2016年12月26日月曜日

幻想図書館 ~ 東洋文庫ミュージアム

2016年12月25日(日) 会期終了日      東洋文庫ミュージアム

リオデジャネイロの幻想図書館を思わせるモリソン書庫

かねてから行きたかった東洋文庫ミュージアム。
この日は「本のなかの江戸美術」展最終日でしたが、どうにか滑り込みで間に合いました。


東洋関連の稀覯本の宝庫
紙の本好きにとってはパラダイス!

オーストラリアのジャーナリスト、G・E・モリソン(1862-1920年)の2万4000冊の蔵書を、
岩崎久彌が1917年に一括購入したコレクション、それがモリソン書庫。


子牛皮や羊皮表紙の古書は、どうしてこんなに美しいのだろう!
見ているだけでため息……。

本を作った人、所蔵した人の、書物への愛おしさが伝わってくるよう。

本自体に直接触れることはできないのですが、『東方見聞録』(1496年)、
『天正遣欧使節記』(1586年)、『オルガンティーノ神父書簡集』(1597年)など、
貴重な書物をガラス越しに見ることができます。




マアチ著『伊達正宗遣使録』(1617年)

↑ モリソン書庫には、支倉常長の欧州での活動を記録した『伊達正宗遣使録』も。

著者のマアチは、通訳として常長に同行した人らしい。
挿絵に描かれているのは、着物姿の支倉常長。
襟元など、ちょっと和洋折衷っぽい。



↓ ここからは企画展『本のなかの江戸美術』。

書物として綴じられたことで紫外線や外気から守られていたため、
挿絵に描かれた肉筆画・浮世絵の保存状態が素晴しく、色彩も鮮やかでした。

春画などの一部をのぞいて撮影可能だったので、
気に入ったものを載せていきます。



『正写相生源氏』1851年、歌川国貞・画
↑源氏物語をパロティー化した春本。

春本とはいえ、越前福井藩主の依頼により制作されたため非常に豪華で、
技術的にも大変凝った作りになっており、高価な絵具が使われています。

この画でも桜の花にはエンボス加工でおしべがあらわされ、
双六盤の側面には螺鈿細工を模した貝殻があしらわれていました。

色彩も、茶色や鼠色、苔色などの渋い色が使われ、
そこに赤や青、黄色などのビビッドカラーを差し色に使うのが江戸風ですね。






曲亭馬琴『南総里見八犬伝』

↑ 犬と人との異類婚というのは今考えても奇抜!
29年もの歳月をかけて描かれたこの長大なベストセラーの挿絵は、
おもに北斎門下の柳川重信(一代目と二代目)が担当したそうですが、
後篇の一部は英泉や国貞も手がけたといいます。

八房と伏姫を描いたこの場面にはなんとも妖しいエロスが漂っていて、
個人的にはいちばんのお気に入り。





歌川広重『六十余州名所図会・加賀』、1853-65年

↑ 『近江八景』や『名所江戸百景』(初擦)、『五十三次名所図会』など、
広重作品が質・量ともに充実していて、どれも素晴らしかったのですが、
いちばん好きなのが、この『六十余州名所図会・加賀』。


静かな夜の海。
漁船の篝火や、浮島の民家から洩れる灯り。
海や山の穏やかさと、人の営みのあたたかさ。
夜はかぎりなく、優しい――。

広重の名所絵にはどこか詩情が漂います。



歌川広重『五十三次名所図会・沼津』、1855年


↑ 計算し尽くされた無駄のない構図。
白抜きされた雪の表現の見事さ。

雪景色に映える二人の人物。
くるぶしまで雪に埋もれながら、彼らはどこへ行くのだろう?
その背中が語る物語に耳を澄ますように、絵のなかに惹き込まれていく。




『たまも』、江戸初期
↑ 《殺生石》でお馴染みの九尾狐・玉藻前の物語。
江戸初期らしい素朴さが魅力の一枚。

三浦・上総の両介が「刈り装束にて数万騎那須野を取りこめて草を分つて狩りけるに」
の場面ですね。

野干は一応二股の尾になっているけれど、愛嬌があってぜんぜん怖くない。
(シカとワンちゃんを足して二で割ったような動物。)

江戸中期~幕末になるにつれて妖しさが際立つ狐が描かれるようになるけれど、
その出発点が、この稚拙美のお手本のような愛らしい狐だったというのが面白い。




春画のコーナーだけR-18指定で、撮影も禁止。
とはいえ、観世流謡本や幸若舞の絵本版、普通のきれいな浮世絵など、
人畜無害の名品も多く、別に成人向けでもないような気もしたけれど。


艶本のなかで特に素晴らしかったのが、渓斎英泉『春野薄雪』(1822年)の「女郎花塚」。
タイトル通り、能《女郎花》のもとになっている女郎花塚伝説に取材した作品。

女郎花の野原で情を交わす男女が描かれているのだが、
その着物の文様といい、野原の情景といい、細部まで緻密に描かれてまことに美しい。

そして何よりも心を捉えるのが、激しく抱き合う男女の姿。

亡霊となった男女がほんの束の間、生身の形を借りて愛を交わしているような、
せつなさ、哀れさ、儚さが漂っている。

男の視線は熱く、女の目からは今にも涙がこぼれそう。

しかし、こちらに向けられた彼女の視線は、どこか醒めている。
女の本質、心の動きを描いた英泉の絵は春画の名作であり、
彼自身の作品のなかでも屈指の傑作だった。





ガラスの向こうには、中庭とオリエンタルカフェ
カフェではピアノの生演奏もあり、良い雰囲気





2016年12月23日金曜日

はじめての一般参賀

2016年12月23日(金)天皇誕生日 11時40分の回    皇居

御代を寿ぐように咲いていた皇居の冬桜

快晴!

平成の御代のうちに一度は行っておこうと、家族で行ってきました。
皇居に入るのも初めてなので、おのぼりさん気分。


桜田門
皇居正門には東京駅から行くよりも、有楽町線桜田門駅三番出口から出て、
桜田門から入る方が空いているようです。


ボーイスカウトの人からいただいた日章旗


二重橋。続々と人が渡っていきます。

ボーイスカウトやボランティアの方々が日章旗を配ってくださっているので、
これを受け取り、二重橋を渡ります。

ボディチェックや手荷物検査などを済ませて、いざ、長和殿へ!


この日の訪問者数は記帳を含めて平成最多の約3万8588人。

とはいえ、午前中に3回あるお出ましのうち1回目がいちばん混むそうなので、
これを避ければ、わりとスムーズに前のほうで拝見することができます。



三回目のお手振り

わたし自身は政治的には特に右寄りではないつもりですが、
天皇・皇后両陛下は日本人の美徳の鑑のような方々で、
人間的にとても尊敬しています。

この日も、陽光が地上をあまねく照らすように、
訪問者一人ひとりにあたたかい眼差しを向けられ、
お手を振られていらっしゃる姿に、
慈愛のようなものを感じて、感無量でした!




お言葉


前日に新潟で起きた強風による大規模火災の被災者を気遣うお言葉を
おもに述べられているのが印象的でした。

それから国民の健康と幸せを祈るお言葉も。

わたくしたち国民も、
天皇・皇后両陛下のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。




訪問者の構成は年齢・性別はもとより国籍もさまざま。
いろんな地方・国々の方言・言語が飛び交っていて面白い。
(かくいうわが家もコテコテの関西弁(笑))

筋金入りの右翼から観光気分・興味本位の人まで、信条や意識も多種多様。
こういう多神教的な懐の深さ、寛容さも日本ならでは。
いろんな考え方を受け入れるのもこの国の良さだと思う。


宮内庁

その後は、ぶらぶら皇居内を散策。



富士見櫓


 

百人番所



東御苑マップ



東御苑では冬桜やボケ、木の実のなる草花など、さまざまな植物が楽しめます。
(ボケの花は季節外れの暖かさにその名の通りボケちゃって、満開でした。)


本丸周辺の植物

ピラミッドの遺跡のような天守台


天守台から見た景色



内濠のカモさん





平川濠。左奥には東京国立近代美術館。


ボケの花




名残りの紅葉




2016年12月17日土曜日

Scope(スコープ) ~桑原弘明展

2016年12月10日~24日          ギャラリー椿
《カノン》、2016年

過日、銀座のギャラリー椿で開催されている桑原弘明展『Scope』に行ってきた。

手のひらに載るほどの小さな真鍮製の四角い箱――。
箱から突き出たレンズをのぞいて、箱に開けられた小さな窓から懐中電灯の光を入れると、そこにはミニチュアの異空間が広がっている。


緻密な手仕事によって生み出された部屋や庭、洞窟はどこかノスタルジックで、古いアート映画で観たことのあるような既視感を呼び起こす。


その謎めいた得体の知れない空間をのぞくとき、マルセル・デュシャンの《遺作》をのぞく時のような、観てはならないものを観る後ろめたさにも似た不思議な感覚に襲われる。


桑原さんは1つの作品の制作に1月半から3か月を費やすため、年間制作数は多くはない。
今回展示されていたのは全4点。わたしが訪れた時にはどれも売約済みになっていた。



今回、いちばん印象深かった作品は、
《失われた時の輝き》
古代ローマ皇帝ネロの黄金宮殿の遺跡か、パンテオンを思わせるドーム型教会の廃墟。
崩れた天頂部がオクルスのように開いていて、そこから青い空がのぞき、明るい陽光が射し込む。

しかし、洞窟(グロッタ)を思わせる教会の廃墟は薄闇に閉ざされ、手前には古びたキリストの磔刑像が倒れ転がり、背後のフレスコ壁画に描かれた大天使ミカエルの光輪の金色だけが辛うじて往時の耀きをとどめている。

時の流れや無常観を閉じ込めた、想像力をかき立てるスコープだった。




《カノン》
本個展のDMにも使われた作品。

エッシャーのだまし絵のような終わりのない螺旋階段。
戸口の上に椅子が逆さに置かれ、あべこべの世界をあらわしているのだろうか。

箱の上の窓から光をあてると、光源が右奥の部屋になり、箱の背後の鏡を照らすと、左上に灯りがともる。

螺旋階段が奏でる音楽的な空間。



《雨上がり》
非常に精巧で緻密な作品。

箱の上には窓が三つ開いていて、右手前の窓から光をあてると、
そこは高い位置に小さな窓があるだけの暗い室内。
祭壇のようなキャビネットが置かれ、厳かな雰囲気に包まれている。

左手前の窓から光をあてると、
広い窓の外に青空が広がる明るい室内が見える。

そして一番奥の窓に光をあてると、
開け放たれた窓の外から、晴れあがった空と深山の景色が見える。
樹齢千年もあるかと思うような古木の根元には水たまりがあり、
水面には、晴れた空と輝く雲が美しく映っている。

手前の室内には、剥がれかけたタイル敷きの床が広がり、
使い古された椅子が一つだけ置かれている。

それぞれの空間の湿気や匂い、外気の清々しさまでもが伝わってくる作品だった。



《サンクトゥス》
箱のなかの空間が四段階に変化する非常に凝った作品。

(1)玄関先の青い扉が見える。
  あたりは青い夕闇に包まれ、扉も壁も薄雪をかぶっている。

(2)窓の向こうに明るい部屋が見える。
 テーブルにはリンゴや食器が載り、マントルピースの上には大皿が飾られて、観葉植物が部屋を装飾している。

(3)光の場所を変えると、同じ部屋の窓の外のランプにオレンジ色の灯りがともる。

(4)寝静まった部屋。微かな灯りが二つだけついている。


「サンクトゥス(sanctus)」というタイトルなので、リンゴや皿、観葉植物(聖木?)などのオブジェにキリスト教的な寓意が込められているのかも。
(在廊されていた桑原氏にうかがえばよかった……。)

Tokyo Square Gardenのクリスマスツリー


2016年12月16日金曜日

山本東次郎の《木六駄》

2016年12月15日(木) 15時~16時30分 武蔵野大学・雪頂講堂
狂言鑑賞会~《神鳴》からのつづき
 
狂言《木六駄》太郎冠者 山本東次郎
  主・山本凜太郎 茶屋・山本則重  伯父・山本則俊

附祝言《猿婿》山本泰太郎・凛太郎 山本修三郎




《木六駄》では東次郎さんの至芸が炸裂し、
則重さんの茶屋も、名人の相手役にふさわしい好演でした。
以前の《粟田口》の時もそうだったけれど、東次郎×則重はなかなかの名コンビ。
則重さんは型も謡もしっかりしていて、存在感のある注目の役者さんです。


山本東次郎家の《木六駄》には固有の演出や型、謡・小舞が多くあり、
他流・他派では十二頭の牛(木六駄+炭六駄)で運ぶところを六頭で運ぶとか、
他流では伯父が自宅で待っているところを茶屋までやってくる等々、
独自の《木六駄》ワールドをつくっています。


【猛吹雪のなかの峠道】
幕が上がり、
幕の奥から東次郎さんの「させい、ほおせい」という、牛を追う声。
雪を踏みわけ、吹雪の音にかき消されそうになりながら牛を追いたて、
はるばるやって来た感じがその声から滲み出る。


牛追い
ただでさえ困難な道のりなのに、
まだらの牛が道からそれてフラフラと崖のほうへ行ったり、
愚鈍な飴牛がのろのろと群れから遅れたり。


東次郎さんは牛を必死に追いながらも、
「胞腹よ」と牛に呼び掛ける声が何ともあたたかく、
飼牛への同朋意識のようなものを感じさせる。


歌「小原木(大原木)」
雪道の孤独を慰めるように、
太郎冠者は材木を載せた木六駄たちの姿から着想を得て、
頭に薪を載せて売り歩く大原女たちの歌「小原木」を謡う。

「木買わせ、木買わせ、小原木召せや黒木召せ、
小原・静原・芹生の里、朧の清水に影は八瀬の里人」

舌が凍えたような謡い方から、極寒の厳しさが伝わってくる。
『小原木』を謡うのも東次郎家だけとのこと。



吹雪に飛ばされ転倒する型
ひとしきり強い風が吹き、太郎冠者は吹雪に吹き飛ばされ、
雪の上をツルリッと滑る。

したたかな吹雪が参った!」

二度目はさらに強い吹雪で、遠くまで飛ばされ、やっとのことで起きあがる。


峠についたらお前たちも休息させよう、わたしも酒を一杯飲んで温まろう!
牛たちにそう呼び掛け、なんとかおのれを鼓舞しながら、
茶屋で酒を飲むことだけを心の支えに猛吹雪のなか峠を登っていく。



峠の茶屋に到着】
ようやく峠の頂上にたどりついた太郎冠者と木六駄。
茶屋の前でつながれた牛たちは疲労のあまりすぐに寝入ってしまう。

「ほう、はや寝てのけたな」
牛たちの寝姿を見た太郎冠者は、思わずにっこり。

ここでも、過酷な労働を強いられる仲間に対する慈しみの心が
伝わってきて味わい深い。




茶屋での酒宴】
茶屋では酒を切らしていると聞いてがっかりする太郎冠者。
今にも凍死しそうなくらいこごえている太郎冠者に、
「ここで凍えたら御用を果たせないゆえ、
進物の諸白を飲むのも御奉公のうち」という茶屋からの悪魔のささやき。


《鉢木》のパロディ
酒を飲む口実ができた太郎冠者は、
それならばと、
能《鉢木》で秘蔵の松を切る場面に見立てて、酒樽を開ける。

かくこそあらめ 我も身を 捨て人のための鉢木切る 
とてもよしや惜しからじと 雪ふっふっ打ち払ひてみれば」

酒樽にかぶった雪綿を、扇で「ふっふっ」と払いながら開けるところや、
《鉢木》の常世と同じく、断腸の思いで酒樽の封を切る表現など、
洒落が効いてて心にくい東次郎家ならではの演出。




狂言謡『盃』
茶屋は「聞こし召せや 聞こし召せ 寿命久しかるべし」と謡いながら
太郎冠者の盃になみなみと酒を注ぐ。

注がれるほどに、東次郎さんがもつ鬘桶のフタが
酒の重みに合わせて段階的に下がり、酒の量感を表現する。

それをさも美味しそうに飲み干す東次郎さん。

飲む前は、身体が縮こまってカチカチに凍っていたように見えたのが、
飲み干してからは手足の先まで血流が一気に行き渡り、
顔や手が艶と柔らかさを増し、頬に朱が差し、
体温の上昇が感じられる!



酔いが回った太郎冠者は、ふと茶屋の外に目をやり、
「ははあ、降るは降るは、雪は豊年の貢物じゃというが、
潔いものでおりゃる」と言う。

先ほどの吹雪の場面の極寒の気温と、温かい茶屋のなかの気温の違いが
舞台上の空気感の違いとなり、客席からもその違いが感じとれる。
雪見酒の温かさ、安心感。
自分に襲いかかっていた雪を、恵みと思える太郎冠者の心のゆとり。



さらに《鉢木》からの引用
「憂き寝ながらの草枕 夢より霜や結ぶらん」
二人は互いに酒を酌み交わし、
太郎冠者はしだいに酔いが深くなり、気が大きくなっていく。


酒宴もたけなわとなり、酒の肴がないため、代わりに肴謡の応酬がつづく。


小舞『あんの山(兎)』
酔って気分がよくなった太郎冠者は、おもむろに立ち上がり、舞い謡い出す。

「あんの山から こんの山まで 飛んできたるは何ぞろぞ
頭に二つ ふっふっとして 細うて長うて うしろへ
りんと跳ねたを ちゃっと推した うさぎじゃ」

東次郎さんは相変わらず軽快な身のこなし。
「飛んできたるは」で、ウサギのようにピョンピョン跳ね、
「ふっふっとして」片手をひとつずつ上げてウサギの耳をあらわす。
身体の軸がまったくブレない、磨き抜かれた芸の高さと強靭な下半身。



《桜川》の引用
浮かめ浮かめ水の花 げに面白き川瀬かな」と謡いながら、
茶屋がさらに太郎冠者の盃に酒をつぐ。

やんや、やんや、やんや!



太郎冠者に請われて茶屋が小舞『雪山』を披露
「運び重ね雪山を 千代にふれと作らん 雪山を千代と作らん」

則重さんの小舞と謡が酒宴を盛り上げる。



酒宴の御ひらき「ざざんざ」
「ざざんざ 浜松の音はざざんざ」

そんなこんなで気が大きくなった太郎冠者は、木六駄まで茶屋にあげてしまう。


【茶屋で休んでいた伯父との遭遇】
太郎冠者は伯父に対面し木六駄のことを尋ねられ、
「自分が木六駄だ」と見え透いた言い訳をする。

そして進物の諸白は
「最前、牛があまりに寒いによって、一つ飲モーと」、
と言いながら両手の人差し指を牛の角のように頭から突き出して、
伯父から「やるまいぞやるまいぞ」と追いかけられ、
「ゆるされい、ゆるされい」と言いながら退場。

なんとも、寒いオチなのでした。


可愛い南天の赤い実!



2016年12月15日木曜日

狂言鑑賞会~解説・《神鳴》

2016年12月15日(木) 15時~16時30分  武蔵野大学・雪頂講堂
葉の落ちきった冬枯れのキャンパス
解説 三浦裕子

狂言《神鳴》神鳴 山本則孝 藪医者 山本泰太郎
     地謡 山本則俊 山本則重 山本修三郎

狂言《木六駄》太郎冠者 山本東次郎
 主・山本凜太郎 茶屋・山本則重  伯父・山本則俊



今年は2月の「能と土岐善麿《実朝》を観る」から夏の各種公開講座まで、武蔵野大学にはお世話になりました。
楽しい企画が目白押しで、能楽ファンには有り難い。
この日も大変良い舞台で、とくに今の時節にぴったりの名曲《木六駄》を東次郎さんの太郎冠者で拝見できるのは嬉しいかぎり!


解説の三浦先生は桃色のお着物をきれいにお召になっていて、素敵でした。

この狂言鑑賞会は二部制で、わたしが拝見した第二部B公演では、「祝言性」と「歌舞」をテーマに選曲したとのこと。

たしかに、どちらも謡や小舞が盛りだくさんだし、
《神鳴》では、神鳴さまが治療のお礼に旱損も水損もない時代が八白年続くことを約束し、《木六駄》では、太郎冠者が茶屋で雪を眺めながら「雪は豊年の貢物」と言って豊作を予祝します。

一年の終わりだから、めでたさや華やかさを意識して構成されているんですね。



さて、《神鳴》
最初に登場するのは、藪医者役の泰太郎さん。

橋掛りから常座に入ると、脇能のワキの登場のように両袖を広げ、つま先立ちで伸びあがってから沈み込む型をします。
これはよく分からないけれど、都から東下りをする旅の道行きをあらわしているのかな?

名医ひしめく都では仕事がないため都落ちをする藪医者はどことなく尾羽打ち枯らした風情。哀愁が漂います。


藪医者がだだっ広い野原にくると、雲間を踏み外した神鳴が物凄い勢いで落ちてきて、ドシンッと腰を強打し、動けない様子。

藪医者はまず、脈をみて診断しようとするのですが、神鳴は腕ではなく、頭で脈を取ります(頭脈)。
医者が神鳴の頭に手をのせて、患者の首を回しながら脈を取るところが、なんとも気持ちよさそう。


藪医者は「痛風の持病がありますね」との診断結果を下します。
(痛風持ちとは神鳴稼業もラクじゃない……『アナライズ・ミー』という映画を思い出す。)


薬を持ち合わせていない藪医者が鍼治療をしようとするのですが、この鍼が太い!
鍼というよりも工具の錐みたいで、いかにも痛そう。
鍼を打たれた神鳴も手足を上げて身悶えするのですが、鍼を抜いたとたんに、身体がスーッと軽くなった様子。
この、痛みが取れて、身体がラクになったスッキリ感がいつもながらたまりません!
ほんとに気持ちよさそう。
わたしも打ってほしいくらい。

この藪医者さん、鍼治療を専門にしていたら都でも大人気で、行列ができていたのじゃないかと思うんだけど。こんなに名医なのに、なぜ廃業?
商売下手だったのかもしれませんね。

世渡りベタの不器用な人間に、やさしい眼差しを向けるのが狂言の良いところ。
わたしも生きるのが下手な人間なので、狂言のこういうところにじぃーんと来ます。


腰の痛みもスッキリ治って、天上に帰ろうとする神鳴に、「あの、薬礼を……」と呼びとめるタイミングも絶妙でした。

最後は、神鳴がお礼に八百年の天候の安定を約束し、飛び返りつきのキリッとした小舞を舞って、鞨鼓を打ちながら幕入り。



山本東次郎の《木六駄》につづく







2016年12月9日金曜日

友枝昭世の《遊行柳》~国立能楽堂十二月定例公演

2016年12月7日(水) 13時~15時45分   国立能楽堂
狂言《箕被》からのつづき

帰り道、能楽堂前の銀杏並木

能《遊行柳》老人/老柳の精 友枝昭世
   ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
   アイ野村万作→野村萬斎
   藤田六郎兵衛 曽和正博 柿原崇志 小寺佐七
   後見 中村邦生 友枝雄人
   地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
       友枝真也 狩野了一 金子敬一郎 大島輝久
   働キ 佐々木多門



もしかすると、もうこれ以上の《遊行柳》を観ることはないのかもしれない。

《西行桜》への単なるオマージュ作という今までの認識がガラリとくつがえされ、華麗なスペクタクル物を作り続けた信光が最後に奥妙な境地にたどり着き、途方もない名曲を生み出したことに気づかされた。
(頭をガツンと殴られたような衝撃と感動!)、

いつもながら喜多流の舞台は緊密で少しの弛みもなく、作り物を下げる時でさえ、後見や働キの人たちの佇まいや所作、立ち上がるタイミングまで、すべてにおいて完璧で美しく、余韻を乱すどころか、余韻を深める彩りとなっていた。



前場】
この日のワキ・ワキツレは九月の香川靖嗣の会《遊行柳》と同じで、地謡も地頭が友枝昭世師から香川靖嗣師に入れ替わり、友枝雄人・真也兄弟が入れ替わっただけの布陣。

やはり、欣哉さんのワキは好い。
シテと完全に呼吸を合わせているし、舞台全体の微妙な空気や観客の反応を敏感に読み取り、それに応じてハコビの速度やシテへの視線・声の調子を変えている。


白川の関を過ぎた遊行上人一行が広い街道を進もうとすると、幕の中から呼び掛ける声。

幕から出たシテは、褪色したような薄灰緑色の水衣に小尉の面。
そのハコビには袴能《天鼓》の前シテでも感じた老衰感・憔悴感が漂う。


このわざとらしくなく、かといって写実に偏らない、つまり老醜の匂いを感じさせない「美しい老いの風情」を醸し出すさじ加減が絶妙だった。

(顎が上がり、力のない衰えきった姿で立っているのに見栄えが悪くないどころか、美しく見える不思議。いったいどのように身体を使えばあんなふうにできるのか、見当もつかない。)


老人はかつて遊行上人が通った旧街道にワキを案内し、朽木の柳の生えた古塚へと導く。
蔦葛の這いまとう朽木と古塚を前にして茫然と立ち尽くすワキの上人。


「風のみ渡るけしきかな」で、辺りを見回すシテの視線が、旅人たちが行き交う往時のにぎわいと、彼らの道しるべとなりオアシスとなった柳塚の誇らしげな姿を描き出す。


だが、それも一瞬で、辺りはふたたび廃線跡のような荒涼とした風景となり、
朽木と古塚の前に立つ二人の姿がユベール・ロベールの廃墟の絵を思わせた。



後場】
待謡の後、出端の囃子となり、やがて作り物のなかからシテが謡い出す。

「(老木の柳の髪も乱るる白髪の老人)忽然と現れ出でたる」で、引廻しが外され、柳の精が姿をあらわす。
後シテの出立は、灰緑の単狩衣に水浅葱の色大口。
面は、森厳な顔立ちの石王尉。

古塚のなかで床几にかかるその姿は、神さびた遺跡のように古色蒼然とした空気をまとっている。

シテは「西方便有一蓮生」で、立ち上がり、
「上品上生に至らんことぞ嬉しき」で、作り物から出て下居し、ワキに向かって合掌。



ここから古今東西の柳の故事が語られるクリ・サシ・クセに入り、
清水寺・楊柳観音の縁起を語る場面の「金色の光さす」ではシテの顔がパッと輝き、
「暮れに数ある沓の音」で、ポンッと足先で鞠を蹴りあげる型は、はずむ鞠の弾力と飛距離を感じさせる。


そして序ノ舞。
有情の老人のような生々しさはそこにはない。

旅人に道を示し、涼を与えてきた柳が、今まさに役目を終えて枯れようとする朽ち木感。

シテが舞うほどに、水分も油気も抜けた枯れゆく植物のはらはらと散るような軽やかさ、閑雅な清らかさが立ち込める。


今まで見たどの序ノ舞とも違う、友枝昭世の《遊行柳》の序ノ舞に、
この世に生を受けた者の、見事な終末の姿を見た気がした。



舞い終えたシテは、ワキの上人としばし見つめ合ったのち、
秋の西風に吹かれて葉をちりぢりに散り落とし、
常座に立ったまま、まるで宮崎駿のアニメーションのように、
みるみるうちに本物の朽木に身を変じ、



あとにはただ、一本の柳の枯木が残るのみだった。






2016年12月8日木曜日

国立能楽堂十二月定例公演 《箕被》

2016年12月7日(水) 13時~15時45分   国立能楽堂

ロビーに展示された、小次郎信光の系図・解説のパネルと作り物の模型
正月飾りのように可愛い作り物は、画像左から《紅葉狩》、《船弁慶》、《胡蝶》、《遊行柳》


狂言《箕被》シテ夫 石田幸雄 アド妻 野村萬斎

能《遊行柳》老人/老柳の精 友枝昭世
   ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
   アイ野村万作→野村萬斎
   藤田六郎兵衛 曽和正博 柿原崇志 小寺佐七
  後見 中村邦生 友枝雄人
  地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
      友枝真也 狩野了一 金子敬一郎 大島輝久
  働キ 佐々木多門



国立能楽堂12月の月間特集は「観世信光――没後五百年」。
ロビーには、信光の系図(世阿弥の甥・音阿弥の子)や解説を書いたパネルや作り物の模型が展示されていました。
作り物を活かし、舞台面が華やかなことと、展開が劇的でワキが活躍することなどが信光作品の特徴だそうです。

信光作品の過去の公演のパネルも展示されていて、わたしが観た《皇帝》(シテ梅若紀彰、2014年)や《玉井》(シテ塩津哲生、2015年)もあって懐かしい。
《皇帝》も《玉井》も場面展開がスピーディで舞台上に多数の演者が登場し、作り物以外にも小道具が使われていて、ほんとうに華やかで楽しかったなー。



狂言《箕被》
連歌狂いの夫に愛想を尽かして出ていこうとする妻、というどこにでもありそうなお話。
(骨董収集とか、殿方は趣味に凝りだすと家計とのバランスを無視して際限がなくなるから、現代でも奥様は大変だとテレビなどを観てよく思う。)

商売を放り出して、連歌にうつつを抜かす夫(石田幸雄)のなじる妻(野村萬斎)。
趣味に没頭する言い訳として夫が持ちだしたのが、書を読み歌を詠んで立身出世し、会稽の太守となった前漢の政治家・朱買臣の逸話でした。

あとで調べてみると、石田幸雄扮する夫が引いた「(朱買臣は)錦の袂を会稽山へ翻す」という言葉は、能《実盛》の詞章にも出てくる詞(典拠は『平家物語』)なんですね。

そんなわけで、暇の印に渡された箕を被いて妻が出ていこうとすると、その姿にインスピレーションを受けた夫が発句「いまだ見ぬ二十日の宵の三日月(箕被)は」を詠み、妻が気の利いた返句「今宵ぞ出づる身(箕)こそ辛けれ」を返すと、夫は妻の才能に気づかされて惚れ直し、最後は元の鞘に収まってめでたしめでたし。

夫が《芦刈》の詞、「浜の真砂はよみ尽し尽くすとも、此の道は尽きせめや。唯弄べ名にしおふ。難波の恨みうち忘れて、ありし契りに帰りあふ縁こそ嬉しかりけれ」と謡い舞うなど、見どころもあるのだけれど、
なんだろう?
体調のせいだろうか、石田さんと萬斎さんならもう少し面白くてもよいはずなのに、可でも不可でもなくというか、あまりなんにも感じなかったのです。

わたしの周囲の客席でも舟を漕いでいる人が多く(なかには大いびきの人も!)、わたし自身、初見で他の舞台とは比較できないので、この作品自体がこんなものなのか、よくわからない。
連歌という、歌の徳を讃えた狂言なのでしょうね。
歌には男女和合の功徳もあるらしいし。


別れる別れないと言いつつも、夫婦ってそんなものだよね、と思ったことでした。



友枝昭世の《遊行柳》につづく


2016年12月7日水曜日

東京達磨会

2016年12月5日(月) 10時始     川崎能楽堂

(拝見したもののみ記載。小鼓もしくは大鼓は社中の方)
囃子《安宅・勧進帳》 地謡 梅若玄祥 山崎正道

舞囃子《通小町》 林宗一郎
        地謡 梅若玄祥 山崎正道 味方玄

独調《網之段》 分林道治

独調《玉鬘キリ》 友枝真也

舞囃子《花筐》 林宗一郎
     地謡 河村晴道 味方玄 分林道治

舞囃子《小塩》 友枝雄人
      地謡 友枝真也 大島輝久

舞囃子《松風・見留》 河村晴道
   松田弘之 成田達志 白坂信行さんの社中の方
   地謡 山崎正道 ツレ味方玄 分林道治

独調《花月》 友枝雄人

舞囃子《熊野》 観世喜正→味方玄
     地謡 山崎正道 分林道治 林宗一郎

舞囃子《黒塚》 友枝雄人 
     地謡 友枝真也 大島輝久

舞囃子《半蔀》 観世喜正
     地謡 河村晴道 分林道治 林宗一郎 

舞囃子《朝長》 味方玄
      地謡 林宗一郎 山崎正道 河村晴道

一調《松虫》 辰巳和麿

舞囃子《楊貴妃》 河村晴道
      地謡 観世喜正 味方玄 林宗一郎

舞囃子《松風》 味方玄
      地謡 観世喜正 ツレ河村晴道 山崎正道

舞囃子《錦木》 分林道治
      一噌隆之 成田奏 亀井広忠
      地謡 観世喜正 河村晴道 味方玄

出演囃子方 松田弘之 一噌隆之 白坂信行 亀井広忠 大川典良



ひっそりと開かれる超豪華な成田達志さんの社中会(白坂信行社中協賛)。
今年は九郎右衛門さん不参加で悲しかったけど、流派・東西を超えた火花散る芸の競演!

舞囃子は橋掛りや揚幕を使うなど、濃厚かつ充実した内容で、まるで袴能のよう。

能に近い感覚でお稽古・発表ができるようにと、お弟子さんの立場に立って番組を構成した成田さんの心遣いがうかがえます。

それにしても京観世、レベルが高い!!
たんに上手いだけでなく、(わたしの好みというのもあるけれど)芸に魅力と花がある。

川崎能楽堂はホールのように、能舞台特有の屋根がなく、しかもホールとは違って脇正面、中正面があり、観客から至近距離で三方からガン見されるため、演者の身体も芸も細部まで衆目にさらされ、さらけ出されて、ごまかしがまったくきかない。

そんな独特の緊張感のなか、番組が進行した。



舞囃子《通小町》・《花筐》 林宗一郎
土曜日・東京→日曜日・京都(弱法師)→この月曜日に再び東京と、大忙しの宗一郎さん。
先日のセルリアンタワーの拙記事で、もともと上手い人がこの数年でさらに進化を遂げたと書いたけれど、数年前との大きな違いのひとつが間の取り方。

美しい「間」の感覚、序破急の中の時間の流れのつくり方、美しい時間の呼吸感覚のようなものを身体に沁み込ませ、直感レベルにまで吸収して、それを身体で表現している。

この方が舞う舞台空間そのものが宝石箱のように硬質で深い輝きのある世界をつくりあげていた。


月は待つらん、月をば待つらん、我をば待たじ 空事や

ともすれば非常に感情をこめて表現するシテ方さんが多いなかで、抑制のきいた表現。
空事だとわかっていながら、昏い夜道を通わずにはいられなかった愚かなわが身を俯瞰するようなシニカルな冷やかさ。

宗一郎さんにしか舞えない独自の《通小町》で印象深かった。




舞囃子《小塩》・《黒塚》 友枝雄人
先日の友枝会《野宮》のときも思ったけれど、喜多流の序ノ舞って観世とはだいぶ違うんですね。
二段オロシは地謡前で立ちどまるとか、観世では脇柱からシテ柱に向かって対角線上に進むところを、喜多流では角から笛座に向かって進むとか。 


喜多流の地謡は二人構成なのだけど、真也さんも大島さんもどちらも声量が豊かなので、二人だけでもよく響き、喜多流らしい味わいのある地謡だった。


《黒塚》は最初、雄人さんが切戸口から登場しないので、「あっ、これは揚幕から出るな」と思っていると、やっぱりそうでした。

早笛でサッと幕が揚がり(幕係はたぶん観世の方?)、抱き柴はなく打杖だけを持ったシテが、いかにも急いで山から下りてきたという態でジグザグに橋掛りを進み、「いかに旅人止まれとこそ」と呼び掛けながら一の松でいったん止まって、閨の内をのぞいた恨みを述べる。


その後は、見えないワキたちを相手に独りバトルとなるのですが、これが凄かった!

シテ柱にかかってワキを狙うところなどは、巻き付きっぷりが道成寺を思わせる執念深さ。
社中の方の祈リの小鼓も、闘いの迫力を盛り上げていて、見応え満点の一番でした。




舞囃子《熊野》・《朝長》・《松風》 味方玄
芸に個性のある役者さんだとあらためて思った。

たとえば《朝長》。
「朝長が膝の口をのぶかに射させて」で、グッサリと膝に深く矢を突き立て、
「馬はしきりに跳ねあがれば」で、威勢良く跳ね上がる馬の躍動感をあらわし、
「腹一文字に掻き切って」で、平岳大演じる武田勝頼の切腹シーンを思わせる凄絶さ。

見せ場となる型が鮮烈でドラマティックなところが、味方玄の味わいなんだろうな。


 
 
舞囃子《松風・見留》・《楊貴妃》 河村晴道
百花繚乱のなかでひと際美しく咲き誇ったのが河村晴道さん。
いまでも目に焼きついていて、何度も脳内再生しているくらい。

《松風・見留》
中ノ舞の初めに三の松、破ノ舞の終わりに二の松へ行き、松のあるべき場所を見つめる。
しっとりと狂おしく、恋こがれる情念の舞。

上扇の角度や柔らかな印象、肩の力の抜け方、たっぷりとした間合いなど、喜右衛門師を思わせる品格のある端正な芸風。

ナリタツさんの掛け声が、時に物哀しげで、浜辺を吹き抜ける松風のよう。

能一番の世界を見事に凝縮させた舞囃子だった。



《楊貴妃》
上手い人の芸には、観客に魔法をかける力が備わっていて、
常座に向かって序ノ舞に入るころには、(シテはもちろん直面だけれど)どう見ても絶世の美女にしか見えなくなっていた。

まさに雨に濡れた梨の花のように可憐で気品に満ちた楊貴妃の姿に、身も心も吸い取られて、陶然と見入ってしまう

紋付袴なのに、豪華な唐織に緋大口をつけているような艶やかさ。
この方の舞の放つ香気なのか、優雅な香りさえ漂ってくるよう。


ひとつひとつの型とその移行が生み出す嫋やかな空気。
面も装束もつけない男が生み出す女の楚々とした美しさ。


「浮世なれども恋しや」の繊麗なシオリが物語る万感の思いに胸が震えた。

世にも美しい楊貴妃だった。




舞囃子《錦木》 分林道治
後見や地謡では拝見したことはあったけれど、舞はなかったので一度拝見したかったのです、分林さんの舞。
数年前に喉のポリープの手術をされたそうですが、謡の上手い方。
メリハリのある男舞。

小鼓は成田達志さんの御子息の奏さん。
お父上に似てとても感じのいい方で、掛け声もお父上に似てとても好い。
東京でも青翔会などに御出演されるといいな。


一調《松虫》 社中の方×辰巳和麿
不覚にも休憩に出てしまって見所には入らず、ロビーで聞いていたのですが、相変わらず和麿さんの謡が素晴らしい。

加えて、社中の方の小鼓が抜群に上手い!
見所で拝聴すればよかった。





      

2016年12月3日土曜日

味方團 青嶂会大会

2016年12月3日(土)   9時30分始    セルリアンタワー能楽堂
ロビーのクリスマスツリー
番外仕舞《忠度》   味方團
      《若布刈》 樹下千慧
      《谷行》   河村浩太郎

舞囃子《須磨源氏》《船弁慶》《天鼓バンシキ》《養老 水波ノ伝》
     シテはいずれも社中の方
     天鼓の地謡 林喜右衛門 林宗一郎 味方團 武田祥照
     杉信太郎 後藤嘉津幸 原岡一之 林雄一郎

番外仕舞《隅田川》 味方健
      《東方朔》 林喜右衛門
             林宗一郎

上記以外の出演シテ方
松野浩行 河村和晃 山崎正道 角当直隆 武田祥照
そのほか、能《巻絹・神楽留》、番囃子《邯鄲》、素謡・仕舞・独吟・独調など豪華な会。



先月は体調を崩して、せっかくの能繁期なのに個人的プチ能閑期 (T_T)
まだ恢復しないけれど、短時間だけ行ってきました。
林一門の社中会は番外仕舞が充実していて嬉しい。



番外仕舞《忠度》
味方團さんは仕舞を何度か拝見していますが、能を舞うに際してハンディとなるスラリとした長身体型をどう工夫して持ち味に変えていくのか、ということに非常に興味があります。

忠度と六弥太との合戦シーンには闘うことの虚しさのような憂愁が漂い、六弥太を押さえつけるところや箙から短冊をとって読み上げるところなど、型がとても美しい。

とりわけ静止する型に手足の長さが生かされ、人を惹きつける端麗な造形になっていた。
以前よりも肩の力が抜け、下半身もさらに安定し、より洗練された印象。

この方にしかできない、細身長身を生かした現代的なスタイルと造形美を観た気がした。



 
番外仕舞《和布刈》《谷行》
脇能と切能のそれぞれキレのいいアクロバティックな仕舞。
樹下さんと河村浩太郎さんの舞は2年前の東西合同研究発表会以来、年に何回か拝見しているが、どちらもこれからが楽しみなシテ方さんだ。



舞囃子
社中の皆さんとても御上手で、とくに《養老・水波之伝》を舞われた方が素晴らしかった。

笛の杉信太朗さんがお風邪でも召されたのか苦しそう。
笛方は鼻・喉をやられるとほんとうに大変です。

先月につづいて後藤嘉津幸さんの小鼓が聴けてうれしい。
先日とは違いやはり空気が乾燥しているのか、この日は頻繁に息をハーハー吹きかけて、皮の湿り気を保つよう腐心されていた。

原岡さんの大鼓、けっこう好きなのです。
フォームは忠雄師譲りの、ドライブの効いた見事な打法。
掛け声も、忠雄師の若い頃のCDの掛け声とよく似ている。
広忠さんよりも、忠雄師の芸風を忠実に受け継いでいらっしゃるように思う。


地謡は《天鼓》がとても良く、武田祥照さんが加入されていたけれど、これぞ林一門の謡(片山家ともちょっと違う)と思わせるような地謡(東京の地謡とは、少し違う。とくに山崎正道さんが地謡に加わると、一気に梅若っぽくなって、ああ、違うんだなーと感じる。)



番外仕舞《隅田川》
比較的さらりとした隅田川。
先日の味方健師の《定家》はどんな感じだったのだろう。
《定家》のチラシ、素敵だった。



番外仕舞《東方朔》
喜右衛門師の御壮健な姿を舞台で拝見できただけで来た甲斐があった!

わたしが観能歴二週間くらいの最初期に拝見したのが、林喜右衛門・宗一郎の番外舞囃子《乱・双之舞》で、とても印象に残っている。

そのときは父子それぞれの「間」の取り方や舞のリズム・テンポの違いが際立ち、どちらかといえば、喜右衛門師に目が釘付けだった。

でも、この日は、宗一郎さんの舞姿に目が釘付けに。
もちろん、もともと上手い方だけど、3年のうちに芸にさらに磨きがかかり、冷えた透明感のある品格が備わってきた。
西王母のまろやかさを感じさせつつも、どこか氷のような冷たさがあるのが、この方の魅力だと思う。

宗一郎の会の《井筒》、都合がつかなくて拝見できなかったのがとても残念。
明日(12月4日)には、林定期能で《弱法師》を舞われるという。
好い舞台になるのは間違いないだろう。



このあと、能《巻絹・神楽留》や番囃子《邯鄲》、仕舞、素謡、味方團・慧父子の番外仕舞などがあったのですが、体調がまだ良くないので失礼しました。