2014年9月24日水曜日

観阿弥時代の《百万》

地謡に梅若紀彰さんと川口晃平さんがいらっしゃったので
「あれ?」と思ったら、小田切さんと会田さんが病気療養中のため
休まれているとのこと。


杉信太郎さんの名ノリ笛にのって、ワキ・ワキツレ(三人も!)、子方が登場。


子供を連れているので面白いものを見せてほしいというワキに、
アイが面白い女物狂がいるからと、念仏をわざと下手に唱えて、百万を呼び出す。

そこへ舞車を引いて、百万が登場。


この注目の舞車、朱色のテープを巻いて、とてもキレイなんだけれど、
車輪も付いていないのに、どうやってシテが引いているのか
いまひとつ仕組みが分からなかった。
引いているように見せて、じつは持ちあげていたのだろうか。


何はともあれ、最初は常座に置かれた舞車は
その存在だけで舞台に華やぎを添える。
(この舞車はクセを舞う際に、大小前に移される。)

そこから後半のクセに入るまでは、通常の《百万》とほとんど同じだったように思う。


通常の《百万》のクセでは、西大寺の柳の木陰でわが子と生き別れてから、
奈良の都を出て、三笠山、佐保川、山城を過ぎて、嵯峨野に至った道行きと
わが子への恋しさが切々と謡われているのに対し、

観阿弥時代のクセ「地獄の曲舞」では、前項のように世の無常を謡った後、
臼で見を切られる斬槌地獄や、剣が森のように生えている剣樹地獄、
大石に砕かれる石割地獄、炎に咽ぶ火盆地獄など、
阿鼻叫喚の地獄の恐ろしさが語られて、すっごく面白い!!



この「地獄の曲舞」をシテが舞車の中で最初は床几に座って謡い、
「所得いくばくかの利ぞや」のところで、立ち上がって舞い始め、
しばらく舞車の中で舞ったのち、
「いわんや下劣、貧賎の報においてをや」で、舞車から出て、
あとは、舞台の板の上で待っていた。
(この舞の型は《歌占》のクセと同じ?)


個人的には「地獄の曲舞」の方が、詞章的にも面白いし、
舞車を入れた方が、舞台上が華やいで動きもあるので、見栄えがすると思う。


ただ、この日のクセの部分の囃子と地謡は単調だった気がした。
(ここはそういう部分なのかもしれないけれど、もう少し覇気があっても良かったのでは。)

《百万》では太鼓は前半部分だけなのだけれど、
「地獄の百万」では、太鼓を入れるという演出にはならないのだろうか。
太鼓が入れば、もっとドラマティックになったような気がする。
あくまで、個人的な好みだけれど。



印象に残ったのは、シテの百万が子供と再会した場面での
「心強や、とくにも名乗り給ふなれば、かように恥をばさらさじものを、
あら恨めしとは思へども」という部分。
(この日、玄祥さんはお風邪を召されていたそう。)

型に忠実で、抽象的な表現なのだけれど、
さりげなく母親らしいリアルな情感がこもっている。

過剰な感情表現には決して陥らないけど、
見る者の心に訴える力がある、
その絶妙なバランス感覚がこのシテの非凡さだと思う。
(歩んできた人生そのものがすべて芸の肥やしになっているのだろう、きっと。)

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