2016年12月9日金曜日

友枝昭世の《遊行柳》~国立能楽堂十二月定例公演

2016年12月7日(水) 13時~15時45分   国立能楽堂
狂言《箕被》からのつづき

帰り道、能楽堂前の銀杏並木

能《遊行柳》老人/老柳の精 友枝昭世
   ワキ宝生欣哉 ワキツレ大日方寛 御厨誠吾
   アイ野村万作→野村萬斎
   藤田六郎兵衛 曽和正博 柿原崇志 小寺佐七
   後見 中村邦生 友枝雄人
   地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
       友枝真也 狩野了一 金子敬一郎 大島輝久
   働キ 佐々木多門



もしかすると、もうこれ以上の《遊行柳》を観ることはないのかもしれない。

《西行桜》への単なるオマージュ作という今までの認識がガラリとくつがえされ、華麗なスペクタクル物を作り続けた信光が最後に奥妙な境地にたどり着き、途方もない名曲を生み出したことに気づかされた。
(頭をガツンと殴られたような衝撃と感動!)、

いつもながら喜多流の舞台は緊密で少しの弛みもなく、作り物を下げる時でさえ、後見や働キの人たちの佇まいや所作、立ち上がるタイミングまで、すべてにおいて完璧で美しく、余韻を乱すどころか、余韻を深める彩りとなっていた。



前場】
この日のワキ・ワキツレは九月の香川靖嗣の会《遊行柳》と同じで、地謡も地頭が友枝昭世師から香川靖嗣師に入れ替わり、友枝雄人・真也兄弟が入れ替わっただけの布陣。

やはり、欣哉さんのワキは好い。
シテと完全に呼吸を合わせているし、舞台全体の微妙な空気や観客の反応を敏感に読み取り、それに応じてハコビの速度やシテへの視線・声の調子を変えている。


白川の関を過ぎた遊行上人一行が広い街道を進もうとすると、幕の中から呼び掛ける声。

幕から出たシテは、褪色したような薄灰緑色の水衣に小尉の面。
そのハコビには袴能《天鼓》の前シテでも感じた老衰感・憔悴感が漂う。


このわざとらしくなく、かといって写実に偏らない、つまり老醜の匂いを感じさせない「美しい老いの風情」を醸し出すさじ加減が絶妙だった。

(顎が上がり、力のない衰えきった姿で立っているのに見栄えが悪くないどころか、美しく見える不思議。いったいどのように身体を使えばあんなふうにできるのか、見当もつかない。)


老人はかつて遊行上人が通った旧街道にワキを案内し、朽木の柳の生えた古塚へと導く。
蔦葛の這いまとう朽木と古塚を前にして茫然と立ち尽くすワキの上人。


「風のみ渡るけしきかな」で、辺りを見回すシテの視線が、旅人たちが行き交う往時のにぎわいと、彼らの道しるべとなりオアシスとなった柳塚の誇らしげな姿を描き出す。


だが、それも一瞬で、辺りはふたたび廃線跡のような荒涼とした風景となり、
朽木と古塚の前に立つ二人の姿がユベール・ロベールの廃墟の絵を思わせた。



後場】
待謡の後、出端の囃子となり、やがて作り物のなかからシテが謡い出す。

「(老木の柳の髪も乱るる白髪の老人)忽然と現れ出でたる」で、引廻しが外され、柳の精が姿をあらわす。
後シテの出立は、灰緑の単狩衣に水浅葱の色大口。
面は、森厳な顔立ちの石王尉。

古塚のなかで床几にかかるその姿は、神さびた遺跡のように古色蒼然とした空気をまとっている。

シテは「西方便有一蓮生」で、立ち上がり、
「上品上生に至らんことぞ嬉しき」で、作り物から出て下居し、ワキに向かって合掌。



ここから古今東西の柳の故事が語られるクリ・サシ・クセに入り、
清水寺・楊柳観音の縁起を語る場面の「金色の光さす」ではシテの顔がパッと輝き、
「暮れに数ある沓の音」で、ポンッと足先で鞠を蹴りあげる型は、はずむ鞠の弾力と飛距離を感じさせる。


そして序ノ舞。
有情の老人のような生々しさはそこにはない。

旅人に道を示し、涼を与えてきた柳が、今まさに役目を終えて枯れようとする朽ち木感。

シテが舞うほどに、水分も油気も抜けた枯れゆく植物のはらはらと散るような軽やかさ、閑雅な清らかさが立ち込める。


今まで見たどの序ノ舞とも違う、友枝昭世の《遊行柳》の序ノ舞に、
この世に生を受けた者の、見事な終末の姿を見た気がした。



舞い終えたシテは、ワキの上人としばし見つめ合ったのち、
秋の西風に吹かれて葉をちりぢりに散り落とし、
常座に立ったまま、まるで宮崎駿のアニメーションのように、
みるみるうちに本物の朽木に身を変じ、



あとにはただ、一本の柳の枯木が残るのみだった。






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