2016年7月20日水曜日

能・狂言とゆかりの寺 戦う僧侶・悪鬼退散~比叡山延暦寺

2016年7月20日(水)14時40分~16時20分 29℃ 武蔵野大学 雪頂講堂

プロローグ「比叡山延暦寺の概要」 三田誠広文学部教授

公開講座本番 殿田謙吉×三浦裕子

(1)下掛宝生流・殿田謙吉氏プロフィール紹介

(2)角帽子着付け(通常タイプと沙門タイプの2通り)

(3)延暦寺関連の主な能
 ①延暦寺の僧侶が登場するもの
  《葵上》《是界》《雷電》《大会》

 ②延暦寺の僧兵だった武蔵坊弁慶が登場するもの
  《安宅》

 ③比叡山横川の恵心院に隠棲した恵心僧都(源信)が登場するもの
   《草薙》《満仲》

 ④その他
  《大江山》:比叡山を追放された酒呑童子
  《白鬚》:比叡山が仏教結界の地になる謂れが語られる





今週はワキ方ウィーク!
第一弾は武蔵野大学での殿田謙吉さんの講座です。

この日の殿田さんは真っ白な麻の着物に青灰色の袴という涼しげな出で立ち。
地声は初めて聴きましたが、演技派ハリウッド俳優の映画の吹き替えをしてほしいくらい渋くて深みのある好い声。

(声はもちろん、この方、視線が好いのです。亡霊の心に寄り添い、亡霊が身の上を語りたくなるような思いやりをこめた包容力のある視線。 それから《紅葉狩》の時の、美女にたぶらかされたトロンとした目。男心がとろける時のトロンとした目つきを品位を下げずに表現するところが凄い。)




殿田謙吉プロフィール
殿田家は町役者(金沢前田藩の能役者の身分。町人として生業をもつ傍ら能楽の技芸を伝えた兼業能役者)の家系で、謙吉さんは五代目にあたります。


父君の殿田保輔さんは松本謙三に師事し、その芸風を受け継いでいらっしゃるとのこと。

(ということは、謙吉さんの「謙」は松本謙三にちなんでいるのかも。ここにお父様の思いが込められているような気がします。「親父とは仲が悪い」と殿田さんはおっしゃってたけれど、こうして能楽師として御活躍されているんですから、めっちゃ孝行息子やん!)


初舞台は小学五年の時の《小鍛冶》のワキツレ勅使・橘道成。小六の時には《鉄輪》の浮気夫の役を勤めたそうです←早熟な小学生だったんですねー。




【角帽子着付け】
このあと角帽子の着付実演をしてくださったのですが、これが面白い。
殿田さんがモデルの男性に着付けをされるのですが、最初は普通の角帽子。


まずは、シャッポ(と聞えたのだけど、chapeauを語源とするシャッポのこと?)という、緩めの羽二重のようなものを被って、角帽子に整髪料などがつかないようにします。

次に、額の部分を押さえたまま角帽子を被り、頭頂部を適度な形にとがらせて、細長い緞子を後ろに長く垂らし、その上から下紐を縛ります。



沙門になると、角帽子の後ろの垂れている部分を後頭部で折り返し、その上から紐で縛ります。
沙門帽子は、シテでは《景清》等、ワキでは《是界》や《大会》等の比叡山の高僧といった高位の人物の時に用いるそうです。
前から見ると、角帽子の左右に小山がピンピンと立っているように見えるのが沙門の特徴。




【ワキによる比叡山関係の僧侶役】
 
ここからは殿田さんのお話で興味深かったことの簡単なメモ。


ワキの仕事で一番大変なのは、何と言っても「じっと座っていること」。
ワキの役柄中、僧侶の役は5分の2(40%)を占める。



【数珠の房の色の決まり】
僧侶役のワキの必須アイテム、数珠にもいろんな種類や決まり事があます。
まずは普通の数珠。
これは下宝では輪にしてもたず、両房が真ん中に来るようにぶら下げて持つ。


苛高(いらたか)数珠(そろばん玉のように角がとがっている数珠。揉むと高い音がする)は調伏(イノリ)の時に用い、房の色に決まりがある。


イノリのときは、必ず緋房が前に来るのが決まり。

緋房×緋房=《道成寺》など
緋房×浅黄房=山伏物
緋房×紺房=《黒塚(安達原)》
(両方とも茶房を用いることもたまにある)

また、苛高数珠は縦に重ねて揉まないと音が鳴りにくい。

数珠の材質には黒檀と紫檀がある。
《葵上》の詞章「赤木の数珠の苛高をさらりさらりと押し揉んで」とあるように、紫檀の数珠は《葵上》などに用いる。



【水衣の色の決まり】
シテの役が尉や釣り人だと、シテの水衣の色が茶色系のことが多いので、シテの装束の色とかぶらないようにワキ方は気を配る。
それゆえ多い時は水衣を5~6枚持参してシテの衣の色と重ならないようにすることも。
(楽屋と舞台とでは衣の色の映り方・見え方が異なるので、そのことにも留意する。)

律師(僧綱のなかでは一番低位)の場合、木蘭色(薄茶色)の衣
僧都(僧綱のなかでは真ん中)の場合、萌黄色の衣
                     
大僧都になると、松襲(まつがさね)という表が萌黄、裏が紫の襲の色目。
位の高い僧正(《石橋》や《道成寺》の僧)になると、薄い紫の衣に、金襴入り沙門など。


最高位の僧の場合、紫の代わりに緋色の衣を着ることもあるが、殿田さんくらいの年齢だと「まだ生々しい」とのこと。

もう少し脂(男くささ)が抜けて枯れた感じにならないと、緋色の衣は生々しく見えるということなのでしょうか。
そういわれるとそうなのかも。

  




【イノリのスピード感】
それから、イノリのスピード感や重みについても曲によって違っていて、
《黒塚(安達原)》では、一番機敏に動かねならず、
《道成寺》では、速さ(機敏さ)に加えて、強さが要求され、
《葵上》では、シテ(六条御息所)の品格に合わせて、どっしりとした重みが必要だそうです。




【比叡山の僧として演じるうえでの意識】
さらに、殿田さんが勤めた各曲の映像を見ながら、三浦先生の質問にワキの視点で回答。

《葵上》
「横川の小聖は恵心僧都がモデルという説があり、そのことは意識されていますか」という山中さんの質問に対して、殿田さんはまったく意識していないとのこと。

また、「空之祈」の小書の時は、ひたすら小袖(葵上)のほうを向いて祈り続けるので、スピード感を出さずにどっしりとした重みを出し、装束も山伏姿に兜巾ではなく沙門をつけるそう。


《是界》
ワキは比叡山の僧侶だけれど、日本の神仏が総力で中国の天狗を追い払う話なので、「比叡山の僧侶」ということは(殿田さんは)特に意識はしていない。

それよりもむしろ、天狗の愛すべき間抜けさがこの曲の魅力という趣旨のことをおっしゃっていました。



《雷電》
シテ・菅原道真の師・天台座主の法性坊役なので、「道真の師」という意識を持って勤めるとのこと。
《雷電》ではスペクタクルな後場が注目されやすいが、殿田さんは特に前場に重きを置いていて、「王土に住めるこの身なれば、勅使三度に及ぶならば、いかでか参内申さざらん」というワキの台詞を境に、シテが豹変して、石榴をかみ砕き吐きつけるシーンへと変わるドラマティックな場面展開に注目してほしい御様子でした。

また、最近では前場・後場のコントラストを利かせるべく、ワキは前場で小格子厚板着流姿→後場で小格子厚板+水衣・大口・袈裟・沙門をつけたりすることも多くなったとのこと。
こういうところも注目したいですね。


というわけで、ワキ方さんのお話がうかがえる貴重な機会、とても勉強になりました。


最後は、殿田さんから「下掛宝生流 能の会」の宣伝。
下宝能の会、事前講座・本公演ともにとても楽しみです。





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