

能《養老・水波之伝》樵翁/山神 片山九郎右衛門
   樵夫 武田祥照 天女 武田友志
   勅使 宝生欣哉 従者 則久英志 御厨誠吾
   一噌隆之 幸正昭 亀井広忠 前川光範
   後見 味方玄 梅田嘉宏
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
       永島充 佐久間二郎 小島英明 川口晃平



【音取置鼓・礼ワキ】
狂言方・脇鼓が退場し、地謡が地謡座に移動して静まり返った舞台に、笛と小鼓の厳かな独奏が交互に鳴り響き、やがてそれは合奏となって混じり合い、閑寂なハーモニーを奏でてゆく。

質朴な職人肌の幸正昭師の置鼓が得もいわれぬ味わいを醸し、舞台は静穏な空気に包まれる。


四段目の本ユリの笛で幕が上がると、濃紺の狩衣をまとったワキの欣哉師が颯然と登場。

幕前で、白鳥の羽ばたきのように両袖を広げて上下に振りながら爪先立ちに伸び上がり、スッと脇正側に向き直って右腕を突き出し、再びくるりと舞台を向いて腕を下ろし、風が吹き抜けるように橋掛りをサーッと進んで舞台に至り、常座で露をとって、橋掛りのワキツレとともに平伏。

笛がヒシギを吹くと、囃子は「静」から「動」へ転じて真ノ次第の早メ頭となり、ワキとワキツレは舞台正面で向き合い、「風も静かに楢の葉の」と次第を謡い出す。


このキリッと身が引き締まるような一連の流れがシビレるほどかっこよく、わたしは微弱な電流が身体に走るような感覚に襲われた。



【真ノ一声→シテ・ツレ登場】
幕が上がり、柴を背負い水桶を持った前ツレを先立てて、シテの樵翁が登場する。

シテの装束は抹茶色の小格子厚板に茶色地水衣、白大口。手には杖。
面は小牛尉だろうか。
どこか神がかった趣きのある品格の高い尉面をつけたシテは、まるで仙境から現れたかのような雰囲気をもち、あたりには神秘的な霧が立ち込めているようにも見える。


「老いを養う滝川の水や心を清むらん」

橋掛りで向き合い同吟するシテ・ツレのあいだに強力な気の磁場が形成される。
2人の強い意識の集中。
彼らは人間の親子ではなく、山神と観音菩薩の化身なのだろうか――。


不思議な泉を求めてやってきた雄略天皇の臣下たちと対面した樵親子は、「これこそその泉です」と言って、岩間から湧き出る泉を指し示す。

(雄略天皇の在位期間は5世紀後半とされ、これは仏教伝来前なので、後場に楊柳観音が登場するのは「?」なのですが。古代の霊泉ということで雄略天皇の御代に設定したのでしょうか。「君は舟、臣(民)は水」という暴政を諌める『荀子』の思想とも関係があるのかもしれません。)



【地クリ・シテサシ・地下歌・上歌→来序中入】

九郎右衛門さんの正中下居(or居グセ)を拝見するたびに、わたしは安田靫彦の「意想の充実」という言葉を思い出す。
「何物も描かれざる処に却って深い意味がある」ように、何もせぬところに観る者を惹きつける奥深い美の充実があり、美の放出がある。
すべては芸の力が生み出す美のかたち。



泉の水の薬効を樵から聞いた臣下が感涙に咽んでいると、にわかに天空が光輝き、妙なる音楽が聞こえ、花々が降り注ぐ。

シテが幕入りしたあと、ツレが脇正側を小さく一巡してから橋掛りに至り、来序で中入。

ここから光範師の太鼓が入ると、舞台の色が一気に鮮やかになり精彩を帯びてくる。




《養老・水波之伝》後場につづく

2016年5月9日月曜日

セルリアンタワー能楽堂開場十五周年記念特別公演 片山九郎右衛門の《翁》

2016年5月7日(土) 13時~15時30分   セルリアンタワー能楽堂

能《翁》 翁 片山九郎右衛門
  千歳 武田祥照  三番三 山本泰太郎 面箱 山本則孝
  後見 山本則秀 山本凛太郎
  一噌隆之 幸正昭 後藤嘉津幸 森澤勇司
  亀井広忠 前川光範

  後見 味方玄 梅田嘉宏

能《養老・水波之伝》樵翁/山神 片山九郎右衛門
   樵夫 武田祥照 天女 武田友志
   勅使 宝生欣哉 従者 則久英志 御厨誠吾
   一噌隆之 幸正昭 亀井広忠 前川光範
   後見 味方玄 梅田嘉宏
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
     永島充 佐久間二郎 小島英明 川口晃平



東京で九郎右衛門さんの翁付水波之伝を拝見できるなんて、なんて幸せなんだろう!!
ずーっと楽しみにしてきたことが過去のものとなったいま、宴のあとのような一抹の寂しさを感じるけれど、少しでも記憶にとどめるために書き残しておきます。



翁登場→拝礼】
カチカチと切火が切られ、幕があがって面箱持に続いて翁が登場。
荘厳な宗教儀式にふさわしい、たしかな翁の位のハコビで橋掛りを進み、正先へ出て拝礼。
翁が笛座前で右膝の音を立ながら着座すると、角で控えていた面箱持が立ち上がり、翁の前で面を取り出し、裏返した面箱の上に載せる。


いつも感じることだけれど、色白でお肌のきれいな九郎右衛門さんは舞台のライトを反射して、清浄な後光のようなオーラを放って見える。
この日はとりわけそう見えた。


座付き→ヒシギ→翁の謡】
演者が所定の位置に着き、笛方が座付キきを吹き始めると、おのずと胸が熱くなってくる。
ヒシギが鳴り、小鼓が打ち始め、「とうとうたらりたらりら」と翁が顔を紅潮させながら謡い始める。

幸清流で《翁》を観るのは初めてだったのですが、統率が取れていて頭取・脇鼓ともに好い小鼓でした。



千歳ノ舞】
やがて再びヒシギが響き、脇座に控えていた千歳が「鳴るは滝の水~」と袖の露を取りながら立ち上がり、千歳ノ舞を颯爽と舞い始める。

祥照さんの舞はいかにも千歳らしい、石清水の流れを思わせる真摯で清涼感のある舞。
観ているほうも清々しい思いになる。


「絶えずとうたり 常にとうたり」から千歳が扇を開いて、囃子が急調に転じ、
「天つ乙女の羽衣よ」くらいから翁が面をいただいて、それを着け始め、
「絶えずとうたりありうとうとうとう」で千歳が、水の奔流と飛沫を表すような七つ拍子を踏む。

最後に右袖をキリリと凛々しく巻き上げ、ヒシギに合わせて大きく拍子を踏んで千歳の舞を終えた。



【翁ノ舞】
面をつけた翁は「総角やとんどや」と謡い出し、「坐して居たれども」で立ち上がる。
このとき、横を向いていた大鼓の調べが入る。


わたしは近眼なので遠目にはよく見えなかったけれど、おそらくこの日の翁面は、目の刳り方がへの字に湾曲した通常の(笑った)翁面ではなく、目尻が吊り上がった父尉系の古い面のように見えた。
その表情は中沢新一の『精霊の王』の表紙にも登場する、シャクジ(民俗学では翁の起源ともされる宿神)を彷彿とさせる。


九郎右衛門さんを依り代にして、縄文的精霊の王が能舞台に降臨したのだ。


「(神のひこさの昔より)久しかれとぞ祝い」から頭取調べ(独奏)が入り、翁ワカから小鼓はしばし休止して、翁の独吟となる。


「天下泰平 国土安穏」


轟くように響き渡る翁の謡。

それは、翁の神と一体化し、荒ぶる神を鎮めるべく全身全霊で、
魂の奥底から発した九郎右衛門さんの祈りの言葉であり、
さらには、
古来、日本人が自然災害に幾度も見舞われながら乗り越えてきた先祖伝来の力、
天変地異を世直しの起爆剤に替えてきた不屈の精神を呼び起す神の言葉のように聞えた。



「そよや」から翁ノ舞となり、角(天)→脇座(地)→正中(人)を足拍子を踏んで祓い清め、「万歳楽」で扇で顔を隠すように両手を顔前で組みながら後ろに反り、舞を終え、笛座前に戻って面をとる。

向き直った九郎右衛門さんは青年に戻ったような爽やかな表情を浮かべていた。


シラコエ(素声)という印象的な低い掛け声をかけながら小鼓が翁帰りの手を打ち、翁と千歳は幕のなかへと消えていった。




三番三】
まず小鼓が、続いて大鼓が揉出しを打ち出すと、一の松で待機していた三番三が立ち上がって舞台に入り、「おおさえ、おおさえ」と謡い出す。

剣先烏帽子をつけると顔が誰だか分からなくなる人が少なくないのですが、この時も最初「誰?」と思って番組を見直したほど、分からなかったです。

そんなわけでちょっと疲れてきたので三番三は端折りますが、以前拝見した泰太郎さんの三番三のほうがよかったような(相当緊張されてたのかなー)。
足拍子や烏飛びの拍子が囃子と合わない箇所が多く、鈴ノ段もクライマックスのエクスタシー感が欠けていて、観ている側もいまひとつ乗り切れない気がしました。

ただ、この方の持ち味は、農耕儀礼としての良い意味での土臭い三番三を踏むことであり、この日も、千歳と翁によって清められた空間(国土)を、揉ノ段によって耕し、土づくりをして、鈴ノ段で着実に種をまく様子がしっかり伝わってきて、おかげで「天下泰平 国土安穏」を祈る儀式を着実に完遂させたことが実感できたのです。




《養老・水波之伝》前場につづく

2016年5月8日日曜日

セルリアンタワー能楽堂 開場十五周年記念特別公演 プレ公演

2016年5月6日(金)  19時~21時  セルリアンタワー能楽堂

素囃子――東西の囃子方による
 西軍 左鴻泰弘 成田達志 谷口正壽 前川光範
 東軍 一噌隆之 幸正昭  亀井広忠 小寺真佐人

舞囃子《高砂・八段ノ舞》 味方玄
      《東北》      友枝真也

仕舞《紅葉狩》 宝生欣哉
        《大蛇》  福王和幸×大島輝久

舞囃子《石橋》 片山九郎右衛門
           《猩々乱》 友枝雄人



プレ公演と侮るなかれ、「見逃さなくてよかった!」としみじみ思う東西真剣立ち合い勝負。
さすがは東急、さすがはセルリアン、素晴らしい企画をありがとうございます!


素囃子――東西の囃子方による】
冒頭からド迫力の東西囃子方の競演!

後座前に東軍囃子方、地謡座前に西軍囃子方が湾曲状のくの字型に並んで座り、以下の順で交互に演奏。
(1)真ノ次第
  座付き笛・早め頭(東)
(2)真ノ一声
   幕離れより(西)
(3)早笛
  カカリ(東)、初段(西)、二段(東西合奏)
(4)盤渉楽
  二段(東)、三段(西)
(5)早舞
  初段(東)、二段(西)、三段(東西合奏)

東西囃子方の「気の熱波」みたいなものがガンガン押し寄せてきて、過呼吸になりそうなほど圧倒される。

成田・谷口兄弟の大小鼓をライヴで聴くのは初めてだったのですが息もぴったりで、うつむいて笛を吹く左鴻師とともに三兄弟(?)のように見える。
左鴻師の笛も初めて。聴き惚れる~。素敵な笛方さんだ。
光範師の太鼓は1年半ぶりくらい。この日もよかったけれど、翌日の《養老・水波之伝》が凄かった!

東軍は聴きなれたお馴染みの囃子。
「珍しきが花」というけれど、どうしても西の囃子のほうに惹かれてしまう。
西の囃子のほうに馴染んでいて、東軍のほうが珍しかったら違った感想になるだろうか。
(この日は西軍のほうが引き締まって聴こえたような。)

ハイライトは両軍の合奏。
やっぱり笛がいちばん違いますね(同じ流派でも能管そのもので音高・音律が異なるし)。
手組や撥捌きが比較しやすいのが太鼓。
交互に見せ場が来るようにいつもと手を変えているように思えたけれど、どうなのだろう。




舞囃子:《高砂・八段ノ舞》VS《東北》】
シテ方東西対決第一弾(囃子方は東西入れ替えているのがミソ)。

《高砂・八段ノ舞》
この日、テアトル・ノウ東京公演の一般販売日だった味方玄師。
この方の芸はシャープで、鋭利な刃物のようなキレがあり、エッジが利いている。
瑕のない名刀のよう。
7月はどんな《山姥》になるのか、楽しみ。

九郎右衛門さん地頭の地謡も良かった!!



《東北》
地謡前列の佐々木多門師は、いつもながら所作がきれい。
通常ならばシテが立ち上がって、袴の裾が乱れているのを発見してから慌ててババッとにじり出て裾を直すところを、多門師はあらかじめ前方に出てシテのほうに向きなおり、落ち着いた丁寧な所作で裾の乱れを整えてから所定の位置に戻って扇をとる。
この一連の所作が品があって美しい。
来月の《桜川》が待ち遠しい。

舞い手の真也師は謡いのうまい方ですね。
金春流宗家を思わせる独特のハコビ。
(真也師も今秋《山姥》を舞われるので、《山姥》対決でも面白かったかも。)

関西勢の囃子がとても良く、左鴻師の笛の音が序ノ舞の彩りに深みを与え、吉阪師の小鼓が曲に美しい陰翳をつけてゆく。

色こそ見えね 香やは隠るる……

闇のなかの艶めかしい梅の香りを感じさせる喜多流の謡。
つかの間に見る春の夜の夢。





仕舞:《紅葉狩》VS《大蛇》】
とっても珍しい東西ワキ方の仕舞対決。

《紅葉狩》
通常はシテが舞うクセの部分をワキ方が舞う仕舞。
8月に開催される下宝能の会では鬼揃の小書でこの特別演出が披露されるそうです(九郎右衛門さん×欣哉さんの仕舞《大蛇》もある!)。

ワキ方の仕舞では、カザシ扇の持ち方がシテ方とは違う?


《大蛇》
宝生・金剛・喜多にしかないとされる《大蛇》。
(ということは、下宝の会で上演予定の観世流仕舞《大蛇》は下宝独自の演出なのかしら)。

大島輝久師の舞は初めて拝見するのですが、評判にたがわず巧くて隙がない。

《大蛇》の型はけっこう写実的で、地謡の詞章も聞き取りやすいので、迫力満点。
(大蛇って角があるんですね。)


毒酒に酔い伏した八岐大蛇(シテ)に、スサノオ(ワキ)が十握の神剣で斬りかかる。
スパッと斬られた大蛇の尾がスサノオに巻きつこうと執拗に襲いかかるが、最後はスサノオが大蛇の尾を斬り払い、そこから新たに剣を取り出して叢雲と名づけて終わる。

福王さんのスラッとした十頭身のスサノオと大島さんの大蛇。
なんともきれいな《大蛇》でした。

(GWに稲田姫とオロチの里に行ったばかりなのでなおさら楽しめました。今度はお能で観てみたい。)



【舞囃子:《石橋》VS《猩々乱》】
いよいよ東西両雄対決!

《石橋》
九郎右衛門さんの《石橋》を何度も観ている気がするのは、わたしが九郎右衛門さんのDVDをたぶん百回以上は再生しているからですが、相変わらずいつ拝見しても大迫力でかっこいい!

その一方でこういうアクロバティックな舞は、超過密スケジュールで多忙を極める九郎右衛門さんのお身体の負担にならないか(膝・腰を傷めないか)と心配にもなる。


本曲の囃子にかんしては、途中で入る笛一管の演奏が、九郎右衛門さんの沸々と煮えたぎるような力強い不動のエネルギーに比べてどうしても弱く感じてしまう。


このところ東京では九郎右衛門さんの切能・鬼能が多い気がするので、序ノ舞or天女ノ舞or神楽とか、何かそういうものをぜひ観てみたい。




《猩々乱》
喜多流の《猩々乱》、初めて拝見するけれど、これ、面白い!
観世流よりも型が多い(しかも、凝った型や足づかい)。

流れ足が爪先立たないというカルチャーショック!

そうかと思うと、つま先立ちでトトトトッと前進する型や、
天を仰ぐように立ったまま仰向けに反り返って、へべれけに酔っている様を表す型もあり。

全体的に中腰で片足立ちでとどまる型が多用されていて、ものすごく強靭な足腰やバランス感覚が必要になると思う。
現に、シテの雄人師は滝のような汗。

これをお能では装束と面をつけて舞うのだから……その難度の高さは計り知れない。
これもお能で観てみたい。



というわけで、驚きや発見に充ちた思い出に残る公演なのでした。
あらためて、これを企画した人は凄い! 感謝!