2017年6月29日木曜日

東京青雲会~素謡《東北》能《芦刈》

2017年6月28日(水)  14時~17時35分 宝生能楽堂

素謡《東北》シテ 辰巳大二郎 ワキ 辰巳和麿
    地謡 佐野弘宜 藤井秋雅

舞囃子《邯鄲》田崎甫
    地謡 朝倉大輔 金森良充 金井賢郎 木谷哲也

舞囃子《野守》金野泰大
    地謡 朝倉大輔 金森隆晋 辰巳和麿 上野能寛
    杉信太朗 曽和正博 柿原孝則 金春國直

仕舞《氷室》 武田伊佐
  《鵜之段》関 直美
    地謡 内田朝陽 葛野りさ

仕舞《半蔀クセ》今井基
  《船橋》  木谷哲也
    地謡 金森隆晋 金森良充 朝倉大輔

能《芦刈》シテ 當山淳司 ツレ 川瀬隆士
   ワキ 村瀬提 ワキツレ 村瀬慧 矢野昌平
   アイ 三宅近成
   杉信太朗 曽和正博 柿原孝則
   後見 辰巳大二郎 金野泰大
   地謡 佐野弘宜 内藤飛能 田崎甫 今井基
      金井賢郎 藤井秋雅 木谷哲也 上野能寛



御宗家の嫡男御誕生に沸く宝生能楽堂。
おめでたいムードのなか、ほぼ満席の大盛況でした。


素謡《東北》
いまの宝生流の謡は、ベテランよりも若手のほうが好き。
この配役ならぜったい良いはず!と思っていた素謡《東北》は期待以上でした。

シテの辰巳大二郎さんはいかにも梅の精らしい気品の香気の漂う謡。

そして、ワキの和磨さん。この方は舞も良いけど、謡もいい!
ワキの次第から見所の心をつかみ、舞台をキュッと引き締め、
道行の「山また山の雲を経て、都の空も近づくや」では、上空に浮かぶ雲の流れや景色のうつろいを観客の目に映し出す。

素謡ではシテ・ワキ・地謡の四人が横一列に並んでいるのですが、和磨さんだけ腰の入れ具合が他の人とは違っていて、尾骶骨から背骨、首筋、後頭部にかけて「気」がスーッと通っている。
重心とエネルギーの中心が丹田の奥底にしっかりと置かれ、肩や腕からは余分な力や気負いが抜けている。
そのため謡は、口からではなく、丹田の奥から、もっというと、存在そのものから発せられているように聞こえ、高い集中力で舞台と謡の世界に意識が向けられているのがその顔つきからよくわかる。



舞囃子
《邯鄲は》は初めのほうの拍子を踏むときに足が床にベタっとしがちなところがほんの少し気になったくらいで(舞の後半には潤滑油を注したように足拍子の軽やかさも増していた)、謡もよく、特に夢から覚めるときの劇的効果の表現など見どころの多い舞でした。

《野守》は足拍子がとてもいい。下半身が強く、身体全体が非常に安定していて、鬼神の威厳や大和の大地を思わせる力強さにあふれていた。

舞囃子は二番とも柿原孝則さんの気合が充実していて、清々しい。
この方、ほんとうに能が、囃子が、大鼓がお好きなんだなーと、天職への情熱が伝わってくる。



仕舞
現在の宝生の若手の方々はみな基礎がきっちりしていて、地に足が着いている。
仕舞を舞われた方々からも皆さん基本の確かさがにじみ出ていて、特に印象に残ったのが木谷哲也さんの《船橋》。
動きの流れにメリハリが効いていて、「かっぱと落ちて沈みけり」の飛び安座にも水没感があり、邪淫の悪鬼となった男の妄執、その暗い影に惹き込まれた。




能《芦刈》
若手の会にしては、かなりの大曲。
笠ノ段などの舞事以外にも、零落した名門の男の悲嘆、夫婦愛、羞恥心や自嘲・自虐の念など、こういう感情を織り込むのは非常に難しいと思うのですが、熱演でした。

とくにシテの男舞。
キリリと袖を巻き上げる型は颯爽としていて、そのなかにも、夫婦再会の喜びだけではなく、かすかに鬱屈した男の気持ちがにじんでいて。

面白かったのが間狂言。
難波では「芦(あし)」というのを、伊勢では「浜荻(はまおぎ)」と呼ぶというシテとワキのやり取りに懸けて、「難波の(魚の)アジは、伊勢のハマグリ」というところも、見所では誰も笑わなかったけれど、わたしはひとり心の中で爆笑!


ツレの川瀬隆士さんもしっとりとした妻役できれいでした。
ただ残念なことに、(これは川瀬さんのせいではないのですが)川瀬さんは比較的上背があるので唐織が裄・丈・身幅ともにかなり小さくて、肘や膝を折り曲げたり、下居も常よりも無理な態勢でキープしたりといろいろ工夫をされていたものの、物理的にいかんともしがたいものがあり━━シオルところなども唐織の袖から手首がニューッと出てしまい、風情が半減。
川瀬さん、謡も佇まいもよかったのに、装束のせいで気の毒でした。

宝生流は若手は多いけれど、ほとんどが小柄な方々なので、大きいサイズの唐織の用意があまりないのかも。
辰巳満次郎さんに借りるとかできなかったのかなー。






2017年6月27日火曜日

能の普及


……能は、非常に崖っぷちの芸能であると私はいつも思っておりまして、
滅びるかもしれないというところで、どういうふうに普及していくか。
これは非常に難しいところなんです。

逆に言うと「滅びる覚悟」というものをどっかで据えておかないと、能はできないと思うんです。

生き残るために、自分のやっている本質をゆるめてしまうと、それはもう、生き残ってもクローンであって、何か本物ではなくなるような気がしてまして。
それを、普及といったときに今どういうやり方があるのか……。

結局は、目の前にいる皆様方一人ひとりに何か訴えかけるものを、自分が果たしてできるかということ、そして、そこから先はお客様方が持ち帰られたことというものを、次に伝播していただく[ママ]。

これが普及のいちばんの王道ではないかなと私は思っております。


━━片山九郎右衛門(「琳派が翔ける」パネルディスカッションより)     











2017年6月25日日曜日

高円宮家所蔵 根付コレクション 特別展

会期:2017年5月28日~7月23日   國學院大學博物館

可愛いものや凝ったものから謡曲・童話をモチーフにしたものまで280点を展示。 
高円宮御夫妻がお能を好まれていたからでしょうか、能楽関係の作品も多く、これ↓なども凄かった!

《盧生の夢》景利、紫檀、19世紀、3.2cm

邯鄲の枕に頭をのせ、宿の床で眠る盧生。
手にはもちろん、唐団扇。
右手からは、輿舁を従えた勅使が盧生を迎えにやって来る(芸が細かい!)。
雲の上にそびえるのは、栄華の象徴・宮殿楼閣。

一炊の夢と50年の繁栄をわずか3センチの根付にギュッと凝縮。
現代の作品もおしゃれだけれど、古根付の技と構成力には驚かされる。





《白蔵主》周山、木刻彩色、19世紀、5.4センチ



《草薙の剣》高木吉峰、檜、2000年

観世能楽堂開場記念公演で仕舞《草薙》を舞った宝生和英さんを思い出します。



《熊野》岸一舟、象牙、1991年

観世淳夫さんの唐織姿に似てるような。



《西王母》景利、鉄刀木、19世紀、3.2㎝
《盧生の夢》と同じ作者。
こちらも気が遠くなるほど緻密。
謡曲に取材した作品が多いから、パトロンが能マニアだったのかも!?






《すずくり》高木喜峰、銅の錫メッキ、象牙、1995年、4cm

母鳥の表情が優しくて、錫メッキの小箱のなかに愛情が詰まっています。




《楽園》、舟元一、黄楊、アクリル、2001年、5cm
涼しくて気持ちよさそう。まさに楽園。





(根付)北風と太陽 (緒締)旅人、スーザン・レイト、琥珀・貝・黄楊、1999年

海外作家の作品も。
琥珀でつくった太陽が燦々と輝いてます。
北風に吹かれた旅人が髪をなびかせ、襟を立てたコートを胸元でキュッと掻き合わせるしぐさなど、いかにも寒そう!




《ふしぎの国》福山恒山、ブライアー、1993年
不思議の国のアリスのドードー鳥。
トーハクの展示でチェシャ猫(高木喜峰作)もあったから、帽子屋とか時計ウサギとか、アリスキャラの根付もいろいろあるのかしら。




《古竹》桑原仁、象牙、2001年

現代作家さんの根付ですが驚くほど写実的。
乾いてひび割れた枯れゆく竹と、蠢き生動するトカゲを一塊の象牙からつくりあげた神業。
こういう作家さんが21世紀にもいたのですね。







2017年6月21日水曜日

粟嶋神社~少彦名命の聖地


中海に浮かぶ小島・神明山全体が聖域

義母の入院にともない、4月下旬から東京と出雲地方を行ったり来たり。
ここは、古代神話が色濃く残る場所。
近くには夜見(黄泉)という名の町があったり、黄泉平良坂でイザナギがイザナミの追跡を防いだ大岩があったりと、異界が身近に存在します。
粟嶋神社もそのひとつ。


神社裏手、山麓の洞窟にある「八百姫宮」
神社裏手の洞窟は、その昔、18歳の娘が人魚の肉を食べて不老不死となり、若い姿のまま800歳まで生きたとされる八百比丘尼が籠った霊地。





八百比丘尼が籠った洞窟「静の岩屋」

まわりの人々が次々と老いて死んでいくなかで、自分だけが若いまま生き続けたため、娘は世をはかなんで尼となり、洞窟に籠って800歳まで生きたという。

洞窟はあの世とこの世の境界。
何百年ものあいだ、この世でも冥界でもない狭間に嵌まり込んでいたのでしょうか。
(謡曲の《菊慈童》を思わせます。)

生老病死は辛いことではあるけれど、ふつうに老いて死んでいくって、ほんとうは幸せなことなのかもしれません……。



原始林が生い茂る187段の階段

原始林が鬱蒼と生い茂る境内は「神が宿る森」。
みずみずしい緑の香りがたちこめ、木陰を吹き抜ける風が気持ちいい。





社殿はこんな感じ
三輪山と同様、山(島)自体が神山なので、社殿はもとは山麓にあったという。





御岩宮祠「お岩さん」

通称「お岩さん」と呼ばれる御岩宮祠。
神の依り代として古代から崇拝されてきた磐座信仰の名残り。

祭神の少彦名命が粟嶋に最初に到着した聖地とされています。


大国主(大己貴・大物主)命の片腕となって国造りを行った少彦名命は、農耕・医術・呪術・酒造を広めた神であり、また常世の神でもありました。

少彦名命は大国主(大物主)の分身とされたり、葛城の事代主や一言主と同一視されたりと、謎の多い神様です。





2017年6月16日金曜日

大江宏と国立能楽堂 ~インターナショナル・スタイルから和風モダンへ

2017年6月9日  国立能楽堂公開講座

大江宏は、国立能楽堂(1983年)を設計した日本屈指の建築家。
その大江に師事し、横浜能楽堂の復元にも携わった奥冨利幸先生のお話は大変興味深く、建築好きのわたしにはたまらない内容でした。

中庭の緑が迎えてくれるエントランス
木の柱梁をむき出しにした開放的な和風モダンのデザイン

講座の後半では、大講義室から能舞台・見所→ロビー→エントランスへ移動。
現地で実際に解説していただけたのが今回の大きな収穫だった。
(以下は私見と感想を挿んだ講義メモ)。


大江宏の父・大江新太郎は、明治神宮の造営や宝生会能楽堂(1928年竣工:現在の宝生能楽堂と同じ場所にあった別の建物)の設計を手掛けており、大江宏の作品にも父親の影響が見てとれる。

宝生会能楽堂は、現在の能楽堂では定番となっている入れ子式空間構成(能舞台を能楽堂本体が包含する構造)を初めて取り入れた能楽堂であり、国立能楽堂にもこの構成が採用されている。



国立能楽堂1階平面図
大江は、笛柱→正中→目付柱→広間→玄関広間を対角線上に配した
これは方形の屋根を対角線上に配置した外観デザインにつながっている

大江宏は、観客が玄関広間に入ってくる時点から舞台空間へ進む過程における空間秩序を重視した。

そこで、江戸初期の棟梁・平内政信が残した木割伝書『匠明』の「屋敷図」を参考に、日本の伝統建築の空間構成を採用し、能楽堂に凛とした品格を与え、「気配」を醸し出す空間をつくりあげた。




人が集まる場所は天井を高く、その先の通路は天井を低くして
観客を奥へと導く

具体的には「屋敷図」の御成門→車寄→中門→広縁→舞台正面に至る曲折した導入経路をベースにして、国立能楽堂におけるエントランス→歩廊→中央ロビー→歩廊→見所という曲折した導入経路を雁行配置。

さらに、空間の明るさを徐々に暗くすることで、観客が外部空間の喧騒から逃れ、心を落ち着かせて見所に入り、舞台に集中できるよう工夫を凝らした。




再び天井の高い中央ロビー
ここにもさまざまな工夫が
エントランスから天井の低い歩廊を通って、天井の高い中央ロビーへ。

人が移動する空間は天井を低く、人が集まる空間は天井を高くすることで、観客を能楽堂の奥へとさりげなく誘導。




障子越しに自然光を採り込んだような、ぬくもりのある灯り

大江宏には、明治神宮の造営に携わった父の影響と、自らも伊勢神宮内宮神楽殿(1978年)や乃木神社(1962年)を手掛けた経験があり、この能楽堂にも神社建築の影響が見てとれると指摘する専門家もいる。

能楽堂の随所にみられる丸柱なども神社の円柱、あるいは平安時代の寝殿造の柱を思わせ、大江が幼少期から身に着けた日本建築のプロポーションが息づいている。




武蔵野をイメージしてつくられた中庭
壁面は土壁のような質感だが、じつはコンクリート


コンクリート壁のクローズアップ
現場打ちコンクリート壁の表面に金剛砂を吹き付けて、骨材の砂利が見えるように仕上げた。ここにも、大江のディテールへのこだわりを見ることができる。




江戸時代の能舞台の規格に沿った、長くて角度の深い橋掛り

国立能楽堂の橋掛かりは長さ13.5メートル、斜角約26度。

他の能楽堂よりも長くて角度が深いことで有名だが、これは大江が「屋敷図」で定められた江戸期の能舞台の規格にもとづいたものだという。

演者泣かせの長い橋掛りではあるが(わたしの好きな某師が嘆いていた)、《三輪》や《融》の小書など、橋掛かりを使った演出が最高に盛り上がる設計でもある。





壁と天井の間をつなぐ連続木板の隙間には吸音材が埋め込まれている

肉声が最後列に伝わるのも大切だが、能楽堂は音響が良すぎてもいけない。
建設当時、囃子方にテスト演奏してもらったところ、「響きが良すぎる!」とダメ出しがあった(音響が良すぎると、まるで自分がうまくなったように囃子方が錯覚してしまうからだという)。

そこで、見所壁面上部の庇の上の板の隙間に吸音材を入れ、通常のコンサートホールでは残響時間3秒なのに対し、国立能楽堂では残響時間が1秒になるよう設計したそうだ。





シンプルな切妻屋根(およそ20トン!)の能舞台
屋根は、竹釘で留められた檜皮葺

他の多くの能楽堂の屋根が入母屋造なのに対し、国立能楽堂はシンプルな切妻。
舞台天井中央にはエアコンの通気口を設置。

舞台床には吉野檜(当時の金額で一枚500万円)が使われ、突き付け継ぎで、紙一枚の隙間を開けて張られている。


大江宏が手掛けたもう一つの能楽堂、梅若能楽学院会館(1961年)は、大江がモダニズム様式から脱却して、和風モダンへ移行する過渡期的作品とされる。

   * * * * *

国立能楽堂も、梅若能楽学院会館も、大江宏がつくった能楽堂は、どこか神事的、宗教的な香りがする。

能楽堂に大切な要素は、その場にいる者が本能的に感じる、侵しがたい神聖性、聖域性ではないだろうか。

それは、今となっては失われつつある能楽堂の姿なのかもしれない。




2017年6月14日水曜日

第13回青翔会・《鐘の音》能《杜若》ほか

2017年6月13日(火) 13時~16時10分 国立能楽堂

季節は杜若から紫陽花の時期へーー6月の国立能楽堂の植え込み

 舞囃子《清経》シテ 佐藤寛泰
   熊本俊太郎 清水和音 亀井洋佑
   地謡 佐々木多門 塩津啓介 佐藤陽 谷友矩

舞囃子《野守》シテ 武田伊佐
   小野寺竜一 大村華由 大倉慶乃助 澤田晃良
   地謡 今井康行 辰巳満次郎 高橋亘
      佐野玄宜 金森良充

舞囃子《鵜飼》シテ 政木哲司
   高村裕 曽和伊喜夫 柿原孝則 金春國直
   地謡 深津洋子 柏崎真由子 岩松由美
      林美佐 中野由佳子

狂言《鐘の音》シテ 上杉啓太
    主 能村晶人 後見 野村万蔵

能《杜若》シテ 角幸二郎
    ワキ 矢野昌平
    栗林祐輔 岡本はる奈 柿原孝則 姥浦理紗
    後見 観世清和 山階彌右衛門
    地謡 観世芳伸 井上裕久 浅見重好 清水義也
       坂口貴信 木月宣行 木月章行 井上裕之真



青翔会を観ると、能楽界の現状についていろいろ考えさせられます。

公演数の増加にともない、働き盛りの三役が次々と倒れていくなか、囃子方・ワキ方の養成は切実な問題。
養成所も「ロボットやAIに絶対に取って代わられることのない職業!」として学生さんたちにもっとプロモートすればいいのにとか、シテ方からの転向が認められてもいいのではないかとか、部外者だから勝手なことを思ったりもするのですが、実際には難しい……。

そんななか若手の方々の爽やかな奮闘ぶり、成長ぶりが目を引く良い公演でした。


舞囃子《清経》
佐藤寛泰さんは初めて拝見する。
「足弱車のすごすごと」で立ち上がり、大小前でビシッと静止する不動の姿勢は、基礎を徹底的に叩き込まれ、鍛え上げられた強靭な腰のたまもの。

喜多流らしい骨格のたしかな舞のなかにも、
たとえば「腰より横笛抜き出し」で扇を笛に見立てて吹く型は、指の重ね方・折り曲げ方が繊細で、貴公子の風情を漂わせる。

佐々木多門さん率いる地謡も少人数ながら聞かせどころを心得た謡。
清経の入水の場面は嫋々とした儚さを、「さて修羅道におちこちの」からは凄惨な修羅道の世界を臨場感豊かに謡いあげ、全体として芯のしっかりした舞台だった。



舞囃子《野守》
全身全霊で舞った武田伊佐さんの野守。
あの華奢な身体のどこから出るのかと思うほど、地響きがするようなドスのきいた野太い声。
足拍子でも鬼神の重みをあらわし、扇を野守の鏡に見立てて扱う型も見事。

この舞囃子でもうひとつ心に残ったのが、澤田さんの太鼓の粒。
以前からよかったけれど、さらに響きの良い粒になっていて、打音の美しさは師匠の芸をしっかり受け継いでいらっしゃっる。
ちょっとホロリとなった。




狂言《鐘の音》
水車に朝顔を描いた肩衣が清々しく、愛らしい。

最初は鐘が鳴りそうもない撞き方が気になり、《鐘の音》の難しさを実感したけれど、建長寺の鐘の音の、モンモン~という冴えた響きの表現が最後の小舞とともにとてもよかった!




能《杜若》
青翔会としては去年の《東北》(シテ坂口貴信)ぶりにレベルの高い舞台。
角幸二郎さんのシテは荒磯能の《安達原》で拝見して以来なので久しぶり。

お囃子も素晴らしく(栗林さんはもう別格)、
とくに物着のアシライでの柿原孝則さんの大鼓が冴えていて、打音とともに掛け声も味わい深い。ぜったい、良い大鼓方さんになりはると思う!

岡本はる奈さんも、打音は申し分なくきれい。チやタ音も心地よく響き、掛け声にも磨きがかかっていた。
ここ数年の成長ぶりは目を見張る。

そして研修生の姥浦さんも粒のひとつひとつを丁寧に、心を込めて打っているのが伝わってきて、太鼓方にはこの姿勢こそ大事だと気づかされる。
(終演後、観客の方々が「太鼓の姥浦さんうまくなってたねー」と口々におっしゃっていて、皆さん、陰ながら応援してはるんですね。)

(観世清和さんが主後見だったけれども、物着の着付けはさすがに家元ではなく、直前に家元と入れ替わった関根祥丸さんがサブで着付けをされていた。)


シテの角幸二郎さんは謡がとりわけ良く、一言一句が明瞭で聞き取りやすい。
ワキとの掛け合いでは美声同士のやり取りが耳に快感。
オペラっぽい気もするけれど、これが現代的な能なのかもしれない。

序の舞は、杜若から妖精が抜け出たような透明感のある軽やかさ。
フワリと空気をはらんで巻き上げられる袖が、歌舞の菩薩とも人間とも花の精とつかない、両性具有的なとらえどころのなさを表している。

二段オロシで優美に袖を被くその姿態が、杜若の花弁そのものの形となって観る者に強く印象づけ、正統派の若女の面がシテの芸風とよく合っていた。





2017年6月12日月曜日

オルガン・メディテーション

2017年6月    カトリック東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂

折り鶴を思わせる聖マリア大聖堂、丹下健三設計、1964年
【前奏】
トマゾ・アルビノーニ  : オルガンのためのアダージョ

【後奏】
フェリックス・メンデルスゾーン :  ソナタ第6番 op.65,6 
  コラール 「天におられる私たちの父よ(主の祈り)」 と 変奏
  フーガ   
  終楽章 アンダンテ

 ジャン・ラングレー : グレゴリオ聖歌による3つのパラフレーズ より
  神への感謝の賛歌 「 テ デウム 」



ホテル椿山荘の向かいにある東京カテドラル関口教会。
月に一度催されるオルガン・メディテーションに初めて参加した。


バスから降りると、翼を広げた水鳥のような優美なフォルムとメタリックな質感が印象的な「ザ・タンゲ」的巨大建造物が目の前に出現する。
夕陽を浴びたステンレススチールが茜色に染まりながら天空の移ろいを映してゆく。


教会内部はコンクリート打ちっぱなしの内省的で簡素な空間だ。
最奥部には祭壇と高さ16メートルの十字架が安置され、背後に縦長に埋め込まれた薄い大理石が天然のステンドグラスとなって、繊細な光をほのかに透過している。


トップライトが十字架形に配された天井の高さはおよそ40メートル。建物全体に上昇感が満ちている。
全体としては、ロマネスク修道院のようなストイックな雰囲気とゴシック的荘重さが共存し、祭壇前に飾られた花束の白ゆり(聖母マリアの純潔の象徴)からはかぐわしい香りが漂う。


会衆席が埋め尽くされた頃、白いシルクの祭服に身を包んだ若い神父さんが現れ、オルガン・メディテーションが始まった。

祭壇の向かいの階上にある巨大なパイプオルガン(教会用オルガンとしては日本最大)から重厚的な音色が響き、脳のコリがほぐれていく。


オルガンの前奏と後奏のあいだに、神父さん主導で祈りや唱和、聖書朗読がある。
その舞台俳優のような発声と優しい語り口が耳に心地よく、とーっても癒される!

「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい、休ませてあげよう」と、神父さんの柔和な声を聞くと、ほんとうに救われる気がしてくる。

(わたしはとくに何かの宗教に属しているわけではないのですが、宗教空間に身を置くのが子供の頃から好きなのです。)


メンデルスゾーンのソナタ第6番までの夢見心地から一転、最後の神への感謝の賛歌「テ デウム」は眠りからの覚醒を促すような崇高な響きとなり、星々が軌道をめぐるなかで身体が遊泳しているような宇宙的な感覚に襲われる……。



終了後、外に出た。
空には朧月がぼんやり浮かび、心もふんわり軽い。


オルガン・メディテーション、またぜひ訪れてみたい。


フランスのルルドの洞窟を再現した祈りの場。
1911年にドマンジェル神父が建てたという。




2017年6月5日月曜日

東京青嶂会

2017年6月3日(土)   国立能楽堂

能《吉野天人》ワキ宝生欣也 ワキツレ大日方寛 野口能弘
  アイ 山本泰太郎
  松田弘之 吉阪一郎 亀井広忠 観世元伯→林雄一郎
  後見 味方玄 味方團
  地頭 観世喜正

能《清経・替之型》ツレ鵜沢光 ワキ宝生欣也
  一噌隆之 大倉源次郎 亀井広忠 
  地頭 片山九郎右衛門

番外仕舞《歌占・キリ》 観世喜正
    《班女・舞アト》観世銕之丞
    《善知鳥》   片山九郎右衛門

能《羽衣・和合之舞》ワキ宝生欣也 ワキツレ大日方寛 梅村昌功
  杉信太朗 観世新九郎 柿原弘和 梶谷英樹
  地頭 観世銕之丞

素謡《弱法師》 ワキ 味方健

能《船弁慶》子方 谷本悠太朗 アイ 山本凛太郎
  ワキ副王和幸 ワキツレ村瀬提 矢野昌平
  杉信太朗 観世新九郎 柿原弘和 梶谷英樹
  地頭 片山九郎右衛門

番外仕舞《松虫キリ》 味方玄

その他、舞囃子《養老・水波之伝》《杜若》《高砂・八段之舞》《龍田》《草子洗小町》《葛城・大和舞》《須磨源氏》、仕舞など。
(番外仕舞以外のシテはすべて社中の方)


****
めちゃくちゃ豪華な社中会。
舞台上は、花のある役者さんばかりでとても華やかだし、
社中の方々も味方玄さんがご指導されているだけあって途方もなくハイレベル!
凄かったです。


番外仕舞
充実の番外仕舞は物狂・執心物四番という面白い取り合わせ。

観世喜正さんの《歌占・キリ》は、いつもながらの抜群の身体能力。

《班女・舞アト》は銕之丞さん独特の花子。
「かたみの扇よりなお裏表あるものは人心なりけるぞや」の扇を裏・表と返す型では焔のような女の情念が立ちのぼり、ドスの効いた怨みを感じさせた。
銕之丞さんは人間的に厚味のある方だと思う。
(この方の語り口とか、お話がとても好き。)
それが舞にもあらわれている。



そして、九郎右衛門さんの《善知鳥》
「娑婆にては善知鳥やすかたと見えしも」で立ち上がった瞬間から空気が一変。
毎回感じることだけれど、九郎右衛門さんの仕舞は「なんて、きれいなんだろう!」という感嘆から始まる。
どんな賤しい役でもひたすら美しく、内側から発光しているような輝きがある。

余計なものをすべて削ぎ落した仕舞だからこそ、素材そのもの、舞そのものが堪能できる。
九郎右衛門さんなら仕舞だけの会があってもいい(あってほしい!)。

「銅の詰めを研ぎたてては眼を掴んで」で爪を立てて眼球を抉り出す型など、地獄の責め苦をリアルに残酷に描く場合が多いなか、九郎右衛門さんは写実的な型に抑制を利かせ、果てしない苦悩・苦痛を、内に、内に沈め、深めてゆく。

「羽抜け鳥の報いか」で、安座して静止。
このぐっと奥深く沈殿するようなタメの時間。
そこから立ち現れるのは、逃げ場のない閉塞感、人間であることのやるせなさ・愚かさ・哀れさ、そして底なしの絶望。

人間の普遍的な業から逃れられず、その中でもがき喘いでいるのは、善知鳥の猟師だけでなく、それを観ている自分も同じ。
写実性を排した舞のなかでシテと今の自分が同化し、無力のままのたうち回る自分の姿をシテが象徴的に表現してくれているような不思議な錯覚に陥った。



後方隅っこの席しか取れなかったけど、7月観世会の《龍田・移神楽》がとても楽しみ。


ラストは主催者・味方玄さんの仕舞
高い技術力が冴える無機質な《松虫・キリ》だった。
こちらも来月のテアトル・ノウが待ち遠しい。
この日は味方健さんが休演でしたが、《三笑》では拝見できますように。

(それと、味方玄さんは後見の時の装束を直すしぐさがとてもきれい。ひとつの舞を観せているように手つきが優雅で、シテと装束を大切に大切に扱っているのがよくわかる。)



能《船弁慶》
前述のようにレベルの高い社中会で、皆さん魅力的な舞を披露されていた。
とりわけ最後の《船弁慶》を舞った方は前シテでは下居の美しさと面遣いの巧みさが際立ち、後シテでは舞台と橋掛かりを縦横無尽に立ち回っての長刀さばきが鮮やかでした。

この舞台では、ほんまもんの若い能楽師さんたちの活躍も見どころ。
地謡に観世淳夫さん、大鼓後見に柿原孝則さん、大役アイには山本凛太郎さん。
皆さん、次世代を担う方々。

そしてキラリと光る活躍を見せたのが、子方の谷本悠太朗さん。
大海原の彼方にあやかし(知盛の霊)を待ち受けるときには気迫みなぎるキリリとした表情で、ワキの福王さんとともに、ただならぬ気配を感じさせる緊迫感を演出。
襲いかかる知盛をキッと睨み返すその姿からは威厳と品格が漂い、太刀を振り上げた構えも決まって、義経役にピッタリでした。




追記
一時復活→休演療養中の元伯さんのことがやっぱり気がかり。
NHKで放送された銀座観世開場記念公演の映像を見ると胸が締めつけられる。
ひとつひとつの舞台がほんとうに尊いものだと今更ながら思う。