2017年2月12日日曜日

能と土岐善麿~《鶴》を観る・対談と解説

2017年2月12日(日) 14時~16時40分  武蔵野大学雪頂講堂
進行 岩城賢太郎
講演 土岐善麿の作詞した校歌一覧 丹治麻里子
対談 土岐善麿と新作能

   塩津哲生×リチャード・エマート
解説 金子敬一郎

新作能《鶴》シテ女/鶴の精 佐々木多門
      ツレ都の男 塩津圭介
    藤田貴寛 森澤勇司 原岡一之 林雄一郎

    後見 塩津哲生 友枝真也
    地謡 長島茂 友枝雄人 内田成信 金子敬一郎
       粟谷充雄 大島輝久 佐藤寛泰 佐藤陽



昨年に引き続いて土岐善麿の新作能上演会。
《実朝》を観た時、「次は佐々木多門さんのシテで拝見したいなー」と思っていたら、さっそく願いが叶ってうれしい! 
発表があった時には思わずガッツポーズしたくらい。


土岐善麿関連の講演やお話などがあった後、塩津哲生さんとエマートさんの対談
対談と言うか、エマートさんが聞き手で塩津哲生さんが語り手というインタビュー形式。

新作能《鶴》は土岐善麿作の能のなかでも最も上演回数の多い曲で、哲生師自身も過去15回も(!)舞われたとのこと。

《鶴》が制作されたのは1959年1月で、哲生師が上京して喜多実のもとで御稽古を始めたのも同じ年だったので、制作当初の御様子をリアルタイムで観てこられたそうです。


哲生師のおっしゃる《鶴》の良さとは;
山部赤人の和歌二首だけで成り立っているシンプルな曲で、無駄なものを最初から削ぎ落としているところ。

《鶴》は「能ってこれでいいんだ」と思えるものがある曲。
能が求めるもの、つまり、余計な説明はなく、ただひたすら型を舞うことで、鶴の清々しさや、観る者の心の中にある美しいものを表そうとしているのがこの曲であり、その一途な気持ちがこの曲のなかに込められている。
というような趣旨を述べていらっしゃいました。


「能は(演者が)見せるものではなく、見る側が何かを感じるものなのです」とおっしゃった言葉が大変印象深い。
能にとってとても大切なことですね。

ちなみに、この日のシテの佐々木多門さんは《鶴》を舞うのは二回目だそうです。



金子敬一郎さんの解説
江戸時代には鶴が食べられていた!というショッキングなお話に始まり、新作能《鶴》の丁寧な解説。

この曲は、神亀元年(724年)冬に、聖武天皇が紀伊国に行幸になった折りに、お伴をした山部赤人が帝の命を受けた読んだ以下の二首;

奥つ島荒磯の玉藻潮みちて隠ひなば思ほえむかも

若(和歌)の浦に潮みちくれば潟を無み葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる

をモティーフにして、歌が詠まれた時の模様と歌の情景を再現するかのように創られた曲とのこと。

歌が詠まれた奈良時代には、鶴(たづ)とは、今でいうツルだけでなく、「白くて大きな鳥」全般を指したそうです。

面白かったのは(これはパンフレットもに書かれているのですが)、《鶴》の創作にあたり、土岐善麿は喜多実とともに上野動物園に行ってツルの生態を観察し、園長からも話をうかがうなどして、鶴の飛翔の特徴(サギは立っている位置からすぐ飛び立つが、ツルは翼を広げてしばらく滑走する)を研究したということ。

たしかに、ツルの生態の特徴が型に存分に生かされていると、新作能を拝見して納得。




長くなったので、演能の感想は《鶴》を観るにつづく


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