2016年10月22日土曜日

橘香会~《朝長》前場

2016年10月22日(土) 12時30分~17時10分  国立能楽堂


解説 馬場あき子

能《朝長》青墓ノ長者/大夫ノ進朝長 梅若万三郎
 ツレ侍女 長谷川晴彦 トモ従者 青木健一
  ワキ旅僧 殿田謙吉 ワキツレ則久英志 御厨誠吾
  アイ青墓長者ノ下人 野村萬斎
 栗林祐輔 幸正昭 亀井広忠 小寺真佐人
 後見 加藤眞悟 梅若雅一
 地謡 伊藤嘉章 西村高夫 八田達弥 青木一郎
    泉雅一郎 遠田修 永島充 梅若泰志

狂言《川上》シテ座頭 野村万作  アド妻 高野和憲

能《藤戸》漁師の母/漁師 古室知也
 ワキ佐々木盛綱 福王和幸 ワキツレ村瀬慧 矢野昌平
  アイ盛綱ノ下人 石田幸雄
 成田寛人 鳥山直也 柿原光博
 後見 梅若万佐晴 中村裕
 地謡 青木一郎 加藤眞悟 八田達弥 長谷川晴彦
    遠田修 梅若雅一 梅若久紀 根岸晃一



元雅作と推定される能二番に狂言《川上》という、攻めの橘香会。
ある意味、似ているところがあるからこそ違いが際立つ二つの曲を続けて観るのは面白い趣向だった。

馬場あき子さんの解説は《朝長》についてのみ。
前場の「女語り」の特異性と重要性が強調された。
また、能に登場する中世の遊君(青墓長者、静香御前、千手、熊野)と武人との精神的類似性(平穏な明日が約束されておらず、そのためブレない潔さがあったこと)を述べていらっしゃったのも興味深い。


さて、肝心の能《朝長》。
【前場】
まず、次第の囃子が好い!
笛の栗林さんはここ1~2年で芸の格がグングン上がり、今やあちこちで引っ張りだこの売れっ子に(音色も豊かだしヒシギや早笛も吹き損じがないので、聴く側もゆとりをもって舞台に集中できる)。
幸正昭さんはいつものように手堅い職人芸。好不調の波がない安定感。
広忠さんは、先日の紀彰の会ではまだ打音がきつく、音の濁りを感じたが、この日はやわらかく、繊細な音色。掛け声はもちろん申し分ない。


〈面・装束〉
人目を忍ぶように、密やかな足取りで、前シテが幕から登場する。
出立は菊花などの花・木をあしらった落ち着いたゴールドの精緻な唐織。
水桶も木の葉も持たず、右手に数珠だけを握りしめている。

面は、奥ゆかしげな気品のある曲見で、慈愛のようなむくもりを感じさせる。

前シテは侍女と従者を引き連れて本舞台にあがり、朝長の墓の前で亡き少年への思いを語るのだが、ここは本来ならば「御面影の見えもせで」で、墓の前で下居して合掌するところを、この日はほとんど立ったままで下居をなるべく省く演出。


〈静止の美〉
とはいえ、万三郎の立ち姿の美しいこと!
たしか『梅若実聞書』に、能のなかでただ立っている時は必ずどちらかの片足にのっている、という言葉があったが、片足に重心が載っているのがよくわかる立ち姿。
身体がやや片側に傾いているものの、「静止の美」、「不動の美」を象徴するかのような、呼吸さえ止まっているのではないかと思わせるほどの、不動の美しさがそこにはあった。



〈初同〉
初同になり、青墓の物寂しい風景を地謡が切々と謡い上げていく。
「荻の焼原の跡までも」で、シテは何かに思いを馳せるように脇正を向き、
「げに北邙の夕煙の」で、しみじみと辺りを見回し、
「雲となり消えし空は色も形もなき跡ぞ」で、ちぎれた雲を目で追うように空を見上げる。

朝長の亡骸を焼いた煙が立ち昇り、一片の雲となって、やがて空の彼方に消えてゆく。

現実の景色に重ねられたシテの心象風景が、観客の心にもノスタルジックな映像のように映しだされ、長者のせつない思いが観る者にひしひしと伝わってくる。



〈シオリの美しさ〉
「なき跡ぞあはれなりける」でシオルときの、万三郎の手の美しさが忘れられない。

指先をそろえるのではなく、親指以外の四本の指先を微妙にずらして折り曲げることで、女らしい嫋やかさ、繊細さ、情の深さが表現される。

唐織からわずかに出た手の甲と指先。
どうみても女のものとしか思えない白く美しい、まだ色香の残るその手が、長者という地位にある遊君として背負ってきたいくつもの重く暗い過去さえも物語るかのよう。



〈語リ〉
前場の極めつけは、なんといっても語リ。
鬘桶にかかった万三郎の語リは微動だにせず美しい静止の状態にあるけれど、じっと硬直して固まっているのではない。
静止の内奥に、やわらかい生動、有機的な流動性が宿っていて、それが得も言われぬ香りとなって滲み出てくる。

世阿弥はせぬひまの要諦として、「心を糸にして、人に知られずして、万能をつなぐべし」といっているけれど、無心になるほどの高度な集中の持続によって実現されたせぬひまは、こんなふうに香木のような薫りを放つのだろうか。



橘香会~《朝長》後場につづく







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