2015年10月26日月曜日

橘香会 《定家》

2015年10月25日(日) 13時半~18時20分     国立能楽堂
解説    馬場あき子

能《定家》 シテ里女/式子内親王の霊 梅若万三郎
      ワキ旅僧 福王和幸  アイ 野村萬斎
       松田弘之 久田舜一郎 亀井忠雄
    後見 野村四郎 山中迓晶 青木健一
    地謡 伊藤嘉章 西村高夫 清水寛二→柴田稔 加藤眞悟
       八田達弥 長谷川晴彦 梅若泰志 古室知也
  (休憩20分)

仕舞《盛久》   青木一郎
  《芦刈》   梅若紀長→お休み
  《七騎落》  中村 裕
        地謡 梅若万佐晴 泉雅一郎 伊藤嘉章 青木健一

狂言《蝸牛》 シテ山伏 野村萬斎 アド主 月崎晴夫
       アド太郎冠者 石田幸雄

仕舞 《清経キリ》 梅若志長
   《駒之段》   梅若万佐晴
   《笹之段》  野村四郎
           地謡 梅若万三郎 伊藤嘉章 長谷川晴彦 梅若紀長

能《石橋・大獅子》   シテ尉/白獅子 遠田修
               ツレ赤獅子 梅若泰志・ 梅若久紀
             ワキ寂照法師 野口能弘
                   アイ山の精 竹山悠樹
                  栗林祐輔 鵜澤洋太郎 大倉正之助 徳田宗久
            後見 梅若万佐晴 中村裕 泉雅一郎
            地謡 青木一郎 加藤眞悟 八田達弥 長谷川晴彦
               古室知也 青木健一 根岸晃一 若林泰敏



「好きなお能の曲は?」と聞かれて、真っ先に答えるのが《野宮》、その次が《定家》。
でも、禅竹物のこの二曲は上演回数が少ないうえに、
納得できる舞台にはなかなか出会えない。
この方ならば……と期待を込めて、この日、万三郎師の《定家》に臨んだ。

結果は、良い意味での「裏切り」と意外性に満ちた、
いかにも万三郎さんらしい、万三郎さんにしか実現できない《定家》だった。


【前場】

山より出づる北時雨 行方や定めなかるらん

禅竹が「雨の能作者」と言われるように、物語は晩秋の冷たい時雨で始まる。
木々に紅葉の残る冬枯れの京の夕暮れ。

冒頭から見所を酔わせて《定家》の世界へグイグイ引き込む次第の囃子。
とくに笛のすすり泣くような物悲しい音色に、全身がしびれるような陶酔感を覚える。
囃子の響きとともに、舞台が黄昏色に染まっていく。


旅装たちが一軒の古い庵に目をとめ雨宿りに向かうと、
背後(幕の中)から女の声がして、
ワキとのしばしの問答の後、シテはようやく幕から姿を現す。

前シテの面は増。 
この増女は不思議な面だ。
氷のように冷たく整った美しい顔は、憂いを帯びたり、悲哀に沈んだり、
恥じらいを含んだりと、一瞬ごとに微妙に表情を変えていく。
その伏し目がちな瞳はまばたきしているようにさえ見えることもあった。

万三郎によって生気を吹き込まれた能面は、生身の女性とは異なる、
現実には存在しえない高貴なヒロインとして息づき、見る者を幻惑する。

里の女は旅の僧に、庵の名称「時雨の亭」の由来について、
その昔、藤原定家が建てて、時雨にまつわる歌を詠んだと説明し、
僧と目を交わす。

秋の時雨のこの時期に、時雨に降られて、時雨の亭に雨宿りに訪れた旅の僧。

ともに何かの因縁を感じたらしく、シテとワキは見つめ合い、
女は、供養したいお墓があるので一緒にお参りしてほしいと僧を誘う。


このシテとワキの交流には、人間らしいぬくもりはない。

彼らのあいだにあるのは安易で甘ったるい感傷ではなく、
禅竹の曲、そして歌人・定家の作品の根底にある冷たい虚無感。

この醒めた虚無感のようなものが、
シテとワキのあいだをゆるやかに流れ、それがこの舞台の基調をなしていた。
(福王和幸師がワキに起用された理由もここにあるのかもしれない。)



二人が向かった先には、蔦葛の這いまとう古塚があった。
女は定家と式子内親王の悲恋を語り、二人の歌を引きながらその辛さを僧に伝える。


玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする(弱るなる)
                  式子内親王

死ぬほどつらい忍ぶ恋に耐えられず、二人の心も弱り、


歎くとも恋ふとも逢はむ道やなき君葛城の峰の(白)雲
                   藤原定家



逢えない苦しみは定家を妄執へと駆り立て、式子内親王亡き後、
定家葛となってその墓に這いまとわり、恋の炎のように紅葉するという。


定家の妄執を解くよう僧に頼んだ女は、「我こそ式子内親王」と名乗って立ち上がり、
塚に寄り添い、その壁に吸い込まれるように、塚の中へ消えていく。

(一瞬、引廻をすり抜けたのかと錯覚するほど、万三郎師はスルリと塚へ入っていった。)



中入】
萬斎さんの間狂言。 なんとなく、ここだけが萬斎ワールド。

(そういえば、広忠の会の《定家》の間狂言も萬斎さんなんですね。
行こうかどうしようか迷い中。出演者を見るとチケット自体取るのが難しそう。
味方さんの《定家》はそれこそ粘着質の情念の世界、
感情表現豊かな《定家》になると予想←《砧》の時もかなり情感豊かだった。)



後場】
中入りのあいだに大鼓は焙じたてのものに交換されたのだけれど、
焙じ方か良くなかったのか、前場のお道具よりも音質が下がっていて、
打音が響かず、こもってしまう。
(忠雄師のいつもの澄みきった純度の高い音色ではなかったのは、
もしかすると意図的にそうしたのだろうか?)


また、ワキの待謡のあと、シテは塚の中で謡い、しばし地謡との掛け合いとなるのだが、
このときのシテの詞「花も紅葉もちりぢりに」が、「花も嵐もちりぢりに」になっていた。
(万三郎さんの言い間違い?) 
たぶんこの詞は、定家の有名な歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり」を暗示している
箇所だと思う。


こんなふうに、後場の冒頭にはやや弛緩した空気が流れたけれど、
「外はつれなき定家かづら」で引廻しがはずされると、
シテの意表を突く姿が見所を惹きつけ、舞台はふたたび求心性を帯びていく。

塚の中から現れたその姿――。
後シテの面は痩女か泥眼を予想していたが、(嬉しいことに)期待を裏切って
前場と同じ増女。
そして枝垂れた風情が定家葛を思わせる、柳模様の緑地の長絹(露は紫)に
オレンジシャーベットカラーの色大口。



ワキによる薬草喩本の読誦のおかけで、塚に這いまとっていた定家葛が
ほろほろと解け、式子内親王の霊はよろよろと立ちあがって塚から出る。
そして僧に合掌し、お礼として、華やかなりしころ宮中で舞った舞をお目にかけましょう
と言う。

そして、万三郎の《定家》の序ノ舞。
通常の《定家》に期待される暗さや陰鬱さとは無縁の、ひたすら美しい舞。

そこには「力み」や「努力の跡」というものが一切見えない。
あるのは、洗練の極みと品格の高さだけ。

皇女として斎宮を十年勤め、
斎宮を辞してのち、十歳年下の才気あふれる貴公子と恋に落ち、やがて別れる。
元斎宮という特別な身分とプライド。
婚期を過ぎた年上の女という負い目。
生涯で一度だけ味わった束の間の恋。

そうした女性の内に秘めた思いを舞で表現すると万三郎のこの序ノ舞になるのだろうか。

悲しみや苦しみといった負の感情は極限まで抑制され、
舞のなかに見え隠れする深い翳りに、シテの思いの断片をうかがうことができる。

昔を今に返す花の袖。
ひるがえす袖は甘美な羞恥心に震え、焚きしめた薫香と男の移り香を運んでくるよう。

僧の読誦によって定家葛を解かれ、成仏するかと思えたシテは、
舞っているうちに過去の記憶がよみがえり、ふたたび過去の恋に埋没していく。


夜の契りの夢のうちにとありつる所に帰るは、葛の葉の元の如く


もとの如く、
シテはいったん塚に戻り、ふたたび塚から前に出て、
定家葛の這いまわる様子を再現するように、
作り物の右前柱のまわりを一度だけ時計回りにまわってから、
再び塚に入り、左手に持った扇を顔前にかざしながら夢見るように座り込み、終焉。

万三郎のこのエンディングも予想外だった。

他のシテならば、定家葛が再び這いまわるのを強調するために、
塚の作り物の柱を八の字を描くように回ったり、同じ柱を何度も回ったり、
あるいは塚の中で座り込む時も、両腕で自分の身体を抱くように演じたり、
扇を持った左手で身体を覆うようにしたりすることもあるけれど、
万三郎師の演出はじつに淡白。


おそらく万三郎師は、クドさやドロドロした粘着性を好まないのだろう。
凝った演出や豊かな感情表現を好む玄祥師とは対照的だ。

なんとなく、万三郎師の芸風には、
理知的・技巧的・耽美的な歌人としての定家の作風に通じるものがあるように思う。


定家葛とは、定家の妄執ではなく、
式子内親王の妄想の中で生み出されたものではなかったのか。

浮世離れした元聖女の倒錯した妄想こそ、
万三郎師が描きたかったものではないだろうか。


と、それこそ勝手な妄想をしてしまったが、
いずれにしろ万三郎師ならではの優雅な倦怠と冷たい官能性を秘めた、
美の極致とでもいいたくなる《定家》だった。


彼以外のシテで、このような《定家》を観ることはもうないのかもしれない。




追記:
橋掛りを帰る時、通常、シテがシテ柱を過ぎるとすぐにワキが立ちあがり
その際に余韻を台無しにしてしまうことが多いのだけれど、
この日のワキは、シテが一の松を過ぎるのを待ってから静かに立ち上がり、
その後も、余韻を乱さないよう配慮している様子がうかがえた。
ワキの福王和幸師にも拍手を送りたい。


橘香会《石橋・大獅子》などにつづく

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