2015年8月18日火曜日

相模薪能 《金札》《簸屑》《海士》

寒川神社の薪能のつづき

注連縄が張り巡らされた本殿前の特設能舞台
                
     
半能《金札》 天太玉命 観世喜正 
        ワキ殿田謙吉 ワキツレ則久英志
        一噌隆之 鵜澤洋太郎 國川純 小寺佐七
      後見 遠藤喜久 弘田裕一
      地謡 奥川恒治 駒瀬直也 小島英明 佐久間二郎
         坂真太郎 井上卓夫 久保田宏二 中森健之介

         
狂言《簸屑》 太郎冠者 野村萬斎 主 中村修一
        次郎冠者 深田博治  後見 内藤連

神酒賜わりの儀

能 《海士》 海人/龍女 中森貫太  房前大臣 片倉翼 
           ワキ殿田謙吉 ワキツレ大日方寛 浦人 竹山悠樹
       一噌隆之 鵜澤洋太郎 國川純 小寺佐七
       後見 奥川恒治 駒瀬直也
       地謡 弘田裕一 五木田三郎 鈴木啓吾 遠藤喜久
          佐久間二郎 小島英明 坂真太郎 中森健之介



花柳眞理子氏による日本舞踊「島の千歳」(小鼓最高!)のあと、いよいよ薪能の始まり。
 
半能《金札》
まずは、ワキの勅使が従者を従えて登場。
「これは桓武天皇に仕え奉る臣下なり」と名乗り、伏見の里に大宮を造営するために遣わされた旨を述べる。
 
このあとの《海士》の時もそうだったけれど、
ワキのハコビが常とは違ってスタスタと進んでいく。
真夏の薪能だから全体的にテンポを速めているのだろうか?
 
 
半能なので金札が降ってくる場面はすっとばして、いきなり天太玉命(あめのふとたまのみこと)があらわれる。
 
特設能舞台の揚幕は鎌倉能舞台と同様、正面向きにつけられているため、揚幕がジャンッとあがると、シテは正面向きにいったん出てポーズを決めた後、舞台方向に向き直り、橋掛りを進む。
登場直後のシテの姿を真正面から見ることはなかなかないので、ある意味、貴重な体験。
 
シテの装束は、半切、厚板、法被肩上→見るからに暑そう。
面は天神だろうか。 なぜか不敵な笑みを浮かべている。
頭には金札をつけた冠を被っていて、分かりやすい(笑)。
 
右手に矢、左手に弓を持つ勇壮な武神だ。
 
天野文雄先生の『翁猿楽研究』によると《金札》の原型では、シテの天太玉命の前に、ツレの天女が登場して舞を舞っていたのではないかとのこと。
もしもそうならば、観世流の《金札》は、省略に省略を重ねて、かろうじて半能という現在の形で残っていることになる。
いずれにしろ、とても短いし、祝言性の高い曲なので、こういう神社での薪能にはぴったり。
 
 
さて、しばらく舞台上で弓矢を手にして謡いと舞を披露したシテは、「悪魔を射祓い」で、正中で弓をつがえ、揚幕方向に狙いを定めて矢をビュンッと放つ。
放たれた矢は二の松あたりの橋掛り上に見事に落下。 これぞ破魔矢!
ピタリと決まる心地良さ。 見ていてスカッとする。
《張良》で沓を投げる時もそうだったけれど、喜正さんは何事にも器用でそつがない。
 
舞働となり、さらに「弓をはづし、剣をおさめ」で、角にて下居し、弓を置いて弦をはずし、扇に持ち替え、「ゆるがぬ御代とぞなりにける」で留拍子。
 
平和祈願にふさわしい曲と颯爽とした舞だった。
 
 
 
狂言《簸屑》
太郎冠者が眠そうにお茶の屑を挽いているところに、次郎冠者がやってくる。
眠気覚ましにと、次郎冠者は仕方話をしたり小舞を舞ったりするのだが、太郎冠者はうとうと寝入ってしまう。
腹を立てた次郎冠者は、いたずら心を起こして、寝ている太郎冠者に鬼の面をかぶせる。
戻ってきた主人は、家の中に鬼がいるのを見てびっくり。
鬼になった太郎冠者を追い出そうとする主人に、「どうか置いてください」と泣きながら駄々をこねる太郎冠者。
最後には、次郎冠者のいたずらだったことが分かり、太郎冠者が次郎冠者を追いかけておしまい。
 
寝たり、泣いたり、怒ったり、なかなか難しい役どころだと思うけれど、
やっぱり萬斎さんうまいなー。
深田さんとの掛け合いも息が合っていて、面白かった。
 
 
神酒賜わりの儀
狂言のあと、例年ならば休憩が入るそうだが、この日は休憩はなしで、「神酒賜わりの儀」という儀式が執り行われた。
これは、素晴らしい演能をした演者の労をねぎらうために、神前に捧げられた御神酒を楽屋に届ける儀式。
薪能の元祖とされる興福寺薪御能で上出来な能のつど、春日明神に使いを立てて奉告し、楽屋に酒肴を届ける習わしがあったことに由来するという。
 
 
能《海士》
子方の房前大臣とワキ・ワキツレの従者登場。
ワキが讃岐の志度の浦に着いたという着きゼリフのあと、前シテの海人登場。
品のある美しい深井の面。
浅葱の水衣に、濃紺の縫箔と鬘帯というシックな出立。
右手に鎌、左手に海松藻(みるめ)。
 
シテとワキとの問答のなかで、水底のみるめを刈ってほしいというワキに対して、
シテが、ああ、長旅でお腹がすいているのですね。刈らなくても、ここにみるめがあるので、これを召し上がってください、という。
ここのやり取りがどことなくユーモラス。
加えて、純朴で温かい海人の人柄も描写されている。
こういう真っ直ぐな性格だからこそ、大臣Sr の言葉をひたすら信じて、(うまく利用されたとは露疑うことなく)危険に身を投じていったのだろう。
 
玉之段はいつ見ても、母の強さ、偉大さを思い知らされる。
我が子の栄達のために、母親はここまで自己犠牲ができるものだろうか。
 
終戦記念日に《海士》を観ると、
御国のために命を擲った英霊の姿と重なるようにも思えてくる。
 
 
後シテは、モーヴ色の大口にクリーム色の舞衣。
龍戴をいただき、面は泥眼。 手には経巻。
全体的に母性を感じさせる優しい印象。
 
シテの貫太師は、謡の人だと思う。
もちろん舞もうまいけれど、謡が抜群にうまく、聴き惚れる。
 
早舞は激しさよりも、亡き人の魂を鎮め癒すような、やさしく厳かな舞。
柔和な空気に包まれるように終曲。
余韻に浸りたかったのだけれど、
ワキ・ワキツレ・子方があまりにも早く立ち上がったのが少し残念。
 
とはいえ、全体的には大満足!
夏のいい思い出になりました。
主催者・演者の方々、ありがとうございました。
 


帰り路。灯籠がともる参道は幻想的。



 

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