2014年11月7日金曜日

満次郎の会「盛衰無常」夜の部・後半の感想

能《鞍馬天狗・天狗揃》は、これぞ能楽界の佐々木道誉、ザ・マンジロウといった感じの
豪奢で豪快、きらびやかな舞台だった。
                                                     

まずは前シテの山伏が登場。
この山伏姿がめちゃくちゃ素のままというか、扮装ではなく、

普段着の満次郎さんといった感じで違和感ゼロ。
どちらかというと、鞍馬山に住んでいた中世の本物の山伏が
いきなりタイムスリップして舞台上に現れたような印象だ。
               
コワモテの外見とはうらはらに、遠くから花を眺めようと、後見座にクツログ奥ゆかしさ。
                                   
やがて鞍馬寺の能力の誘いに応じて、牛若を含む8人の花見稚児を先頭に、ワキの東谷の僧(森)と従僧が登場。
                 
脇座から地謡座、そして大小前を越え、太鼓の前近くまで

子方とワキ・ワキツレたちが居並び、能力が小舞を舞い、
にぎやかな花見の宴となるのだけれど、
そこへいつしか(目付柱の辺りに)怪しげな山伏の姿が……。
                                                              
山伏の存在に気づいた一同は、変な人がいるから今日はもう帰ろうと、
稚児たちを連れて帰っていく(普通に考えると、まともな対応だと思う)。
 寂しげな山伏に、一人残った牛若が「一緒に花見をしよう」と声を掛け、
感激した山伏は牛若に恋心を抱く……。

と、この辺りは現代の感覚では、

山伏はいたいけな美少年を狙うれっきとした不審者で超危険人物、
ということになるのだけれど、稚児愛が流行した中世では、
なんら疾しい感情ではなかったのだろう。

時代が変われば、道徳観も変わるものです。



かくして、山伏と牛若の間に心の交流が生まれ、

山伏は、自分はこの山に長年住んでいる大天狗だと正体を明かし、
兵法の奥義を伝授すると約束して、雲を踏んで飛び去っていく。


ここからが、お待ちかねの来序。
元伯さんの高い掛け声が能楽堂に響き渡る(この日、2度目の来序)。
                       

                                                   
中入をはさんで、一声の囃子で牛若が鉢巻に白大口、長刀といった凛々しい姿で登場。

そして、重厚な「大ベシ」の囃子で大天狗と天狗たちの登場。

この「大ベシ」の囃子が、悶絶しそうなくらいカッコ良かった!!

    
元伯さんと広忠さんの太大コンビが炸裂し、能舞台に熱気が立ち込める。
(源次郎師は打音はとても美しくクリアなのだけど、最近、掛け声が大人しいのが物足りない。
しっとりした曲の時は最高で、この方にしか出せない音色と情趣が生きてくる。
でも、こういう曲では、舞台にぶつける「気」が足りないように感じる。)
                     

大天狗に続いて、8人の天狗たちが橋掛りに勢ぞろい。
「筑紫には彦山の豊前坊」、「四州には白峰の相模坊」、「大山の伯耆坊」と、一人ずつ名乗っていく。


自分を師と仰ぐ健気な牛若に感動した大天狗は、

兵法の秘事を授かるために師である黄石公による屈辱に耐え、
沓を拾って黄石公に履かせた張良の故事を牛若に語って聞かせる。

                     
(なにしろ舞台上の人数が多いので、後見(宝生和英、辰巳和麿)は大忙し。
8人の天狗たちが羽団扇から榊に持ち替える時も一人ずつに配っている余裕がないので、

最初の天狗に榊を渡してあとはセルフサービス状態だった。
「これだけの舞台を若い2人だけで後見?」って最初は思ったけれど、

若くて小柄なほうが身軽で小回りが利きいて、
舞台上の大人数の間をシュルシュル~と縫うように移動できるため、
この作戦は功を奏していた。)


                
さらに大天狗は、舞働の囃子に乗って舞台をまわり、

源平合戦における牛若の庇護を約束して、鞍馬山の梢に飛び翔って消えていく。

                 
最後は満次郎さんの地響きのような留拍子で、この絢爛たる舞台は幕を降りたのだった。

                    
面白かったけれど、そうたびたび見たいものではないので、30年に1回くらいがちょうどいいかな。
次は老後に、和麿さんの舞台で天狗揃を拝見できたら感無量かもしれない。

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