2015年8月23日日曜日

第弐会 紀彰の会 ~舞への誘い

2015年8月22日(土) 最高気温34度 13時~15時45分 梅若能楽学院会館


J・S・バッハ シャコンヌ  梅若紀彰
      ヴァイオリン 河村典子

仕舞《嵐山》    土田英貴
   《半蔀クセ》  安藤貴康
   《舎利》    足疾鬼 谷本健吾  韋駄天 松山隆之
         地謡 角当直隆 山崎正道 梅若長左衛門 長島充

舞囃子 《三輪》  梅若紀彰
      松田弘之 鵜澤洋太郎 亀井広忠 小寺真佐人
      地謡 土田英貴 角当直隆 梅若長左衛門 安藤貴康

    (休憩)

舞囃子 《善知鳥》 梅若紀彰
      松田弘之 鵜澤洋太郎 亀井広忠 
      地謡 松山隆之 長島充 山崎正道 谷本健吾

仕舞《箙》       角当直隆
   《筺之段》    長島充
   《弱法師》    山崎正道
   《卒塔婆小町》 梅若長左衛門
      地謡 土田英貴 松山隆之 梅若紀彰 谷本健吾 安藤貴康

    (休憩)

舞囃子《熊坂》   梅若紀彰
      松田弘之 鵜澤洋太郎 亀井広忠 小寺真佐人
      地謡 土田英貴 安藤貴康 松山隆之
          谷本健吾 長島充 山崎正道 角当直隆 

附祝言
懇親会


      

第弐回紀彰の会は(チラシでは)内容がやや不明で、比較的マニアックな番組。
と思っていたら、
フタを開けてみると、紀彰師の感性が随所に生かされた意外性に富む公演だった。


J・S・バッハ シャコンヌ  梅若紀彰
羽生くんがフィギュアで使っても良さそうな激しくドラマティックなバッハのシャコンヌ。
これを能楽の舞に合わせると、いったいどんなふうになるのだろうと思っていたら、
随所に工夫が凝らされて、見どころが多く、完成度の高い作品に仕上がっていた。

まずは、ヴァイオリンの河村氏が洋服姿に白足袋を履いて揚幕から入場。
切戸口からは紀彰師。

この日は曲ごとに主役の紀彰師が紋付き袴をお召替えなさっていたのですが、
冒頭のシャコンヌでは、薄紫の紋付きに細かい縦縞のグレーの袴。
すっきり爽やかな印象です。

ため息がでるほど繊細優美なハコビから始まり、
扇で雨を受けるような型があるかと思えば、
時計回り、さらに反時計まわりへと螺旋状に旋回する型もあり、
そうかと思えば扇を投げて拾う舞や、
猩々乱のような流れ足や頭振り、枕ノ扇もあり、
さらには扇で水を汲む型や、扇を筆に見立てて文字を書く型など、
紀彰さんのオリジナリティとアレンジのセンスがいかんなく発揮された一番。

それぞれの場面でストーリーを夢想しながら観るともっと楽しいのかもしれないけれど、
そんな余裕はなく、ただただ独創的で美しい舞に見入っていた。

マーラーの交響曲第5番アダージェットやカヴァレリア・ルスティカーナのインターメッツォ
などもお能の舞に合う気がする。
でも、能楽堂で演奏するにはヴァイオリンかチェロの無伴奏曲がいいのでしょうね。

河村氏の演奏も素晴らしく、
岩に砕ける滝の水飛沫のようにぶつかり合い溶け合った素敵な共演だった。


(この後、紀彰さんが舞台に再び登場し、お能が初めての人のために簡単な解説。
地声をはじめて拝聴する。舞の直後だったので、息が上がって大変そう。)


仕舞 《嵐山》 豪快な飛び返り。
    《半蔀》 安藤さんにぴったりな曲。 丁寧な舞。きれいな声。
         他の方の舞の時に杖や扇を差し出す所作もきれいで、勉強になる。
    《舎利》 梅若会と銕仙会のコラボ仕舞。 見ていて楽しい。



舞囃子 《三輪》          
ようやくお囃子登場。
(松田師以外第一回紀彰の会よりも(あくまで)比較的若いメンバーだけれど、
流儀は同じ、森田流、大倉流、葛野流、観世流。
シテによってやりやすい流儀があるのかしら。)

紀彰師の出立は、灰緑色の紋付きにブルーグレイの袴。

この曲に関しては地謡とお囃子の調子がいまひとつ。
松田師は好い笛方さんだけれど、この《三輪》での笛はピンとこなかった。
他の囃子方もどうも神楽に乗りきれてない感があって、
大好きな《三輪》の世界に耽溺したいのに、何かが邪魔をしている。

「神楽を奏して舞ひ給へば」で、お囃子の沈黙を破って、
太鼓が頭の鋭い掛け声とともに入っていくのだけれど、
ここも太鼓が決め手となる箇所だけに、どうしても物足りなく感じてしまう。
地謡も総じて弱く、盛り上げるところも盛り上がらず。
(囃子も地謡も悪くはないのだけれど、シテとのバランスが。)

                
紀彰師自身の舞は際立っていた。
特に、型と型のあいだの静止しているところ。
シテの精神的・肉体的気の充実と、彼を取り巻くすべての気の流れとの
絶妙な均衡と拮抗のなかで生み出された静止の状態、
それが紀彰師のせぬひまだった。

舞の一瞬一瞬をとらえたくて、まばたきするのも惜しいくらい。



舞囃子 《善知鳥》 
休憩をはさんで、第二部。
お色直しをされた紀彰師の出で立ちは、緑がかった墨色の紋付きに灰茶の袴。
この紋付きが何ともいえない深みとコクのある色合いで素敵だった。
(《善知鳥》の曲趣にもぴったり。)

クセで「報いをも忘れける事業をなしし悔しさを」と生前の殺生業を悔いつつ、
杖を持って立ち上がり、舞は静から動へと移っていく。

うとうと呼ばれて、子はやすかたと答へけり

シテが「うとう」と謡って足拍子を踏むと、ここからドラマティックに転調する。
第二部になると、お囃子も面目躍如。
とくに、追打ノカケリでは大小鼓が炸裂し、激しい鼓に引かれたシテは憑かれたように
正先に置かれた笠を小鳥に見立てて杖を振り、鳥打ち猟を再現する。

「親は空にて血の涙を」でシテは杖を地謡と笛座のあいだにサッと投げ(お見事!)
「降らせば濡れじと」で笠を手に取り、
「菅蓑や笠を傾け」で笠を掲げて血の雨を避け、
しばらく笠での舞事のあと、
「血の涙に目も紅に沁み渡るは紅葉の橋の」で、笠を目付柱手前に投げ(こちらも見事!)、
今度は扇を手にして、地獄での有様をリアルに描写する。

この世では善知鳥に見えていた鳥が地獄では怪鳥となって(シテが羽ばたく)、
鉄の嘴と罪人を苛み、胴の爪で罪人の眼球をつかむ。
シテは鉤爪のように手指を立てて、目をくりぬく型をする(無惨!)。
猛火にむせんで声も出ず、ついに「羽抜鳥の報いか」でがっくりと安座。

さらに地謡が、うとうが鷹となり、雉となったシテを追い回す有様を語り、
最後は僧に弔いを託して終曲。

《善知鳥》では地謡も緩急を巧みに操り、
お能一番にも匹敵するほどの充実した舞囃子だった。




仕舞《筺之段》   九皐会からの唯一の出演者。
            以前拝見した時も思ったけれど、きれいな舞。
   《弱法師》   謡が玄祥師に似て、うまい。
   《卒塔婆小町》 シテの雰囲気と曲調が合っていて、
             他の人には出せない味わいがあった。

    


舞囃子《熊坂》   梅若紀彰
最後の一番は、紗の黒紋付きに黄土色の袴でキリッと。

舞囃子+シャコンヌで4番目にしていちばん激しい曲。
いったいどれほど強靭な肉体なのだろう。
素人には想像もつかないけれど、
疲れをまったく感じさせない、ダイナミックなアクションの連続。
そして最後には、
仲間たちの弔い合戦に臨み、はからずも敗北して命を落とした熊坂の無念さも滲ませて。

パンフレットに書かれていた通り、舞の表現力の可能性を堪能したお舞台だった。


終演後は1階ロビーにて懇親会があり、わたしも能楽関係の懇親会に初参加。
紀彰さんはもちろん、引っ張りだこで、ファンの方々と写真を撮ったり談笑したり。
他の出演者の方々も顔を出していらっしゃった。
女流能楽師のレイヤーさんが浴衣の着流しを、男性のように対丈でお召しになり、
帯(角帯?)もお腹ではなく、腰のあたりで締めていて、
宝塚の男役のようにカッコいい。
(女流の皆さんはこのように浴衣を着るのだろうか。)
わたしも夫の浴衣を借りて真似してみたくなったけれど、
わたしにはムリムリ。
あれは、美人でスタイルが良くて、さらには姿勢や所作など、
日ごろの鍛錬があるからこそ成り立つ着こなしなのだろう。

ところで、ロビーに張ってあったポスターとチラシに気になるものがあった。
今年12月19日「朗読と演奏で綴る 谷崎潤一郎 文豪の聴いた音曲」という公演。
(紀彰師は朗読で御出演。)
自宅で三味線を弾く谷崎の写真がポスターになっていて、これがなんとも趣深い。
音で味わう谷崎ワールド、気になる……。







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