2016年7月6日水曜日

国立能楽堂七月公演 《白鬚・道者》前場~能のふるさと・近江

2016年7月6日(水) 気温27℃ 13時~15時20分(休憩なし) 国立能楽堂

葦の生い茂る近江八幡・西の湖の風景
(水郷めぐりの手漕舟より撮影)

能《白鬚》 漁翁/白鬚明神 観世銕之丞 前ツレ漁夫 観世淳夫
      後ツレ天女 谷本健吾     後ツレ龍神 長山桂三
      ワキ勅使 宝生欣哉   随臣 則久英志 御厨誠吾
      藤田六郎兵衛 鵜澤洋太郎 守家由訓 前川光範
      後見 清水寛二 西村高夫 柴田稔
      地謡 片山九郎右衛門 
          山崎正道 馬野正基 味方玄
          分林道治 浅見慈一 安藤貴康 青木健一

間狂言《道者》
      オモアイ勧進聖 山本泰太郎 アドアイ船頭 山本則重
      道者 山本則孝 山本凛太郎 水木武郎 寺本雅一
      アドアイ鮒の精 山本東次郎
      地謡 山本則俊 山本修三郎 山本則秀 



夏にふさわしく湖上を舞台にした稀曲&替間狂言。しかも豪華キャスト!
御馳走てんこ盛りの長丁場(2時間20分)でした。

今月は「能のふるさと・近江」特集なので、ロビーには近江を舞台にした謡曲マップが。

それによると琵琶湖周辺を舞台にした曲には;
《白鬚》(白鬚神社)、《志賀》、《三井寺》、《関寺小町》《鸚鵡小町》(関寺・逢坂)、《蝉丸》(逢坂山)、《自然居士》(松本)、《巴》《兼平》(粟津)、《源氏供養》(石山寺)、《蚊相撲》(守山)、《竹生島》があるとのこと。

こうしてみると近江が「能のふるさと」というのがよく分かる。
近江猿楽ゆかりの地でもあるし。

実際の白鬚神社は、厳島神社のように水上に浮かぶ湖中鳥居の美しい神社らしい。


ちなみに能《白鬚》は観世流と金春流にしかない曲(作者は不明)で、二年前には京都で観阿弥の「白鬚の曲舞」と能《白鬚(シテ片山九郎右衛門)というシンポジウムと上演のイベントがあったそうです。 




肝心の舞台はというと――。

まずは、大小前に引廻しのかかった社殿の作り物が出される。
社殿の両端には杉葉で覆われた灯明台が載っていて、これが後場の伏線(?)となります。


【ワキの登場】
白鬚明神の霊夢を見た帝の命により、勅使一行が明神に参詣する。

揚幕がサッと揚がり、ワキが両袖を広げて身を沈めて爪先立ち、見所のほうへ右手とスッと突き出し、舞台方向に向き直って橋掛りを進む。
いつもながら欣哉さんのこの型には品格があり、誰よりもビシッと決まっている。
わたしにとっては脇能のワキの理想形。


大鼓の守家由訓さんは初めて(観世流の大鼓を聴くこと自体たぶん初めて)。
大阪の囃子方さんなんですね。
間の取り方や掛け声の雰囲気が東京でよく聴く大鼓とはちょっと違っていて、最初すこし早めで、女房役の小鼓が合わせているように感じたけど、徐々に調和して、特に後場の囃子は絶品でした!
洋太郎さんの小鼓がエコーかかっているかと思うほどきれいな響き。

来月も守家さんの大鼓を聴く予定なので、こちらも楽しみです。



シテ・ツレ登場】
真ノ一声でツレを先立ててシテの登場。
ツレは緑の水衣。
シテの面は笑尉。
人間の霊の仮の姿である汐汲や漁師に使われることの多い笑尉が、白鬚明神の化身に使われたのは、明神の前身が釣好きの老人だったから?


白鬚明神=比良神=サルタヒコで、Wikiによると比良神は渡来人の祖神を祀ったものとする説もあるとのこと。
また、サルタヒコは道祖神とも習合しています。
それゆえ白鬚神社の属性も異国的・土着的・世俗的となり、以上を踏まえて、今回の面・装束が選択されているのかもしれません。


話を舞台に戻すと、
シテの絶句やシテ・ツレ同吟の不調和などがあったものの、以前Eテレで放送された《屋島》(シテ銕之丞、ツレ淳夫)の時と比べると、淳夫さんの謡が格段に上手くなっていて、立ち姿も安定しているし、努力されているんだな、と。


シテとワキの問答以降、シテは白鬚明神の由来を語っていきます。




クリ・サシ・クセ】
いよいよ、白鬚明神の由来が語られます。

この部分は音読みの仏教用語が多く、予備知識もなく聴くだけだったらチンプンカンプン。
節回しも複雑で、これ、詞章もそうだけど、節を覚えるのも難しそう。
稀曲だし、地謡泣かせ?

とはいえ、この居グセの部分をじっくり聴き込むと、何ともいえない味わい。


釈迦が仏法流布の地を探して飛行していたところ、琵琶湖に目がとまる。
そこで釈迦は、志賀の浦で釣り糸を垂れていた老翁に向かって、「あなたがこの地の主ならば、仏法結界の地にするので、この山をわたしにください」と言う。


この釈迦の依頼に対する老翁の返事の謡がとくに好きで、

我、人寿六千歳の始めより、この山の主として、この湖の七度まで芦原になりしをもまさに観たりし翁な~り~。
(ここから急に無念そうな低い声で)
但この地、結界となるならば、釣りするところ失せぬべしと、深く惜しみ申せば


というところなどは、もうほんとに、釣好きな老翁の気持ちになりきって謡っている感じで、白鬚明神と釈迦と、あとから登場する薬師如来の時空をまたがる壮大なやり取りがアニメーションのように思い浮かびます。
(この地謡、よかった!!)


居グセのなか、「二仏(釈迦と如来)東西に去り給ふ」のところで、シテが両腕を広げて上にあげる型をするのが印象的。


シテは勅使に正体を明かし、扇で扉を開く型をして社殿の作り物のなかに入り、ツレは来序で中入り。
淳夫さんはやっぱりハコビがきれい。




国立能楽堂七月公演 《白鬚》替間「道者」&後場につづく





0 件のコメント:

コメントを投稿