2016年12月15日木曜日

狂言鑑賞会~解説・《神鳴》

2016年12月15日(木) 15時~16時30分  武蔵野大学・雪頂講堂
葉の落ちきった冬枯れのキャンパス
解説 三浦裕子

狂言《神鳴》神鳴 山本則孝 藪医者 山本泰太郎
     地謡 山本則俊 山本則重 山本修三郎

狂言《木六駄》太郎冠者 山本東次郎
 主・山本凜太郎 茶屋・山本則重  伯父・山本則俊



今年は2月の「能と土岐善麿《実朝》を観る」から夏の各種公開講座まで、武蔵野大学にはお世話になりました。
楽しい企画が目白押しで、能楽ファンには有り難い。
この日も大変良い舞台で、とくに今の時節にぴったりの名曲《木六駄》を東次郎さんの太郎冠者で拝見できるのは嬉しいかぎり!


解説の三浦先生は桃色のお着物をきれいにお召になっていて、素敵でした。

この狂言鑑賞会は二部制で、わたしが拝見した第二部B公演では、「祝言性」と「歌舞」をテーマに選曲したとのこと。

たしかに、どちらも謡や小舞が盛りだくさんだし、
《神鳴》では、神鳴さまが治療のお礼に旱損も水損もない時代が八白年続くことを約束し、《木六駄》では、太郎冠者が茶屋で雪を眺めながら「雪は豊年の貢物」と言って豊作を予祝します。

一年の終わりだから、めでたさや華やかさを意識して構成されているんですね。



さて、《神鳴》
最初に登場するのは、藪医者役の泰太郎さん。

橋掛りから常座に入ると、脇能のワキの登場のように両袖を広げ、つま先立ちで伸びあがってから沈み込む型をします。
これはよく分からないけれど、都から東下りをする旅の道行きをあらわしているのかな?

名医ひしめく都では仕事がないため都落ちをする藪医者はどことなく尾羽打ち枯らした風情。哀愁が漂います。


藪医者がだだっ広い野原にくると、雲間を踏み外した神鳴が物凄い勢いで落ちてきて、ドシンッと腰を強打し、動けない様子。

藪医者はまず、脈をみて診断しようとするのですが、神鳴は腕ではなく、頭で脈を取ります(頭脈)。
医者が神鳴の頭に手をのせて、患者の首を回しながら脈を取るところが、なんとも気持ちよさそう。


藪医者は「痛風の持病がありますね」との診断結果を下します。
(痛風持ちとは神鳴稼業もラクじゃない……『アナライズ・ミー』という映画を思い出す。)


薬を持ち合わせていない藪医者が鍼治療をしようとするのですが、この鍼が太い!
鍼というよりも工具の錐みたいで、いかにも痛そう。
鍼を打たれた神鳴も手足を上げて身悶えするのですが、鍼を抜いたとたんに、身体がスーッと軽くなった様子。
この、痛みが取れて、身体がラクになったスッキリ感がいつもながらたまりません!
ほんとに気持ちよさそう。
わたしも打ってほしいくらい。

この藪医者さん、鍼治療を専門にしていたら都でも大人気で、行列ができていたのじゃないかと思うんだけど。こんなに名医なのに、なぜ廃業?
商売下手だったのかもしれませんね。

世渡りベタの不器用な人間に、やさしい眼差しを向けるのが狂言の良いところ。
わたしも生きるのが下手な人間なので、狂言のこういうところにじぃーんと来ます。


腰の痛みもスッキリ治って、天上に帰ろうとする神鳴に、「あの、薬礼を……」と呼びとめるタイミングも絶妙でした。

最後は、神鳴がお礼に八百年の天候の安定を約束し、飛び返りつきのキリッとした小舞を舞って、鞨鼓を打ちながら幕入り。



山本東次郎の《木六駄》につづく







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