2016年8月11日木曜日

下掛宝生流 能の会~仕舞《大蛇》・連吟《鷺》・仕舞《遊行柳クセ》

2016年8月10日(水)18時~20時45分 33℃  宝生能楽堂



仕舞《大蛇》片山九郎右衛門×宝生欣哉
   則久英志 工藤和哉 殿田謙吉 御厨誠吾

連吟《鷺》王 野口能弘  ワキ 野口教弘、大臣 野口塚弘
    吉田祐一 高井松男 森常好 梅村昌功 舘田善博

仕舞《遊行柳クセ》 梅若玄祥
  宝生欣哉 則久英志 大日方寛 御厨誠吾

狂言《月見座頭》 山本東次郎 山本則俊
    (休憩15分)

能《紅葉狩・鬼揃》シテ観世銕之丞
 ツレ観世淳夫 浦田保親 味方玄 谷本健吾 川口晃平
  ワキ宝生欣哉
  大日方寛 館田善博 森常太郎 殿田謙吉
  アイ山本則秀 山本則重
  杉市和 曽和正博 國川純 観世元伯
 後見 片山九郎右衛門
    清水寛二 馬野正基
 ワキ後見 則久英志
 地謡 梅若玄祥 浅井文義 西村高夫 柴田稔
    山崎正道 小田切康陽 角当直隆 大江信行




お盆前にもかかわらず、ほぼ満席の盛会。
初めて行くのでよく分かりませんが、欣哉・新体制のお披露目みたいな会なのでしょうか。
もちろん追善の会でもあるけれど「流儀の未来に向けて」という意気込みを感じさせました。


仕舞《大蛇》
冒頭からいきなりお目当ての《大蛇》。

小次郎信光が八岐大蛇伝説を題材にして書いた能《大蛇》は宝生・喜多・金剛にしかなく、今回の仕舞《大蛇》は九郎右衛門さんご自身が型付をされたということでとても楽しみにしていました。

(復曲能《吉野琴》をテレビで観た時に、九郎右衛門さんの型付のセンスの良さを実感していたから。)


とはいえ観世流でも、かつて観世栄夫×宝生閑による《大蛇》(能or仕舞?)が上演されたことがあったらしく、こうして世代を経て片山九郎右衛門×宝生欣哉で拝見できるのも貴重な機会です。



喜多流(大島輝久さん)×福王流(福王和幸さん)の仕舞《大蛇》は、セルリアンタワーのプレ公演で拝見したので、比較を交えながらの感想;


(1)まず、大きな違いは、喜多流×福王流では、ワキが剣を持っていたこと。

一刀の剣で、最初は「十握の神剣」を、最後は大蛇の尾から出てきた「叢雲の剣」を表現し、鞘から抜く所作や大蛇退治に効果的に用いるなど、剣が仕舞の重要な要素となっていました。



それに対し、下宝では扇を剣に見立てて使用。
簡素を重んじる流儀なのかもしれません。





(2)「川風暗く水渦巻き」で、立ち上がるところは同じなのですが、
このあと福王流では剣を持って脇座に行き、下居したまましばらく待機。
ワキが舞台中央から退いたため、シテの大蛇の動きがクローズアップされます。

一方、下宝ではワキがシテの横で下居。




全体的に、福王流の仕舞《大蛇》では脇座から常座に移って「遥かの岸より下り給へば」でジャンプするなどダイナミックに動いて舞台全体を大きく使っていたのに対し、下宝では舞台の端から端までを使うわけではなく、やや抑制の利いた動き。
(そういう印象を受けたのは、福王さんが大柄なせいもあるかもしれません。)




それから、なるほど、凄いなーと思ったのは、

「頭を舟に落とし入れて」で、
シテが(大蛇の頭に見立てた)閉じた扇を逆さにしてズブズブと
突き下げていくところは喜多流と同様に感じましたが、

その前の「舟にうつろふ御影を呑まんと」で、
両手を頭の左右に上げて肘を直角に折り曲げる型をするところは
九郎右衛門さんのオリジナルかな?



おそらく両手を左右に上げることで、大蛇の八つ首を表わしたのでしょうか。

このあたりが独創的。さすがです。



ほかにも九郎右衛門さんオリジナルの型がいろいろあったのかもしれません。



地謡がところどころ乱れて、シテ・ワキが呼吸を合わせづらそう。
(支障なく舞っていらっしゃいましたが、キレが若干損なわれた気が。)
ワキ方は次第や待謡で声を合わせて謡うことはするけれど、
立役の動きに合わせて謡うことは通常はないので致し方ない。

今までシテ方の地謡を普通に聴いていたけれど、
立役の動きに合わせて謡うのは単に謡うのとは違う難しさがあるのだと、
あらためて感じたことでした。



連吟《鷺》
こちらは下宝の謡の底力発揮、という感じで文句なく素晴らしかった。
(わたしの集中力が途切れてしまったので、あまり細かくは書けないけど。)



仕舞《遊行柳クセ》
これはすっごく珍しい!

やはり下宝はシテ方宝生流の謡に近い節で謡うのですね。

その謡で玄祥師が舞うという、チャレンジングな試み。

ただでさえ、《遊行柳》の仕舞って難しく、
あの柳の朽木感を出すのは相当大変だと思うけど、
それを他流の謡で舞うというのは玄祥師だから引き受けたのかも。

最後のほうで地謡がやや乱れましたが、
全体的には下宝ならではの息の強さのある謡で、
今回一度きりの上演というのはもったいない。
もっと聴いてみたい気がしました。



下掛宝生流 能の会~《月見座頭》につづく





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