2016年5月9日月曜日

セルリアンタワー能楽堂開場十五周年記念特別公演 片山九郎右衛門の《翁》

2016年5月7日(土) 13時~15時30分   セルリアンタワー能楽堂

能《翁》 翁 片山九郎右衛門
  千歳 武田祥照  三番三 山本泰太郎 面箱 山本則孝
  後見 山本則秀 山本凛太郎
  一噌隆之 幸正昭 後藤嘉津幸 森澤勇司
  亀井広忠 前川光範

  後見 味方玄 梅田嘉宏

能《養老・水波之伝》樵翁/山神 片山九郎右衛門
   樵夫 武田祥照 天女 武田友志
   勅使 宝生欣哉 従者 則久英志 御厨誠吾
   一噌隆之 幸正昭 亀井広忠 前川光範
   後見 味方玄 梅田嘉宏
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
     永島充 佐久間二郎 小島英明 川口晃平



東京で九郎右衛門さんの翁付水波之伝を拝見できるなんて、なんて幸せなんだろう!!
ずーっと楽しみにしてきたことが過去のものとなったいま、宴のあとのような一抹の寂しさを感じるけれど、少しでも記憶にとどめるために書き残しておきます。



翁登場→拝礼】
カチカチと切火が切られ、幕があがって面箱持に続いて翁が登場。
荘厳な宗教儀式にふさわしい、たしかな翁の位のハコビで橋掛りを進み、正先へ出て拝礼。
翁が笛座前で右膝の音を立ながら着座すると、角で控えていた面箱持が立ち上がり、翁の前で面を取り出し、裏返した面箱の上に載せる。


いつも感じることだけれど、色白でお肌のきれいな九郎右衛門さんは舞台のライトを反射して、清浄な後光のようなオーラを放って見える。
この日はとりわけそう見えた。


座付き→ヒシギ→翁の謡】
演者が所定の位置に着き、笛方が座付キきを吹き始めると、おのずと胸が熱くなってくる。
ヒシギが鳴り、小鼓が打ち始め、「とうとうたらりたらりら」と翁が顔を紅潮させながら謡い始める。

幸清流で《翁》を観るのは初めてだったのですが、統率が取れていて頭取・脇鼓ともに好い小鼓でした。



千歳ノ舞】
やがて再びヒシギが響き、脇座に控えていた千歳が「鳴るは滝の水~」と袖の露を取りながら立ち上がり、千歳ノ舞を颯爽と舞い始める。

祥照さんの舞はいかにも千歳らしい、石清水の流れを思わせる真摯で清涼感のある舞。
観ているほうも清々しい思いになる。


「絶えずとうたり 常にとうたり」から千歳が扇を開いて、囃子が急調に転じ、
「天つ乙女の羽衣よ」くらいから翁が面をいただいて、それを着け始め、
「絶えずとうたりありうとうとうとう」で千歳が、水の奔流と飛沫を表すような七つ拍子を踏む。

最後に右袖をキリリと凛々しく巻き上げ、ヒシギに合わせて大きく拍子を踏んで千歳の舞を終えた。



【翁ノ舞】
面をつけた翁は「総角やとんどや」と謡い出し、「坐して居たれども」で立ち上がる。
このとき、横を向いていた大鼓の調べが入る。


わたしは近眼なので遠目にはよく見えなかったけれど、おそらくこの日の翁面は、目の刳り方がへの字に湾曲した通常の(笑った)翁面ではなく、目尻が吊り上がった父尉系の古い面のように見えた。
その表情は中沢新一の『精霊の王』の表紙にも登場する、シャクジ(民俗学では翁の起源ともされる宿神)を彷彿とさせる。


九郎右衛門さんを依り代にして、縄文的精霊の王が能舞台に降臨したのだ。


「(神のひこさの昔より)久しかれとぞ祝い」から頭取調べ(独奏)が入り、翁ワカから小鼓はしばし休止して、翁の独吟となる。


「天下泰平 国土安穏」


轟くように響き渡る翁の謡。

それは、翁の神と一体化し、荒ぶる神を鎮めるべく全身全霊で、
魂の奥底から発した九郎右衛門さんの祈りの言葉であり、
さらには、
古来、日本人が自然災害に幾度も見舞われながら乗り越えてきた先祖伝来の力、
天変地異を世直しの起爆剤に替えてきた不屈の精神を呼び起す神の言葉のように聞えた。



「そよや」から翁ノ舞となり、角(天)→脇座(地)→正中(人)を足拍子を踏んで祓い清め、「万歳楽」で扇で顔を隠すように両手を顔前で組みながら後ろに反り、舞を終え、笛座前に戻って面をとる。

向き直った九郎右衛門さんは青年に戻ったような爽やかな表情を浮かべていた。


シラコエ(素声)という印象的な低い掛け声をかけながら小鼓が翁帰りの手を打ち、翁と千歳は幕のなかへと消えていった。




三番三】
まず小鼓が、続いて大鼓が揉出しを打ち出すと、一の松で待機していた三番三が立ち上がって舞台に入り、「おおさえ、おおさえ」と謡い出す。

剣先烏帽子をつけると顔が誰だか分からなくなる人が少なくないのですが、この時も最初「誰?」と思って番組を見直したほど、分からなかったです。

そんなわけでちょっと疲れてきたので三番三は端折りますが、以前拝見した泰太郎さんの三番三のほうがよかったような(相当緊張されてたのかなー)。
足拍子や烏飛びの拍子が囃子と合わない箇所が多く、鈴ノ段もクライマックスのエクスタシー感が欠けていて、観ている側もいまひとつ乗り切れない気がしました。

ただ、この方の持ち味は、農耕儀礼としての良い意味での土臭い三番三を踏むことであり、この日も、千歳と翁によって清められた空間(国土)を、揉ノ段によって耕し、土づくりをして、鈴ノ段で着実に種をまく様子がしっかり伝わってきて、おかげで「天下泰平 国土安穏」を祈る儀式を着実に完遂させたことが実感できたのです。




《養老・水波之伝》前場につづく

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