2016年7月30日土曜日

花火大会

隅田川ではなく、家族で浴衣を着て近場の花火大会へ。



うまく撮れなくて残念ですが、
色や形が段階的に変化していろんなサプライズがあり、観衆から歓声が!
花火師の職人技って凄い!

パッと華やかに咲いて儚く散っていくのが桜にも似て、日本人の感性に合うのでしょうか。






日が暮れると涼しくて、快適。 もう秋かと思うくらい。





穴場でシートを敷いて、のんびり鑑賞。
(でも、ビルが邪魔して、高く上がる花火しか見えないのです(>_<)





大好きな夏も、もう折り返し地点……。 


テロも事故もなく、無事に終わってよかった!





2016年7月26日火曜日

能・狂言とゆかりの寺「泉涌寺」~またまた勃発!仏舎利盗難事件

2016年7月25日(月)14時40分~16時10分 29℃ 武蔵野大学雪頂講堂

宝生流シテ方・和久荘太郎
武蔵野大教育リサーチセンター・生駒哲郎
聞き手 能楽資料センター長・三浦裕子

(1)泉涌寺と仏舎利について  生駒哲郎
  実際にあった仏舎利盗難事件

(2)演者から観た能《舎利》    和久荘太郎
   見どころ、小道具、面の紹介、裏話など
   →これが面白かった!



泉涌寺といえば大学時代、美術史の講座で「楊貴妃観音」を観に行った記憶があります。

繊細華麗な宝冠・瓔珞を身につけた端正ながらも肉感的な顔立ちはまことに艶麗で、伏せ目がちなまなざしが絶世の美女の倦怠と憂鬱を思わせたものでした。
そしてなによりも肌の質感がヌメッとしていて、官能的な潤いさえ感じさせたのです。



その楊貴妃観音もこの日のテーマの仏舎利とともに、泉涌寺を再興した俊芿の弟子・湛海によって南宋から請来されました。


まずは、そんな泉涌寺と仏舎利のお話。


生駒哲郎氏のお話によると仏舎利には、普通の仏舎利(砕身舎利)と仏牙舎利(仏の歯)があり、普通の舎利はどんどん増えていく(*)のだが、牙舎利は増えないゆえに極めて貴重とのこと。

(*)仏舎利が増えると言うのは、たとえば、東寺では仏舎利が二千個以上あるらしいが、毎年寺のトップである「一の長者」が仏舎利の数を数えると、その数が(不思議なことに?)増えていくため、増えた分を天皇の親族や公家に分配し、公家たちはその仏舎利を胎内施入した仏像をつくらせたという。

いっぽう、数の増えない仏牙舎利は、足利家の菩提寺たる相国寺や、天皇の「み寺」である泉涌寺に奉納され、前者は「武家の王権の象徴」、後者は「天皇の王権の象徴」になったとのこと。



面白かったのは、東大寺を再建した重源が、仏舎利を納入して大仏を復活させるために、東大寺に縁の深い偉人たち(鑑真・空海・聖徳太子・聖武天皇)ゆかりの舎利を、他の寺から弟子たちに盗ませたという事実。

重源ってけっこうファナティックな人だったんだ。



(ヨーロッパでも、とくに中世では教会同士による聖遺物盗難(フルタ・サクラ)があったから、こういうところは洋の東西を問わず変わらないんですね。 宗教的な権威づけ、求心力の強化には、実体のある聖遺物や仏舎利が欠かせなったということなのでしょう。)




つづいて、和久荘太郎さんのお話。
(そういえば和久さんの社中会は「和久」の語呂合わせで「涌宝会」というのですが、なんとなく、泉涌寺との縁を感じさせる名前ですね。霊泉が涌くって宝が涌くように有り難いもの。)

和久さんは人気シテ方さんらしく爽やかかつ華やかで、お話がうまい!

過去に二度《舎利》のシテを舞われて、今度の12月にはツレを勤められるそうです(シテは辰巳満次郎さん)。
それで、若い頃にはショー的な部分の多い後場が見せ場と思っていたけれど、技術だけでなく、心(曲への向き合い方)が変化する中で、実は前半の寂び寂びとした雰囲気がこの曲の醍醐味ではないかと思うようになったとのこと。



とくに、(ここは和久さんが実演で謡ってくださったのですが)上ゲ哥の「月雪の古き寺井は水澄みて……心耳を澄ます夜もすがら、げに聞けや峰の松、谷の水音澄みわたる、嵐や法を唱ふらん」のところなど、泉涌寺の清浄な雰囲気がしみじみとあらわれていて、文章の出来が素晴らしいと、三浦先生とともにおっしゃっていました。



それから、小道具・面の紹介のところも面白く、
宝生流の舎利玉は観世流のものとは違っていて、観世流はミニチュアの舎利塔のようなものが載っているのに対し、宝生流のはネギ坊主のような擬宝珠の形をした金ぴかの舎利玉が台のうえに載っています。


それから仏舎利を盗む時の、「くるくるくると、観る人の目を眩めて、その紛れに牙舎利を取って、天井を蹴破り」のところで、仏舎利を載せていた三宝を踏みつぶすのですが、この踏みつぶすのが結構大変で、和久さんはかつて東急ハンズでバルサ材を調達し、上下ともバルサ材を使ったら、踏みつぶした時に足がめりこんで、(コントみたいですが)そのまま足が抜けなくなってしまったので、試行錯誤を重ねて下だけバルサ材を使ったら、うまくいったとのこと。

このあたりのお話はとても面白くて、爆笑してしまいました(笑)。




さらに、三宝の踏みつぶし方も流儀によって異なり、
観世・宝生は三宝を踏み割るけれど、
金剛・金春は三宝を蹴飛ばし、
喜多流は、蹴破って客席のほうに蹴飛ばし、お客さんに取ってもらう(?)そうです。




また、打杖の色は黒垂なら紺、赤頭なら赤、白頭なら白というふうに、髪の色に合わせるとのこと。
ふむふむ。



和久さんが御持参してくださった面も、後シテは顰、後ツレは天神という造形の見事な面で、宝生流では天神の面は、この《舎利》と類曲《大会》の後ツレ、そして《金札》の後シテでしか使わないそうです。


最後に、生駒先生は仏舎利にまつわる生身信仰について語り、
和久さんは足疾鬼の釈迦への愛とそれによる仏舎利への執着、つまり足疾鬼の人間らしさについて語っていらしたことが印象的でした。







2016年7月22日金曜日

下掛宝生流 能の会 【事前講座】

2016年7月22日(金)18時半~19時半 22℃  国立能楽堂大講義室

担当:則久英志 舘田善博 野口能弘 御厨誠吾

(1)《紅葉狩》ワキ一声→ワキツレ一声 実演と解説

(2)みんなで謡おうワキ一声

(3)《紅葉狩》クセの上羽「よしや思へばこれとても」から「気色かな」までの謡の実演

(4)能と下掛宝生流の歴史
  詳しくは、下掛宝生流サイトへ

(5)ワキの装束について

(6)能《紅葉狩》の見どころ



ワキ方ウィーク第二弾は、下宝能の会の事前講座。
なかなか聞けないワキ方の貴重なお話、とっても勉強になりました。


お話は則久さんと御厨さんが御上手で、とくに則久さんは全体の進行を俯瞰しながら、脱線しそうになると軌道修正したりと、講座をグッと引き締めていらっしゃいました。
落ち着きがあってさすがです。



実演も豊富に披露してくださって、ワキの登場の型どころのお話など、今までただボーっと観ていただけでしたが、なるほど、そういう意味があるのかと。

「駒の足並勇むらん」のところで、ワキが爪先立ったりする型をするのは、ワキ・平惟茂を乗せた馬が風の音に興奮するさまを表わしているそうです。



道行では、鹿を追って山を登っていくと、酒宴をしているやんごとなき美女たちがいる様子が謡われています。
(御厨さんが、「いわば女子会ですね。でもイマドキの若い男性と違って惟茂は品がいいから、邪魔しないようにそっと立ち去ろうとするのですが、今も昔も女性のほうが積極的で……」みたいな説明をされて、会場爆笑。かくいう私(御厨さん)も昨夜も朝の2時まで飲み過ぎちゃってリアル惟茂状態……というお話になりかかったところで、則久さんがすかさず軌道修正するというなかなかのファインプレーです(笑))




ワキの謡を一緒に謡うというコーナーでは、スクリーンに謡本の文字が映し出されたのですが、わたしは近眼で文字の一部しか読めず、ゴマ点はほんとうにゴマにしか見えなかったので(見えてもゴマ点の意味はわたしにはわからないのでした (・・;))、耳で聴いてそのまま謡うだけだったのですが、用意の良い方は謡本を持参されていました。 スバラシイ!




ワキの謡は強吟だそうです。
ワキは舞台の場面を設定する扇の要のような存在で、そんなワキ方にとって大事なのは謡だと、宝生閑師もおっしゃっていたそうです。

またシテ方とワキ方の謡の違いは、シテは非現実的な存在なので節を細かく繊細に謡うのに対し、ワキは現実の男性という設定なので息を強く、武骨に謡うとのこと。
ワキはとくに強く謡うことが大切だそうです。
(則久さん曰く「腹筋にずっと力を入れて謡うので、腹部のエクササイズにもなりますよ」)



あと、装束の説明で興味深かったのが、衿の色のお話。
《紅葉狩》の平惟茂役では、浅黄色(内側)と朱色(外側)の衿を重ねて着るのですが(シテに遠慮して「白」ではなく「浅黄色」の衿を使うそう)、ワキ方が衿を重ねて着るのはこの《紅葉狩》と《張良》だけだそうです。

いうまでもなく《張良》は一子相伝、《紅葉狩》が師からの直伝だからとのこと。
ワキ方にとって《紅葉狩》がどれだけ重い曲なのかが分かります。

また、着流し僧には樺色(肌色)の衿をつけるそう。



今度の下宝能の会では《紅葉狩》のクセをワキ(欣哉さん)が舞うのですが、この日講座を担当されたワキ方さんのなかではワキがクセを舞うのをご覧になったことのある方は一人もいらっしゃらないそうです。

欣哉さんだけ閑師が舞うのをご覧になったとのこと。
それほど珍しいものなのですね。

ワキがクセを舞う際の見どころは、美女たちばかりに舞わせてはなんだから、俺もひとさし舞ってやろう、という惟茂の男ぶり、粋な感じ。ここをぜひ観ていただきたいとおっしゃっていました。






2016年7月20日水曜日

能・狂言とゆかりの寺 戦う僧侶・悪鬼退散~比叡山延暦寺

2016年7月20日(水)14時40分~16時20分 29℃ 武蔵野大学 雪頂講堂

プロローグ「比叡山延暦寺の概要」 三田誠広文学部教授

公開講座本番 殿田謙吉×三浦裕子

(1)下掛宝生流・殿田謙吉氏プロフィール紹介

(2)角帽子着付け(通常タイプと沙門タイプの2通り)

(3)延暦寺関連の主な能
 ①延暦寺の僧侶が登場するもの
  《葵上》《是界》《雷電》《大会》

 ②延暦寺の僧兵だった武蔵坊弁慶が登場するもの
  《安宅》

 ③比叡山横川の恵心院に隠棲した恵心僧都(源信)が登場するもの
   《草薙》《満仲》

 ④その他
  《大江山》:比叡山を追放された酒呑童子
  《白鬚》:比叡山が仏教結界の地になる謂れが語られる





今週はワキ方ウィーク!
第一弾は武蔵野大学での殿田謙吉さんの講座です。

この日の殿田さんは真っ白な麻の着物に青灰色の袴という涼しげな出で立ち。
地声は初めて聴きましたが、演技派ハリウッド俳優の映画の吹き替えをしてほしいくらい渋くて深みのある好い声。

(声はもちろん、この方、視線が好いのです。亡霊の心に寄り添い、亡霊が身の上を語りたくなるような思いやりをこめた包容力のある視線。 それから《紅葉狩》の時の、美女にたぶらかされたトロンとした目。男心がとろける時のトロンとした目つきを品位を下げずに表現するところが凄い。)




殿田謙吉プロフィール
殿田家は町役者(金沢前田藩の能役者の身分。町人として生業をもつ傍ら能楽の技芸を伝えた兼業能役者)の家系で、謙吉さんは五代目にあたります。


父君の殿田保輔さんは松本謙三に師事し、その芸風を受け継いでいらっしゃるとのこと。

(ということは、謙吉さんの「謙」は松本謙三にちなんでいるのかも。ここにお父様の思いが込められているような気がします。「親父とは仲が悪い」と殿田さんはおっしゃってたけれど、こうして能楽師として御活躍されているんですから、めっちゃ孝行息子やん!)


初舞台は小学五年の時の《小鍛冶》のワキツレ勅使・橘道成。小六の時には《鉄輪》の浮気夫の役を勤めたそうです←早熟な小学生だったんですねー。




【角帽子着付け】
このあと角帽子の着付実演をしてくださったのですが、これが面白い。
殿田さんがモデルの男性に着付けをされるのですが、最初は普通の角帽子。


まずは、シャッポ(と聞えたのだけど、chapeauを語源とするシャッポのこと?)という、緩めの羽二重のようなものを被って、角帽子に整髪料などがつかないようにします。

次に、額の部分を押さえたまま角帽子を被り、頭頂部を適度な形にとがらせて、細長い緞子を後ろに長く垂らし、その上から下紐を縛ります。



沙門になると、角帽子の後ろの垂れている部分を後頭部で折り返し、その上から紐で縛ります。
沙門帽子は、シテでは《景清》等、ワキでは《是界》や《大会》等の比叡山の高僧といった高位の人物の時に用いるそうです。
前から見ると、角帽子の左右に小山がピンピンと立っているように見えるのが沙門の特徴。




【ワキによる比叡山関係の僧侶役】
 
ここからは殿田さんのお話で興味深かったことの簡単なメモ。


ワキの仕事で一番大変なのは、何と言っても「じっと座っていること」。
ワキの役柄中、僧侶の役は5分の2(40%)を占める。



【数珠の房の色の決まり】
僧侶役のワキの必須アイテム、数珠にもいろんな種類や決まり事があます。
まずは普通の数珠。
これは下宝では輪にしてもたず、両房が真ん中に来るようにぶら下げて持つ。


苛高(いらたか)数珠(そろばん玉のように角がとがっている数珠。揉むと高い音がする)は調伏(イノリ)の時に用い、房の色に決まりがある。


イノリのときは、必ず緋房が前に来るのが決まり。

緋房×緋房=《道成寺》など
緋房×浅黄房=山伏物
緋房×紺房=《黒塚(安達原)》
(両方とも茶房を用いることもたまにある)

また、苛高数珠は縦に重ねて揉まないと音が鳴りにくい。

数珠の材質には黒檀と紫檀がある。
《葵上》の詞章「赤木の数珠の苛高をさらりさらりと押し揉んで」とあるように、紫檀の数珠は《葵上》などに用いる。



【水衣の色の決まり】
シテの役が尉や釣り人だと、シテの水衣の色が茶色系のことが多いので、シテの装束の色とかぶらないようにワキ方は気を配る。
それゆえ多い時は水衣を5~6枚持参してシテの衣の色と重ならないようにすることも。
(楽屋と舞台とでは衣の色の映り方・見え方が異なるので、そのことにも留意する。)

律師(僧綱のなかでは一番低位)の場合、木蘭色(薄茶色)の衣
僧都(僧綱のなかでは真ん中)の場合、萌黄色の衣
                     
大僧都になると、松襲(まつがさね)という表が萌黄、裏が紫の襲の色目。
位の高い僧正(《石橋》や《道成寺》の僧)になると、薄い紫の衣に、金襴入り沙門など。


最高位の僧の場合、紫の代わりに緋色の衣を着ることもあるが、殿田さんくらいの年齢だと「まだ生々しい」とのこと。

もう少し脂(男くささ)が抜けて枯れた感じにならないと、緋色の衣は生々しく見えるということなのでしょうか。
そういわれるとそうなのかも。

  




【イノリのスピード感】
それから、イノリのスピード感や重みについても曲によって違っていて、
《黒塚(安達原)》では、一番機敏に動かねならず、
《道成寺》では、速さ(機敏さ)に加えて、強さが要求され、
《葵上》では、シテ(六条御息所)の品格に合わせて、どっしりとした重みが必要だそうです。




【比叡山の僧として演じるうえでの意識】
さらに、殿田さんが勤めた各曲の映像を見ながら、三浦先生の質問にワキの視点で回答。

《葵上》
「横川の小聖は恵心僧都がモデルという説があり、そのことは意識されていますか」という山中さんの質問に対して、殿田さんはまったく意識していないとのこと。

また、「空之祈」の小書の時は、ひたすら小袖(葵上)のほうを向いて祈り続けるので、スピード感を出さずにどっしりとした重みを出し、装束も山伏姿に兜巾ではなく沙門をつけるそう。


《是界》
ワキは比叡山の僧侶だけれど、日本の神仏が総力で中国の天狗を追い払う話なので、「比叡山の僧侶」ということは(殿田さんは)特に意識はしていない。

それよりもむしろ、天狗の愛すべき間抜けさがこの曲の魅力という趣旨のことをおっしゃっていました。



《雷電》
シテ・菅原道真の師・天台座主の法性坊役なので、「道真の師」という意識を持って勤めるとのこと。
《雷電》ではスペクタクルな後場が注目されやすいが、殿田さんは特に前場に重きを置いていて、「王土に住めるこの身なれば、勅使三度に及ぶならば、いかでか参内申さざらん」というワキの台詞を境に、シテが豹変して、石榴をかみ砕き吐きつけるシーンへと変わるドラマティックな場面展開に注目してほしい御様子でした。

また、最近では前場・後場のコントラストを利かせるべく、ワキは前場で小格子厚板着流姿→後場で小格子厚板+水衣・大口・袈裟・沙門をつけたりすることも多くなったとのこと。
こういうところも注目したいですね。


というわけで、ワキ方さんのお話がうかがえる貴重な機会、とても勉強になりました。


最後は、殿田さんから「下掛宝生流 能の会」の宣伝。
下宝能の会、事前講座・本公演ともにとても楽しみです。





2016年7月12日火曜日

テアトル・ノウ【東京公演】《山姥 雪月花之舞 卵胎湿化》 後場

テアトル・ノウ《山姥 雪月花之舞》前場・替間「卵胎湿化」からのつづき

能《山姥 雪月花之舞 卵胎湿化》 味方玄         
     谷本健吾 宝生欣哉 大日方寛 梅村昌功
     石田幸雄
     藤田六郎兵衛 成田達志 亀井広忠 観世元伯
     後見 清水寛二 味方團
     地謡 片山九郎右衛門
         観世喜正 河村晴道 分林道治
         角当直隆 梅田嘉宏 武田祥照 観世淳夫



後場ではシテが中盤から本領発揮! 
とはいえ、『六平太藝談』にもあるように、《山姥》の山は際限のない山。
曲の進行そのものがシテ自身の体験する山めぐりの道のりのように思われ、シテが山姥へと変容していく過程が目の前で劇中劇のように展開された非常に興味深い舞台でした。


【頭越一声】
カカリがなく、冒頭から激しくにぎやかな手組。
二段目で笛が加わり、しばらく笛を聴いてから幕が上がってシテが登場する。

立涌文の半切に厚板壺折、白頭。
張りのある山姥の面が生気を帯びて、若々しく見える。

シテは「あらもの凄の深谷やな」を引き伸ばして謡うことで深い渓谷を表現し、
「寒林に骨を打つ」で骨を打つように、葉付鹿背杖でコンコンと床を打つ。


山また山、いずれのたくみか、青巌の形を削りなせる
水また水、誰が家にか碧潭の色を染め出せる

一の松に立ったシテは深山幽谷の厳しく雄大な風景を謡によって描いてゆく。

恐ろしい山姥の姿に、遊女は射すくめられたように怯え慄く。
ツレの可憐さが山姥の魁偉さを際立たせていた。



【雪月花之舞】
味方健師の解釈によると、地次第の「よし足引の山姥が山めぐりするぞ苦しき」で、山姥は遊女に乗り移り、憑依された遊女が雪月花之舞(中之舞)を舞うことになる。

実際には、脇座で床几に掛かったツレが「吉野龍田の花紅葉」と謡い、杖を扇に持ち替えたシテがそれを受け、「更級越路の月雪」と謡って、雪月花之舞に入っていく。


この三段之舞は「さすがは味方玄!」と思える素晴らしさ。

「雪月花之舞」の小書きがつくと脇能扱いになるので、後シテの出では「もう少し神がかったスケール感があってもよかったのでは?」という気がしたけれど、舞うことによってシテはエネルギーを消耗するどころか充電され、舞うほどにノッてきているのが伝わってくる。

舞えば舞うほどシテは役に没入し、役になりきっていく。


カカリと初段は比較的ゆっくり。
二段で少し早まり、オロシでシテは太鼓前で止まって脇正斜め方向を向く。
右手で扇を逆手に持つ三段になると一気に急の位に転じ、その後いったんしずまって、さらに急調に。

シテの舞と囃子の演奏が生み出すこの緩急の妙が四季の移ろいをあらわし、見所を惹きつける。


舞の直後の「それ山といっぱ塵泥より起って」では、シテは舞う前とは見違えるように山姥に近づいていた。



【山姥の曲舞】
シテは正中で床几に掛かり、窮山通谷の姿に仏教観を重ねたクセを地謡が謡い上げる。

九郎右衛門さん率いる地謡の緩急・強弱・高低を自在に使い分けた謡が凄くよかった!


「下化衆生を表して、金輪際に及べり」で、シテは床几からほとんど立ち上がり、右手に持った閉じた扇を真っ逆さまにズブズブと下に向けて突き刺し、左足を大きく上げて足拍子。
マントルを貫く気迫さえ感じさせる型。


「ただ雲水を便りにて至らぬ山の奥もなし」で、通常は扇を杖に持ち替えるところを、シテは立ちあがって扇を開き、「しかれば人間にあらずとて」で、上ゲ扇。


ここから舞グセとなり、「休む重荷に肩を貸し」で開いた扇を右肩に載せて下居する型や、「五百機(いおはた)立つる窓に入って」で窓の桟を越えて屋内に入るように右左足拍子する型など、見どころが多い。



立廻リ→終曲】
味方健師の解説にもあったように、「山姥の曲舞」の[次第]「よしあしびきの山姥が、山めぐりするぞ苦しき」が、曲舞の最後(立廻リの前)で再び登場。

この円環感覚(いわば「堂々巡り」感覚)が山めぐりに象徴される輪廻の輪と結びつくという、世阿弥の天才ぶりが発揮された見事な構成になっている。


ここで扇から、扱いの難しそうな鹿背杖に持ち替えることで、足枷をはめられたような重々しさ、重圧感がシテの動きに加わる→山めぐりの苦しさの表現。


公演チラシ&パンフレットにもあった、正中で杖を右肩に載せて下居する型→その後、左・右と交互に膝を出す型も印象深い。


そして、地謡とシテの掛け合いから舞台はスリリングに展開。

「月見る方にと山めぐり」で、正中にて白頭の前髪をつかみ、
「雪を誘ひて山めぐり」で、橋掛りに行き、
「めぐり、めぐりて、輪廻を離れぬ」で、一の松にて反時計回り&時計回りにくるくるまわり、
「鬼女が有様」から囃子と地謡が急調に転じ、
「みるやみるやと、峰にかけり」で、欄干に左足と鹿背杖を掛け、
「山また山に山めぐり、山また山に山めぐりして」で、
オーケストラ並みの大迫力の地謡と囃子のなか、
シテは一陣の風が吹き抜けるように橋掛りをタタターッと駆け抜け、
そのままいきなり幕入り!!!


山姥は風となって消えていった――?


もう一度幕の中から飛び出してくるかとシテの再登場を期待するくらい、
意表を突くエンディングだった。

ツレの遊女が、憑依が解けたように幕のほうを向いたままフワリと立ち上がり終焉。


耳の奥では、あのドラマティックな地謡と囃子の音色がいつまでも鳴り響いていた。











2016年7月11日月曜日

テアトル・ノウ《山姥 雪月花之舞》前場・替間「卵胎湿化」

第32回テアトル・ノウ【東京公演】仕舞・舞囃子《三山》からのつづき

能《山姥 雪月花之舞 卵胎湿化》 味方玄         
     谷本健吾 宝生欣哉 大日方寛 梅村昌功
     石田幸雄
     藤田六郎兵衛 成田達志 亀井広忠 観世元伯
     後見 清水寛二 味方團
     地謡 片山九郎右衛門
         観世喜正 河村晴道 分林道治
         角当直隆 梅田嘉宏 武田祥照 観世淳夫



公演前半だけでも濃い内容だったのですが、いよいよ《山姥》です。

【前場】
都で「山姥の曲舞」を謡って一世を風靡した遊女・百萬山姥が善光寺詣でを思い立ち、従者とともに越後・越中の境にある境川にやって来ます。

ツレ・ワキ・ワキツレともにきれいなハコビ。
ツレの面は小面でしょうか、スラリとした身のこなしとともに今をときめく遊女らしい垢抜けた華やかさを感じさせます。

遊女一行はアイの里人に善光寺に向かう道を尋ね、如来の通る修行の道となる最も険しい上路越を通ることにしますが、日暮れでもないのに、にわかに辺りが暗くなり途方に暮れていると――。


ここで幕内から「のうのう」というシテの呼掛け→登場となるのですが、このときの第一印象は、(《砧》《定家》と比べて)やはりこの曲は味方玄さんの得意分野ではないかもしれない、というものでした。
(《山姥》自体が非常に手ごわい曲で、シテの技術や巧さだけでは如何ともしがたいものがあります。)


シテの出立は、ダークグレーを基調にした渋い色柄の段替唐織。

深井や近江女ではなく、痩女系の面を選んだのは、輪廻をめぐる象徴としての山めぐりの苦しみを暗に示すためでしょうか。
前シテを痩女で演じるのは難しい選択肢であり、シテはあえて険しい上路越を自ら選んだのだと思いました。
(補記:《山姥》で小書がつくと前シテで痩女を使用することが多いそうです。)


シテのこの鄙びてやつれた雰囲気と、遊女一行の都会的な雰囲気との対比はさすがで、異質なものが突然入りこんだような印象を観る者に与えます。


それからおそらく、山姥の化身というアイデンティティを表わすためだと思いますが、膝が開き気味のやや豪放な下居姿と、頬のこけた女面とのバランスが――ここも難しいところです。


中入前のシテ詞「すはやかげろふ夕月の」で、シテは夕月を眺める風情で脇正斜め上方を見上げるのですが、このときの表情が、今は亡き人を恋い慕うような、その人との大切な思い出の数々にしばし耽るような、なんともいえない趣深いまなざしを見せたのが、とても心に残りました。




替間「卵胎湿化」
石田幸雄さんによる替のアイ語り、よかったです。

最初は通常の《山姥》の間狂言のように、「山姥は何からなるのか?」という山姥の正体について語ります。
山姥は、靫(うつぼ)が山姥になる、古い桶がなると言い、
”木戸”がなるというところで、ワキの欣哉さんの「それは”鬼女”だろ?」というツッコミが入るところまでは常と同じ。

ここから「ある智者の物語を承り候に、卵胎湿化の四生として生類の品々を法華経にも説き給へり」となり、替間「卵胎湿化」独自の語りに入っていきます。
(以下は月刊「観世」掲載の詞章と当日のアイ語りとを照合した拙抄訳。)


百歳の狐は美女に、千年の松は青い羊に、万歳の樹木は青い牛となる。
水中には水神魍魎という霊的な存在があり、深山には木霊魑魅というものがいる。
ある時は小人のように現れ、ある時は巨人のように現れ、鼓のように見えることもあるが、いずれもすべて山の精であると山海経にも書かれている。

そのほかさまざまな姿で現れるが、形はあれど、実体はない。
山姥もそういう存在である。

迷いの眼で見れば、ないものもあると見える。
悟った者が見れば、一切ないと見える。

あると言おうとすればない、ないと言おうとすればある。
あるとも、ないとも、はっきりとは定めがたい。

それゆえ
怪しいものを見て、怪しめば怪しく、
怪しまなければ怪しくないともいえる。


――という、煙に巻くような内容です。
とはいえ、これは後場の「邪正一如と見る時は色即是空そのままに、仏法あれば世法あり、煩悩あれば菩提あり……」に一脈通じる世界観かもしれません。

結局、山姥の正体はよく分からないまま、最後のほうで六郎兵衛さんのアシライ笛が入り、「ここで、かの山姥の真の姿を見ようではないか」、ということになります。



テアトル・ノウ【東京公演】《山姥 雪月花之舞 卵胎湿化》 後場につづく




2016年7月10日日曜日

第32回テアトル・ノウ【東京公演】仕舞・舞囃子《三山》

第32回テアトル・ノウ【東京公演】 味方健・お話からのつづき

お話        味方 健
仕舞《生田敦盛キリ》 味方 團
   《遊行柳クセ》   味方 健
   地謡 河村晴道 分林道治 梅田嘉宏 安藤貴康

舞囃子《三山》  片山九郎右衛門
      観世淳夫 
      藤田六郎兵衛 成田達志 亀井広忠
      地謡 観世喜正 角藤直隆 味方團
          安藤貴康 鵜澤光

能《山姥 雪月花之舞 卵胎湿化》 味方玄         
     谷本健吾 宝生欣哉 大日方寛 梅村昌功
            石田幸雄
     藤田六郎兵衛 成田達志 亀井広忠 観世元伯
     後見 清水寛二 味方團
     地謡 片山九郎右衛門
         観世喜正 河村晴道 分林道治
         角当直隆 梅田嘉宏 武田祥照 観世淳夫



さて、解説が終わり仕舞と舞囃子。

仕舞《生田敦盛キリ》 味方 團
やっぱり、林喜右衛門さんに芸風が似ている。
林宗一郎さんは喜右衛門風というよりも、内弟子修業されたせいか、宗家系の芸風が入っているのに対し、團さんは純粋に芸系を受け継いでいるというのが素人の勝手な印象です。
スラリと背が高いことでそういう印象がよけいに強まるのかも。



仕舞 《遊行柳クセ》   味方 健
能というのは、途方もない芸術だと思う。

長い人生の中で培い育まれた芸と魂の成長と、身体的衰え。
その拮抗と調和の微妙なバランスのなかで生み出されるひとつの舞。

型は同じでも、その人個人がその瞬間にしか生み出せない唯一無二の舞。

動きが極端に削ぎ落とされた仕舞《遊行柳クセ》は、味方健という一人の能役者がこの年齢・芸歴でしか到達しえない高い境地の結晶のような素晴らしい舞だった。


京観世三人に銕仙会の安藤さんが加わった地謡も、味方健師の閑寂な境地に添いつつ、華やかないにしえをほのめかす微かな艶を滲ませていた。

この舞に立ち会えた幸せ。
心に刻みつけておきたい。



舞囃子《三山》 片山九郎右衛門×観世淳夫 
(視線の端で観ていただけだけど)淳夫さんよかった!

九郎右衛門さんは非の打ちどころがない。
どの角度から見ても、どの瞬間を見ても。
立ち姿の腕の角度、首の位置、間の取り方、身体の動き、どれひとつとっても絶妙な美のポイントにある。

「また花の咲くぞや、花の咲くぞや」で嫉妬心をあらわにする足拍子でも品位を決して失わず、妬ましさに身悶えする女の悲しい業を感じさせる。

袴姿での舞なので装束をつけた時よりも骨格の動きが分かりやすいのですが、九郎右衛門さんが女役を舞う時は、極端に言うとモンローウォークのように骨盤が左右交互にほんの少し上下する。

もちろん、骨盤が上下しても上半身はまったくブレず、身体の軸も斜め上方にスッと伸びている。

上半身に影響を及ぼさず軸を立てたまま骨盤を上下させるなんて、いったいどんな神業なんだろうと思うのですが、たとえばわたしが何十回も観ている《吉野琴》の録画のように、天女のあの優美華麗な姿が生み出されるのは、この骨盤の動きにも秘密があるのだと思う。

これを女性がやると嫌みで下品な舞になる。
男性が創意工夫によって芸のなかに取り込んで初めて創出される虚構の、ほのかで品のある色香なのですね。



第32回テアトル・ノウ《山姥 雪月花之舞》前場・替間「卵胎湿化」につづく





第32回テアトル・ノウ【東京公演】 味方健・お話

2016年7月9日(土)14時~17時15分 23℃ 雨のち曇り 宝生能楽堂

公演パンフレット

お話         味方 健
仕舞《生田敦盛キリ》 味方 團
  《遊行柳》     味方 健
   地謡 河村晴道 分林道治 梅田嘉宏 安藤貴康

舞囃子《三山》  片山九郎右衛門
            観世淳夫 
            藤田六郎兵衛 成田達志 亀井広忠
      地謡 観世喜正 角藤直隆 味方團
          安藤貴康 鵜澤光

能《山姥 雪月花之舞 卵胎湿化》 味方玄         
     谷本健吾 宝生欣哉 大日方寛 梅村昌功
           石田幸雄
     藤田六郎兵衛 成田達志 亀井広忠 観世元伯
     後見 清水寛二 味方團
     地謡 片山九郎右衛門
         観世喜正 河村晴道 分林道治
         角当直隆 梅田嘉宏 武田祥照 観世淳夫



拝見するのは二年ぶり二度目のテアトル・ノウ東京公演。
早々に完売してキャンセル待ちも多かったとか。
関西からも大勢駆けつけて、相変わらず凄い人気です。


まずは、味方健師の解説。

関西在住の人が羨ましいと思うのは九郎右衛門さんの舞台が圧倒的に多いのと、健師の講義・講座があるから。

この日、初めて味方健さんの解説をうかがったのですが、今まで聴いたどの解説よりも面白くて、勉強になる(分かりやすさを追求しないところがいい)。



明和9年(1772年)に刊行された『謡曲拾葉抄』には、「山姑とは輪廻無窮の体を名付て山姑と曰す。(略)一切衆生生死に沈輪するをよしあし引の山姥が山めぐりするとは云也」とあり、すなわち、煩悩を抱いたまま輪廻の輪の外に出ることができない、生きとし生けるものの宿業とそれを背負って生きる苦しみ、それが山姥の山めぐりに象徴されるとのこと。



この永劫に輪廻しつづけること、つまり無常流転のことを「飛花落葉」と、詩的・情緒的に暗喩したのがモンスーン(季節風)が吹くこの国の民族ならではの感性だった。


雪月花之舞で、花々をたずねて山をめぐり、月の影をたずねて山をめぐり、雪をたずねて山をめぐるのもモンスーン的な(四季をめぐる)山めぐりといえる。




また、世阿弥作「山姥の曲舞」(このクリ・サシ・クセの部分は本来独立した曲舞謡だったらしい)は本曲の骨格を成し、その[次第]の「よしあしびきの山姥が、山めぐりするぞ苦しき」は、曲舞の最後(立廻リの前)にも登場することから、この次第は(世阿弥が『申楽談儀』でいうように)曲舞の序歌であるとともに、いわばフィナーレでもあるという。



さらに、ここが目からウロコだったのですが、
この曲舞の[次第]の「よしあしびきの山姥が、山めぐりするぞ苦しき」の地取りで(ツレが床几にかかるタイミングで?)、シテの山姥がツレの遊女に乗り移り、雪月花之舞を舞うのは「山姥が憑依した遊女の身体」であって、山姥はリモコンのように遊女の身体を遠隔操作している設定になっているというのが健師の解釈(もちろん、実際に舞うのはシテなのですが)。



これは能楽界では常識なのかもしれませんが、わたしにはまったく思いもよらない発想だったので、「ええっ! そうだったんだ!」とビックリ。
蒙を啓かれるような思い。




あと、これは片山家独自の演出なのかな(他の観世流では違っていた気がするけれど)、雪月花之舞(破ガカリ三段之舞)の名称の由来となった一セイ「吉野龍田の花紅葉」「更科越路の月雪」をそれぞれシテと地謡が謡うのではなく、ツレとシテが謡う演出となっています。


また、通常はシテサシとなっている「一洞空しき谷の声……」のところもツレが担当(ここは他の観世流もこうなのかしら?)。



以上を踏まえて、
シテは真如実相の世界に属する実在(本体)であり、ツレは感覚世界に属する現象(仮相)もしくはシテの存在をワキや観客に伝えるための媒介or寄坐(よりまし)であると解することができるという。




ところで、替間「卵胎湿化」(大蔵流では「胎生」)で、アイが語る「四生」の内容が『法華経』に見えるというのはウソだが、これは当時『法華経』が広く流布していた証しであろうとのこと。




《山姥》は肉体的消耗の激しい曲だけど、内的精神力・内的把握を必要とする曲でもある。
役者の人生における生活体験の積み重ね、そして日々の生活のなかでの芸術体験の集大成として、この日の《山姥》の舞台が表現される、という趣旨のこともおっしゃっていました。



味方健さんの解説、もっと聞きたい!
氏の著作は『能の理念と作品』(和泉書院)以来、わたしが知るかぎり出ていないと思う。
これ以降の講義録などをまとめた本が出ないかしら。

ぜひぜひ、お願いします!




長くなったので、第32回テアトル・ノウ【東京公演】仕舞・舞囃子《三山》につづく


2016年7月7日木曜日

国立能楽堂七月公演 《白鬚》替間「道者」&後場

国立能楽堂七月公演 《白鬚・道者》前場~能のふるさと・近江からのつづき

人懐っこい近江のカモさん

能《白鬚》 漁翁/白鬚明神 観世銕之丞 前ツレ漁夫 観世淳夫
      後ツレ天女 谷本健吾     後ツレ龍神 長山桂三
      ワキ勅使 宝生欣哉   随臣 則久英志 御厨誠吾
      藤田六郎兵衛 鵜澤洋太郎 守家由訓 前川光範
      後見 清水寛二 西村高夫 柴田稔
      地謡 片山九郎右衛門 
          山崎正道 馬野正基 味方玄
          分林道治 浅見慈一 安藤貴康 青木健一

間狂言《道者》
      オモアイ勧進聖 山本泰太郎 アドアイ船頭 山本則重
      道者 山本則孝 山本凛太郎 水木武郎 寺本雅一
      アドアイ鮒の精 山本東次郎
      地謡 山本則俊 山本修三郎 山本則秀 




この日の大きな見どころ、劇中劇の替間狂言《道者》です。
替間が始まる前に、ワキツレが地謡後列の延長線上に当たる、ワキの背後に移動。
舞台空間の有効活用ですね。
なにしろ演者が多いうえに、作り物が三つ(社殿+舟二艇)載るのですから。


勧進聖の登場】
白鬚明神と伊崎明神の上葺き(屋根の葺き替え)費用を募る勧進聖が登場。
聖の装束は舞台の影向の松と同じ鮮やかなグリーン。

後見が地謡前にあらかじめ置いていた舟に乗り、琵琶湖を渡る道者(複数で連れ立って遠方の寺社を参拝する旅人)を待ちかまえる。



【狂言次第→道者4人登場→船頭登場】
北国から清水詣に行く途中の道者4人が登場。

この部分は、道者のリーダーが次第を謡うと狂言後見が地取を謡うなど(芸が細かい)、完全にワキのパロティです。

また、真ノ次第のワキの登場の時のように、道者リーダーが身を沈めて爪先立つ型をまねたり、道行や着きゼリフを謡ったりと、間狂言らしい可愛らしさでワキ方の物真似をします。

道者は琵琶湖を舟で渡ることに決め、船頭を呼んで舟に乗りこみます。
(船頭1人+道者4人が小舟に乗り込むので、けっこうギュウギュウ詰め。)



【勧進聖と船頭・道者のせめぎ合い】
道者の舟を目ざとく見つけた勧進聖が、勧進を迫ります。

(《船弁慶》の間狂言のように器用な手つきで舟をこぐ船頭と勧進聖の技も見どころ。セリフや相手の漕ぐリズムに合わせて漕いでいるんですね。)

最初は船頭も聖に加担して道者に勧進を進めていたのですが、勧進聖のあまりのしつこさに「無体な勧めをすることがあるものか!」と、道者の肩を持ちます。

それでもなお聖は賽銭箱の柄杓を突き出します。
相手が勧進に一向に応じないので、とうとう聖は「目に物をみせてやる、悔むな、道者!」と言って、何やら呪文を唱え――。



【狂言早笛で鮒の精登場→狂言舞働】
ユーモラスな狂言早笛に乗って、大鮒の精が颯爽と登場!
(ここは明らかに、シテ方の龍神のパロティ。後場で龍神が登場するので、この愛嬌たっぷりの鮒の精との対比が面白い。)

アドアイ鮒の精の出立は、厚板の上に法被肩上、半切。
頭には、シャチホコのような可愛い鮒を載せた輪冠(鮒戴?)。
面は賢徳かな。

大鮒は怒りをあらわに(?)、道者たちを威嚇しつつ舞働キ。
その身軽さ、足取りの軽快さ、身のこなしの鮮やかさ。

ここはもう、東次郎さんの驚異的な身体能力、巧みな芸の技の連続で、
飛び返りを3回もやるというミラクルな離れ業!
Amazing!!!!!

面をつけているから言われなければ、まさか70代の人が舞っているとは到底思えない。
奇跡のような芸の力です。

これを見た道者たちもこのような奇特に驚き、上着を脱ぎ捨てて勧進聖に与えます。
鮒の精は喜んで、舟の綱を口に咥え、躍り跳ねながら堅田の浦まで道者たちを送り届けるのでした。
めでたし、めでたし。



【後場】
出端の囃子とともに地謡「宜禰(きね)が鼓も声澄みて神さび渡れるをりからかな」で神さびた雰囲気が用意されるなか、「白鬚の神の御姿現れたり」で社殿の引廻しがはずされ、後シテ・白鬚明神が現れる。

後シテの楽】
後シテの出立は、輝くようなプラチナホワイトの狩衣に金茶の半切。
鳥兜を被り、茗荷悪尉の面をつけているので、異国的かつ威圧的。

金輪をはめた独特の形状をした眼(茗荷の形に似ているとのこと)と八の字眉が特徴的な茗荷悪尉は、強さと弱さ(情けなさ)という相反するイメージをもち、これを品良く造形するのは至難の業。
この是閑作の茗荷悪尉は観る者に何かを訴えるようなまなざしをしている不思議な面でした。


後シテは非常に重量感のある楽を舞う。
体軸が不安定なのが気になるけれど、足拍子の時にバランスが崩れそうで崩れない。



【イロエ→天女登場→早笛→龍神登場→天女・龍神相舞(舞働)】
白鬚明神が再び社殿に戻ると、天空が輝き、湖面が鳴動して、それぞれ天灯・龍灯を捧げた天女・龍神が現れる。

(天女と龍神の面は近江作・万媚と黒鬚で、近江を舞台にした《白》にちなんだのかな?)


ここからが血沸き肉躍るような展開で、特に光範さんの太鼓のカッコイイこと!
早笛の早打ちとかタイトに決まっていて、(CDでしか聴いたことがないけど)柿本豊次を思わせます。
この方、掛け声も素晴らしい!
来序以降、太鼓の出番が多いので堪能しました。


社殿の両脇にそろった天女・龍神は、捧げもってきた天灯・龍灯を灯明台に供え、相舞を舞います。

相舞といっても《二人静》のようなそろった舞ではなく、天女は天女らしく、しっとりした優雅な舞、龍神は龍神らしく、カッコよくキレのある舞。


この銕仙会の人気役者二人の相舞(競演?)もこの日の見せ場で、舞台がそれはそれは華やかに輝いて楽しかった!
あっという間に終わってしまって、もう少し長く観ていたかったくらい。

幕入りも龍神がダーッと橋掛りを駆け抜け、このスピード感・疾走感がとても良かった!


観ているほうは愉しくて2時間20分がそれほど長く感じなかったのですが、地謡・囃子方の立ち上がり方&歩き方から相当大変だったんだなーと思ったことでした。





2016年7月6日水曜日

国立能楽堂七月公演 《白鬚・道者》前場~能のふるさと・近江

2016年7月6日(水) 気温27℃ 13時~15時20分(休憩なし) 国立能楽堂

葦の生い茂る近江八幡・西の湖の風景
(水郷めぐりの手漕舟より撮影)

能《白鬚》 漁翁/白鬚明神 観世銕之丞 前ツレ漁夫 観世淳夫
      後ツレ天女 谷本健吾     後ツレ龍神 長山桂三
      ワキ勅使 宝生欣哉   随臣 則久英志 御厨誠吾
      藤田六郎兵衛 鵜澤洋太郎 守家由訓 前川光範
      後見 清水寛二 西村高夫 柴田稔
      地謡 片山九郎右衛門 
          山崎正道 馬野正基 味方玄
          分林道治 浅見慈一 安藤貴康 青木健一

間狂言《道者》
      オモアイ勧進聖 山本泰太郎 アドアイ船頭 山本則重
      道者 山本則孝 山本凛太郎 水木武郎 寺本雅一
      アドアイ鮒の精 山本東次郎
      地謡 山本則俊 山本修三郎 山本則秀 



夏にふさわしく湖上を舞台にした稀曲&替間狂言。しかも豪華キャスト!
御馳走てんこ盛りの長丁場(2時間20分)でした。

今月は「能のふるさと・近江」特集なので、ロビーには近江を舞台にした謡曲マップが。

それによると琵琶湖周辺を舞台にした曲には;
《白鬚》(白鬚神社)、《志賀》、《三井寺》、《関寺小町》《鸚鵡小町》(関寺・逢坂)、《蝉丸》(逢坂山)、《自然居士》(松本)、《巴》《兼平》(粟津)、《源氏供養》(石山寺)、《蚊相撲》(守山)、《竹生島》があるとのこと。

こうしてみると近江が「能のふるさと」というのがよく分かる。
近江猿楽ゆかりの地でもあるし。

実際の白鬚神社は、厳島神社のように水上に浮かぶ湖中鳥居の美しい神社らしい。


ちなみに能《白鬚》は観世流と金春流にしかない曲(作者は不明)で、二年前には京都で観阿弥の「白鬚の曲舞」と能《白鬚(シテ片山九郎右衛門)というシンポジウムと上演のイベントがあったそうです。 




肝心の舞台はというと――。

まずは、大小前に引廻しのかかった社殿の作り物が出される。
社殿の両端には杉葉で覆われた灯明台が載っていて、これが後場の伏線(?)となります。


【ワキの登場】
白鬚明神の霊夢を見た帝の命により、勅使一行が明神に参詣する。

揚幕がサッと揚がり、ワキが両袖を広げて身を沈めて爪先立ち、見所のほうへ右手とスッと突き出し、舞台方向に向き直って橋掛りを進む。
いつもながら欣哉さんのこの型には品格があり、誰よりもビシッと決まっている。
わたしにとっては脇能のワキの理想形。


大鼓の守家由訓さんは初めて(観世流の大鼓を聴くこと自体たぶん初めて)。
大阪の囃子方さんなんですね。
間の取り方や掛け声の雰囲気が東京でよく聴く大鼓とはちょっと違っていて、最初すこし早めで、女房役の小鼓が合わせているように感じたけど、徐々に調和して、特に後場の囃子は絶品でした!
洋太郎さんの小鼓がエコーかかっているかと思うほどきれいな響き。

来月も守家さんの大鼓を聴く予定なので、こちらも楽しみです。



シテ・ツレ登場】
真ノ一声でツレを先立ててシテの登場。
ツレは緑の水衣。
シテの面は笑尉。
人間の霊の仮の姿である汐汲や漁師に使われることの多い笑尉が、白鬚明神の化身に使われたのは、明神の前身が釣好きの老人だったから?


白鬚明神=比良神=サルタヒコで、Wikiによると比良神は渡来人の祖神を祀ったものとする説もあるとのこと。
また、サルタヒコは道祖神とも習合しています。
それゆえ白鬚神社の属性も異国的・土着的・世俗的となり、以上を踏まえて、今回の面・装束が選択されているのかもしれません。


話を舞台に戻すと、
シテの絶句やシテ・ツレ同吟の不調和などがあったものの、以前Eテレで放送された《屋島》(シテ銕之丞、ツレ淳夫)の時と比べると、淳夫さんの謡が格段に上手くなっていて、立ち姿も安定しているし、努力されているんだな、と。


シテとワキの問答以降、シテは白鬚明神の由来を語っていきます。




クリ・サシ・クセ】
いよいよ、白鬚明神の由来が語られます。

この部分は音読みの仏教用語が多く、予備知識もなく聴くだけだったらチンプンカンプン。
節回しも複雑で、これ、詞章もそうだけど、節を覚えるのも難しそう。
稀曲だし、地謡泣かせ?

とはいえ、この居グセの部分をじっくり聴き込むと、何ともいえない味わい。


釈迦が仏法流布の地を探して飛行していたところ、琵琶湖に目がとまる。
そこで釈迦は、志賀の浦で釣り糸を垂れていた老翁に向かって、「あなたがこの地の主ならば、仏法結界の地にするので、この山をわたしにください」と言う。


この釈迦の依頼に対する老翁の返事の謡がとくに好きで、

我、人寿六千歳の始めより、この山の主として、この湖の七度まで芦原になりしをもまさに観たりし翁な~り~。
(ここから急に無念そうな低い声で)
但この地、結界となるならば、釣りするところ失せぬべしと、深く惜しみ申せば


というところなどは、もうほんとに、釣好きな老翁の気持ちになりきって謡っている感じで、白鬚明神と釈迦と、あとから登場する薬師如来の時空をまたがる壮大なやり取りがアニメーションのように思い浮かびます。
(この地謡、よかった!!)


居グセのなか、「二仏(釈迦と如来)東西に去り給ふ」のところで、シテが両腕を広げて上にあげる型をするのが印象的。


シテは勅使に正体を明かし、扇で扉を開く型をして社殿の作り物のなかに入り、ツレは来序で中入り。
淳夫さんはやっぱりハコビがきれい。




国立能楽堂七月公演 《白鬚》替間「道者」&後場につづく