2017年4月25日火曜日

忙中閑あり、苦中楽あり

       
巷では新・能楽堂がオープンしたようですが、
このところ東京を離れることが多く、なんとなく浦島太郎状態。

先日つかのま家に戻ったので、たまたまその日に開かれていた社中会にうかがいました。

大好きな東中野の能楽堂。
鏡面のように磨き込まれた能舞台の床と、昭和の香りのするノスタルジックな建物。

拝見したのは素謡の途中からと舞囃子二番のみ。
それだけで謡と囃子の響きに癒され、
紅茶に入れた角砂糖のように疲労がスーッと溶けてゆく。

梅若の謡は高音が透き通るように澄んでいて、ことのほか美しい。

この空間、この響きに身をまかせるだけで、
頭のなかは空っぽに、無心になり、
押し寄せるもろもろの感情・事象が消えていく気がした。


すぐにお暇しましたが、幸せなひとときに感謝!


帰宅すると、拙ブログを通じてうれしいニュースを伝えてくださった方がいらっしゃいました。
元伯さんがこれまでとお変わりないご様子で見事復帰されたとのこと!
実際に舞台で拝見したら感無量で泣いてしまいそう。

ご親切にお教えくださった方、ほんとうにありがとうございます!

略儀ながら、心より御礼申し上げます。




2017年4月17日月曜日

《薩摩守・謡入》・《恋重荷》~銕仙会定期公演4月

2017年4月14日(金) 18時~21時15分 宝生能楽堂
片山九郎右衛門の《百万・法楽之舞》後半からのつづき
 
狂言《薩摩守・謡入》シテ船頭 野村萬斎
    アド僧 内藤連 小アド茶屋 深田博治
    後見 野村太一郎

能《恋重荷》シテ山科荘司/亡霊 野村四郎
    ツレ女御 浅見慈一 ワキ臣下 森常好 
    アイ下人 石田幸雄
    寺井久八郎 曾和正博 柿原弘和 三島元太郎
    後見 浅見真州 長山桂三
    地謡 観世銕之丞 清水寛二 柴田稔 小早川修
       馬野正基 谷本健吾 安藤貴康 鵜澤光



狂言《薩摩守・謡入》
薩摩守忠度=タダ乗り(無賃乗車)に掛けるところを、アドがオチを忘れる設定なので、実質上オチなしで終わるから、なんとなく尻切れトンボ。
曲の消化不良は、わたしの理解不足が原因かもしれない。
とはいえ、内藤連さんの成長が著しいのがうれしい。
「謡入」とあるけれど、萬斎さん、謡ってたのだろうか。記憶があいまいです。


さて、能《恋重荷》です。
老女物はいいとして、老人物はなかなか共感しづらいところもあるのですが、
過去に観たなかで印象に残っているのは玄祥師の《恋重荷》。
このときは九郎右衛門さんが女御役で、こんなにきれいな人を見てしまったら、
庭師の老人が恋に落ちるのも無理はないと思ったものでした。
重荷の上に置いていた白菊を女御の前にバンッと投げつける演出も斬新。

それと、テレビで観た片山幽雪さん(当時・九世九郎右衛門)の《恋重荷》
(西本願寺南能舞台で上演)も忘れられない。
前シテの一部しか放送されなかったけれど、女御への怒りというよりは、
老いという人生の不条理に対して苛立っている感じがして感情移入しやすかった。
あのおやじギャグ的な「しめぢが腹立や」で、
老体に閉じ込められた精力みなぎる魂を爆発させ、
乱恋になして思ひ知らせ申さん!」と、捨てゼリフのように言い放ち、
池に潔く身投げするようにタタタターッと橋掛りを走り去るという、
幽雪さんならではの名演だった。


この日の野村四郎さんの《恋重荷》は;

【前場
地謡がとてもいい。
銕之丞さんの曲の解釈と統率力はさすがで、ほかの地謡の方々とともに、
わたしがイメージする銕仙会の地謡をつくりあげていた。

あと、いつも言っているけれど、柿原弘和さんの打音がきれい。

肝心のシテ(山科荘司)の面は、子牛作の阿瘤尉。
装束は、無地熨斗目着流しに茶水衣だったのですが、
この無地熨斗目の裾が膝上までたびたびめくれ上がり、
後見が直しても、すぐにまためくれ上がってしまったのが残念でした。



後場】
山科荘司が庭園で憤死したことを聞いた女御は、臣下の勧めにより庭に出て遺体を拝む。

銘「閨月」の小面をつけた浅見慈一さんの女御役がとても美しく、
「恋よ恋、わが中空になすな恋」の謡も情感豊か。
女御は真実、荘司に諦めさせるつもりで重荷を持たせようとしたのだろう、
と思わせるほど弔いの心がこもっていた。


それなのに、
出目満真作・中悪尉をつけた後シテ(山科荘司の亡霊)は打杖を持って現れ、
女御を無理やり立たせたり座らせたりしたあげく、重荷を持ち上げ、
「さて懲りたまへや、懲りたまへ」と、女御の背中に重荷をのせて責め立てる。

荘司の怨みの表現としては分かりやすいものの、女御が可哀そうに思えてしまう。

鬱積した恨みをぶちまけてからでないと、
終曲部の赦しの場面につながっていかないという解釈だろうか。



最後の「千代の影を守らんや」で、
女御を名残惜しげに見つめながら後ずさりするシテの姿は、
恋や愛憎を超えた慈愛のようなものを感させ、この舞台の白眉だった。





片山九郎右衛門の《百万・法楽之舞》後半~銕仙会定期公演

2017年4月14日(金) 18時~21時15分 宝生能楽堂
銕仙会4月定期公演《百万・法楽之舞》車之段~中之舞からのつづき

能《百万・法楽之舞》シテ 片山九郎右衛門
   子方 谷本康介 ワキ僧 殿田謙吉
   アイ釈迦堂門前ノ者 野村萬斎
   一噌隆之 観世新九郎 亀井広忠 小寺佐七
   後見 山本順之 谷本健吾
   地謡 浅見真州 西村高夫 鵜澤久 阿部信之
      北浪貴裕 長山桂三 青木健一 観世淳夫

狂言《薩摩守・謡入》シテ船頭 野村萬斎
    アド僧 内藤連 小アド茶屋 深田博治
    後見 野村太一郎

能《恋重荷》シテ山科荘司/亡霊 野村四郎
        ツレ女御 浅見慈一 ワキ臣下 森常好 
        アイ下人 石田幸雄
    寺井久八郎 曾和正博 柿原弘和 三島元太郎

        後見 浅見真州 長山桂三
    地謡 観世銕之丞 清水寛二 柴田稔 小早川修
       馬野正基 谷本健吾 安藤貴康 鵜澤光



《百万・法楽之舞》前半からの続きです。

〈舞グセ(二段クセ)〉
中之舞のあとは、小書「法楽之舞」なのでクリは省略され、すぐさまサシへ。
夫との死別を語ったシテは「あはれ儚き契りかな」で、しっとりとシオリ返シ。

これがいかにも抑えに抑えた涙が桜の花びらのようにはらはらと零れ落ちた風情で、袖を濡らす涙の潤いさえも感じさせた。
こんなふうに泣かれたら、思わず駆け寄って、子供を一緒に探してあげたくなる。
こちらを曲の中に引き込み、感情移入を誘うシオリだった。



西大寺の柳の蔭で子供を見失ったシテは、茫然自失の態で南都を出て西へ向かう。
子探しの道行。
母性に突き動かされるように橋掛りへ進み、
「かへり三笠山」で、二の松で振り返り、
「佐保の川をうち渡りて」で枝先を左下から右下へ動かして川を描き、渡河の所作。
「影うつす面影」で、欄干越しに見下ろし、
「浅ましき姿なりけり」で、驚いた態で後ろへ下がってシオル。

かくして京に入り、春の夕霞のたなびく都の景色を描写して華やかに着飾った人々の姿を映し出すことで、シテの心の不安・焦燥感があぶり出され、わが子への渇望が高められてゆく。


細胞に取り込まれたミトコンドリアのように、能に取り入れられた曲舞は、
『申楽談儀』に「次第にて舞そめて、次第にてとむる也」とあるように、
《百万》では、「親子鸚鵡の袖なれや、百万が舞を見給へ」で始まり、
再び同じフレーズで完結する。


〈立廻リ〉
「あら我が子、恋しや」で、シテは感極まったように左袖で面を隠し、
群衆(見所)の中にわが子の姿を求めてさまよい歩く。

わたしの席は、舞を舞うシテの進行方向にあったので
中之舞や舞グセなどではシテがこちらに真っ直ぐ向かってくる形になり、
面の表情がよく見えた。
それまでの舞では、シテはこちらに視点をしっかり定めて舞い進んできた。

それが立廻りになると、
こちらに向かってくる時も焦点の定まらない、心ここにあらずといった表情になり、
わが子以外は何も目に入らないといった雰囲気へと一転する。
曲見の面の筋肉までも、放心したように弛緩して見える。

明らかに、立廻りとほかの舞とでは百万の精神状態が違っていて、
面の表情さえ変えるこの狂乱の表現には、ほんとうに驚いた。

何をどうすれば、こんなふうに表現できるのか分からないけれど、
わが子恋しさのあまり、魂が体から半分抜け出たような様子なのだ。


シテは一の松に至り、
「これほど多き人の中になどやわが子の無きやらん」と見所を見回し、
必死にわが子の姿を求め、「あら我が子恋しや」と、一念を込めた謡い。
そして、舞台へ戻り、常座に下居して「誓に逢はせてたび給へ」と合掌し、
囃子が盛り上がるなか、ひたむきに祈りを捧げる。



〈終曲〉
百万の一途な願いは仏のもとへ届き、母子はめでたく再会する。

「とくにも名乗り給ふならばかやうに恥をばさらさじものを」
烏帽子と長絹を脱ぐ型もあるが、
九郎右衛門さんは装束をつけたまま、桜の枝から扇に持ち替えた。

そして招き扇でわが子を引き寄せ、子方の右肩に優しく手を掛けて座らせ、
自らも正を向いて下居し、母子そろって合掌。

能《百万》の子方は嵯峨大念仏の創始者・円覚上人をモデルにしたとも言われているから、
引きあわせてくださった釈迦如来に感謝の祈りを捧げるこの型には、
いわば能楽版・聖母子像といえるような清らかなぬくもりがある。

きれいな姿勢で手を合わせる子方さんの愛らしさも際立ち、
観ている側もじんわり心が温まるような幸福感に満たされた。


人を幸せにする舞台っていいね。
世阿弥も、そう願ってこの曲をつくった気がした。



狂言《薩摩守・謡入》・能《恋重荷》につづく




2017年4月16日日曜日

銕仙会定期公演4月《百万・法楽之舞》~車之段から中之舞まで

2017年4月14日(金) 18時~21時15分 宝生能楽堂

能《百万・法楽之舞》シテ 片山九郎右衛門
   子方 谷本康介 ワキ僧 殿田謙吉
     アイ釈迦堂門前ノ者 野村萬斎
   一噌隆之 観世新九郎 亀井広忠 小寺佐七
   後見 山本順之 谷本健吾
   地謡 浅見真州 西村高夫 鵜澤久 阿部信之
      北浪貴裕 長山桂三 青木健一 観世淳夫

狂言《薩摩守・謡入》シテ船頭 野村萬斎
       アド僧 内藤連 小アド茶屋 深田博治
    後見 野村太一郎

能《恋重荷》シテ山科荘司/亡霊 野村四郎
        ツレ女御 浅見慈一 ワキ臣下 森常好 
        アイ下人 石田幸雄
    寺井久八郎 曾和正博 柿原弘和 三島元太郎
        後見 浅見真州 長山桂三
    地謡 観世銕之丞 清水寛二 柴田稔 小早川修
       馬野正基 谷本健吾 安藤貴康 鵜澤光



ビッグネーム三人がシテが勤める定期公演。早々に完売したらしい。

九郎右衛門さんの狂女物を拝見するのは初めて。
車之段、笹之段、法楽之舞(中之舞)、舞グセ、立廻リと、
「法楽之舞」の小書によって、芸尽くしの感がいっそう強まる。
九郎右衛門さんは、舞ごとに狂女の異なる心理モードを巧みに演じ分け、
とくに立廻リで見せた、うつつなき狂気の姿は圧巻。
凄い! あんなことができるんだ……と、心底驚嘆した。


〈車之段〉
次第の囃子でワキ僧(薄茶水衣、無地熨斗目、角帽子)が、奈良西大寺で拾った稚児袴姿の子方を連れて、嵯峨清涼寺にたどり着く。
春もたけなわ、大念仏の群衆でにぎわう境内。

僧が面白いものを見せてほしいというので、アイの門前の者(ふくら雀に笹模様の肩衣)が「南無釈迦、南無釈迦、さあみさ」と踊り唱えていると、その声に誘われるようにフラフラフラーッと百万が登場。

シテの姿は、くすんだ薄萌黄の長絹(露も同系色)に、シックで素敵な濃紫の縫箔(鬘帯も同系色)、前折烏帽子。手には白幣をつけた桜枝。
(この桜の枝が、春の物狂にふさわしい華やぎをシテの出立に添えていた。)

面は、甫閑作・曲見。
この面は「ザ・曲見」ともいうべき、頬が窪み、顎がしゃくれた女面で、市井の中年女性をあらわすにはぴったりだったが、シテの淑やかな所作によって、しっとりとした美人に見えた。
美人は顔の造作ではなく、所作や雰囲気によってつくられるのかもしれない。


車之段では太鼓が入り、シテの念仏に地謡も唱和して、
大念仏の浮き立つざわめきを感じさせる。
シテも左袖を右袖にかけ、「重くとも引けや、えいさらえいさと」と車を引くよう群衆を先導。
女曲舞として念仏の音頭取りをする百万の、オモテの顔が描かれる。


〈笹之段〉
笹之段になると太鼓はやみ、百万の内面――ウラの顔――の独白に転回する。

「三界の首枷かや」で、両手を上げて子への思いに囚われた束縛感をあらわし、
見苦しくなりはてたわが身を謡と型で表現して、道化の悲哀をにじませる。


(脇田晴子によると、歩けない乞食が土車に乗り、道行く人に引いてもらって聖地巡礼をすれば、その功徳によって障害が癒され、車を引いた人々も功徳に与ることができると中世では考えられていたらしい。
そうした善行を勧めることが曲舞など芸能者の仕事だったという。
このような習俗は『小栗判官』にも登場する。
《百万》でもこの宗教慣習が踏襲され、百万が自らを卑下してボロボロに乱れた姿として表現するのも、子探しの必死さをアピールするとともに、車に乗った乞食になぞらえて人々に善行を勧めているからだろう。)


〈法楽之舞〉
小書によりイロエが三段の中之舞に変化。

初段オロシで、シテは正先にて下居。
桜の枝を幣のように捧げもち、左右左と大きく打ち振る。

一説では百万は春日大社の巫女だったというが、
このときのシテの枝の振り方がいかにも巫女らしくおごそかに感じられ、
何かとても、崇高な神事に立ち合っているような気分にさせられた。

そして何よりも、
シテが枝を振り終えてから立ち上がるまでの、静謐な間がなんとも美しい。

ほのかに輝く、透明な静寂が見所にひたひたと沁み渡ってゆく。


初めて舞台を拝見した時から感じていたけれど、
九郎右衛門さんの間の取り方は独特で、ほかの能楽師よりもかなり長い。

等伯の松林図にも匹敵するような、豊潤な余白を描くことのできるのが、
九郎右衛門さんであり、それが、わたしがこの方を好きな理由のひとつでもある。



《百万・法楽之舞》舞グセ~立廻リにつづく



2017年4月6日木曜日

トーハク総合文化展で特に気に入ったもの

東京国立博物館の常設展(2017年3月)で特に気に入ったもの。

宇治川先陣図鐔・銘 渡邊勝矩作、江戸期17~18世紀

田原の又太郎忠綱だろうか。
「宇治川の先陣我なりと、名乗りもあへず」

くつばみを揃へ河水に、少しもためらはず……
白波にざっざっと打ち入れて、浮きぬ沈みぬ渡しけり。

刀のツバという、わずか数センチの画面に宇治川合戦の壮大なドラマを描き出す。
馬の足元から白波が立ち、ザッザッと打ち入れる、その音さえ聞こえてくるよう。

全身で手綱を引く武将の勇猛果敢な姿勢。
浮きぬ沈みぬ、馬が足をもがかせて懸命に大河を渡ろうとするその躍動感!

左手には橋姫が祀られている宇治橋も見える。

サムライの美学と卓越した技にあふれた名品。




瓢鯰図鐔・銘 長州萩住 中井善助 友恒作、江戸期17~18世紀

瓢箪でナマズを押さえるという禅の公案を描いた瓢鯰図。
軽やかに宙を舞い飛ぶ千鳥が、
言語や分別にとらわれない自由な境地を暗示しているのだろうか。




【重文】褐釉蟹貼付台付鉢、初代宮川香山、1881年

本物のカニの殻に彩色して貼り付けたような、いかにも香山らしい奇抜な作品。
甲羅の縁のブツブツ感、足や爪の硬いパリパリした質感や斑紋など、
これを土の焼成によって表現するなんて、神業としか思えない。




蝦蟇仙人図、長沢芦雪、紙本墨画、江戸期18世紀


極めつけが、偏愛する芦雪のこの一枚。

後脚が一本しかない三本足の蝦蟇をリュックのように背負った怪異な姿の蝦蟇仙人。

ガマの粘膜質の皮膚にはにじみを効かせたぼかし技法を用い、
仙人の白衣、とくに袖や裾の描線を一気呵成に力強く描くことで、
摩訶不思議な妖術を駆使する蝦蟇仙人の不気味さを表現している。
(足の爪が鋭く伸びているところなども妖怪めいている。)






博物図譜~東京国立博物館

会期:2017年2月21日~4月16日    東京国立博物館本館15室

江戸時代の博物図譜の展示。
稚拙だけど、ユーモラスでカワイイ珍獣・奇獣・妖獣の絵の数々。
江戸時代の人ってほんとうに想像力豊かで、見ているだけでワクワクする。



博物館写生図(琉球狆)、関根雲停、紙本着色、江戸~明治、19世紀




奇獣図譜、紙本着色、江戸、18世紀


↑水木しげるのキャラクターの顔に似た一本足の怪鳥。
ギリシャ神話に登場する半人半鳥のセイレーンの日本版?
(ただし、セイレーンは上半身は美人)




奇獣図譜


↑絵本に出てくる想像上の生き物みたいで可愛い。




博物館図譜・百鳥図・異獣類、博物局編、江戸~明治、19世紀

↑これはなんだろう?
前足が鰭になったネコ科の肉食獣?

解説によると、この博物館図譜には、モモンガ、かわうそ、水牛のほか、
ユニコーンや麒麟などの妖獣も描かれているという。




水虎図、紙本墨書、江戸・天明年間(1781~89年)


↑水虎(河童)の言い伝えや図を集めたもの。
皿を頭に載せ、甲羅を背中につけた河童の姿が定着したのはもっと後の時代だったのですね。





2017年4月5日水曜日

東京国立博物館・金春家伝来の男面

トーハク金春家能面展のつづき

男面はとりわけ充実していて、いつまで見てても見あきない。
いやー、能面って、ほんと、すばらしい!

邯鄲男「天下一是閑」焼印、重文、安土桃山~江戸、16~17世紀

↑いまでも生気が宿り、物凄い気のパワーを感じる。
なによりも、名品ならではの何ともいえない品格がある。
貴人の亡霊にもふさわしい男面。

こういう逸品を見ると、良い舞い手を得たら……と、どうしても考えてしまう。
良い面であればあるほど、舞台の上で観てみたい。
能面も、舞台に出たい!舞いたい!演じたい!と訴えかけている。





中将、重文、江戸期、19世紀

↑安土桃山・江戸初期の盛期ルネサンス的均整から逸脱した能面のマニエリスム。
面打ちにもフォンテーヌブロー派のような人たちが居たんやね。

江戸時代の貴族はこんなふうに頽廃的でなよなよしていた?




大天神、重文、室町期、15世紀


↑これも素晴らしい名品!
髭の毛描き、ハリのある脂ぎった肉付きなど、汗の湿り気や体臭までも感じさせる。
《舎利》などに使われたのだろうか。

木心をこめた材から作り、頭部に走る横線は横木を接いだ跡らしい。
仏像を作るときの技法も使われているのかもしれない。

面打ちの独創性と心意気が伝わってくる。



小天神、重文、江戸期、18世紀


↑額のひび割れが青筋のように見え、怒りの表現に一役買っているのが面白い。






怪士「天下一備後」焼印、重文、江戸期、17~18世紀





十寸髪男、重文、江戸期、18世紀

↑十寸髪(増髪)ではなく十寸髪男(ますかみおとこ)って?と思ったけれど、
解説によると、金春座では「ますかみ」として伝わったが、怪士系・鷹の類面とのこと。

眉根を寄せた表情などは、茗荷悪尉を思わせる。




痩男「児玉近江」焼印、重文、江戸期、17~18世紀


↑能面の中でも、痩男や河津がいちばん怖い。
陰にこもった怨みを形にしたら、こうした能面になるのだろうか。

作曲家にインスピレーションを与えて、面に合う新作能を作らせるほどの、物語性のある表情をしている。




猿飛出、重文、室町~安土桃山、16世紀

↑《鵺》の専用面。
牙があるから「牙飛出?」と思ったら、
解説にも「牙飛出とすべきかもしれない」と書かれていた。




泥小飛出、重文、室町期、15~16世紀

↑《小鍛冶》に使用される敏捷な動きに適した小飛出。
全体的に金泥が塗られているから、
当時はかなり金ピカで、光り輝く霊狐そのものだったのではないかしら。




大飛出、重文、室町期、15~16世紀

↑《嵐山》や《国栖》の蔵王権現の役に用いる。
小飛出よりも目・鼻・口(とくに目)が大きい。



長霊癋見「キヒノケンセイ」陰刻、重文、室町期、15~16世紀


↑やっぱり室町期や安土桃山時代の能面は面白いものが多い。
この面にも、力と気迫がみなぎっている!




長霊癋見「天下一近江」焼印、重文、江戸期、17世紀

↑ものすごい上目遣いで、「ウン!」と息を溜めこんでいる。
熊坂長範のふんばり、大盗賊の意地が見事に表現されている。




小癋見、重文、江戸期、18世紀


↑《野守》《昭君》《松山鏡》の後シテに使われる。
この面は、現在でも街で出会いそうなほど人間臭く、
やけに物分かりのいい長老のような顔立ち。





2017年4月4日火曜日

奈良・金春家の能面~翁など

トーハクの能面・装束展のつづき

延命冠者、重文、南北朝~室町、14~15世紀

↑なんとも素朴な、好いお顔。
延命冠者は現在では《翁》の異式「父尉延命冠者」で千歳の代わりに登場する。

昔も千歳のような役割を担ったのだろうか。
若々しく、朗らかな顔立ちをしている。

目なども左右非対称で、じつに伸びやか。
洗練されていない、プリミティブな魅力が生き生きと息づいている。



狂言面・恵比須、重文、江戸期、18世紀

↑《夷大黒》・《夷毘沙門》に用いられる狂言面。
延命冠者から派生した面と考えられ、延命冠者面によく似ている。




父尉、重文、南北朝~室町期、14~15世紀


↑吊りあがった目が特徴的な父尉。
翁舞の式三番に用いられたのだろうか。
古層の神を彷彿させる造形など、民俗学的にも興味深い。




翁、重文、室町期、15世紀
↑スタンダードな翁。
本来は、ウザギの毛皮を張りつけた眉がついていたが、剥落したという。




三番叟、重文、江戸期、19世紀


↑やはり能面も江戸後期になると極めて様式化されていて、
皺の線も均一で、造形も左右対称。







トーハク金春家の能面~尉面

東京国立博物館・金春家の能面・能装束展のつづき
尉面はどうも苦手な分野で、区別がつきにくいから勉強になりました。
ふむふむ。


阿古父尉、重文、安土桃山~江戸、16~17世紀


↑解説によると、三光尉より品があり、
小尉(小牛尉)に次いで高貴な役(神or老いた貴族)などに用いられるとのこと。

安土桃山~江戸初期の作らしいけれど、かなり様式化されているので、
もっと時代が下るような気がする。



阿古父尉、江戸期、17~18世紀

↑こちらは金春家伝来のものではない阿古父尉。
顎の細長い、繊細で神経質な感じのする尉面。

同じ種類の面でも、時代・流儀・面打によってすいぶん形が違ってくる。



小尉(小牛尉)、重文、江戸期、18~19世紀


↑高砂・弓八幡の前シテなど、品位の最も高い役に使われる小牛尉。

こうやって阿古父尉と並べても、違いがいまひとつ分からない。
頬の瘤が、阿古父尉のほうが隆起している?

並べてみてもよく分からないのだから、舞台で単独で使われた場合、
どう見分ければいいのだろう……?
(たぶん曲で、「本脇能物の前シテ=小牛尉」みたいに考えればいいのかも。)




石王尉、重文、江戸期、18世紀


↑石王尉さんは、特徴的なのでわたしにもわかる!
西行桜や遊行柳の植物の精の老人に使われる尉面ですね。
(石王尉を使うのは、おもに下掛り三流だそうです。)

植物の精というわりには、妙にリアルでなまなましい表情。
とはいえ木質を生かした作りが、顔が樹木からヌーッと浮き出てきたように見える。


解説によると、越後の面打・石王兵衛が創作したと伝えられるため、この名がついたという。




行者(鷲鼻悪尉)、重文、室町期、15~16世紀

↑ド迫力。
いったいどんな演目に使われたのだろう。

この面が初めて舞台に登場したとき、見物はさぞかし驚いたのではないだろうか。




要石悪尉、重文、江戸期、18~19世紀

↑これも極めて斬新!
頬の皺のような突起物が、目に突き刺さってる?

水戸藩藩主・徳川斉昭による新作能《要石》の専用面とも言われている。

能《要石》は半漁文庫に詞章が載っているので、廃曲ではないとは思うのだけど、
めったに上演されない。
たぶん、前シテの建御雷神に使われたのだろうか。
後シテが天女なので、面白そう。
国立主催公演で上演されないかなー。





2017年4月3日月曜日

金春家伝来の能面・能装束~若い女

2017年1月31日~3月26日  東京国立博物館

トーハクの金春家の能面・装束展。
もうかなり前のことだけれど、忘れないうちにアップします。

増女「天下一是閑」焼印、安土桃山~江戸(16~17世紀)

↑今回、いちばんの美人さん。
画像だと実物の美しさの10分の1も伝えきれなくて残念。


増女「天下一是閑」焼印、横から見た図


↑横顔もお美しい!
良い舞い手を得れば、さらにさらに輝きを増して、さぞかしきれいだろうなー。

トーハクと国立能楽堂のコラボ企画で、
この能面を使った公演をやってくれないかしら。
冷たい気品があるから《野宮》あたりを、是非あの方に舞ってほしい!




増女、重文、17~18世紀

↑うえの是閑のものと、ほんの少し、ミリ単位の違いだけれど、
美の深み、能面としての奥行きや神秘性が違ってくる。






小面・重文、18~19世紀



↑上瞼に墨線(アイライン)がなく、肌が黄味がかっていることから、
ツレ面と推測されるとのこと。おおらかで健康的な小面さん。





小面「天下一河内」焼印、17世紀

↑「雪の小面」の写し。
樹種も同じクスノキ材を用い、面裏の様子もそっくり写されているという。
面裏の鼻孔の間に2つの丸ノミ跡は、江戸前期の名工・河内の作である証しとされる。




小面「出目満昆(みつのり)」焼印、17~18世紀

↑「雪の小面」の写しだが、本面よりも、上の河内の写しに近いという。
樹種も「雪の小面」とは違い、ヒノキ材を使用。


小面って、現在の美的感覚からは少し外れているから、
小面を使いこなすのは難しいだろうな。
昔はこれでよかったかもしれないけれど、
洗練された舞の所作やリズムとも合いにくいだろうし。







トーハク金春家伝来の能面・能装束~中年の女

若い女」からのつづき

曲見「天下一是閑」焼印、重文、安土桃山~江戸、16~17世紀


↑大野出目家初代で、秀吉から「天下一」の称号を授かった是閑の焼印がある。
上瞼のくぼみや、ハリを失いつつある頬のライン、やつれた口元など、
天下の名工は、萎れゆく花の諸相を克明にとらえ、
中年期に達した女のさまざまな人生、感情の起伏、生活の匂いまでをも刻んでいる。



曲見、重文、17世紀

↑市井の中年女性という感じがよく出ている。
《藤戸》の前シテなどにいいかもしれない。


曲見、重文、室町時代、15~16世紀


↑室町期のもので、本面として尊重されたという。
(そんなに古そうには見えないけれど、そうなのかな?)
目と目の間が離れているのが特徴的。

金春だから、深井はなく、曲見が多いのでしょうか。




若曲見「平泉寺/財蓮/熊大夫作」陰刻、室町期、15~16世紀

↑今回、展示法として面白かったのがこちら。
目の穴の形がよくわかる。

若曲見「平泉寺/財蓮/熊大夫作」陰刻、裏面

↑若曲見の裏。
中腰になって、能面の内側の世界が覗けるようになっている。

『極上の京都』というTV番組で片山九郎衛門さんがこうおっしゃっていた。

能面、すなわち面(おもて)の裏は、役者そのものなんです。

ウラに潜んでいるものと、オモテに出るものとの間にはギャップがあります。

その二つを同時にお見せすることで、芝居にふくらみをもたせてゆく。
人物に揺れ動きが出てくるようにする。
そういうために今でもこの能面というものを大事に使っております。

しんどいんですよ(苦笑しながら)、やっぱり見えないし、
紐で締めると、しんどくもなりますし。

……けれども、やっぱり、こう、かえがたい仕掛けなんですね。