2017年8月21日月曜日

アルチンボルド展

会期:2017年6月20日ー9月24日     国立西洋美術館





お盆過ぎとはいえ上野公園は例年にも増してすごい人。
パンダブームのせいもあるのかしら?
ちなみに、パンダの赤ちゃんの名前は「ルンルン♪」で応募しました。
明るく元気に、幸せに育ってほしいから。

アルチンボルド展も親子連れや子供たちでいっぱい!
自分の顔をアルチンボルド風に描いてくれるマシーンも3台設置され、長蛇の列ができていました。
わたしは並ばなかったけれど、人のを見ていると、この顔がこんな風になるのかと、なかなか面白い。とくに美男美女がやると、ギャップが……。


さて、肝心の展覧会。
すごい人でじっくり観れなかったのが残念だけれど、いちばん人気は、皇帝マクシミリアン2世の顔を春の花々で描いた《春》(1563年)。
(これを観ていると、あちこちから「可愛い!」の声が。)

首から上は、世界中の色鮮やかな花々で彩られ、首から下は、さまざまな色や形の草の葉で構成され、草の葉の間から可愛らしい木苺の赤い実がのぞいている。
草花の精緻で細密な写実描写と、パズルのような肖像画の奇抜な表現。
この個性的なコントラストが、アルチンボルドを唯一無二の画家に仕立てている。


【追随者作品との比較】
事実、彼の構成力と色彩感覚、写実描写の技術は卓越していて、彼の追随者・模倣者の作品と比べれば、その差は一目瞭然。
追随者のアルチンボルドもどき、いわゆるバッタもんの作品(たとえば水生生物で構成される《水》という作品)は、画面が弛緩していて、魚には生気がなく、アルチンボルドが描く魚たちとは明らかに鮮度が劣る。
アルチンボルドがいかに緻密に動植物を配置し、構成したかがよくわかる。


【パトロンとのコラボ】
そして、やはりいつも思うのは、こうした傑出した天才・異才の活躍は、その真価を理解できる審美眼の高いパトロンの存在なしにはありえないということ。

フェルディナント1世・マクシミリアン2世・ルドルフ2世のハプルブルク家三代の皇帝の、世界のすべてを掌握し収集したいという欲望や博物学への関心を汲み取り、それを絵画に巧みに取り込んで、帝国の繁栄を称揚したアルチンボルド。
先見の明のある強大なパトロンと、たぐいまれな才能をもつ芸術家との相互作用によって、後世に残るに足る画期的な作品が生まれる━━。

そういう意味で、自分の顔をカリカチュア的に描かせて悦んだ皇帝のユーモアのある美的センスにも思いを馳せたのでした。
(彼ら三代の皇帝に見いだされなかったら、アルチンボルドはあまりにも斬新すぎて、忘れ去られた名画家のひとりになっていたかもしれない。)


【いちばん気に入った作品】
個人的に今回とくに気に入ったのが、冒頭に展示されていたアルチンボルド最晩年の作品《四季》(画像はこちら)。
「四季」といっても、人生の春、夏、秋を経て、冬も終わりに近づいた人間の顔が、四季の植物で構成されている肖像画だ。

衣服には華やかな花々、頭にはみずみずしい果実が描かれ、春・夏・秋が表現されているが、顔の大半は枯れた木の瘤や切断された枝で構成され、頭には鹿の角のように二股・三股に分かれた枝をはやしていて、そのことが肖像画の冬のイメージを強めている。

その鹿の角のように頭から生えた枝の一部から樹皮がペロリと剥けていて、樹皮の剥がれた木目にアルチンボルドのサインが記されており、この絵はアルチンボルドの自画像ではないかといわれている。

この絵を観ていると、能の《遊行柳》を観た時とよく似た感慨に打たれる。
また、いつか、この絵と出会いたい。
今よりも歳を重ねた時、自分はどんな思いでこの絵と向き合うだろうか。








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