2017年7月23日日曜日

第34回テアトル・ノウ《巴・替装束》~東京公演

2017年7月22日(土)14時~17時40分 32℃ 宝生能楽堂
《三笑》《舟渡聟》からのつづき
能《巴・替装束》里の女/巴御前の霊 味方玄
  旅僧 宝生欣哉 従僧 則久英志 梅村昌功
  アイ粟津ノ里人 高野和憲
  一噌隆之 大倉源次郎 亀井忠雄
  後見 清水寛二 味方團
  地謡 片山九郎右衛門 河村晴道 分林道治 谷本健吾
     川口晃平 鵜沢光 観世淳夫 武田崇史


二年前の九郎右衛門さんによる《巴・替装束》は、巴のしっとりした女らしさ・健気さ、ひとり落ちのびてゆく際の去りがたさが印象深く、最後に橋掛りを去ってゆくシテの後ろ姿には、愛する人を失った後にその志を継いで生きてゆくことの重みが感じられ、忘れがたい舞台だった。

あのときは味方玄さんが主後見を勤められ、上演前には長刀扱いのデモンストレーションをされたのだった。
(本公演のプレビューのようなものだったのかも?)

今回のテアトル・ノウ《巴・替装束》は、シテの緻密な芸もさることながら、地謡・囃子の表現力も素晴らしく、三者の凄まじいほどの気の圧力が舞台に充満した三つ巴の《巴》でした。



前場】
前日に人間国宝認定が発表された大倉源次郎さんと亀井忠雄師のスーパーコンビによる次第の囃子。
拙ブログに何度も書いているけれど、源次郎師のチ・タ音はじつに繊細で美しく、魂の奥底に深く響いてくる。 
こういう絶頂期にいる方が人間国宝になるのは、能の普及にとっても意義のあることだと思う。

木曽から来た旅僧一行が粟津の原に到着。
この日はワキツレ則久さんの謡が冴えていた。

そこへ、前シテの里女がアシライで登場。
(幕が上がったような感じはなく、気がついたら三の松あたりに出現していた。)

前シテは首から木綿襷を掛け、白練壺折にグレーの縫箔腰巻という出立。
手には白い数珠。
巫女的というより、ほとんど巫女そのもの。
粟津ケ原の神・義仲を祭祀する巫女のイメージなんですね。

面は前・後シテともにあでやかさ、妖艶さが際立つ女面。
とくに後シテでは男装の麗人としての側面が強調されていた。


「さるほどに暮れてゆく日も山の端に入相の鐘の音の」で、シテは脇正を向き、懐かしくも悲しい記憶をたどるように、西の空を見上げて、鐘の音を聞く。
面の表情も過去を愛おしむような寂寥感をにじませる。

夕暮れとともに、送り笛が流れるなか、シテは中入。

 
【後場】
一声の囃子で勇ましく現れた巴御前の霊。
後シテは、紅入唐織壺入、クリーム色の紋大口に白鉢巻、梨打烏帽子というスタンダードな出立。

床几にかかって仕方話をする型どころでは、「薄氷の深田に駆け込み」で左右強く足拍子、「手綱にすがって」で両手ですがりつき、「鞭を打てども」で、右手扇で馬の尻を打ち、「前後を忘じて控へ給へり」で腰を大きく浮かせ、「こはいかに浅ましや」でシオルという、味方玄さんらしいキレのある迫真の描写力。


これに、九郎右衛門さん率いる地謡とスーパー大小鼓コンビの囃子が絶妙に絡んで、非常にドラマティックな場面が展開し、観客を強く惹きつけた。


実際にこの日の地謡は秀逸で、正中で無言で端座するシテ巴御前の気持ちを、心の襞まで丁寧に余すことなく表現するように節の緩急・高・低音を自在に駆使し、一句一句に「気」と「心」と「情熱」が籠っていて、地謡の醍醐味を再認識させられた。


巴が敵の軍勢と一戦を交える場面でも、巴が敵をなぎ倒していくときは大波が押し寄せるような大迫力の地謡、巴が敵を追い払い「みな一方に斬りたてられて跡もはるかに見え座ざりけり……」では、敵方が退却して誰もいなくなる様子を、波がサーッと引くようなデクレッシェンドの謡で表現。
地謡の鮮やかさと、橋掛りで敵を見送るシテの動きとがマッチして見事だった。


クライマックスの「替装束」の場面。
ここも、二年前の九郎右衛門さんの「替装束」の手順とほぼ同じで、脇正で下居して扇を置き、太刀を置き、梨打烏帽子をとり、唐織を脱いで白装束となり、太刀を取って抱きしめ、立ち上がり、橋掛りへ向かう途中、後見に太刀を渡して、代わりに笠を受け取り、橋掛りを落ちのびてゆく。
ここから少し違っていて(巴の性格描写の違いがあらわれていて興味深かった)、
九郎右衛門さんの時は、「巴はただひとり落ちゆき」で(正先にある義仲の亡骸のほうを)振り返って少し戻り、「うしろめたさの執心を弔ひてたび給へ」でもう一度振り返った。
(記憶違いでなければ)味方玄さんが振り返ったのはただ一度。
彼女は歩き巫女となって、義仲の物語を語り継いでゆくのだろうか。
そんな、巴御前のその後を予感させる終幕だった。









2017年7月22日土曜日

テアトル・ノウ東京公演《三笑》《舟渡聟》仕舞三番

2017年7月22日(土)14時~17時40分 32℃ 宝生能楽堂

能《三笑》慧遠禅師 味方健→味方玄 
   陶淵明 味方玄→河村晴道 陸修静 味方團 
   唐子 谷本悠太朗 白蓮社門前の者 野村太一郎
   杉信太朗 成田達志 亀井広忠 観世元伯→小寺真佐人
   後見 片山九郎右衛門 河村晴道→ツレ 谷本健吾
   地謡 観世喜正 山崎正道 浅見慈一 角当直隆
      梅田嘉宏 安藤貴康 武田祥照 武田崇史

狂言《舟渡聟》船頭・舅 野村万作 聟 中村修一
     姑 高野和憲 後見 野村太一郎

仕舞《屋島》   観世淳夫
  《花筐・狂》 片山九郎右衛門
  《天鼓》   観世喜正
  地謡 山崎正道 分林道治 川口晃平 武田祥照

能《巴・替装束》里の女/巴御前の霊 味方玄
  ワキ 宝生欣哉 アイ 高野和憲
  一噌隆之 大倉源次郎 亀井忠雄
  後見 清水寛二 味方團
  地謡 片山九郎右衛門 河村晴道 分林道治 谷本健吾
     川口晃平 鵜沢光 観世淳夫 武田崇史


《三笑》といえば、三年前のテアトル・ノウで、幽雪&九郎右衛門&淳夫の祖父・叔父・孫三代が舞った舞囃子《三笑》を思い出す。
これについては幽雪さんが、亡くなる数か月前にご出演されたラジオ番組で、孫との共演についてとても嬉しそうに語っていらっしゃった。
味方玄さんによる師匠孝行の企画だったと今にして思う。

そして、今回は父兄弟による親孝行の演能企画━━。
と、思いきや、味方健師はやはり休演で、上記のような配役に。
河村晴道さんは好きなシテ方さんなのでこれはこれで嬉しいけれど、味方ファミリーの思い出づくりに立ちあえなかったのは残念。

時間があまりないので、印象に残ったことだけササッと記述します。


能《三笑》
まずは、野村太一郎さんの狂言口開。
この方は数か月単位で顔がどんどん変わってくる。
大人の男のいい顔つきになっていく。
1年前はハムレットか、平泉に身を寄せた義経のような迷える青年のイメージだったけど、いまはみずから道を切り拓く一人の強い男になりつつある。
この口開も曲の冒頭にふさわしい存在感があり、発声も見事だった。
茨の道だけれど、花も才能もある方なので邁進してほしいな。


それから、小寺真佐人さんの太鼓がかなりよかった。
とくに「楽」の高音の掛け声。
もともと巧い方だったけれど、(とくに大曲の)舞台回数が増えたこともあり、この半年でグンと、さらに進化されたのではないだろうか。


三人の相舞は、唐団扇を逆手に持った時のカマエひとつをとっても、やはり味方玄さんが抜きんでていて、気の緩みや隙がまったくない。
かといって、無駄な力はどこにも入っておらず、「老人らしい」の立ち居振る舞いや所作、謡にはとりわけ驚かされた。
若い人が無理して老人を演じているようなところがみじんもなく、じつに絶妙な枯れ具合で、シテの慧遠禅師になりきっていた。

この慧遠禅師に、新しい味方玄の側面を見たような気がした。
ただたんに年老いて枯れているだけでなく、深山幽谷のなかで悠々と隠棲する老僧の超俗的な品位がつねに醸し出されている。
たとえていうなら、リアルに年老いた名手から、老醜だけを漉し取ったような老人ぶりといえばいいだろうか。

年代的・立場的に実際の上演は難しいのだろうけれど、この方の、この年代での、老人物を観てみたい気がした。



狂言《舟渡聟》
ロビーで少し休憩していたので、それほど観れなかったのですが、高野さんの姑ぶりがよかった。
《大般若》の神子舞を見て以来、個人的に高野和憲さんは注目株。



仕舞三番(地謡は梅若風)
観世淳夫さんの《屋島》。
この方も伸び盛り!
謡も、この日はぜんぜん気になるところがなく、舞は若々しい修羅能そのもの。
迫力と清々しさ、威勢のよさ。
拝見するたびに、将来が楽しみになってくる。

そして、九郎右衛門さんの《花筐・狂》。
めちゃくちゃ楽しみにしていたのです。
それなのに……わたしの席からは、仕舞の半分は九郎右衛門さんの姿がまったく見えなくて、まともに連続して舞が拝見できなかったので、まとまった感想を書くこともできず。

もう当分、九郎右衛門さんの舞は拝見できないのに……悲しすぎる。



観世喜正さんの《天鼓》。
いつもの喜正さんらしい仕舞。
飛び返り二回のアクロバティックな天鼓。
わたしのなかでは、友枝昭世さんの袴能《天鼓》のイメージが強いから、演者や演能形式が違えば、まったく別の曲のようになるのですね。


《巴・替装束》につづく


 

2017年7月9日日曜日

万三郎の《二人静》後半~音阿弥没後550年特集・国立能楽堂普及公演

2017年7月8日(土) 13時~15時40分 国立能楽堂

能《二人静》シテ菜摘女 梅若万三郎
      ツレ静の霊 梅若紀彰
   ワキ勝手宮神主 福王和幸 アイ神主の従者 茂山逸平
   松田弘之 幸清次郎 亀井広忠
   後見 加藤眞悟 松山隆之
   地謡 伊藤嘉章 馬野正基 青木一郎 八田達弥
      長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也 青木健一


《二人静》前半からのつづき

〈静の霊の憑依〉
怖ろしい体験をした菜摘女は、急いで戻り、この旨を神主に報告。
亡霊の存在を疑う言葉を女が口にしたとたん、静の霊が菜摘女に取り憑く。

ここでもシテが直前で絶句したため、見どころとなる「なに誠しからずとや」以降の憑依の瞬間の、声音や調子の変化がよくわからなかった。


ただ、「絶えぬ思いの涙の袖」でシオルときの、その手の美しさには比類がなく、
小指を深く曲げ、薬指と中指を軽くふっくらと折り曲げた白い手の優美な表情……
永遠の若さを宿したかのようなその手が語る、静の苦悩、恋慕、言葉にできない万感の思いに比べたら、絶句など取るに足りないことに思えた。



〈物着アシライ〉
神主に舞を所望されシテは、勝手宮に舞装束が納められていることを告げ、
神官は宝蔵から衣裳を取り出し、亡霊に憑依された菜摘女に手渡す。

後見座での物着を終えたシテの出立は、ほどよく褪色した紫長絹に静折烏帽子。

長絹の裾には銀杏の吹寄せと流水、上部には枝垂桜と扇があしらわれ、前半に登場した静の亡霊の唐織文様とリンクする。
義経と別れた際に舞った扇と、咲き誇る吉野桜。
それこそが、静の妄執と恋慕のモティーフなのだろう。

このモティーフが織り込まれた装束を身につけることで、静の亡霊が登場せずとも、霊が憑いて身体が乗っ取られたさまが視覚的に表現される。



〈クセ→序ノ舞〉
馬野さんが加わった、趣き深い研能会の謡。
金色の月光を浴びたシテの舞を、松田さんの笛が彩ってゆく。

相舞の縛りから解放されたシテが、自由に、虚心に、舞っている。
余分なもの、無駄なもの、余計なものがすべて削ぎ落された、宝石のような舞。

そこには、悲しみや懐旧の念を舞おうという作為はいっさい感じられず、
ただ何も考えず、型に忠実に、練磨された身体と魂のおもむくままに舞っているように見えた。

その無心の舞から、静の思いがおのずと滲み出て、観る者の心と響き合う。


なぜか、ひとりでに、涙が流れ出た。

美しいものを観たとき、どうしようもなく、心が揺さぶられ、身体が反応する。
あの感じ、
不可抗力の涙だった。







《二人静》前半・国立能楽堂普及公演~音阿弥没後550年

2017年7月8日(土) 13時~15時40分 国立能楽堂
狂言《入間川》からのつづき

能《二人静》シテ菜摘女 梅若万三郎
      ツレ静の霊 梅若紀彰
   ワキ勝手宮神主 福王和幸 アイ神主の従者 茂山逸平
   松田弘之 幸清次郎 亀井広忠
   後見 加藤眞悟 松山隆之
   地謡 伊藤嘉章 馬野正基 青木一郎 八田達弥
      長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也 青木健一



初世万三郎と二世梅若実の兄弟がいかに気が合っていたかを示すエピソードとして、二人静の相舞のことが『亀堂閑話』と『梅若実聞書』にそれぞれ語られている。

万六時代の再来のような、両家の名舞手どうしの共演か!?
と思ったが、今回は相舞ではなく、《二人静》の小書「立出之一声」(静の霊が橋掛りから菜摘女の舞を操り、のちに二人の相舞となる演出)の祖型となった観世元章の試案を上演するというもの。

プログラムによると、これは、観世文庫の「小書型付」にもとづく演出で、通常はシテとなる静御前は前半に少し登場するのみで、今回シテとなる菜摘女が後半(クセも序ノ舞)も一人で舞い通すとのこと。

つまり、本来の《二人静》は憑き物の曲だったが、のちに相舞が加わり、現在は相舞のほうがはるかにメジャーになっているのを、音阿弥特集にちなんで、おそらく音阿弥が舞ったであろう形(《二人静》の古態?)での上演を試みる、ということなのかもしれません。




〈ワキの神主登場→アイの神主の従者に呼び出されてシテの登場〉
若菜摘の神事を行うので女たちに申し付けよ、との神主の命を受けて、従者が菜摘女を呼び出す。

一声の囃子で登場したシテの菜摘女は、白水衣に縫箔腰巻の出立。
手には若菜を入れた籠。
面は出目満永の小面。
無垢な可愛らしさよりも、憑依体質というのだろうか、いかにも霊に魅入られ、その媒介者になりやすそうな「美しい器」を思わせる顔立ち。


幕から出たシテの姿には生気がなく、橋掛りをゆくハコビも小刻みで弱々しい。
以前よりも背中が屈んで見える。
不調なのだろうか。  それとも……。

この日のシテは絶句する場面も多く、前半は、生の無常を感じさせた。
(それでも、後半には万三郎師ならではの耽美的な世界が展開します。)


〈静の霊登場〉
女が若菜を摘んでいると、どこからともなく、呼びかける声が━━。

揚幕の奥に佇む静御前の霊。

紀彰さん、やっぱりきれいだ……。

見所のごく一部にしか見えない、鏡の間との境目くらいの揚幕の奥にいる段階から、ツレはすでに、まぎれもなく静御前の霊になっている。
いや、実際には美しすぎて、静御前以上になにか高貴な存在に見え、怖ろしいくらいの気品が漂ってくる。

幕から出ると、その気品がさらに香り立つ。

(たぶん)桜と扇の文様がちりばめられた豪華な唐織に、面は河内の増。
紀彰さんには玲瓏な増女がよく似合い、所作やたたずまいがその美しい顔にじつにふさわしい。
声や謡も、あの世から彷徨い出たような、深い思いのこもった愁いのある響き。

(面・装束も両家のものだろうか。こちらの競演もため息もの。)

静御前の霊は、我が身の罪業が悲しいので、一日経を書いて弔うよう社家の人や村人たちに頼んでほしいと菜摘女に言伝をして、かき消すように消え失せてしまう。


ツレの静御前の霊は、橋掛りだけのわずかな登場。
それでも、この時だけはシテの影が薄れるほどの神秘的な存在感を示し、忘れがたい印象を残したのだった。



《二人静》後半へつづく



2017年7月8日土曜日

国立能楽堂七月普及公演・狂言《入間川》~音阿弥没後550年

2017年7月8日(土)13時~15時40分 31℃ 国立能楽堂

解説:音阿弥、天下無双のマエストロ 松岡心平

狂言《入間川》シテ大名 茂山千五郎
  アド太郎冠者 茂山茂 
  アド入間の何某 丸石やすし→茂山七五三

能《二人静》シテ菜摘女 梅若万三郎
      ツレ静の霊 梅若紀彰
   ワキ勝手宮神主 福王和幸 アイ神主の従者 茂山逸平
   松田弘之 幸清次郎 亀井広忠
   後見 加藤眞悟 松山隆之
   地謡 伊藤嘉章 馬野正基 青木一郎 八田達弥
      長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也 青木健一



今月は観能運が急上昇。この日も素晴らしい舞台でした!

まずは、解説
自分の感想などをまじえて内容をざっくり書くと、

今月は、観阿弥・世阿弥につづいて三世観世大夫となった音阿弥(観世三郎元重)の没後550年特集(それぞれ阿弥号に、「観」「世」「音」の一字を戴いている)。

現在の観世宗家の系譜には元雅は含まれず、現宗家で26代。
「三郎」の通称は、観世大夫を継ぐ者がつける名で、それゆえ現宗家嫡男も「三郎太」と名づけられたとのこと(なるほどー、そうだったんだ)。

この日の演目は、音阿弥の嫡男・又三郎正盛が観世大夫として公認されたそのお披露目を兼ねて寛正5年(1464年)に糺河原勧進猿楽で上演された狂言《入間川》と能《二人静》にちなんで選曲されたという。

音阿弥は応仁の乱が始まった1467年に70歳で没したので、糺河原の勧進能で舞った《二人静》は、音阿弥最晩年の演能。

おそらくそういうことも鑑みて、今回のシテに万三郎さんが選ばれ、またふつうの相舞ではない、特殊演出(ただし小書はつかない)になったのかも(私見です)。

また、これもわたしの勝手な想像だけれど、世阿弥が演能以外にも作曲や伝書を執筆したマルチプレーヤーだったのにたいし、(知られている限りは)作曲をほとんどせず演能に徹した音阿弥は、もしかすると舞歌にかけては世阿弥よりも華麗で洗練され、大和猿楽の泥臭さや田舎臭さから完全に脱却していたのではないだろうか。

だからこそ、「天下無双、希代の上手」と讃えられ、審美眼・美的感覚に優れた足利義教・義政から厚い庇護を受けたのだろう。

そして、実際には世阿弥ではなく、音阿弥の芸風が、現観世流のスタイルの源流となっていったのかもしれない。




狂言《入間川》
千五郎・茂兄弟の組み合わせはけっこう好き。
短気で猪突猛進型の大名と、それに付き合わされつつ、一歩引いて、うまくかわしていく太郎冠者の役はこの二人にぴったり。

こういう大名のようなタイプの人(悪い人じゃないけど、一緒にいると疲れる。でも立場上、一緒にいなくちゃいけない人)っていつの世にもいるから、太郎冠者の、距離感をとりつつ、適度に相手に合わせるという処世術は見習いたいものです。

「ここは(川底が)深いので川上に行け」という入間の何某のことばを、入間様(逆さ言葉)と勘違いして、ずんずん川を渡り、深みにはまって危うく流されそうになる大名の慌て方、必死さ、ずぶ濡れ感が面白い(なんか、めっちゃ笑えて、爆笑)。

こういうところが、吉本喜劇っぽい分かりやすい面白さで、東京の山本東次郎家からすれば……なんだろうけれど、わたしは好きだな。

おそらく狂言界一の大所帯である茂山家には、和気あいあいとした明るい連帯感のようなものがあって、それが舞台に良い気となってあらわれてくる。

やっぱり、身内どうしは仲良くしないとね。



《二人静》前半につづく




2017年7月4日火曜日

片山九郎右衛門の《龍田・移神楽》後場~観世会定期能

2017年7月2日(日)13時~17時 銀座シックス観世能楽堂
《Universe of Water Particles on the Living Wall》
瀧祭のイメージみたい

能《龍田・移神楽》シテ巫女/龍田姫 片山九郎右衛門
   ワキ 福王茂十郎 ワキツレ 福王和幸 矢野昌平
   アイ 善竹十郎
   杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄 観世元伯→小寺佐七
   後見 観世清和 武田尚浩
   地謡 野村四郎 観世芳伸 北浪昭雄 上田貴弘
      武田文志 坂井音雅 北浪貴裕 大西礼久 


《龍田・移神楽》前場からのつづき
【後場】
〈後シテ登場〉
ワキ・ワキツレの待謡のあと、出端の囃子を聴いて、作り物の中からシテの謡。

この日は九郎右衛門さんの謡がとびっきり冴えていて、「神は非礼を受け給はず、水上清しや龍田の川」の謡からは、毅然とした神の気高さが響いてくる。

「あらたに御神体あらはれたり」で引廻しが下され、後シテが姿を現します。


出立は金の立湧文の白地紋大口、宝相華文の紅地舞衣、白地に金の観世水の着付で、龍田川と紅葉の錦が表現されています。

興味深いのが天冠。

《龍田》といえば真っ赤な紅葉つきの天冠が多いなか、この日のものはシテの前頭部に「天の逆矛」(龍田の神体)をつけ、瓔珞をたっぷり垂らした豪華な天冠でした。



社殿の中で幽かに揺れる瓔珞が、節木増の面のまわりに精妙な陰翳をつくり、秋の女神がもの問いたげな、謎めいた微笑を浮かべています。


夜半に日頭明らかなり━━。


これは、夢窓国師の『夢中問答』のなかの公案(「新羅夜半、日頭明らかなり」)。
それを世阿弥が最高の芸位「妙花風」をあらわす言葉として伝書『九位』に取り入れ、さらに、禅に傾倒した禅竹がこの曲の詞章に引用したもの。

真夜中なのに明るい日の出があるという、スフィンクスの謎かけのような言葉。



〈舞グセ→神楽〉
シテが作り物から出ると、舞グセとなり、全身全霊で、強い「気」を込めて祈りを捧げる「謹上(再拝)」の謡が能楽堂内に木霊のように響きわたる。

神へ、そして観客の魂に届く、敬虔な祈りの謡。


シテのその声を聞いたとき、ふと思ったのです。
幣捨がなく、最初から最後まで女神自身が(幣ではなく)扇で無心に舞うこの夜神楽こそが、「夜半に日頭明らかなり」という謎かけへの答えかもしれない、と。


達拝のあと、序が七つ。
初段オロシで左・右と足拍子を踏んだのち、身を沈ませる崇高な型が続く。


人間でもなく亡霊でもない、光り輝く存在の神々しさや煌めきが舞台から溢れ出て、零れ落ちる。
それを目にするときの、胸が震えるような幸福感━━。


源次郎師の鋭い視線がシテを射抜き、忠雄師の気迫がシテの身体に集中する。


五段神楽の笛は、ユリを多用した森田流ならではの醍醐味。

杉市和さんは最も好きな現役笛方さんのひとりで、公演記録の映像で見た全盛期の神楽の演奏には鳥肌が立つほど痺れたものです。
ただ、この日は肺活量の衰えを少し感じました。

「ここぞ!」というときに必ず決めてくれるエース中のエース、太鼓方の元伯さんも不在で(もちろん佐七さんはとても良かったのですが)、神楽の囃子にかんしては少しだけ物足りない気もしましたが、シテの舞は最高に美しく、
その美に触れつつ、それを薄氷の張った水面を隔てて観ているような、近づきがたく、遠い世界のことのように、数日たったいま思い出されます。



〈終曲〉
神楽を舞い終えたシテは、橋掛りへ行き、「神風松風」で三の松、「吹き乱れ、吹き乱れ」で、一の松で左袖を被き、「禊も幣も」で舞台に戻り、最後は常座で左袖を巻き上げて留拍子。

短い橋掛りを巧みに使いこなし、幕際の見えない席にいる観客へも配慮した見事な終わり方でした。







観世会定期能《龍田・移神楽》前場

2017年7月2日(日)13時~17時 銀座観世能楽堂
能《小督》からのつづき
GINZA SIX館内アート《Living Canyon》

能《龍田・移神楽》シテ巫女/龍田姫 片山九郎右衛門
   ワキ 福王茂十郎 ワキツレ 福王和幸 矢野昌平
   アイ 善竹十郎
   杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄 観世元伯→小寺佐七
   後見 観世清和 武田尚浩
   地謡 野村四郎 観世芳伸 北浪昭雄 上田貴弘
      武田文志 坂井音雅 北浪貴裕 大西礼久 



九郎右衛門さんの東京での舞台はなぜか切能・脇能が多い。
もちろん鬼能もいいのだけれど、やっぱりいちばん観たいのは、天女物や女神物!
待ちに待った女神物《龍田》は、配役も特別公演かと思うほど豪華で、
しかも、「移神楽」の小書つきの、大好きな惣神楽。
元伯さんが休演であることを別にすれば、わたしにとって夢のような舞台でした。



【前場】
〈シテの出〉
ワキ・ワキツレの旅僧一行が登場。
晩秋から初冬へと移り変わる澄みきった冷気と、山の木々や枯葉のカサカサした乾燥感がそのハコビとともに運ばれてくる。

透明な氷のガラスの上を進むような、冷たく無機的な美しいハコビ。


僧たちの道行が神無月の大和路のうら寂しさを描き出し、龍田川に着こうとするその時、ワキが着きゼリフ「急ぎ候ふほどに」を言いだす前に、
ふと、気配がして振り向くと、

三ノ松に、忽然と、シテの姿が!


九郎右衛門さんがシテをされた《小鍛冶・黒頭》の時も《殺生石・白頭》の時も、「のうのう」の登場の際に、見所の意表を突くサプライズが用意されていた。
今回も、何かあるだろうとは思っていたのですが、まさか、ワキの着きゼリフの前に、風のようにふうーっと出現するなんて! 


じつは、九郎右衛門さんが「のうのう」の呼掛のときに幕から出る瞬間を、わたしはいまだに見たことがないのです。

この日、わたしは幕が見えない席(この能楽堂のもうひとつの欠点)に座っていて、幕が実際に上がるところは見えないのですが、揚幕が上がるその影の動きが橋掛りの壁に映るため、《小督》のときは幕が上がるのが分かりました。

しかし、《龍田》の前シテの登場では、揚幕の影の動きが橋掛りの壁に映ったようには見えず、ほんとうに幕が上がったのか、それとも、かねてからの推察どおり、片幕で出てきたのか、定かではありません。


呼掛で九郎右衛門さんが幕から出る瞬間を見てみたいのですが、つかもうとしても、ひゅるりと腕をすり抜けていく妖精か、尻尾のつかめない妖狐のようで……。

こんなふうに煙に巻かれることも九郎右衛門さんの舞台の魅力のひとつです。



〈旅僧を案内して、龍田明神へ参詣〉
前シテの出立は、紅葉や菊を箔や刺繍であしらった紅地縫箔腰巻に、菊の文様を金箔で置いた白地縫箔壺折、手には幣付き榊。

面は前・後シテとも、片山家所蔵の出目満茂作・節木増(江戸中期)。
あの「うたたね」という銘のある節木増でしょうか。

冷たく神秘的なあでやかさと、優雅でメランコリックな倦怠が同居した不思議な表情の女面です。



龍田川の薄氷に閉じ込められた紅葉の錦。
その水面を乱すことを戒めた巫女は、僧を龍田明神の社に案内します。

このときも、「このたびは幣とりあえぬ」で幣を水平にとって床に置く所作や、巫女らしい立ち居振る舞いがじつに繊細で、見惚れるほどきれいだったのですが、とくに感動したのが、白足袋の足先。

その足首やつま先の曲げ方や、足の裏への気の行き届き方、白足袋の清らかな純白さにハッとしたのです。

ワキとともに作り物の社殿に向かって拝礼するときに、シテは観客に背を向けて下居します。
そのときに見せた、爪先立ったシテの右の足の裏が、本物の美しい女の足のように、いや、生身の女の足以上に、やわらかく、たおやかで、まぶしいくらい優美に見えたのです。


おそらくどんな美女でも、もっとも無防備になりがちな足のうら。
だからこそ、その人の本質が出るであろう足の裏の表情。

そこに、女らしさ、女性美のエッセンスと理想を表現するのが、九郎右衛門さんならではの芸の力。
これは意識して、細心の注意を払って表現されているものでもあるのだろうけれど、女らしさを徹底的に磨く、女の修業を積んだ美女たちに囲まれて育った環境のなかで、自然と培われたもののようにも思います。
(勝手な先入観かもしれないけれど。)


〈中入〉
「我はまことはこの神の龍田姫は我なり」と、正体を明かしたシテは、
「御身より光を放ちて」で、後光の輝きが四方に広がっていくように、
合わせた両手をパアーッと広げ、社殿の扉を押し開いて、
そのまま作り物のなかへと消えていきます。


《龍田・移神楽》後場につづく



2017年7月2日日曜日

観世会定期能《小督・替装束》~観世能楽堂開場記念

2017年7月2日(日)13時~17時 31℃ GINZASIX観世能楽堂



能《小督・替装束》シテ 津田和忠
   ツレ 藤波重孝 トモ 野村昌司 ワキ 舘田善博
   寺井宏明 幸信吾 安福光雄
   後見 寺井栄 上田公威
   地謡 角寛次朗 山階彌右衛門 中島志津夫 勝海登
      木原康之 清水義也 木月宣行 佐川勝貴

狂言《悪坊》善竹十郎
      善竹大二郎 善竹富太郎

仕舞《屋島》    関根知孝
  《井筒》    武田志房
  《鐘之段》   観世恭秀
  《船弁慶キリ》 浅見重好
  地謡 岡広久 藤波重彦 武田友志 坂井音晴

能《龍田・移神楽》シテ 片山九郎右衛門
   ワキ 福王茂十郎 ワキツレ 福王和幸 矢野昌平 
   アイ 善竹十郎
   杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄 観世元伯→小寺佐七
   後見 観世清和 武田尚浩
   地謡 野村四郎 観世芳伸 北浪昭雄 上田貴弘
      武田文志 坂井音雅 北浪貴裕 大西礼久 


都知事選の日曜日、能楽堂に入ると、スポンサーからの提供とのことで、ジュースとクッキーのサービスが。
銀座に移ると、いろいろスポンサーが付くんですね。

初めて行く新能楽堂は、縦長でも天井が高いためか、思ったほど圧迫感はなく、通路やロビーは狭いものの、銀座の一等地にこれだけのスペースを確保するにはやむを得ないだろうし、それよりも商業施設の地下三階に能楽堂が出現するという空間設計が面白い。


観世能楽堂は舞台の高さが一般の能舞台よりもかなり高く、松濤の時は座席の前後に段差がけっこうあったのでわりと見やすかったけれど、新能楽堂は見所の傾斜が緩やかなせいで、前方の席だと首が疲れそう。
(皆さん、けっこう斜め上を向いて観劇されていた。)

この日、わたしはやや後ろ寄りの席に座ったのですが、そこからだと囃子方と同じくらいの目線の高さになり、座席の位置も、前に座っている人と頭が重ならないようずらして配置されているので、視界を遮るものがなく、比較的見やすかったです。
(とはいえ、やはり舞台は遠い。)

個人的にこの能楽堂のいちばんの難点は、大好きな脇正面席が少ないことかな……。




さて、能《小督》です。

わたしにとって、《小督》はつかみどころがない曲。
同じ禅竹作でよく似た構成のものに《楊貴妃》や《千手》があるけれど、これらの曲は楊貴妃や千手の前という美女がシテで、見どころやテーマも分かりやすいのだけれど、《小督》はシテが美貌を誇る小督ではなく、(笛の名手ではあるけれど)地味な臣下の源仲国。
小督と仲国の関係を演者がどう描くか、観る側が二人の関係をどう感じるかで舞台の出来や印象がずいぶん違ってくる。

この日のシテが演じた仲国は、実直で律儀な忠臣としての仲国でした。
中に入れてくれるまでここを動かない、と柴垣の外で居座る場面は、テコでも動かない不屈さ、粘り強さ。

乗馬のシーンは特に見応えがあり、駒ノ段では、月夜の嵯峨野を鞭を振りながら馬を駆る疾走感を、流れるように滑らかなハコビで表現し、最後の「ゆらりとうち乗り」でゆったりと馬にまたがる型からは、駿馬の臀部の豊かな量感さえ感じられた。

男舞は、舞台目付柱横に斜め方向に片折戸の作り物を置いたまま舞うもので、通常の5分の3ほどの狭いスペースで舞う、篤実な忠臣らしく折り目正しい端正な舞。


ツレの小督の面は連面なのだろうか、シテにも使えそうな若女っぽい美しい面。
正面から見ると才色兼備の小督らしい知的な美女、斜め横から見ると少しコケティッシュな印象に変わる。
高倉院が夢中になるのも無理はないと思わせる小督の気品ある佇まい。

そしてトモの侍女もなんとも可愛らしく、手の所作もきれいでした。

 * * * * *

詞章のなかで、小督が秋の月夜に想夫恋を琴で奏でるシーンは、『源氏物語』のなかで夕霧と落葉宮が、琵琶と琴で想夫恋を合奏する場面を思わせる。
柏木の未亡人である落葉宮に、ひそかに思いを寄せる夕霧。

おそらく禅竹もそういう場面を念頭に置いて《小督》を書いたのだろうし、いにしえの人も『源氏物語』のこのシーンを思い浮かべて、男女間のほのかに秘めた想いを無意識の中で重ね合わせながらこの能を観たのかもしれない。


そこはかとない男女の心の交流、言葉にできない・行動には移せない想い、立場や状況が違えば恋に落ちていたかもしれない危うさといったものがほんのり漂ってくる━━そんな能《小督》をいつか観てみたい。



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狂言も拝見したかったのですが、体調不良のため後半に備えて休憩していました。


能《龍田・移神楽》前場につづく