2014年9月24日水曜日

国立能楽堂企画公演・能を再発見するⅤ――観阿弥時代の百万

仕舞 百万 クセ 梅若万三郎
 地謡 加藤眞悟 伊藤嘉章 山崎正道 角当直隆
対談 馬場あき子 天野文雄
観阿弥時代の能 百万  シテ梅若玄祥 子方松山絢美
  ワキ 福王茂十郎 福王知登 喜多雅人 村瀬慧 
  アイ 高澤祐介
  笛・杉信太朗 小鼓・鵜澤洋太郎 大鼓・安福光雄 太鼓・林雄一郎
  後見 山崎正道 松山隆之
  地謡 川口晃平 梅若紀長 角当直隆 山中迓晶
     伊藤嘉章 梅若万三郎 梅若紀彰 加藤眞悟



清々しい秋晴れの休日。 和服日和で、能楽堂は着物率が高かった。


まずは、万三郎さんの現行の《百万》クセの仕舞から。
光源氏が年を重ねたらかくありなん、
と思わせるような、格調高く、品位のある舞姿。
70代半ばとはとても思えない優雅さとほのかに漂う色気。
なぜこの方が人間国宝ではないのか不思議なくらい。
この仕舞を拝見できただけでも来てよかったと思う。


対談はなんと40分! 
お二人のお話は面白いけど、いくらなんでも長すぎと思う。
(対談や解説はパンフを読めば済むことなので不要だと思うけれど、国立だとそういうわけにもいかないのだろう……。)
対談の内容は『能を読む①』に書かれていたこととほぼ同じ。


観阿弥が演じた「嵯峨の大念仏の女物狂の物まね」から《百万》への変遷プロセスは以下の通り;

(1)女芸能者・百万(実在の人物)ではない普通の母親をシテとした子探し物狂能
         ↓
(2)芸能者・百万がシテ(母親)となり、「地獄の曲舞」をクセで舞う物狂能
         ↓
(3)「地獄の曲舞」のクセの部分を、百万がわが子を思う内容のクセに入れ替えた現在の《百万》


学会での定説では(1)が観阿弥時代の《百万》だったとされているが、
天野先生は(2)が観阿弥時代のものと考え、
今回の演能では(2)の「地獄の曲舞」が現行のクセの部分に挿入されている。

ちなみに、「地獄の曲舞」とは、作詞・山本某、作曲海老名南阿弥による
南北朝時代の謡い物のことで、現在は《歌占》のクセに入っている。


つまり、観阿弥が《百万》の原曲に取り入れ、世阿弥が《百万》から取り去った「地獄の曲舞」を、
その息子・元雅が再び取り入れて《歌占》をつくったことになる。


「地獄の百万」の詞章を読んで見ると、とても素敵で
特に前半の「魂は籠中の開くを待ちて去るに同じ、
消ゆるものはふたたび見えず、去るものは重ねて来たらず」
など、名文が多くて、心に響く。


世阿弥が捨て去ったものを拾い上げて新たな曲を創った元雅って、
やはり世阿弥にはないセンスと才能があったんだなと思う。

(別記事につづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿