2015年3月29日日曜日

友枝昭世の會 特別公演 《井筒》

2015年3月28日(土)15時半開演   国立能楽堂

 能 《井筒》  シテ 友枝昭世   


    ワキ 宝生閑  アイ 野村万蔵

    囃子 一噌仙幸  曽和正博  柿原崇志
    後見 塩津哲生  中村邦生
    地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
       友枝雄人 内田成信 佐々木多門 粟谷浩之




能一番のみという、友枝昭世師ならではの簡素にして極上の公演。


お囃子は、日本芸術院賞を受賞されたばかりの柿原崇志師、
いつもながらクリスタルな音色が美しい一噌仙幸師、
後場で月夜の情景を鼓の音で描きだした曽和正博師。

そして慈愛に満ちたまなざしでシテをこまやかに見つめ続けたワキの宝生閑師。


アイ狂言の野村万蔵師をのぞけば、シテと三役の平均年齢はとても高いのだけれど、
お能ってほんとうに凄い芸術だと思う。
                      
芸の力によって、老いが究極の美に転じる芸術。
経験と鍛錬の積み重ねが、肉体の限界を超越させる芸術。
お能の凄さを再確認した舞台だった。



前日にも野村四郎師の《井筒》のワキを勤めたばかりの宝生閑師が名ノリ笛で登場した後
次第の囃子でシテの友枝昭世師が気配を消したようにひっそり静かに登場。

古風で愛らしい小面に、ゴールドがかったクリーム色と薄い朱色の段替えの唐織。
衿は白と朱色の艶やかな装い。


暁ごとの閼伽の水、月も心を澄ますらん


木の葉の入った水桶と数珠を手に悲しげに謡う謎の女は、旅僧に請われるままに
ススキの生えた古塚に眠る在原業平とその妻の物語を語る。


シテは正中で古塚に向かって下居し、業平とその妻の幼き日々の回想が
居グセのなかで地謡によって語られる。

女が見つめる古塚は、彼女の記憶の中で、業平と遊んだ井筒へと変わり、
その映像がワキの心眼に投影され、
恋が芽生えた幼い男女の無垢な姿が観客の目にも映し出される。

         

         

筒井筒、井筒に掛けしまろが丈、生いにけらしな妹見ざる間にと読みて贈りける程に


シテと地謡の謡が美しく、胸に切々と響く。




後場。
初冠に追懸をつけ、桐の葉(?)模様の紫地長絹に上品な朱色の縫箔を腰巻にしたシテが
足のない幽霊さながらに、静かに橋掛りを歩いてくる。
                 
彼女のハコビはもはや人間の体重を載せていない。
ただ、彼女の追懐と思慕の念だけが女の姿となって運ばれてくる。



月明かりと澄んだ笛の音に清められた空間のなか、
古井戸のかたわらに凛然と立つススキと、待つ女の亡霊――。

待つこと以上に辛いものがあるだろうか。

ましてや希代のプレイボーイ、業平をひたすら待ち続けるのだ。
なんと過酷な人生を彼女は生きたのだろう。


その辛く悲しい人生を彼女は自ら選びとり、見事に生き抜いた。
きっと待つことこそが彼女の生きざまであり、矜持だったのだ。
ただ一途で可憐なだけではない、芯の強さ、たおやかさ。

                
                     
優美に舞う彼女の内には、
風に靡くススキのような強靭なしなやかさが秘められている。

          
                      
小説や絵画や演劇・映画に登場する日本女性が美しいのは、
自己主張して、相手を意のままにする欧米的な強さではない、
自分を抑え、孤独に耐える精神的な強さ、潔さがあるからだろう。


甘美な思い出、嫉妬に燃えた灼熱の苦しみ、流したいくつもの涙。
折り重ねられた歳月を哀惜するかのように、待つ女は静かに序ノ舞を舞う。
                              


一噌仙幸師の笛が奏でる繊細に澄みきった序ノ舞。
大小鼓の掛け声の枯淡な味わい。

そして、肉体の生々しさから解放された洗練美の極みのような友枝昭世師の舞姿。


一瞬ごとに消え去ってしまう夜露のような美しい世界。
             
この美に立ち会うことのできた幸せに、私はただただ恍惚として、浸りきっていた。



終曲部は世阿弥の作曲の妙が存分に発揮され、
友枝師は世阿弥の思いと工夫を存分に汲んで演じていらっしゃった。



井筒にかけしまろがたけ、生ひにけらしな、老いにけるぞや
さながら見みえし昔男の冠直衣は女とも見えず、男なりけり、業平の面影



シテはここで左手を井筒の枠にかけ、古井戸をじっとのぞきこむ。

時はさかのぼり、記憶が映像となって甦る。




見ればなつかしや


            
この時、彼女が井戸の中に見たものは業平の姿。
そして、幼き日の2人の姿だったのかもしれない。


              
我ながらなつかしや


さらに、シテは扇を持った右手でススキをかき分け、井戸の奥をのぞく。

このときおそらく彼女が追慕したのは、
業平が愛した若き日の、美しかった彼女自身の姿ではないだろうか。

(美少年時代を回顧しながら本曲を書いたであろう世阿弥自身の姿が、
ここで亡霊の姿と重なり合う。)


亡婦魄霊の姿はしぼめる花の色なうて匂ひ


若き日の自分自身に再び出会った彼女は、悄然と扇で顔を隠しながら、
花がしぼむように座りこみ、そして、立ち上がる。
                       
若さを失っていくときの女の哀しみと優雅な諦観。


寺の鐘が鳴り、夜が白々と明けてくる。


シテは留拍子を踏むことなく、
見る者を夢の中に残したまま、
橋掛りを通り、揚幕の奥の異空間へと還っていった。










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