2017年7月4日火曜日

片山九郎右衛門の《龍田・移神楽》後場~観世会定期能

2017年7月2日(日)13時~17時 銀座シックス観世能楽堂
《Universe of Water Particles on the Living Wall》
瀧祭のイメージみたい

能《龍田・移神楽》シテ巫女/龍田姫 片山九郎右衛門
   ワキ 福王茂十郎 ワキツレ 福王和幸 矢野昌平
   アイ 善竹十郎
   杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄 観世元伯→小寺佐七
   後見 観世清和 武田尚浩
   地謡 野村四郎 観世芳伸 北浪昭雄 上田貴弘
      武田文志 坂井音雅 北浪貴裕 大西礼久 


《龍田・移神楽》前場からのつづき
【後場】
〈後シテ登場〉
ワキ・ワキツレの待謡のあと、出端の囃子を聴いて、作り物の中からシテの謡。

この日は九郎右衛門さんの謡がとびっきり冴えていて、「神は非礼を受け給はず、水上清しや龍田の川」の謡からは、毅然とした神の気高さが響いてくる。

「あらたに御神体あらはれたり」で引廻しが下され、後シテが姿を現します。


出立は金の立湧文の白地紋大口、宝相華文の紅地舞衣、白地に金の観世水の着付で、龍田川と紅葉の錦が表現されています。

興味深いのが天冠。

《龍田》といえば真っ赤な紅葉つきの天冠が多いなか、この日のものはシテの前頭部に「天の逆矛」(龍田の神体)をつけ、瓔珞をたっぷり垂らした豪華な天冠でした。



社殿の中で幽かに揺れる瓔珞が、節木増の面のまわりに精妙な陰翳をつくり、秋の女神がもの問いたげな、謎めいた微笑を浮かべています。


夜半に日頭明らかなり━━。


これは、夢窓国師の『夢中問答』のなかの公案(「新羅夜半、日頭明らかなり」)。
それを世阿弥が最高の芸位「妙花風」をあらわす言葉として伝書『九位』に取り入れ、さらに、禅に傾倒した禅竹がこの曲の詞章に引用したもの。

真夜中なのに明るい日の出があるという、スフィンクスの謎かけのような言葉。



〈舞グセ→神楽〉
シテが作り物から出ると、舞グセとなり、全身全霊で、強い「気」を込めて祈りを捧げる「謹上(再拝)」の謡が能楽堂内に木霊のように響きわたる。

神へ、そして観客の魂に届く、敬虔な祈りの謡。


シテのその声を聞いたとき、ふと思ったのです。
幣捨がなく、最初から最後まで女神自身が(幣ではなく)扇で無心に舞うこの夜神楽こそが、「夜半に日頭明らかなり」という謎かけへの答えかもしれない、と。


達拝のあと、序が七つ。
初段オロシで左・右と足拍子を踏んだのち、身を沈ませる崇高な型が続く。


人間でもなく亡霊でもない、光り輝く存在の神々しさや煌めきが舞台から溢れ出て、零れ落ちる。
それを目にするときの、胸が震えるような幸福感━━。


源次郎師の鋭い視線がシテを射抜き、忠雄師の気迫がシテの身体に集中する。


五段神楽の笛は、ユリを多用した森田流ならではの醍醐味。

杉市和さんは最も好きな現役笛方さんのひとりで、公演記録の映像で見た全盛期の神楽の演奏には鳥肌が立つほど痺れたものです。
ただ、この日は肺活量の衰えを少し感じました。

「ここぞ!」というときに必ず決めてくれるエース中のエース、太鼓方の元伯さんも不在で(もちろん佐七さんはとても良かったのですが)、神楽の囃子にかんしては少しだけ物足りない気もしましたが、シテの舞は最高に美しく、
その美に触れつつ、それを薄氷の張った水面を隔てて観ているような、近づきがたく、遠い世界のことのように、数日たったいま思い出されます。



〈終曲〉
神楽を舞い終えたシテは、橋掛りへ行き、「神風松風」で三の松、「吹き乱れ、吹き乱れ」で、一の松で左袖を被き、「禊も幣も」で舞台に戻り、最後は常座で左袖を巻き上げて留拍子。

短い橋掛りを巧みに使いこなし、幕際の見えない席にいる観客へも配慮した見事な終わり方でした。







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