2016年8月16日火曜日

第47回 相模薪能~能《俊成忠度》

2016年8月15日終戦記念日 17時半~20時半 29℃ 寒川神社

開演前の特設能舞台

神事  修祓、宮司一拝、献饌、祝詞奏上、謡「四海波」中森健之介
     玉串奉奠(宮司・奉行・能楽師)、撤饌、宮司一拝
火入れ式

能《俊成忠度》 シテ 平忠度の亡霊 中森貫太
    ツレ藤原俊成 佐久間二郎 トモ従者 中森健之介
    ワキ岡部六弥太 殿田謙吉
    一噌隆之 鵜澤洋太郎 國川純
    後見 弘田裕一 河井美紀
    地謡 五木田三郎 駒瀬直也 遠藤喜久 奥川恒治
        鈴木啓吾 小島英明 坂真太郎 久保田宏二
    働キ 斎藤比佐晃

狂言《二人袴》  親 野村萬斎  舅 石田幸雄
           太郎冠者 月崎晴夫 婿 野村裕基
           後見 中村修一
           働キ 内藤連
          (休憩10分)

能《杜若・恋之舞》 シテ 杜若の精 観世喜正
    ワキ 旅僧 殿田謙吉
    一噌隆之 鵜澤洋太郎 國川純 小寺真佐人
    後見 奥川恒治 遠藤喜久
    地謡 五木田三郎 弘田裕一 鈴木啓吾 駒瀬直也
        小島英明 坂真太郎 中森健之介 斎藤比佐晃
    働キ 河井美紀 久保田宏二




去年に引き続き、虫よけスプレーと雨具を携えて行ってきました!
寒川大明神のご加護でしょうか、
今回も見やすい席を確保できたし、お天気も奇跡的にもって良かったです。
(こういう微妙な天気の日は、演者・主催者ともにさぞかし苦労されたかと。)

ここの薪能は質・内容ともに充実していて遠方まで出かけた甲斐がありました。

ただ見所が、わたしのなかのワースト1の記録を更新するほどだったのが無念。
いろんな人が観にくる市民薪能だから、そういうカオスもひっくるめて楽しむものだと思っておこう。


まずは例年のごとく戦没者慰霊の神事から。
今年、《四海波》を謡われたのは鎌倉能舞台三代目の中森健之介さん。
お父上から受け継いだ謡いのうまさ。将来が楽しみなシテ方さんです。



火入れ式のあとは、お待ちかねの能《俊成忠度》。

世阿弥作の能《忠度》が、
平忠度が岡部六弥太に討たれた最期を再現しつつ、「行き暮れて木の下蔭を宿とせば」の歌を中心に桜の老木と忠度のイメージをダブらせて、散りゆく者の美を描いた複式夢幻能であるのに対し、

内藤河内守作《俊成忠度》は、
能《忠度》において六弥太の視点から語られた部分を起点に、六弥太をワキに仕立て、俊成を登場させて、「さざ波や志賀の都は荒れにしを」の歌を中心に和歌の徳を説き、さらには修羅道の闘争地獄、和歌の徳による救済を描いた単式能で、どちらかというと《清経》に似た趣き。



まずは名ノリ笛もないまま、太刀持の先導でワキの岡部六弥太が登場。
出立は侍烏帽子・掛直垂・白大口、腰には短冊のついた白羽の矢。
暑そうな装束だけど、名ノリの謡で1500人以上の観衆の心をガッチリつかみます。



京の五条にある俊成宅を訪ね、みずから討ち取った忠度の辞世の歌(「行き暮れて木の下蔭を宿とせば、花や今宵の主ならまし」)がしたためられた短冊を俊成に渡します。


このとき、短冊のついた矢を腰からさっと抜き出す殿田さんの手さばきが見事。
着付けもさすがです。
矢が落ちないように、でも抜き取りやすいようにと、さじ加減が難しそう。




しかし! ワキの活躍はここまで。
初同で囃子が入ると、切戸口(舞台上手奥の通路)から早々に退場。

和歌を読んだ俊成が忠度の冥福を祈っていると、忠度の亡霊が登場楽もなくそっと登場し、橋掛りを進みます。



この登場の時のシテの姿があまりにもきれいで目が釘付けになりました。
タンポポらしき花をあしらった青灰色の長絹肩脱、梨打烏帽子、厚板、白大口という出立。

繊細優美な中将の面が装束としっくり合っていて、貴公子然とした美しい佇まいです。





忠度の亡霊は『千載集』に選ばれた自作の歌「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」が詠み人知らずになっているのがどうも気になる、と俊成に訴えます。

しかし、俊成に「あれは朝敵なので致し方なかった、でもこの歌が残ればあなたの名も残るから大丈夫」と諭され、あっさり納得。
長々と文句を言わない、良い子なのでした。




そしてサシから正中下居になり、素盞鳴尊と八重垣姫の結婚にまつわる和歌の起源が地謡によってクセで語られ、「さてもわれ須磨の浦に」からシテが立ち上がり、「人麿世に亡くなりて」でアゲハ、上ゲ扇のあと、さらに和歌の徳が地謡によって謡われます。




この男女和合と和歌の功徳を結びつけた穏やかなクセから一転、
大小鼓が勢いを増してカケリとなり、シテは修羅道の苦患を力強く激しい舞で表現します。

(國川さんと鵜澤洋太郎さんの大小鼓がカッコイイ。とくにこの日は小鼓が冴えていて、ポンポン弾けるようなみずみずしい音色と掛け声。)



あれご覧ぜよ、修羅王の、梵天に攻め上るを、
帝釈出て合い修羅王を、もとの下界に追っ下す



和歌の醍醐味を舞ったところから、修羅王(阿修羅)VS帝釈天・梵天という神々の戦闘場面へと大きく変わるシテの謡の変容、声や息の変化が素晴らしい!



貫太さんは舞もいいけど、謡が断然良くて、
謡の強さ、息の詰め方に合わせて、腹筋がグッと動くのが装束の上から分かるほど。

だいぶお痩せになったのかな。
以前拝見した時よりも身体が引き締まって見えました。
技術・経験・肉体ともに円熟期を迎えた好いシテ方さんです。


「喚(をめ)き叫べば忠度も」で右手で太刀を抜き、左手で開いた扇を楯に見立てて突き出し、「修羅王の責めこはいかに浅ましや」でガックリ安座。


しかし、「さざ波や」の歌に梵天が感銘を受けたおかげ(和歌の功徳)で、忠度の亡霊は剣の攻め苦を免れ、山の木陰に姿を消すのでした。



上演時間40分ほどの短い曲でしたが、能のエッセンスがギュッと濃縮された舞台。
薪能はパイプ椅子でお尻が痛いから、一曲がこれくらい短めのほうがいいのかも。




第47回 相模薪能~狂言《二人袴》・能《杜若・恋之舞》につづく





     

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