2014年6月10日火曜日

イェイツと能


イェイツ・デイ第2回イベント「イェイツと能」に参加しました。
会場は両国のシアターX(カイ)。 
進行役は演出家の笠井賢一氏。
          
まずは駐日アイルランド大使のご挨拶。
日本の能にはドラマティックな展開もなく、西洋の演劇とあまりにも違うので最初は戸惑ったけれど、
お能は感性で味わうものだと徐々に分かってきたという趣旨のことを聞きとりやすい英語で語っていらっしゃいました。
             
      
挨拶の次が、2005年にニューヨークで上演された能《鷹姫》の映像(後場)の上映。

この映像が、すっごくよかったです!
           
キャスティングは、老人が観世銕之丞、鷹姫が浅見真州、クーフリン(空賦麟)が野村萬斎、
大小鼓が源次郎&広忠、笛と太鼓は影になっていて顔が全く分からず、
岩も誰が誰だか分かりませんでした。
      
圧巻は浅見真州の鷹姫。
       
面は新作面で、これは観世寿夫が《女王メディア》上演の際に「増女と泥眼の中間くらいの女面」をつくってほしいと面打ちに依頼して制作されたものだそうです。

この能面の謎めいた雰囲気と浅見真州のキレのあるシャープで端正な動きが合わさった、
妖気漂う神秘的な鷹姫の舞にただただ引き込まれた。
(袖をくるんと激しくまわす所作は、鷹の羽ばたきを演出しているのだとか。)

        
浅見真州師の(最近の)お舞台は何度か拝見して、その時は少し消化不良だったけれど、
過去の映像を観ると評判通りだったことが実感できてちょっとうれしい。
ある程度の衰えは仕方がないですよね、70をすぎていらっしゃるのだもの。
でも、このニューヨーク公演の時も、もう還暦をすぎていたはず。
だけど、とてもそんなふうには見えない。
ひたすら美しく、妖しい、魅力的な鷹姫。 素敵すぎます。

         
銕之丞師演じる老人の面は、前シテは髭阿瘤尉、後シテは鼻瘤悪尉。
鼻瘤悪尉の面は渡来系の面といわれれいるように、
ギリシャ悲劇に使っても違和感のないような雰囲気でした。

この老人とクーフリンが立ち回りのようなやり取りをした後、老人が杖を投げ出します。

これは銕之丞師が考案した、老人から若者クーフリンへのバトンタッチを暗示した演出なのだとか。
つまり、今までは老人が涸れ井戸から不老の水が湧くのを待ち続けて老いていったけれど、
今度はクーフリンが不老の湧水を待ちながら老いていく番だという意味だそうです。

         
(イベントとは無関係な夢ねこのひとりごと)
ちなみに、イェイツは『At the Hauk's Well(鷹の井戸にて)』の続編
The Only Jealousy of Emer(エマーの唯一の嫉妬)』を書いていて、
この続編ではクーフリンとその妻および愛人、
そして鷹姫と同一人物と目される妖精の女が登場します。
             
妻のエマーは夫の愛(そして自らの希望)を失う代わりに、
夫の命を救うという究極の選択をする。
妻の選択のおかげで息を吹き返したクーフリンは愛人の腕に抱かれ、
妻のエマーは愛も希望も若さも美貌も失って幕を閉じる、
という救いのまったくない劇なのだ。

これ以降のイェイツの演劇にも救いやカタルシスはなく、ひたすら絶望と喪失感に満ちている。
           
この点では、そのほとんどがめでたく終わる日本の能とは対照的だ。
おそれくそうした違いは、アイルランドの荒涼とした鉛色の風土や抑圧された民族の歴史と
日本の温暖な風土や植民地化されたことのない歴史、
そして日本ではパトロンが為政者だったことなどが影響しているのかもしれない。
(ねこのひとりごと終わり)

                
さて、
上映のあとは休憩をはさんで、俳優で演出家のサラ・ジェーン・スケイフさんによる
イェイツの詩『He wishes for the Cloths of Heaven』および劇『At the Hauk's Well』の朗読。
(この朗読、すごくよかったです。今度、朗読会があれば行きたいくらい。)
            

      

その後は、いよいよ観世銕之丞師による《鷹姫》の謡
および銕之丞家とイェイツ作品との関係に関するお話。
   
銕之丞師は老人、鷹姫、クーフリンの3役を演った経験があるとのこと。
なので、老人とクーフリンと岩の詞章を、声音を使い分けて謡われていて、
それぞれの場面のイメージが鮮やかに浮かび上がるような臨場感あふれる謡でした。
         
お話の部分は、1967年の《鷹姫》初演当初のことなど。
初演の際にはキャスティングはオーディションで決まったとか。
 
その結果、鷹姫を観世寿夫、老人を観世栄夫、クーフリンを野村万作、
そして岩を観世静夫や山本東次郎が演ることになったそうです。
 
当時は、シテ方、ワキ方、狂言方といった分業の枠を超えた新たな試みを
しようとしたという、とても興味深いお話でした。


浅見真州の鷹姫の映像が目に焼き付いて離れません……
本当に参加して良かったイベントでした。


最後に古代アイルランド人の輪廻転生観をうたったイェイツの有名な詩を。


Many times man lives and dies
Between his two eternities,
That of race and that of soul,
And ancient Ireland knew it all.

種族の永遠と魂の永遠、
その二つの永遠のはざまで、
人は生死を繰り返す。
古代のアイルランドはそのことを知り尽くしていた。
(拙訳)



 

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