2017年4月16日日曜日

銕仙会定期公演4月《百万・法楽之舞》~車之段から中之舞まで

2017年4月14日(金) 18時~21時15分 宝生能楽堂

能《百万・法楽之舞》シテ 片山九郎右衛門
   子方 谷本康介 ワキ僧 殿田謙吉
     アイ釈迦堂門前ノ者 野村萬斎
   一噌隆之 観世新九郎 亀井広忠 小寺佐七
   後見 山本順之 谷本健吾
   地謡 浅見真州 西村高夫 鵜澤久 阿部信之
      北浪貴裕 長山桂三 青木健一 観世淳夫

狂言《薩摩守・謡入》シテ船頭 野村萬斎
       アド僧 内藤連 小アド茶屋 深田博治
    後見 野村太一郎

能《恋重荷》シテ山科荘司/亡霊 野村四郎
        ツレ女御 浅見慈一 ワキ臣下 森常好 
        アイ下人 石田幸雄
    寺井久八郎 曾和正博 柿原弘和 三島元太郎
        後見 浅見真州 長山桂三
    地謡 観世銕之丞 清水寛二 柴田稔 小早川修
       馬野正基 谷本健吾 安藤貴康 鵜澤光



ビッグネーム三人がシテが勤める定期公演。早々に完売したらしい。

九郎右衛門さんの狂女物を拝見するのは初めて。
車之段、笹之段、法楽之舞(中之舞)、舞グセ、立廻リと、
「法楽之舞」の小書によって、芸尽くしの感がいっそう強まる。
九郎右衛門さんは、舞ごとに狂女の異なる心理モードを巧みに演じ分け、
とくに立廻リで見せた、うつつなき狂気の姿は圧巻。
凄い! あんなことができるんだ……と、心底驚嘆した。


〈車之段〉
次第の囃子でワキ僧(薄茶水衣、無地熨斗目、角帽子)が、奈良西大寺で拾った稚児袴姿の子方を連れて、嵯峨清涼寺にたどり着く。
春もたけなわ、大念仏の群衆でにぎわう境内。

僧が面白いものを見せてほしいというので、アイの門前の者(ふくら雀に笹模様の肩衣)が「南無釈迦、南無釈迦、さあみさ」と踊り唱えていると、その声に誘われるようにフラフラフラーッと百万が登場。

シテの姿は、くすんだ薄萌黄の長絹(露も同系色)に、シックで素敵な濃紫の縫箔(鬘帯も同系色)、前折烏帽子。手には白幣をつけた桜枝。
(この桜の枝が、春の物狂にふさわしい華やぎをシテの出立に添えていた。)

面は、甫閑作・曲見。
この面は「ザ・曲見」ともいうべき、頬が窪み、顎がしゃくれた女面で、市井の中年女性をあらわすにはぴったりだったが、シテの淑やかな所作によって、しっとりとした美人に見えた。
美人は顔の造作ではなく、所作や雰囲気によってつくられるのかもしれない。


車之段では太鼓が入り、シテの念仏に地謡も唱和して、
大念仏の浮き立つざわめきを感じさせる。
シテも左袖を右袖にかけ、「重くとも引けや、えいさらえいさと」と車を引くよう群衆を先導。
女曲舞として念仏の音頭取りをする百万の、オモテの顔が描かれる。


〈笹之段〉
笹之段になると太鼓はやみ、百万の内面――ウラの顔――の独白に転回する。

「三界の首枷かや」で、両手を上げて子への思いに囚われた束縛感をあらわし、
見苦しくなりはてたわが身を謡と型で表現して、道化の悲哀をにじませる。


(脇田晴子によると、歩けない乞食が土車に乗り、道行く人に引いてもらって聖地巡礼をすれば、その功徳によって障害が癒され、車を引いた人々も功徳に与ることができると中世では考えられていたらしい。
そうした善行を勧めることが曲舞など芸能者の仕事だったという。
このような習俗は『小栗判官』にも登場する。
《百万》でもこの宗教慣習が踏襲され、百万が自らを卑下してボロボロに乱れた姿として表現するのも、子探しの必死さをアピールするとともに、車に乗った乞食になぞらえて人々に善行を勧めているからだろう。)


〈法楽之舞〉
小書によりイロエが三段の中之舞に変化。

初段オロシで、シテは正先にて下居。
桜の枝を幣のように捧げもち、左右左と大きく打ち振る。

一説では百万は春日大社の巫女だったというが、
このときのシテの枝の振り方がいかにも巫女らしくおごそかに感じられ、
何かとても、崇高な神事に立ち合っているような気分にさせられた。

そして何よりも、
シテが枝を振り終えてから立ち上がるまでの、静謐な間がなんとも美しい。

ほのかに輝く、透明な静寂が見所にひたひたと沁み渡ってゆく。


初めて舞台を拝見した時から感じていたけれど、
九郎右衛門さんの間の取り方は独特で、ほかの能楽師よりもかなり長い。

等伯の松林図にも匹敵するような、豊潤な余白を描くことのできるのが、
九郎右衛門さんであり、それが、わたしがこの方を好きな理由のひとつでもある。



《百万・法楽之舞》舞グセ~立廻リにつづく



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