2016年2月14日日曜日

能と土岐善麿 《実朝》を観る ~能《実朝》後場

能と土岐善麿《実朝》を観る ~能《実朝》前場からのつづき

能《実朝》シテ老翁/実朝 狩野了一  
     ワキ舘田善博 アイ深田博治
      藤田貴寛 森澤勇司 柿原光博 大川典良

      後見 塩津哲生 佐藤寛泰
      地謡 長島茂 友枝雄人 内田成信 金子敬一郎
          粟谷充雄 大島輝久 友枝真也 塩津圭介



間狂言
夜漁に出た浜の漁師(深田博治)が小舟を漕いでいると、何かがぶつかったようなドーンという大きな衝撃。
どうやら大きな唐船と衝突したらしい。
見てみると、唐船のなかに人影はなく、無人で漂っている様子。
こんな不気味な夜は魚もいないだろうと、漁師が浜へ舟を戻そうとすると、いつのまにか唐船は消えていた――。

という、幽霊船と遭遇する興味深い場面を演じたあと、アイは例のごとく、実朝と大船の話を僧に語って聞かせます。

ひねりのある洒落た間狂言で、アイの深田さんの装束にも碇の模様が白抜きで染められていてオシャレでした。



後場
ワキの待謡のあと、出端の囃子に乗って後シテ登場。
大川さんの太鼓の響きが殊更きれい。

後シテ実朝の亡霊は、深い海を思わせる緑がかった金地の狩衣を衣紋に着け、
紫の指貫に初冠・黒頭という出立。
(黒垂でなくボサボサの黒頭にした理由をあとで能楽師さんにうかがったところ、
《雷電》の菅相丞のような怨霊のイメージだからとのこと。なるほどー。)

面は、中将と怪士を足して二で割ったような不思議な面で
これもあとでうかがったところ、邯鄲男とのこと。
通常の邯鄲男よりも品のある垢抜けた面立ち。
陰翳に富んだ表情が実朝の鬱屈した心情をあらわしているかのよう。


なんとなく《融》の後シテのような出立をイメージしていたので、
わたしにとっては意表を突く姿で、新鮮な驚きでした!


出端からシテの一セイ「大海の」となり、
地謡の「磯もとどろによるす浪」から、大小太鼓のナガシが入って、
舞台はドラマティックに盛り上がり、観客の胸も否応なく高鳴っていきます。


シテ「われてくだけて」、地「さけて散るかも」から
いよいよ大海ノ舞。

舞の初めには立拝はなく、早舞の途中で黄鐘から盤渉に転じ、
三段目にクツロギが入り、シテが橋掛りを通って幕前に向かうあいだ、
大小鼓はナガシを打ち、太鼓はイロエ地(かな?)を打つ。

シテが幕前まで来ると、囃子は浪が静まるようにスローダウンし、
シテもたゆたうように反時計回りにクルリとまわってサシ込み、
さらに時計回りにまわって袖を被く。

シテが橋掛りを通って舞台に戻るときには、大小太鼓ともにナガシとなり、
シテが舞台に入ったところで、太鼓がキザミに変わり、
急ノ舞へと転じる。


全体的に観世流の《融・舞返》とよく似た構造でしたが、
細かい部分はいろいろ違っていたようです。


狩野師の急ノ舞はシャープでキレが良く、
砕け散る大浪のダイナミックな荒々しさ、爽快感が表現されていました。


最後は、
「八大竜王を呼ぶかとみれば」で、シテは橋掛りに行き、
「磯もとどろに」で二の松にて右足を踏み、
「歌はつきせじ」で左袖を巻きあげ、高く掲げて幕前まで進んで袖をはらい、

われてくだけて、さけて散るかも、さけて散るかも、さけて散るかも

のリフレインのなか幕入り。
ワキが常座まで進んでシテを名残惜しげに見送り、留。



新作能に命をかけた(『後藤得三芸談』)とされる喜多実。

能楽界の革命児の心意気と、
実朝の雄渾な歌、
そして土岐善麿の洗練された文才が溶けあった新作能でした。







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