2017年11月22日水曜日

狂言《隠狸》舞囃子《三笑》半能《石橋》~片山幽雪追善

2017年11月19日(日)11時~17時40分  国立能楽堂
能《三輪・白式神神楽》からのつづき
狂言《隠狸》太郎冠者 野村萬 主 野村万作

仕舞《班女》   山本順之
  《江口キリ》 観世銕之丞
  《融》    梅若玄祥
  地謡 片山九郎右衛門 梅田邦久 武田邦弘 橘保向 河村博重

舞囃子《三笑》観世喜之 大槻文蔵 浅見真州  
  一噌幸弘 曽和正博 柿原崇志 小寺佐七

半能《石橋》シテ 片山清愛
   ワキ 宝生欣也 アイ 野村萬斎
   杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄 前川光長
   後見 観世清和 片山九郎右衛門 片山伸吾
   地謡 大槻文蔵 観世喜正 武田邦弘 西村高夫
      味方玄 分林道治 梅田嘉宏 観世淳夫



片山幽雪師の芸については、わたしは仕舞1番と舞囃子1番を拝見しただけですが、その最晩年にかろうじて立ち会えたのは幸いでした。

本公演のプログラムに綴られた、「我が家の風は、『死ぬまで舞台に立ちたい』父の無言の叫びだと思います」という九郎右衛門さんの言葉が、そのまま九郎右衛門さんの舞台生活につながっているように感じます。

とりわけ、昨年の「のべおか天下一薪能」の《道成寺》で、それでなくても危険な鐘入り(しかも野外のクレーンから吊るした鐘)を、滑りやすい雨のなか大切な面・装束を濡らして勤められたことを知り、ひとつの舞台にかける九郎右衛門さんの強い熱意と覚悟に思いを馳せたものでした。
だからこそ、九郎右衛門さんの舞台には人を感動させる力があるのかもしれません。




狂言《隠狸》
文句なしに面白い!
このお二人の共演は、わたしは初めて拝見したのですが、「狂言のことはよくわからない」という人でも、間違いなく楽しめると思う。
名人同士の呼吸の合わせ方、間合いの感覚って、絶妙だなー。
サラリとした軽み、掛け合いの妙味、芸の闊達さ。
拝見できたことに感謝。
それにしても、タヌキのぬいぐるみ(?)が可愛すぎる!



仕舞《江口キリ》
滋味掬すべき銕之丞師の《江口 キリ》。
思いの深さとか、情の篤さのようなものがにじみ出ている。

追善の舞とは、こういうものをいうのでしょう。
舞い手自身の、人間的な深みを感じさせる。
銕之丞さんの舞台をもっと拝見したいと思った。



 
舞囃子《三笑》
なんとも、すごいメンバー。
舞は三者三様。
観世喜之さんはシテなので、「俺についてこい」的な自由奔放さ。
浅見真州さんは他のお二人に合わせつつ全体のバランスを図っている感じ。
大槻文蔵さんはシテ・ツレに合わせつつも、ご自身の舞の美しさ・完成度の高さのほうを重視して、多少バラバラでも気にしない、という印象。

こちらの目は、おのずと文蔵師に惹きつけられる。
ほかの御二方と比べると、文蔵師は比較的腰高。それでいて、重心はしっかりと安定していて、体軸がスーッと伸び、とにかく端正。
美意識の高さが舞にあらわれている。



半能《石橋》
囃子陣が大御所ぞろい。
忠雄さんが、めちゃくちゃ、かっこいい!
そして、掛け声も若い!
忠雄師が若いころに録音した「獅子」のCDを持っているのですが、あの時とほとんど変わっていない。
今に至るまで、ずーっと大鼓トップを走り続け、他の追随を許さない。
ほんと、凄い人です。
ほかの方々も、三役すべて一流どころで固めた《石橋》。

シテの清愛さんは面はつけず、《望月》のシテのような赤頭に緋縮緬の覆面姿。
とても身軽で、飛び返りや飛び安座の到達点が高い!
それにしても、まだ中学生で国立能楽堂という檜舞台に立ち、シテとして舞台を勤めるのだから凄いなあ。
たぶん、二十歳前後で道成寺を披かれるのでしょう。
ほんとうに厳しい世界。


「獅子団乱旋の~」の前に、シテが正中で飛び返りをして、大小前で両手をついて俯せになった時、後見の九郎右衛門さんが大小鼓のあいだから出てきて、清愛さんの赤頭を整えたですが、

これを見て、わが家宝DVDの「第11回日本伝統文化振興財団賞・片山清司」に収録された《石橋》で、同じように、幽雪さん(当時九世九郎右衛門)が大小鼓のあいだから出てきて、九郎右衛門さん(当時・清司)の赤頭を直している姿を思い出しました。

不思議なことに、幽雪さんが整えた赤頭は、その後どんなに激しい動きをしても、まったく乱れなかったのです!
親から子、師から弟子へ、強い「念」が送られているのですね、きっと。

こうやって芸が受け継がれていくんだなあと、胸にじーんと来るものがありました。







2017年11月21日火曜日

片山九郎右衛門の《三輪・白式神神楽》後場~片山幽雪追善

2017年11月19日(日)11時~17時40分  国立能楽堂
《三輪・白式神神楽》前場・片山幽雪三回忌追善能からのつづき
白式神神楽でも、この長い橋掛かりが効果的に使われた

能《三輪・白式神神楽》シテ 片山九郎右衛門
   ワキ 宝生欣也 
   アイ 野村万蔵
   杉市和 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
   後見 浅見真州 青木道喜 味方玄
   地謡 梅若玄祥 観世銕之丞 観世喜正 山崎正道
      片山伸吾 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫


拝見するたびに、スケールが大きくなっていく十世片山九郎右衛門。
(そして怖ろしいほど多忙さも増していく。すこし心配なのです。)



【後場】
〈後シテの登場〉
なほも不審に思し召さば、訪ひ来ませ、杉立てる門をしるしにて━━。

女神の三輪明神が、男神の住吉明神に贈ったとされる歌「恋しくは訪ひきませ千早振三輪の山もと杉立てる門」にもとづくこの言葉には、禅竹らしい色めいた魅力が含まれている。

里人の勧めに後押しされるように、玄賓僧都が杉の神木を訪れると、木陰から女神が姿を現す。

「神体あらたに見え給ふ」で、引廻しが下ろされ、後シテがまばゆい姿で出現する。
純白の狩衣を衣紋に着け、白大口、髪は鬘帯の着けないオスベラカシ。
大きな榊を、右手に立てて持っている。



〈クセ・三輪神婚譚〉
三輪神婚譚が語られるクセは、舞グセではなく、作り物に入ったままの居グセ。
玄祥師・地頭、銕之丞師・副地頭、両脇に喜正さん・山崎正道さん、前列には淳夫さん+片山門下の面々という最強の地謡が、神話の世界に描かれた、女の疑念・不信、歎き、衝撃、執着など、今日まで続く女の不幸の根元を謡いあげる。

神婚譚を語る形で静かに佇むシテの全身から、おごそかな光が放射されているよう。シテのまわりが、明かりが灯ったようにぼうっと明るくなっている。

「帰るところを知らんとて」で、シテは立ち上がって作り物から出、「まだ青柳の糸長く」で、左袖に右袖を重ねるように巻き上げる。



〈イロエ〉
シテ「八百万の神遊」、地「これぞ神楽の初めなる」、
シテ「ちはやぶる」で、常座に立って榊を振り、
そこから大小前へ至り、クルクルと回りながら正先で下居。
榊を押しいただき、左右左と振る。端から勢いよく振り、中央でいったん止めて、もう一方の端へやさしく振りきる。そこから立ち上がって榊を振りながら、立廻り。

場が清められ、こちらの罪や穢れも浄化されていく気分になる。

光を放つ、このうえなく清らかな女神。物腰もうっとりするほどエレガントで、幅広の大口との対比で、足首がほっそりとして淑やかに見える。



〈神楽〉
シテは「天岩戸を引き立てて」で、常座に戻り、
地「神は跡なく入り給へば」と、両袖を被いて身をかがめ、
地「常闇の世と早なりぬ」で、かがんだままの姿勢で廻り、
シテ「八百万の神たち」で、下居して両袖を下ろすと、
立ち上がって、

岩戸の前にてこれを歎き━━

「歎き」の語尾は、神々の慟哭をあらわすように、かすれ、尾を引く。

あたりは、漆黒の闇。
光のない世界。

神楽の序は、擦拍子。
打楽器の掛け声はなく、大小太鼓が一粒ずつ打ち、
シテは、暗闇をさぐるように、静かな足拍子を踏む。

杉市和さんの笛の音が木霊する暗闇のなか、
シテの姿だけが白く発光しながら、
こちらに迫ってくる。

ハッと息を呑んだまま呼吸が止まりそうなほど、崇高な感覚に襲われた。
宗教感覚というのは、こういうものかもしれない。
なぜか、身体がふるえて、ふるえながらシテの舞を観ていた。

女神の舞なのか、女神に捧げる舞なのか、そういう区別もなくなり、
男女の性も揺らいで、
シテはこの瞬間、この世で最も美しく、崇高な存在だった。


地直リで、榊から扇に持ち替えたシテは橋掛りに進み、
三の松で、風に揺蕩うようにくるくるとまわったのち、
間を置いて、ゆっくりと左袖を被き、
さらに間を置いて、右手の扇で顔を隠して翁の型。
(九郎右衛門さんのこの「間」! わたしの愛する美しい間の取り方!)


そこから少し後ずさりするように、身を引いたあと、
視界がほとんど効かないなか、大小太鼓のナガシで、
サーッと暁光が射すように、長い橋掛りを駆け抜け、
舞台に至り、さらに作り物に入って下居。




〈終曲〉
「岩戸を少し開き給へば」で、雲ノ扇。
作り物から出て、見所を八百万の神々に見立ててて、
「人の面白々と見ゆる」で、左右を見まわし、
「面白や」と、ユウケン。


シテは一の松で左袖を巻き上げたまま、
「関の戸の世も明け」で、東の空を見上げたのち、
そのまま揚幕の向こうへと消えていった。


覚むるや名残なるらん

玄賓僧都は脇座前で下居して合掌。


シテの居た場所には、光の残影がまだ漂っていた……。





《隠狸》《三笑》《石橋》へつづく




2017年11月20日月曜日

《三輪・白式神神楽》前場~片山幽雪三回忌追善能

2017年11月19日(日)11時~17時40分  国立能楽堂
能《海士・二段返・解脱之伝》・舞囃子《頼政》からのつづき
帰りは、とっぷり日も暮れて

能《三輪・白式神神楽》シテ 片山九郎右衛門
   ワキ 宝生欣也 
   アイ 野村万蔵
   杉市和 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
   後見 浅見真州 青木道喜 味方玄
   地謡 梅若玄祥 観世銕之丞 観世喜正 山崎正道
      片山伸吾 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫



凄いものを観てしまった。
ずーっと観たかった九郎右衛門さんの白式神神楽は、予想をはるかに超えていた。ワーグナーの神話劇のような壮大な世界が目の前で展開して、圧倒されるような迫力、ドラマ性に、文字通り身体がふるえた。

能の醍醐味を余すところなく詰め込んだ巧みな演出と、それを十分に生かした選び抜かれた演者たち。この舞台を拝見できて、ほんとうによかった!!


【前場】
〈ワキの登場〉
笛の調べに誘われるように、ワキの玄賓僧都があらわれる。
杉市和さんが奏でる笛の音と、欣哉さんの姿・ハコビが、うら寂しい秋の大和路、三輪山の麓の枯れた景色、冷たく澄んだ空気の質感を映し出す。

『発心集』などを読むと、玄賓僧都は高貴な人妻に恋をしたことがあり、不浄観によって煩悩を克服したという。
玄賓といえば、遁世僧のイメージが強いが、その厭世的な枯淡の風情の奥底に、ほのかな色ツヤ、かすかな余焔が感じられる。欣哉さんの演じる玄賓像にはそんな雰囲気が漂う。



〈シテの登場〉
この次第の囃子もよかった。
広忠さんの抒情的な掛け声。この日は、濁りのない響き。囃子後見には源次郎さん、忠雄さんなど、そうそうたる顔ぶれ。

シテの繊細なハコビが、道なき道をはるばる訪ねてきた女のほそい足を印象づける。
出立は一見シックでも、よく見ると精緻な文様が施された紅無唐織。手には桶。面は、目鼻立ちのはっきりした艶麗な深井。


シテは一の松で立ち止まり、秋の山路を見渡すようにしばし見所を見入ったのち、後ろを向いて、「三輪の山もと道もなし、檜原の奥を訪ねん」と謡いだす。

ここの次第は三遍返し。地取りを受けてのシテの返しは、高音に張った調子で、山道を分け入る感じが強調される。
この時、シテはずっと後ろを向いたまま。

九郎右衛門さんの後姿が美しい。
唐織着流は難しく、名手でも高齢の人は背中が丸まっているし、比較的若い人は隙があって、鑑賞に堪える後姿の人はそう多くはない。

九郎右衛門さんの唐織着流の後姿は、中年の女性が歩んできた人生の翳りのようなものをまとっていて、それがこの女性のどこか後ろめたい罪の意識と、そこから生まれる奥ゆかしさにつながっていた。


(次第の「檜原の奥」にある檜原神社は、元伊勢とも呼ばれており、ここが地理的にも、終曲部で謡われる「伊勢と三輪の神」とが重なり合う土地であることが伏線的に示されている。)



〈庵室へ→シテとワキのやり取り→中入〉
玄賓の庵にたどり着いたシテは、僧との掛け合いののち、左手で「柴の網戸を押し開」く所作をして庵のなかへ入り、「罪を助けてたび給へ」と、手を合わせて懇願する。

ここのところは、イエスの足もとに跪き、香油を塗ったマグダラのマリアを思わせる。なにか、罪深い女の原型のようなもの、そして、それを赦す聖者のイメージと、両者の心の交流の物語が、洋の東西を問わず存在したのかもしれない。
(この場合、樒・閼伽の水が「香油」にあたる 。)


所望した衣を、玄賓から受け取るシテの姿がとても印象的だった。
まるで恋い焦がれた憧れの人から、大切なものを受け取る可憐な少女のよう。はにかむように、悦びを噛み締めるように、左腕に衣を愛おしく抱きしめる。

そして、僧と女は、心を込めてじっとたがいを見つめ合う。

何かが、たしかに、二人のあいだに流れている。
敬慕する側と、敬慕される側。
思いを受け取り、思いを与え合う、そのことがこちらにも伝わってくる。

九郎右衛門さんと欣哉さんならではの、心に残るシーン。
シテからワキへ、演者から観客へ。心より心に伝ふるもの……。





《三輪・白式神神楽》後場につづく







2017年11月19日日曜日

片山幽雪三回忌追善能《海士・二段返・解脱之伝》舞囃子《頼政》

2017年11月19日(日)11時~17時40分  国立能楽堂

能楽堂前の銀杏並木
連吟《賀茂》
 梅田嘉宏 橋本忠樹 分林道治 味方玄 河村博重 古橋正邦
 青木道喜 武田邦弘 小林慶三 梅田邦久 橘保向 橋本礒道

仕舞《通盛》   観世芳伸
  《松虫キリ》 片山伸吾
  《野宮》   武田志房
  《蝉丸》   山階彌右衛門
  《天鼓》   観世喜正
  《船辨慶キリ》観世淳夫
  地謡 小林慶三 武田邦弘 橋本礒道 青木道喜 梅田嘉宏

能《海士・二段返・解脱之伝》シテ 観世清和
  子方 谷本悠太朗 ワキ 殿田謙吉 御厨誠吾
  アイ 野村万之丞
  藤田六郎兵衛 大倉源次郎 亀井広忠 観世元伯→小寺佐七
  後見 大槻文蔵 山階彌右衛門 坂口貴信
  地謡 観世銕之丞 浅井文義 観世芳伸 清水寛二
     柴田稔 馬野正木 長山桂三 谷本健吾

舞囃子《頼政》シテ 友枝昭世
  藤田六郎兵衛 成田達志 柿原崇志
  香川靖嗣 塩津哲生 粟谷能夫 友枝雄人 狩野了一

能《三輪・白式神神楽》シテ 片山九郎右衛門
   ワキ 宝生欣也 アイ 野村万蔵
   杉市和 吉阪一郎 亀井広忠 前川光長
   後見 浅見真州 青木道喜 味方玄
   梅若玄祥 観世銕之丞 観世喜正 山崎正道
   片山伸吾 分林道治 橋本忠樹 観世淳夫

狂言《隠狸》太郎冠者 野村萬 主 野村万作

仕舞《班女》   山本順之
  《江口キリ》 観世銕之丞
  《融》    梅若玄祥
  地謡 片山九郎右衛門 梅田邦久 武田邦弘 橘保向 河村博重

舞囃子《三笑》観世喜之 大槻文蔵 浅見真州  
  一噌幸弘 曽和正博 柿原崇志 小寺佐七

半能《石橋》シテ 片山清愛
   ワキ 宝生欣也 アイ 野村萬斎
   杉市和 大倉源次郎 亀井忠雄 前川光長
   後見 観世清和 片山九郎右衛門 片山伸吾
   地謡 大槻文蔵 観世喜正 武田邦弘 西村高夫
      味方玄 分林道治 梅田嘉宏 観世淳夫


今振り返っても思うのですが、何年かあとにこの日のことを、夢のように幸せだったと、思い返すような気がします。
今をときめく超一流の方々が一堂に会した、ほんとうに夢のように豪華絢爛で、密度の濃い、充実すぎるほど充実した公演!

見所は着物率が高く、井上八千代さん・安寿子さんもロビーでご挨拶をされていて、追善公演だけど華やか。京都から来られた方も多かったようです。


長丁場の割には休憩時間が少ないため、序盤は途中で休憩を入れ、観世喜正さんと淳夫さんの仕舞には間に合うように戻ってきたのですが、「仕舞が終わるまで席に戻らないでください」とスタッフの人に言われ、残念ながら拝見できず。
そんなわけで、感想は能《海士》から。


能《海士・二段返・解脱之伝》
願いが叶うなら、あの方の太鼓で二段返を聴きたかった……。

「解脱之伝」は、2年前の能楽座自主公演で、銕之丞・九郎右衛門の義兄弟共演(前シテ/後シテ)で観たことがある。
前シテ・銕之丞さんが表した純朴な海女のもつ母性のたくましさと、後シテ・九郎右衛門さんが舞った、菩薩となった海女の光り輝く荘厳さ━━どちらも素晴らしく、忘れがたい舞台だった。

清和宗家の《海士・解脱之伝》は、それとはまた趣きが異なる。

〈前場〉
前シテは、水衣は着用せず、
小菊や芝草などを横段にあしらったグリーンの唐織着流(脱下ゲ)。
ウィリアム・モリス調の垢抜けた洋風な色柄で、もしかすると、何年か前に拝見した《芭蕉》の時の唐織なのかも。
面は深井なのだけど、増かと思うくらい、若くて美形の顔立ちをしている。

全体的になにか、こう、高位の品格のある女性のような洗練された雰囲気。
生前、肉体労働をしていた庶民(海女)の亡霊のイメージからはかけ離れている気もするが、きっと、ヴィジュアルを重視されたのだろう。

玉之段はさすがだった。
橋掛りを効果的に用い、手に汗握るような逃亡劇を高い技術力で表現(まさに「玉之段」のお手本)。
それを、銕仙会メインの地謡と最高の囃子陣がさらに盛り上げ、見応え・聴き応え満点だった。


〈後場〉
出端・二段返は、出端越しの後に二段返の手を打つため三段構成となり、厳粛で、重々しい。
途中で半幕があがり、後シテが姿を見せる。
半幕の状態がかなり長く、解脱して菩薩になった海女が、法華経による弔いにしばし聞き入る風情。

後シテの出立は、「解脱之伝」の小書により龍女ではなく、菩薩になったことをあらわすため、菊唐草の紅地舞衣に、金箔で立涌模様を施した白紋大口。
頭には白蓮の天冠を戴き、面は泣増。
左手に経巻をもって現れる。

舞は、これも「解脱之伝」の小書により、早舞がイロエとなり、荘重な囃子で舞いあげる。

地謡・囃子の素晴らしさとともに、子方さんもよかった。
谷本悠太朗さんは、以前拝見した《船弁慶》の義経役でも思ったけれど、立ち居や姿に高貴な役柄にふさわしい品がある。
将来有望な方なので、御兄弟ともども、このまま能楽の道に進んでくれるといいな。



休憩をはさんで、
舞囃子《頼政》
休憩時間が短かったせいか、まだ席に戻ってこられない人が多く、空席が目立つなか舞囃子が始まった。
そして驚いたことに、わたしの席の、通路を隔てた斜め前の女性が、こともあろうに友枝昭世師の《頼政》を見ながら、ずっとお菓子を食べていた!!


気を取り直して舞台に集中。

床几に掛けての仕方話もいいけれど、
やはり立ち上がって、左腰に差したもう一本の扇を、刀のようにサッと抜くあたりからが、昭世さんの真骨頂。

「切っ先を揃えて」で、開いた扇を盾のように左手にもち、
「ここを最期と戦うたり」で、右手に持った扇を刀に見立てて振り落とす。
百戦錬磨の武将のような隙のない身のこなし。

「芝の上に扇を打ち敷き」で、開いた扇を床に落とし、
「鎧脱ぎ捨て座を組みて」で、安座し、扇を取りあげて閉じ、
「刀を抜きながら」と、刀に見立てた右手の扇に目をやり、

埋木の花咲くこともなかりしに、身のなるはてはあはれなりけり

最期を覚悟した老武者の、埋木に咲く一輪の花のような艶のある謡。

「埋もれ木」とは言いながら、やりたいこと、やるべきことは、すべてやり尽くしたという燃焼感。
「あはれなりけり」と言いながら、もう充分生きた、生ききった、という潔さ。
サムライのダンディズムが、シテの全身から立ちのぼる。

最後は「扇の芝の草の陰に帰るとて失せにけり」で、枕ノ扇。

チャンドラーの小説を思わせる、どこかハードボイルドなカッコよさのある《頼政》だった。





《三輪・白式神神楽》前場につづく



2017年11月13日月曜日

《鐘巻》黒川能~国立能楽堂特別企画公演

2017年11月11日(土)13時~17時 国立能楽堂
黒川能《木曽願書》《こんかい》からのつづき

能《木曽願書》上座
  
狂言《こんかい(釣狐)》上座

能《鐘巻》下座


休憩をはさんで、いよいよ、下座による《鐘巻》上演です。

前述のように下座の《鐘巻》も、上座の《木曽願書》と同様、明治中期に復曲されたもの。
上下両座の良い意味での競争が、復曲熱に拍車をかけたのですね。


【道成寺との違い】
能《道成寺》との大きな違いは、現行《道成寺》でカットされた部分が、下座の《鐘巻》には残されているということ。
大まかにいうと、現行《道成寺》にはない以下の部分が、黒川の《鐘巻》には残っています(以下は個人的メモ)。

(1)ワキの名ノリのあとの、ワキ・ワキツレのサシと上ゲ歌の部分。
「そもそもこの道成寺と申すは、造立去って七百歳」から「月はほどなく入りがたの……貴賤群衆は遍しや」まで。

(2)シテ白拍子とワキ住僧のやり取りの部分。
ワキ「埒より内に押して入らんと申す女はいづくに候ぞ」から、地「この金は洞庭の撞きたらばこそ聞こえめ」まで。

(3)髪長姫伝説をベースにした道成寺縁起のクリ・サシ・クセの部分。
地「それ祇園精舎の鐘の声は諸行無常の響きたり」から、地「(髪長姫が)雲居に召されける、その勅使をば橘の」まで。
(これが現行《道成寺》では、乱拍子のあと、ワカ「道成の卿承り……道成寺とは名づけたり」と、いきなり道成卿の名が出てくるので、なんのこっちゃ分からない、前後関係が不明な感じになっています。)

(4)終曲部の終わり方。
現行《道成寺》では、後シテ蛇体は「日高の川浪深遠に飛んでぞ入りにける」となり、調伏した僧たちは「わが本坊にぞ帰りける」となっているのに対し、
黒川能《鐘巻》では、「またこの鐘をつくづくと返り見、執心は消えてぞ失せにける」となっている。


そのほか、細かいところでいうと、黒川の《鐘巻》では、五流の《道成寺》のように、鐘を竹棒にかけて担いでくることはなく、横倒しにした鐘を能力たちがじかに持って舞台に運んできます。

鐘も、黒川《鐘巻》のものは、比較的小ぶりで、軽そうでした。
(この小さな空間で、鐘を全く揺らさずに、物着をするのは至難の業だと思いますが、それをシテは見事になさっていました。)

また、アイの能力たちが、橋掛りではなく、脇正でゴロンと転がって寝込んだり、ワキ・ワキツレの僧たちも、能力と同様に寝入ったりするのも、御愛嬌 (=^^=)

間狂言も五流の《道成寺》とは違っていて、能力たちの会話は、
ほら、ナントカ拍子を寺に入れてしまったから……、紫(ムラサキ)拍子? ちゃうちゃう、白拍子やんっ! という、こんな関西弁じゃなかったけれど、これを東北弁にしたようなノリ♪

こういうところも、式楽化していない黒川能の、素朴な持ち味でした。


【前場】
黒川能では、五流に並ぶほど素晴らしい面・装束が使われています。
この《鐘巻》でも、そう。
前シテは、鱗文様の擦箔着付に、黒地縫箔腰巻。
壺折にしたクリーム色の唐織も良い具合に古色を帯びて美しい。

面は、内省的で悲しげな表情の曲見。
深みのある良い顔。名品です。

この優れた女面を、シテはじつに巧く使いこなされていて、
面遣いによって愁いのある翳りが生まれ、怨みの奥底に潜む、「こんなはずじゃなかった」という白拍子の後悔、愛する人に愛されたかった、ただ、それだけなのに、なぜ、こんなことになってしまったのか、という自責の念や悲しみが浮き上がってきます。

黒川独特の謡と囃子が、土俗的な妖しい雰囲気を引き立て、《鐘巻》に描かれた人間心理のドロドロとした陰湿さ、手に負えなさ、悲劇性(そして後場では、蛇のヌメヌメした執念深さ)を醸し出していました。

乱拍子では、巧みな足遣いで蛇の鎌首の動きや執念深さがあらわされ、烏帽子の払い落しも鮮やか。
鐘入りも、小刻みの足拍子の後、ワン、ツー、スリーのジャンプで吸い込まれるように鐘の中に入り、鐘の落すタイミングも見事でした!




【後場】
鐘が上がると、蛇体は両手をついて俯けに伏せた状態で姿を現します。
後シテの扮装は、赤頭ではなく、黒頭。
般若の面は、凄みのある形相ですが、その奥から悲痛な叫びが聞こえてきそう。
恋しすぎて狂乱した女の哀しい姿かもしれません。

体に巻いた衣を落とす鱗落しは、橋掛りではなく、後見座の前。

柱巻は蛇の執念深さというよりも、追い詰められた感じ。

実のところ、後シテには前場のような勢いがなく、動作がやや緩慢で、もしかすると、鐘入りの際に怪我をされたのかと少し心配に。
よくわからないけれど、もともとそういうものなのかな?

最後は僧たちに祈り伏せられ、「執心は消えてぞ失せにけり」と、揚幕の奥に消えていきますが、その前に蛇体の女は、「また、この鐘をつくづくと返り見」と、一の松で立ち止まり、振り返って鐘を見ます。
その時のシテの姿が、とても印象的でした。


《木曽願書》《こんかい》《鐘巻》、いずれも民俗芸能としてとても良い舞台でした。
ほんとうに、拝見できてよかった!






黒川能《木曽願書》《こんかい》~国立能楽堂特別企画公演

2017年11月11日(土)13時~17時 国立能楽堂

橋掛りの壁に掛けられた、春日神社の社紋「六つ目結の紋」
これは、12~16世紀に領主として黒川能を庇護した武藤氏の家紋でもある

能《木曽願書》上座
  
狂言《こんかい(釣狐)》上座

能《鐘巻》下座



先月の椎葉神楽、四天王寺舞楽の国立能楽堂公演に続き、今回は黒川能。
東京に居ながらにして楽しめるのが嬉しい。

今回上演された《木曽願書》と《鐘巻》は、それぞれ上座と下座によって明治中期に復曲されたもの。
幕末までは藩主・酒井氏の庇護のもとで発展してきた黒川能が、維新の混乱ののち、上下両座が競って実演曲を開拓。五流では廃曲になったものも、次々とレパートリーに加えられたという。
(これって、凄いことだと思う!)

権力者の庇護もなく、観光や町おこしのためでもなく、ただ黒川能と王祇祭への純粋な情熱に突き動かされ、集落の結束力・組織力に支えられて展開してきたというところに、黒川の人々の並ならぬパワーと努力を感じる。

さらに、演能の最初と最後に、一同が両手をついて深々と総礼をするのも、黒川能の特徴だ。
ちょうど《翁》でシテが正先で神々に向かって恭しく一礼するような、美しく敬虔なお辞儀で、「ああ、これは神事なんだ!」と素直に納得させる。
神の存在、神への畏敬の念のようなものが随所に感じられるのも、黒川能の魅力だった。


ふだん五流の能を観ている者の目には、黒川能は何かとても、前衛的でアヴァンギャルドに映った。
とにかく、ぶっ飛んでいたのだ!


能《木曽願書》上座
木曽義仲の倶利伽羅落の説話を舞台化したものだが、江戸中期に大幅に改作された観世流の《木曽》では、シテが太夫坊覚明なのにたいし、黒川能の《木曽願書》では義仲がシテとなる。
三読物のひとつとされる木曽願書を読み上げるのも、観世流では覚明だが、黒川能では義仲が勤める。

また、黒川能では酒宴のシーンと男舞がカットされ、代わりに源平戦闘場面(斬組)が残されている。

と、いうところまではあらかじめ知っていたのですが、後場の思わぬ展開にビックリ!!

【前場】
まず、笛片を先頭に、囃子方4人→地謡4人が揚幕から登場します(切戸口は後見のみが使用)。
地謡が脇座のところまで舞台前方にずれ、代わりに笛方が、通常の笛座ではなく、地謡前列右端の位置に着座します。

ん? 囃子方が4人?

直面物の現在能なのに、なぜ、太鼓が入るのだろう?
と、思ったら、これは後場への伏線でした。

一声(?)らしき囃子で、シテとツレの立衆が登場。
どこか森田流の寺井政数を思わせる、魔的な短調系の笛が味わい深い。

大小鼓の掛け合いも独特で、アイヤアーハー×3、ア、イヤイヤ、アーハー、ハイヤーアーハー、のような感じ。
時折、「ハッホンヨー」的な掛け声もあるが、聞きなれたものとはずいぶん違っていて地方色が強い。
地頭が前列端に座るのも、黒川流。

謡は、東北地方独特の方言なまりが混じり、なにかの呪文のような響き。
一音一音のあとに、「ナビキ」という、音の末尾の高さを変えたり、上下に震わせたりする謡い方をするのが、黒川の特徴とされている。

登場したシテ・ツレは、黒川能独特のカマエのまま、橋掛りを進んでくる。
両手の人差し指をまっすぐに伸ばし、両腕をかなり開いた状態に保つのが、黒川の基本のカマエ。
このカマエの形が、上掲写真の「六つ目結の紋」の形に似ていて、興味深い。


前場は、シテが義仲になって木曽願書を読み上げる以外は、観世流の《木曽》とだいたい同じ。
前述のように、黒川流の謡で読み上げられた願書には、祝詞のような呪術性があり、今にして思えば、それが後シテの登場へとつながっていた!


【後場】
早笛っぽい囃子で、ツレの立衆が登場。

カケリ風の囃子のなか、立衆たちが倶利伽羅峠での戦いを斬組(源氏は白鉢巻、平家は赤鉢巻)で再現していたかと思うと、
囃子が変わって揚幕が上がり、

なんと、
羽生八幡の神霊(後シテ)登場!!

ええっ! 
《木曽願書》って、現在物じゃなかったの!?

予期せぬ展開に驚きつつ、息を呑んで観ていると、
怪士系の面をつけ、男神の出立に身を包んだ後シテが、手にした弓にいきなり矢をつがえ、平家軍めがけて発射!

これには平家軍もひとたまりもなく、義仲軍は大勝を収めたのでした!
(たしかに神霊が出現したほうが、木曽願書の効力が視覚化されて分かりやすい。なるほどー。)


狂言《こんかい》上座
《釣狐》の別名だそうですが、黒川能では秘曲扱いではなく、「こんかい」には「後悔」の意味が重ねられているといいます。

《釣狐》では、後シテはキツネの着ぐるみを体全体に着るのに対し、黒川では、狐の面をかけ、毛皮のようなものを背中に被るのみ。

またキツネの罠も、《釣狐》は、木枠でつくった簡素なものに黒いネズミっぽい餌が載っている形ですが、黒川の罠には、尻尾のついた黒いネズミの餌が吊り下げられ、それを覆う熊笹のような草木が付けられていて、本物っぽい。
おそらく、実際に罠を仕掛けていた村人たちの実体験に基づく形状なのでしょう。

大習や極重習という大曲扱いではないものの、黒川の《こんかい》でも、シテのいかにもキツネらしい、獣性を帯びたリアルな所作に見応えがあります。
重々しくなく、もったいぶらないところも、黒川能の魅力です。

最後は、《釣狐》のようにキツネが罠を外して逃げるのではなく、罠にかかったままで終わってしまいます。
(キツネさんの運命や如何に!?)

こういうところも、自然とじかに対峙してきた黒川の里ならではの展開なのかもしれません。



黒川能《鐘巻》につづく






2017年11月6日月曜日

人でなしの恋 ~友枝昭世の《松風》

2017年11月5日(日)13時~17時  国立能楽堂
友枝会《松風》からのつづき

《松風》シテ 友枝昭世
   ツレ狩野了一 ワキ宝生欣哉 アイ野村万蔵
   杉市和 曽和正博 國川純
   後見 内田安信 中村邦生
   地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 出雲康雅
      佐藤陽 内田成信 大島輝久 谷友矩


前記事でざっと感想を述べたのですが、心に刻んでおきたいので、とくに印象に残った部分を記しておこうと思います。

【ワキの旅僧の登場】
欣哉さんの旅僧は、さまざまな過去を想像させる漂泊の僧。
二人の姉妹の松の墓標に向かう姿にも、真摯で深い、憐みの心が感じられる。
欣哉さんの持ち味のひとつが、この外見上の、共感力の高さだ。



【松風村雨の登場→潮汲み】
登場楽は真ノ一声(簡略形?)。
杉市和さんの笛の音から、妖しく澄んだ月の光と、真珠のようにキラキラ輝く白い砂浜の映像が浮かび上がり、夜の浜辺に美しい姉妹が姿を現す。

舞台に入ったシテ・ツレは、同吟・掛け合いを経て、潮汲みの場面へ。

「寄せては返るかたをなみ(片男波)」で、「寄せる波」と「返る波」をあらわすべく、正中にいたシテが、角に置かれた汐汲車に近づくのと入れ替えに、脇正にいたツレが、常座までタラタラと下がる。

さらにシテは面を遣って、「芦辺の田鶴こそは立ち騒げ」と、水際にいた鶴たちが一斉にはばたくのを目で追い、「四方の嵐も音添えて」で、強風に耳を澄ますように辺りをゆっくりと見渡す。

須磨の浦の美しい光景を、シテの所作と囃子で次々と描写していくのも、この曲の見どころ。
詞章と演者の動き・地謡が呼応し、観客の五感を心地よく刺激する。


汐汲車の前で下居したシテは、「さのみなど海士人の憂き秋のみを過ごすらん」で、せつない思い出を汲み上げるように、開いた扇で舞台外から汐を汲む所作をする。
一度目はたっぷりと、二度目は控えめに。


「見れば月こそ桶にあれ」と、姉妹は月の影が映る桶をのぞきこむ。
「月は一つ」、「影は」「二つ」━━。
月は、一人の乙女の象徴。
影は、一人の乙女が感情(松風)と理性(村雨)に分離した、二つの人格の象徴だと思う。
恋をすると誰しも、感情と理性のはざまで揺れ動く。
その様子を演劇化したのが《松風》であり、だからこそ、その揺れ動き、自制の効かなくなった狂乱に、観客も自分の過去or現在の恋心を重ね合わせてしまうのかもしれない。



【クセ】
クセ地の前あたりから、喜多流の地謡が色艶を増していく。

床几に掛かったシテは、行平の形見の衣を左手に持ち、
「形見こそ今は仇なれ」と、衣を脇へ遠ざけつつも、
「これなくは、忘るる隙もありなと」と、やはり形見を引き寄せて、いとおしげに見入る。

さらに床几から立ち上がり、
「捨てても置かれず」で、衣を振り捨てるような所作をしたのち、
「取れば面影に立ちまさり」と、掻き立てられるように形見を抱きつつ、
「涙に伏し沈む事ぞ悲しき」で、衣を熱く抱擁しながら、小さく回って、松のほうへ近づいていく。

シテの腕のなかの烏帽子と狩衣が、まるで実体のある人形のように見え、
しっとりと、思い込めた抱擁は、江戸川乱歩の『人でなしの恋』を連想させる。

長持ちのなかの美しい京人形に、命懸けの恋をした男の話だ。

シテが狂おしく抱きしめた行平の人形には、過去の恋の亡霊が憑依し、その人形はやがて若き日の松風の姿と重なって、シテは行平とともに、恋に身を焦がした自分自身をも抱きしめているように見える。

乱歩の耽美的で倒錯的な世界とも通じる、官能的なシーンだった。



【物着→シテ・ツレ掛け合い】
正中で水衣を脱ぎ、紫長絹に烏帽子を身につけたシテは、ハッと気づいたように松を見上げ、「あら嬉しやあの松蔭に行平の御立ちあるが……」と狂喜して、立ち上がる。
ここは割と(ちょっと大げさすぎるくらい)、はっきりとした面遣い。

ここから「立ち別れ~」で、シテ・ツレがシオリつつ交差し、ツレは笛座へ、シテは橋掛りに向かう見せ場となるが、この日は比較的あっさりめで、シテは幕際までは行かずに、二の松でUターンして舞台に戻り、中ノ舞に入っていく。



【中ノ舞→破ノ舞→終曲】
中ノ舞は、甘い陶酔に身を任せつつ、過ぎ去った恋を哀悼するような追想の舞。
シテは二段オロシで右袖を巻き上げ、じいっと松を見つめる。

舞を得たシテは、「磯馴松の」で袖を巻き上げて松に駆け寄り、
「なつかしや~」で後ろに下がって左袖を巻き上げたままシオリ返し。

さらに破ノ舞に入り、脇座前で袖を被き、そのまま作り物の松の前、正先ギリギリを駆け抜けていく。


なにかここで、過去の恋への妄執も情念も浄化され、小面の表情から曇りが抜け、月のように澄んでいくのが見て取れた。

ツレを先立てて橋掛りを去ってゆくシテは、三の松の手前で立ち止まり、振り返って袖を被き、懐かしげに松を見つめる。


そのまなざしには、行平への苦しく断ちがたい恋情はなく、
すべては過去のものとして悟り、諦観した、静かな穏やかさがあった。





友枝会《松風》~概観

2017年11月5日(日)13時~17時  国立能楽堂

《松風》シテ 友枝昭世
   ツレ狩野了一 ワキ宝生欣哉 アイ野村万蔵
   杉市和 曽和正博 國川純
   後見 内田安信 中村邦生
   地謡 香川靖嗣 粟谷能夫 粟谷明生 出雲康雅
      佐藤陽 内田成信 大島輝久 谷友矩

《茶壺》シテ 野村萬
    アド野村万之丞 小アド野村万蔵

《野守》シテ 友枝真也
   ワキ則久英志 アイ能村晶人
   一噌隆之 森澤勇司 柿原光博 小寺真佐人
   後見 塩津哲生 佐々木多門
   地謡 大村定 長島茂 友枝雄人 金子敬一郎
      塩津圭介 粟谷浩之 粟谷充雄 佐藤寛泰



楽しみにしていた友枝昭世さんの《松風》。
昭世さんや万三郎さん、九郎右衛門さんの舞台を拝見していつも思うけど、名手の舞台には意外性がある。
好い意味で、こちらの予想を裏切ってくれる。

公演記録で観た昭世さんの《松風》は、狂気に突き動かされ、恋の熱情がシテの全身から立ちのぼるような凄さだった。

今回もそういう《松風》を勝手にイメージしていたのですが;

この日の《松風》では、そうした「情念の極み」的な側面は比較的抑えられ、シテは、身を焦がし、身悶えしながら待ち続けた恋の苦悩の日々を、どこか甘く、懐かしい想いで振り返りつつ、追慕の舞っているようだった。


最後には、松風の魂が昇華されて、
その分身だった村雨とひとつになり、
行平の象徴であり、恋の墓標でもある松とも不離一体となって、
松の精とも、月の精ともつかない、朧げに透き通った存在となり、
みずから松風を聞きながら、
引き潮とともに海の彼方へ、
あるいは、月の世界へと還っていくようだった。


万三郎さんの舞台でもいつも感じるように、
友枝昭世さんも拝見するたびに、削ぎ落せるものは削ぎ落しつつ、体の軸が微塵もぶれない強靭な足腰で、舞と型の精髄を、力みのない軽やかさで舞っている。

ほんとうは膨大なエネルギーと細心の注意・神経を使っているのだろうけれど、あらゆる自然の摂理や物理的束縛から解放されて、「型」もほとんど「型」ではなくなったかのように、自由に、自然に、軽やかに舞っているように見える。
とりわけ万三郎師の舞には、そうした印象がある。


世阿弥がしばしば使った「少な少なに」という言葉、
それでいて「花はいや増しに見えしなり」という言葉を想起させる。


そして、この御二人に共通するのは、終曲部でじつに印象深く、意味ありげな視線をこちらに投げかけること。
もちろん、それはこちらの一方的な錯覚&妄想にすぎないのだろう。

でも、シテが面を通して観客に投げかける視線によって、シテとの一体感がさらに高まり、観る者を曲中に深く、強く引きこみ、演者とともに創り上げた独自の物語世界を観者の脳裏に映写させる。
こういうことができるのも、名手のなせる業だと思う。


いま現在の友枝昭世師にしか舞えない唯一無二の《松風》、いまの昭世師独自の《松風》の世界を堪能できた至福……。




前置きが長くなったので
細かい内容は、友枝昭世の《松風》に続きます。





2017年10月30日月曜日

大槻文蔵の《弱法師》~寺社と能〈四天王寺〉国立能楽堂企画公演

2017年10月28日(土)13時~15時50分 国立能楽堂
天王寺舞楽からのつづき

能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
      ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
      藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
      後見 武富康之 大槻裕一
      地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
         長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康



大槻文蔵師に対しては、観能の原体験ともいうべき、トラウマがあります。
大学時代、大槻能楽堂で文蔵師の鬘物を見て爆睡したことがあり、それを機に「能なんか症」に罹患。近年になるまで能の魅力に気づかずにいました。
(もちろん、爆睡したのはわたしが未熟だったせいなのです。)
ただ、相性の問題もあるのでしょうか、まちがいなく当代第一人者のおひとりだと思いますし、人間的にも尊敬できる方のようにお見受けするのですが、正直、ちょっと敬遠気味でした。

前置きが長くなりましたが、《弱法師》、良い舞台でした!


【一声の囃子→シテの登場】
とりわけ心を打たれたのが、一声の囃子。
源次郎師の小鼓は音色が美しいだけでなく、
俊徳丸の身に降りかかった不運、絶望、視力さえ失うほどの悲惨な境遇を切々と物語り、謡いあげる。
シテが出る前から、俊徳丸の気配が漂ってくる。

柿原崇志師の大鼓も冴えわたり、老いてますます盛ん、脂がエネルギッシュに乗り切っている。
後見には孝則さん。
若竹のように伸び盛りの孫に、芸の真髄を身をもって教えることができる現役バリバリの崇志師は、とても幸せな囃子方さんだ。


味わい深い囃子によって、与太者・あぶれ者がたむろする四天王寺界隈の猥雑さ━━弱法師の世界が醸成されたところへ、シテが登場する。

幕離れも美事。
弱法師の面も素晴らしい。
悲哀と諦観が入り混じる複雑な能面の表情が、さまざまな物語性を宿していて、こちらの想像力を掻き立てる。
この弱法師の面にもっともふさわしく、もっとも自然な、胴体と手足、姿勢と所作・挙動を、シテはほとんど理想的な形で表現している。
運命に苛まれた、細くやつれ、うちひしがれた身体。
そして、その内側に潜む若くみずみずしい生気と色気、名家育ちの気品。

《弱法師》の俊徳丸に必要なすべてがシテの姿と挙措に集約されている。


【終曲へ】
俊徳丸が石の鳥居から境内に入るところは、自分を保護する聖域に漂着したような安堵感が感じられ、梅の香を聞くところは、艶めく春の香りがふんわりと漂うよう。

地面に倒れ伏すところは、俊徳丸を押しのけて突き飛ばし、無神経にぶつかってくる群衆を、3D映像のようにリアリティ豊かに感じさせる。

シテは非の打ち所がないように見える。
それをどこか遠巻きに、左脳的に眺めている自分。




【元雅の意図】
《弱法師》を初めて見た時は、「満目青山は心にあり」の箇所がこの曲の眼目だと思い込んでいたけれど、実はそのあとの、群衆に突き飛ばされ嗤われて、「今よりは狂はじ」と心に誓う、その箇所こそが核心部分なのではないかと、この日の舞台を観て気づかされた。


元雅が描きたかったのは、「幸せは心の中にある」という、いかにも悟ったような綺麗事のではないのかもしれない。
俊徳丸が、「今よりは狂はじ」と固く心に決め、感情の発露を胸の内に封じ込めるところ、人の嘲笑を超然とはねつけられず、悟りきれない人間の心情を描いたところに、この曲の醍醐味があると思う。


高安通俊はみずから追放した息子を、夜陰に紛れて連れ帰る。
家に帰った後も、土地の名士である通俊は世間体を気にして、息子を奥座敷に隠し住まわせるような予感がする。
俊徳丸も過剰な期待は抱かず、なかば幽閉状態になることを覚悟で、「今よりは狂はじ」と感情を押し殺し、運命に身を任せて生きていくのだろうか。

孤独でいたいけな少年の姿のまま橋掛りを去っていくシテの後姿が、かつて観た《菊慈童・酈縣山の前場で深山の流刑地に赴く慈童の姿と少しだけ重なって見えた。






2017年10月29日日曜日

天王寺舞楽~国立能楽堂企画公演〈四天王寺〉

2017年10月28日(土)13時~15時50分 国立能楽堂
解説からのつづき
天王寺舞楽:天王寺楽所雅亮会(以和貴会)
解説 小野真龍
《採桑老》 一人舞 懸人(1人)
《甘州》  四人舞
《鮮莫者》 一人舞
      京不見御笛当役(1人)
      打物:鞨鼓1、太鼓1、鉦鼓1
      管方:鳳笙3、篳篥3、龍笛3
      装束方3

能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
      ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
      藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
      後見 武富康之 大槻裕一
      地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
         長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康



さて、いよいよ天王寺舞楽公演です。
明治以降、京都・奈良・天王寺の楽人たちが東京に召され、四天王寺の舞楽法要も一時中断しますが、その後、雅亮会が結成され、舞楽法要が再興されます。

それにしても、先日拝見した宮内庁楽部は国家公務員として安定した収入があるのに対し、四天王寺の雅亮会の方々はどうされているのだろう(兼業かな?)。雅楽発祥の地で古式の舞を継承していくことのご苦労がしのばれます。


《採桑老》 
左方(唐楽)・盤渉調の一人舞
不老長寿の妙薬を探す老人を表現した舞。この舞を舞うと死ぬという不吉な言い伝えもあるとされるが、平安期には長寿をことほぐ舞だったという。

装束は別装束(冬直衣)で、白地の袍に、浅葱色の指貫。
白地金襴の牟子(頭巾)に笹をつけている。
鳩の作り物のついた鳩杖を持っているのも特徴的。

面は、能の翁面の造形に影響を与えたとされる老人面だが、老人といっても、鼻筋の通った整った顔立ちの美形の老人で、実在の人間をモデルにしたようなリアルさがある。

舞人は老人らしく、鳥兜をかぶった懸人に伴われ、懸人の肩に手をのせたまま、揚幕から橋掛りを通って登場(→退場の時も懸人が付き添う。高齢者介護を舞に取り入れたところが凄い!)。

足を開いて、低く腰を落とす「落居」などの舞楽独特の舞の手が入る。
膝を直角に曲げて腰を落とすスクワットのような手が多用され、大変なエクササイズだ。
四天王寺の楽人が、老人らしさを演出するために振り付けたとされる「洟をかむ」手もあるらしい。

盤渉調の音楽に癒される……。
美しい老人の舞だった。



《甘州》
左方・平調の四人舞。
唐の玄宗皇帝の御遊の際、官女の装束が風になびくさまが、仙女が舞うように見えたため、その様子を舞楽化したものとされる。

装束は襲装束だが、袍の両肩を脱ぐ「前掛(まえだれ)・裾(きょ)」に着装する。
頭には鳥兜ではなく、冠に緌(おいかけ)を着けていて、いかにも平安貴族らしい出立。


曲の構成は、
①破の「延甘州」、②急の「早甘州」の二段に分けて舞われる。

「種子播手(たねをまくて)」などの型があるそうだが、どの動きがそれに相当するのかはわからなかった。
足をあげて踵をつき、上体を前後させる手など、勇壮かつ優雅な舞。



《鮮莫者》 
左方・盤渉調、一人の舞人が激しく動き回る走舞。

曲の由来にはおもに二つの説があるが、
聖徳太子が建立した四天王寺では、太子が河内国の亀瀬を渡りながら尺八(古代雅楽に用いられた縦笛のこと)を吹いていたところ、その音色に感動した信貴山の山神が猿の姿で現れ、舞を舞ったという故事にちなんで上演される。

それゆえ、京不見御笛当役と呼ばれる龍笛の音頭(リーダー)が、聖徳太子の扮装をして舞台脇で演奏する。
「京不見御笛(きょうみずのおふえ)」とは、聖徳太子ゆかりの名笛を指し、かつては実際に演奏に用いられたそうだが、現在は自前の笛を吹くという。

聖徳太子に扮した京不見御笛当役の出立は、左方の襲装束に、纓(えい)がプロペラのように大きく左右に張り出した唐冠を被り、腰には太刀を佩いたもの。
この日は、笛座に立って演奏していた。

曲の構成は、
①古楽乱声(こがくらんじょう):舞人が登場し、出手(でるて)を舞う。
②蘇莫者音取
③当曲序
④当曲破

猿のような山神の化身たる舞人の扮装は、毛皮を模したような毛縁裲襠をつけ、その上から蓑を着る。袍は紅地の紗で、袖先を露紐で括る。袴も足首のところで括っている。
手に持つ桴は、ずんぐりしたゼンマイのような独特の形状。

赤い舌を出した金色の面には、長い髪がついている。

舞人の動きも猿を模したように、ぴょこぴょうこ動いたり、小走りになったり、首を片方に傾けてから勢いよく反対側に向けたりするなど、敏捷な動物を思わせる。


笛を吹く貴公子の聖徳太子と、猿に扮した山神の共演。
雅楽の調べとあいまって、古代ロマンを感じさせる幻想的な舞台だった。



能《弱法師》へつづく



2017年10月28日土曜日

国立能楽堂企画公演・寺社と能〈四天王寺〉天王寺舞楽・弱法師

2017年10月28日(土)13時~15時50分 またもや雨 国立能楽堂

能舞台に出現した舞楽空間
向かって左から、鉦鼓、太鼓、鞨鼓
 天王寺舞楽:天王寺楽所雅亮会(以和貴会)
解説 小野真龍
《採桑老》 一人舞 懸人(1人)
《甘州》  四人舞
《鮮莫者》 一人舞
      京不見御笛当役
      打物:鞨鼓1、太鼓1、鉦鼓1
      管方:鳳笙3、篳篥3、龍笛3
      装束方3

能《弱法師》シテ俊徳丸 大槻文蔵
      ワキ高安通俊 福王和幸 アイ従者 善竹十郎
      藤田六郎兵衛 大倉源次郎 柿原崇志
      後見 武富康之 大槻裕一
      地謡 観世銕之丞 柴田稔 馬野正基 浅見慈一
         長山桂三 観世淳夫 谷本健吾 安藤貴康


国立能楽堂で、雅楽の公演が催されるのは初めてとのこと。
今まで開催されなかった理由は、やっぱり、沓でしょうか……。

能舞台は足袋が基本だし、先日の神楽公演のときも演者は足袋を履いていたし。
観ていて抵抗がなかったといえば……うーん、どうかな。
《張良》でさえ沓は履かずに、投げて、拾いに行くだけですから。
(と、思ったら、調べてみると流儀によっては《張良》で沓を履いて歩く演出もあるのですね。ちょっとびっくりだけど、なるほどー。)

それはともかく、天王寺舞楽自体は素晴らしかったです!

(なんと!)小野妹子の末裔という小野真龍氏の解説では、天王寺舞楽と能との親近性が挙げられていて興味深い。
少し補足して、能と天王寺舞楽(or雅楽全般)との類似性をまとめてみると;


(1)能も雅楽も、秦河勝(もしくはその子息)を始祖とする点
『風姿花伝』には、天下に災いがあった時、聖徳太子が六十六番のものまね(神楽)を秦河勝に演じさせたのが、申楽の初めであることが書かれている。

いっぽう雅楽も、聖徳太子が外来音楽で仏教を称揚するべく、秦河勝の息子や縁者たちに、隋などから伝来した音楽を学ばせたことが始まりとされる。この河勝の子息たちが、四天王寺の四楽家(東儀・林・・岡)の祖となった。



(2)散楽(物まね芸)的要素が入っている点
大和申楽には、ものまね芸的な要素が入っているが、天王寺舞楽も、宮内庁の雅楽に比べると、リアルな写実的所作が多く含まれる。

(わたしが先日、宮内庁雅楽演奏会で観た《胡徳楽》にも、ヨタヨタと背中を丸め、腰をかがめて歩く所作など、観客の笑いを誘うようなリアルで物真似的な表現があり、まるで狂言の元祖みたいだと思ったのですが、宮内庁の雅楽にもそうした散楽的要素が残っているようです。)

また、世阿弥は京への進出にあたり、雅楽から序破急の概念を取り入れて、たんなる物真似芸を洗練させたとのこと(能の囃子の「盤渉」や「黄鐘」の概念も、雅楽から採用したものですね)。



(3)神仏習合
近世まで日本の宗教は神仏習合(混淆)が一般的だったが、明治以降、雅楽は天皇を荘厳するためのものとなり、仏教色が排除された。

しかし、天王寺舞楽では、聖徳太子の命日の法要である聖霊会に仏舎利をのせた神輿が出るなど、神仏混淆的要素がいまも残っている。
能楽でも、謡曲の中で神仏が習合されている。


雅楽も能楽も、その由来を聖徳太子と秦河勝に辿ることができるというのが面白い!


天王寺舞楽公演の様子は次の記事に掲載します。




2017年10月26日木曜日

椎葉神楽・悠久の舞~能舞台に神々が舞い降りる

2017年10月26日(木)13時30分~18時 国立能楽堂


主宰者挨拶
基調講演 神楽のはじまりと芸能への進化 神崎宣武
     椎葉神楽への誘い       小川直之

神楽公演・第一部
案永(あんなが)、大神(だいじん)、鬼神(きじん)

神楽公演・第二部
ちんち、かんしん、手力男、森の弓、泰平楽、弓通し


能舞台の上に再現された神楽の神庭(こうにわ)
去年の高千穂神楽と比べると、シンプルかつシック


昨年の高千穂の夜神楽に続いて、国立能楽堂での2度目の宮崎神楽公演!

今回は、九州山地にある椎葉村の神楽です。
村内26地区に伝承されている椎葉神楽は、地区によって、舞や衣装、太鼓の調子が異なり、この日上演された「向山日添神楽」は、椎葉村の熊本県境に近い20戸100人ほどの向山日添集落に伝わる神楽だそうです。

椎葉神楽の特色としては;

(1)現在も狩猟や焼畑農業を営む山間部の集落であることから、神楽にも狩猟神事が織り込まれ、山の神の贈り物である猪肉を奉納したり、村人たちで肉を切り分けたり、猪の頭を神前に供えたりする。

(2)仏教色を一掃する唯一神道化の影響がみられず、神仏混淆の唱教が多く残されている。

(3)修験道の影響がみられる。たとえば、採物舞では、錫杖のように鉄の輪に遊環(ゆかん)をつけたものを持ち、頭の鉢巻きの下には、修験者の兜巾を模した三角形や五角形のすみとり紙を挟む。

などが挙げられます。

演奏も太鼓だけというシンプルさ。


祭壇上の神楽面のアップ。向かって右側の面が公演で使用された。


わたしが個人的に感じたのは、
昨年見た日之影神楽や高千穂神楽は。天岩戸伝説などの具体的な物語を演劇的かつ写実的に描いていたのに対して、椎葉神楽は、神話にもとづく「手力男」をのぞけば、抽象的な舞が多く、演劇性に頼らないぶん、舞の技術力・体力に高い水準が求められること。


このように剣を掲げて、大きく反り返る型を数十回繰り返すなどハードな舞


かなりハードな舞の型が連続し、それが長く続くため、相当のスタミナも要求されます。狩猟や焼畑耕作など日々の労働で鍛え抜かれた身体で舞う男っぽい舞。

厳しい自然と対峙しつつ、自然の恵みに感謝するという、現代の都会生活では忘れ去られている感覚が椎葉神楽には息づいていて、それがとても魅力でした。



神楽公演
それぞれの演目を簡単に紹介します(解説はプログラムを参考にしています)。

①案永(あんなが)
案永
椎葉神楽唯一の楽器・太鼓の由来を説く、唱教のみの演目。





②大神(だいじん)

大神
笠、白張、袴の姿で舞う二人舞。
右手に鈴、左手に、大神幣を持つ。


採物となる幣は左から、稲荷幣、五ツ天皇幣、荒神幣、大神幣



③鬼神

鬼神

二人舞。一人は、面、毛笠、白張、袴、青襷、赤緑白の背負い紙。
左手に扇、右手の面棒をバトンのようにくるくる回して舞う。
もう一人は、すみとり紙に赤鉢巻き、白張、袴に赤襷。
鈴と扇で舞う。





④ちんち
ちんち

4人舞。すみとり紙に赤の名が鉢巻き、白の舞衣に赤の紐帯、稲荷幣を腰に差した姿で舞う。
右手に鈴、左手に扇。




⑤かんしん
かんしん
4人舞。すみとり紙に赤の長鉢巻、白の舞衣に赤の紐帯、一組は赤、一組は青の長襷の姿で舞う。
男らしく勇壮な剣舞。



⑥手力雄(たぢから)

手力男
太夫の一人舞。
手力面にしゃぐま、その上に毛笠をかぶる。白張、袴、赤の腰帯、腰には稲荷幣を2本交差させて差す。
右手に鈴、左手には二本組の大神幣を持つ。
凝った型が続く、難度の高い舞。




⑦森の弓

森の弓
右手に鈴、左手に弓を持つ二人舞。
こういうところが、いかにも狩猟の民らしい。



⑧泰平楽

泰平楽

観客も立ち上がって、お土産にいただいた幣を持ち、演者と一緒に舞う。
泰平の世を祈願して。
舞はよくわからなかったけど、楽しかった!

お土産にいただいた幣

観客が会場を出る際には、茅の輪くぐりのように、二本の弓を立てて輪にした間をくぐって、無病息災をお祈りする「弓通し」が行われた。


椎葉村のおもてなしの心に感謝!
舞中心の神楽なので、個人的には昨年以上に楽しめた公演でした!





2017年10月24日火曜日

万三郎の《当麻》後場・橘香会~古代大和のレイライン

2017年10月22日(日)13時~15時5分  国立能楽堂
《当麻》前場からのつづき (台風接近のため1番のみ拝見)

能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
   ツレ化女 八田達弥
   ワキ旅僧  福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
   アイ門前ノ者 野村万禄
   槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
   後見 清水寛二 山中迓晶
   地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
      長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也



能《当麻》の舞台は、彼岸中日の二上山の麓。
二上山の真東には三輪山があり、この古代大和の太陽の道に沿って、春分・秋分の日には、三輪山から昇った太陽が、二上山へと沈んでいく。
 
小川光三著『大和の原像』(大和書房)によると、二上山と三輪山を東西につなぐレイラインの延長線上には、伊勢神宮の故地とされる伊勢斎宮跡があり、彼岸の中日には斎宮跡から昇った太陽が、三輪山を通って、二上山に沈むという。

ここからは私見だが、
能《三輪》で天岩戸伝説が再現されるのも、偶然ではないと思う。

《三輪》の時節とされる晩秋には、三輪山から見て日の出の方角が、ちょうど現在の伊勢神宮に当たることになる。

つまり、《三輪》の舞台の進行と呼応するように、シテが夜神楽を舞ったのち、「常闇の雲晴れて、日月光り輝けば」で、伊勢の方角から朝日が光輝き、アマテラスの象徴である曙光が三輪山をサーッと照らすと、三輪山頂にある「磐座」に降臨して、文字通り、「伊勢と三輪の神」(天照と大物主)が「一体分身」となるのだ。


大和申楽出身の《当麻》や《三輪》の作者は、先祖代々刷り込まれた古代大和の太陽信仰を無意識に感じながら、これらの名作を作曲したのかもしれない。

万三郎の《当麻》は、太陽の光と存在を感じさせる舞台だった。



【後場】
出端の囃子で、後シテが現れる。
「二段返」の小書を元伯さんの太鼓で観たのは3年前の銕仙会
もうずいぶん、遠い昔のような気がする……。
この日の太鼓は林雄一郎さん。音色が澄んで、研ぎ澄まされてきた。端正な居住まいもお師匠様の風を受け継いでいらっしゃる。

中将姫の出立は、白蓮の天冠にサーモンピンクの緋大口、唐草文を金で施した輝くような舞衣。
面は、佳麗無比の増。
もしかすると、2年前の《定家》の時と同じものだろうか?
いつまでも飽きることなく眺めていたいほど神々しい女面で、万三郎の中将姫にしっくり合う。シテを選ぶタイプの増の面だと思う。



〈称賛浄土教の伝授〉
中将姫の精魂は、ワキ僧に経巻を授け、経巻を広げたワキとともに称賛浄土教を読誦し、阿弥陀如来の教えを説く。

シテと地謡の掛け合いの箇所に特殊な節が入り、「令心不乱、乱るなよ」では「なよぉ~~」、「十声(とこえ)も」では「もぉ~~」と、高音の節でグンッと山をつくるような独特の謡い方をするのが特徴的。



〈早舞〉
森田流の破掛リの盤渉早舞。
菩薩の境地に至った中将姫が仏の教えを説く高貴で荘厳な舞のため、速度は速くなく、ゆったりしている。

まばゆい光の粒子をまき散らしながら、純白の袖を翻すシテの姿は、
かぎりなく軽やかで、自由で、天使のように無心に見える。

天冠の瓔珞ゆらめきが、陰翳のうつろいをつくり、
中将姫はうっとりとした法悦の表情を浮かべ、
極楽の世界を垣間見せるその舞姿に、阿弥陀如来の面影が重なり合う。

シテは舞うなかで、
中将姫になり、菩薩になり、阿弥陀仏になり、

さまざまに印象を変えながら、
やがてすべては一体となり、

「さを投ぐる間の夢の」と、常座で左袖を巻き上げ、

万三郎は、こちらに
まっすぐ視線を向けたまま、

一歩、二歩、三歩、
しずかに、おごそかに、後ろに下がりつつ

夕日のような金色の後光に包まれながら、

ゆっくりと、沈んでゆく
あの山の向こうへ

志賀津彦、大津皇子、隼別、天若日子、
俤人、
山越の阿弥陀……

すべては、シテのなかで溶け合い、
ひとつになって、

あの山の向こうへ
消えていった。







2017年10月23日月曜日

国立の能楽堂で、万三郎の当麻を見た ~橘香会《当麻》前場

2017年10月22日(日)12時30分~17時40分  国立能楽堂

解説 馬場あき子

能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
   ツレ化女 八田達弥
   ワキ旅僧  福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
   アイ門前ノ者 野村万禄
   槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
   後見 清水寛二 山中迓晶
   地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
      長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也

狂言《萩大名》シテ大名 野村萬
  アド太郎冠者 野村万之丞 茶屋 野村万蔵

仕舞《葛城》    梅若万佐晴
  《邯鄲・楽アト》中村裕
    伊藤嘉章 遠田修 梅若久紀 根岸晃一

能《山姥》シテ女/山姥 青木健一
   ツレ百万山姥 観世淳夫
   ワキ大日方寛 舘田善博 梅村昌功
   アイ里人 能村晶人
   藤田次郎 古賀裕己 佃良太郎 小寺真佐人
   後見 加藤眞悟 谷本健吾
   地謡 青木一郎 八田達弥 梅若紀長 長谷川晴彦
      遠田修 梅若泰志 古室知也 梅若久紀


タイトル通りのことを、ずっと経験したいと願っていた。
帰りは、「星が輝き、雨が消え残った夜道を歩いていた」わけではなく、台風接近中の土砂降りのなか、ずぶ濡れで帰宅したわけだけど、それでも「白い袖が飜り、金色の冠がきらめき、中将姫は、未だ眼の前を舞って」いた。
もちろん、万三郎は小林秀雄が観た万三郎ではなく、当代万三郎、わたしにとって、美しい「花」そのものの万三郎だ。

今年は秋から冬にかけて、このシテでこの曲を観たい!と切望していた舞台がいくつかあり、今、この時、能を観ていてよかったと心から思う。


【前場】
次第の囃子で念仏僧の一行が登場。
ワキは茶水衣に角帽子、ワキツレはブルーの水衣、青灰色の着流。

『一遍聖絵』には、鎌倉期に一遍上人が当麻寺に詣でた際、中将姫自筆の称賛浄土教一巻を寺僧から譲られた話が描かれているから、おそらくこのワキは一遍上人がモデルなのだろう。

ワキ僧が三熊野詣からの帰途に当麻寺に立ち寄るという設定も、熊野権現の本地が当麻曼荼羅に影向するという、当時の信仰が反映されているのかもしれない。


〈シテ・ツレの登場〉
シテとツレが一声の囃子で登場し、それぞれ三の松と一の松に立つ。
シテの出立は、クリームがかった白い花帽子に薄茶の水衣、桔梗などの秋花をあしらった古色の美しい段替唐織。手には杖。

シテの面が、印象的だ。
目じりが下がり、眉間にしわを寄せた通常の「姥」ではなく、
盲目のようなその目は横にスッと伸びる切れ長で、皺が少なく、かすかな若さの残滓が認められる相貌には聡明な輝きと神々しい品格が漂い、表情には慈愛よりも、毅然とした厳しさがある。


シテとツレが、名所教えのように当麻寺と染殿の井を紹介し、シテとワキとの掛け合いのあと、地謡が受けるくだり。
「掛けし蓮の色桜、花の錦の経緯に、雲の絶え間に晴れ曇る、雪も、緑も、紅も」と、錦の綴れのように風景を色あざやかに織り込んでいく詞章が美しい。

シテは、「西吹く秋の風ならん」で、西方浄土からの音信を聞くように、脇正を向いて風の音にそっと耳を澄またのち、
大小前で床几に掛かり、クリ・サシ・クセで、地謡を介して中将姫譚を語っていく。


〈クリ・サシ・クセ〉
当麻曼荼羅の縁起が強吟のクセで語られる。

いつもながら、万三郎の静止の姿はこのうえなく美しい。
水晶を刻んだ彫刻のように、静かに光を透過して、その時々でさまざまな色にきらめきながら、語られた物語を不動のまま紡いでいく。
水晶玉に占いの結果が映写されるように、観ているほうは、老尼の脳裏に浮かぶ映像をのぞいている気分になる。


そして、語られる物語をしっかり受け止めるのが、ワキの念仏僧。
福王和幸さんの下居姿は、万三郎の相手役にふさわしく、重心が天地を繋ぐ軸上に安定しており、シテの「気」を受け止め、見事に共鳴していた。

シテより先に登場し、シテの後に退場して舞台を終始見守るワキ。
その存在は、書類の隅を一カ所だけ留めるホッチキスのようなもの。
パラパラと書類をめくるように展開する物語を、舞台の隅の脇座でしっかり繋ぎとめ、舞台を継続して引き締める。

だからこそ、ワキの下居の佇まいは極めて重要で、物語の展開に即して、どこから見ても美しい姿勢を保つには非常に高い技術力・身体能力が求められる。
和幸さんは技と骨格のしっかりした、良いワキ方さんだと思う。



〈化尼化女(阿弥陀如来・観音菩薩)に変じて中入〉
老尼は物語るうちに正体を明かし、紫雲に乗って昇天する。

シテは「二上の嶽とは」で、床几から立ち上がって前進し、
「二上の山とこそ人はいへど」で、両手を杖の上に置く。
「尼上の嶽とは申すなり」で、脇正に進んだかと思うと、
「老いの坂を登り登る」で、
腰の曲がった老婆のように、腰をグッと低く落として杖を突き、
左、右と向いて、ジグザグに山を登るような特殊な足遣いをしたのち、
「雲に乗りて」で、杖を捨て、
「紫雲に乗りて上りけり」で、雲がたなびくように余韻を残しつつゆっくりと中入。

送り笛はなく、間狂言の途中から笛が入る演出だった。



《当麻》後場につづく





2017年10月21日土曜日

宮内庁雅楽演奏会

2017年10月21日(土)14時30分~16時 皇居・宮内庁楽部

2階から見た舞台
手前向かって右から鞨鼓、楽太鼓、鉦鼓。
奥にあるのが、右方用の大太鼓(右)と左方用大太鼓(左)

【曲目】
(1)管弦: 盤渉調音取・青海波・千秋楽
(2)舞楽: 陵王・胡徳楽


嬉しいことに、今月は雅楽鑑賞の機会に恵まれ、この日が第一弾!
曲目にちなんで、鼓青海波の地紋入り色無地に向い鶴の袋帯を締めていくつもりだったけど、雨のなか開場前に着物で並ぶなんてムリッ!と思い、断念。
10月なのに雨ばかり……。



こちらは1階から見た舞台
開場20分くらい前に着いたのですが、すでに途方もなく長~い列。
でも、ラッキーなことに1階最前列に座れました。
2階のほうが全体を見渡せていいいらしいけど、演者の息遣いや動きを感じたかったから。




左方(唐楽)用大太鼓
 ↑舞台向かって左にあるのが、左方(唐楽による舞楽)に使われる大太鼓。
縁飾りには、阿吽の昇龍。
鼓面が三つ巴で、竿先に日輪がついているのが特徴。
鼓面の色彩も、下↓の右方用の大太鼓に比べて華やか。




右方(高麗楽)用の大太鼓
↑向かって右にあるのが、右方(高麗楽による舞楽)に使用される大太鼓。
縁飾りには、鳳凰、鼓面が二つ巴で、竿先には月輪がついています。





大鉦鼓
↑左右それぞれの大太鼓の脇にある大鉦鼓。
こちらも大太鼓と同じく舞楽用で、左方・右方に合わせてそれぞれ昇龍と鳳凰が火炎形の縁飾りに彫刻されています。



さて、肝心の雅楽演奏はとっても素晴らしく、この空間ならではの独特の雰囲気があって堪能しました。
まずは、「管絃」から。
管絃とは、舞楽のメインとなる「当曲」の部分を管絃編成で演奏するもので、「音取」という短い前奏曲が奏されます。これにより盤渉調や黄鐘調といった、曲の調子の雰囲気が醸成されていくのです。


〈盤渉調音取〉
能楽囃子にも盤渉音取があるけれど、それとはだいぶ違っていて、
音取は、各楽器の音頭(リード奏者)のみが演奏。まずは笙から吹き始め、篳篥、鞨鼓と演奏に加わり、最後に琵琶と筝が弾き始めます。
海面の水平線の彼方が、ほのぼのと白みがかっていくような雰囲気。



〈青海波〉
『源氏物語』の「紅葉の賀」で、光源氏と頭中将が舞ったことで有名な曲。

もとは平調の曲だったのが、9世紀前半の仁明天皇のときに、勅命によって盤渉調に移されたというから、『源氏物語』が書かれたときにはすでに盤渉調だったことになります。

ほかの管絃と同様、横笛から吹き始め、鞨鼓がアンサンブル全体の統一者となって、最初はゆっくりとしたテンポで始め、徐々にテンポをあげていく。
打つ、というよりも、掻き鳴らすような独特の演奏法で、鞠が弾むようなトレモロ奏法を多用。

琵琶がとくに素敵で、能楽師のようなキリッと背筋を伸ばした座り方ではなく、ゆったりと腰を後ろに引き気味に座り、絃を掻き鳴らす手がじつに優雅で、舞の手のように見えます。
音色も穏やかな響きで、旋律を弾くのではなく、清らかな水の雫が零れるような、光のきらめきを感じさせる装飾音を奏でてゆく。

《青海波》の後半には、打楽器のリズムのパターンが変化し、「千鳥懸」や「男波(おなみ)」「女波(めなみ)」などの打法が加わります。

全体的に、波の穏やかな大海原に美しい朝日が昇ってゆく情景を思わせる曲でした。



〈千秋楽〉
これも横笛から始まり、鞨鼓、鉦鼓、小・篳篥が純に加わり、絃楽器が音頭から参加して、もう一人の琵琶奏者も加わって、音に厚みを増していきます。
この曲を聴いていると、錦秋に輝く古刹の伽藍が目に浮かんでくるようです。



さて、休憩をはさんで、いよいよ舞楽。

〈陵王〉:左方舞(唐楽の舞楽)、調子は壱越調
もっともメジャーな舞楽といってもいいほど、有名な曲。
北斉(550~577年)の蘭陵王長恭が容姿があまりにも美しく、軍の士気が上がらなかったため、獰猛な仮面をつけて戦場に臨んだところ、大勝利を収めたという故事にちなんで作曲されたといいます。

陵王に扮した舞人は、龍を戴いた吊り顎の面をつけ(目も上下に動くそうですが目の動きはわからず)、毛縁裲襠という、縁に毛のついた唐織の貫頭衣を身につけます。

曲の構成は以下の通り;
(1)小乱声
(2)乱序→舞人が登場し、出手(でるて)を舞う。
(3)囀(さえずり)→無伴奏部分(ここはカットされたかも?)
(4)沙陀調音取
(5)当曲→曲のメイン
(6)乱序→舞人が入手(いりて)を舞い、退場。

舞楽のメインとなる当曲では、舞人は右手に金の桴を持ち、左では、人差し指と中指を突き出し、他の指を折る「剣印」という印を結んだ恰好で、
手足の動きを組み合わせた「掻合(かきあわせ)」や、足を横に開いて腰を低く落とす「落居」、頭を片方に傾けてから大太鼓に合わせて反対側をキッと向く「見(みる」などのさまざまな舞の手を組み入れて、勇壮かつ優雅に舞っていきます。


舞楽のなかでは比較的テンポの速い走舞とはいえ、唐楽らしく洗練された格調高い舞でした。



〈胡徳楽〉:右方舞(高麗楽の舞楽)、調子は高麗壱越調)
こちらは左方舞とは打って変わって、高麗楽らしい親しみやすさ。
主人と四人の客の酒宴で酒を注ぐ「瓶子取(へいしとり)」が、主人の目を盗んで酒を飲み、最後はへべれけに酔ってしまうという、喜劇調の黙劇。
瓶子取は太郎冠者のようなキャラクターだから、狂言の原型のような舞楽でした。

唐楽とは違い、高麗楽には笙は加わらず、管楽器は篳篥と高麗笛のみ。
また、鞨鼓の代わりに三ノ鼓が使用されるため、あの特徴的な鞨鼓のトレモロも入らず、音楽の雰囲気が左方舞とはかなり異なります。

さらに、高麗楽では退場楽が省略されるので、曲の構成は以下の通り;

(1)意調子→舞人(客役)二人登場したのち、勧盃(主人)、瓶子取、舞人二人の順に登場。
(2)当曲→舞人二人が出手(ずるて)を舞ったのち、所定の位置に着座。後から来た舞人二人が舞っている隙に、瓶子取が酒を盗み飲みする。
客人や主人が遠慮し合って、互いに酒をすすめ合うので、その間を瓶子取が右往左往するのも見どころ。客席からは笑いが。

舞人(宴席の客)四人の出立は、左方の襲装束(袍は着けない)に、酔客らしく、赤ら顔の長い鼻の面をつける。この面は、西域から来た胡人を模したものでしょうか。
面の鼻は、主賓の面以外は可動式で、寸劇の中で、長い鼻が邪魔で盃を飲みにくいのを、瓶子取が鼻を持ち上げて、無理やり飲ませるというオチになっています。
(芥川龍之介の『鼻』を思い出す。)


瓶子取は、牟子という頭巾に笹をさし、腫面という左右非対称に顔の醜く腫れあがった黒い面をつける。この面は、おそらく病を患い、その昔、不当に差別された人の相貌をかたどったものかもしれません。ヨタヨタと腰を曲げ、背中を丸めて歩く姿からも、聖書にも描かれた、彼の人々の暗い歴史が妖気のように漂ってきます。


勧盃(主人)の出立は、この曲が元は唐楽だったためか、左方の襲装束に緋色の袍、唐冠を被り、手には笏を持つ。
面は、「進鮮利古(しんそりこ)」という、神に薄衣を張って、抽象化した人面を描いた雑面。
太秦の牛祭で観た面に似ていて、秦氏との関連で考察してみるのも面白そう。


舞楽の時は楽人(管方)は舞台奥へ
↑舞楽の時は、管方(楽器演奏者)は、大太鼓の後ろの席へ移動。
大太鼓奏者も、背後から太鼓を打ちます。




白州っぽい玉砂利
能楽堂の白州のような玉砂利があるけれど、観客席の下も玉砂利になっているので、否応なく、玉砂利の上を歩くことに。







2017年10月20日金曜日

野崎家能楽コレクション~備前池田家伝来・国立能楽堂特別展

前期2017年10月4日~11月5日 後期11月7日~12月5日 国立能楽堂展示室



備前岡山藩主・池田家に伝来した能楽美術品の数々。
現在、林原美術館に所蔵されているものとは別に、製塩業で財を成した野崎家が明治期以降に池田家から拝領した一大コレクションを東京で初公開するという特別展。


能面の名品・優品が充実していて、能面好きにはたまらない展示です!

まだザッと眺めただけですが、前期展示品のなかで特に目についたのが、以下のもの。(番号は展示番号)


7.娩麗(べんり)、「天下一友閑」、江戸期17世紀
  万媚を上品にしたような優婉な女面。

11.増女、「天下一友閑」、江戸期17世紀

17.曲見、「天下一友閑」、江戸期17世紀

19.東来(あずまき)、「天下一近江」、江戸期17世紀
   小面を色っぽくしたような印象。

32.長霊癋見、「出目」、江戸期18世紀
  左右の瞳の向きが極端に違っていて、右目は斜め下、左目は斜め上を向き。
  ユニークな表情。

40.増女、室町期16~17世紀
 精神的な奥深さを感じさせる。通常の増と深井の間くらいの年齢に見える。名手の舞台で観てみたい。

49.牙悪尉、江戸期18世紀
  下あごに二本の牙。

56.東江(とごう)、江戸期18世紀
  喜多流の専用面となった怪士系の男面。

63.弱法師(蝉丸)、江戸期18世紀
  通常の弱法師の面のような少年っぽさはなく、壮年の男性の面影。
  妻を登場させる、世阿弥自筆本の《弱法師》にぴったり合いそう。


追記:本特別展には、「娩麗」や「東江」、あるいは後期展示の「セイエン」(清艶or凄艶のことかな?)など、聞きなれない名称の若い女面が陳列されているのですが、図版によると、みずから所蔵する小面に池田家がつけた愛称だそうです。各大名家で、愛蔵の名品に固有の愛称をつける習慣があったようです。


そのほか、全期を通じて展示される能人形「高砂」付き能舞台や、和漢図貼交屏風(源氏物語+漢画+能絵の屏風)など、見応えたっぷり。

千駄ヶ谷に行く機会ごとに、覗いてみようと思います。








2017年10月12日木曜日

運慶展~興福寺中金堂再建記念特別展

会期:2017年9月26日~11月26日  東京国立博物館 平成館



運慶展、予想以上に素晴らしく、懐かしい仏像たちとの再会に感無量。

とくに今回は、運慶の父・康慶の凄さに目を奪われた。
実物を前にした時の、彫刻空間にみなぎる迫力、像からほとばしる「気」のパワーには圧倒される。
時代や奈良仏師・大和猿楽の違いはあるけれど、現代まで生き続ける画期的な芸術を大成させたという点において、運慶が世阿弥なら、康慶は観阿弥ともいうべき存在。
もっと観阿弥レベルにメジャーになり、評価されてもよいのではないだろうか。



以下は、各コーナーごとの感想&メモ。

【第1章 運慶を生んだ系譜~康慶から運慶へ】
国宝《法相六祖坐像》康慶作 鎌倉期 1189年 興福寺
その康慶の作品。
衣文には、激流を思わせる勢いがあり、彫りが深い。
切れ味の冴えたノミ遣い。
寄せた眉根、深く刻まれた皺、上目遣いの眼の表情など、明治期の生き人形を見るようにリアルで生々しく、六祖それぞれの性格・人間性・感情が活写されている。


重文《四天王立像》康慶作 鎌倉期 1189年 興福寺
康慶の傑作。
息をのむような量塊(マッス)から放出される気迫と威圧的な存在感は圧巻!

何よりも魅力的なのは、邪鬼の表現だ。
巨大な四天王に踏みつけにされ、口を大きく開けて喘ぐ邪鬼からは、『北斗の拳』でケンシロウに殺られたときの「あぽぱ!」みたいな断末魔の叫びが聞こえてきそう。
甲冑の腹部にある海若(あまのじゃく)の、猛烈な噛みっぷりも面白い!



重文《阿弥陀如来および両脇侍坐像》 平安期 1151年 長岳寺
長岳寺・阿弥陀如来は日本最古の玉眼仏。
猫背気味の丸い背中や、おっとりした眠たげな目もとなど、定朝様の平安仏の面影を示している。


国宝《大日如来坐像》運慶作 平安期 1176年 円成寺
運慶20代、最初期の作。

一般に玉眼は、頭部の内刳の内側から凸状にした水晶片を嵌め込み、その水晶レンズの裏側から瞳や虹彩を描き、その上から和紙をあて、木と竹釘で固定する。

ギャラリースコープで各像の玉眼を観ていくと、それぞれの年齢や個性に合わせて、運慶がいかに微妙かつ精巧に、玉眼に変化を持たせているのかがよくわかる。

この伏し目で切れ長の目をした円成寺・大日如来像では、虹彩に艶のある紅が施され、白目の部分には少し濁りのある和紙が当てられていて、引き締まったみずみずしい体躯とは裏腹に、峻厳なほど老成した表情に仕上げられている。

瓔珞には青の宝玉、宝冠には赤い珠が残され、唇に入れられた紅の彩色も当時の名残りがをとどめていて、あでやか。


【第2章 運命の彫刻~その独創性】
国宝《毘沙門天立像》運慶作 鎌倉期 1186年 静岡・願成就院
康慶作・四天王寺立像の直後に観たからか、全体的にきれいにまとまりすぎているように見える。
とりわけ甲冑の表現があまりにも整いすぎていて、規格化された印象すら受ける。

もちろん、生命力あふれる逞しい肉体には充実したハリがあり、腰をひねったポーズも洗練されていて、名作なのは間違いないが、邪鬼も大人しく小さくまとまり、個人的には何かひとつ、面白みに欠ける気がした。




重文《地蔵菩薩坐像》運慶作 鎌倉期12世紀 六波羅蜜寺
今回の運慶展のなかで個人的にいちばん好きな像。
運慶作にしては珍しい一木造。
衣文表現が極めて流麗で、全体的には落ち着いた静謐な造形。

瞑想的な目はほとんど閉じているようでいて、心の奥底までしっかり見ていてくださる、分かってくださるように見える。
同じ空間にいるだけで心が癒されるような、美しい地蔵菩薩坐像だった。




国宝《八大童子立像》運慶作の6体 鎌倉期1197年 高野山金剛峰寺
どれも素晴らしいが、とりわけ制多伽童子は秀逸。

利発そうな顔立ちを引き立てているのが、玉眼の表現。
白目の部分は輝くように白く、黒曜石のような光を宿した瞳をとりまく虹彩の石榴色の赤は、少年らしい生気と色気を感じさせる。
黒目の大きさと視線の向きを左右で変えることで、まるで生きているように人間味のある精彩に富んだ表情を与えている。
(生身の人間も、通常、黒目の大きさが若干違う。)

衣に残された截金文様がライトを浴びてキラキラと光っているのも、少年期の輝きを伝えているよう。



国宝《無著・世親菩薩立像》運慶作 鎌倉期1212年ころ 興福寺
4世紀末~5世紀初頭に北インドで活躍した法相教額の大成者・無著世親兄弟。
実際に手掛けたのも運慶の二人の息子兄弟で、運慶が統括したとされる。

老年の無着の眼は、白目が鈍く濁った玉眼で、虹彩にも紅は入れられず、瞳がグラデーション的に茶色くぼかされ、眼輪筋にもたるみがあるが、世俗的な感情を超越したような、精神的な深みを湛えている。
左の目と頬を貫く二筋のヒビが、焼き物の金継ぎのような趣き。

手の表現が極めて精緻で、左爪が薄く伸び、皺のある手の甲には骨と血管が浮き出ている。

西域らしいエキゾチックな世親の鷲鼻も印象的だった。



国宝《四天王立像》運慶作か? 鎌倉期13世紀 興福寺南円堂
近年、運慶作である可能性が濃厚とされつつある4体の立像。

康慶の四天王立像の作風を受け継ぐような力強い量塊感。
おそらく運慶が子息や弟子たちに分担してつくせたのだろう、4体の出来にいくぶん差があり、増長天と多聞天が躍動感やポーズの勢い、体躯のプロポーション、顔の表情の気迫の点で抜きん出ている。



【第3章 運慶風の展開~運慶の息子と周辺の仏師】
国宝《重源上人坐像》   鎌倉期13世紀  東大寺
萎びてたるみきった肌の質感、頸の後ろの骨々しさなど、まるで即身成仏した高僧のようにリアルすぎるほどリアル。
この実体感・実在感からは、崇高なオーラさえ感じた。



国宝《天灯鬼・龍燈鬼立像》 龍燈鬼・康弁作 鎌倉期1215年 興福寺
天燈鬼の舌をそり上げ、歯をむき出しにした口からは豪放な叫び声が聞こえてきそう。
康慶作・四天王の邪鬼を思わせる闊達な表現。



重文《十二神将立像》   鎌倉期13世紀 浄瑠璃寺伝来
運慶没後の慶派仏師集団の作とされる。
頬杖をついてひと休みする者や、見栄を切る者、ディズニーキャラクターのような表情の者など、じつにユーモラス。
12体が勢ぞろいしたのは42年ぶりというから、仲間たちと再会できて神将像たちも楽しそう!



重文《子犬》 湛慶作か? 13世紀 高山寺
丸山派の絵画に出てきそうななんとも愛らしいワンちゃん。
耳がまだねていて、尻尾がクルリ。
首を傾げたポーズが、ビクター犬を思わせる。






2017年10月9日月曜日

燦ノ会《楊貴妃》

2017年10月8日(日) 14時~16時40分 喜多能楽堂
仕舞《天鼓》《項羽》狂言《咲嘩》からのつづき

能《楊貴妃》 楊貴妃ノ霊 佐々木多門
   ワキ方士 宝生欣哉  アイ常世国ノ者 河野佑紀
   槻宅聡 森澤勇司 亀井広忠
   後見 友枝真也 粟谷浩之
   地謡 塩津哲生 大村定 長島茂 狩野了一
      金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 大島輝久



観世流でしか観たことのなかった《楊貴妃》。
詞章や道具の扱い、引廻の取り外しや作り物から出るタイミングなど、観世流とはところどころ違っていて興味深い。
(喜多流の詞章は、燦ノ会のHPからダウンロードできるので助かります。)


【宮の中からのシテの謡】
詞章の大きな違いは、太真殿の作り物のなかからシテが謡いだす第一声に「あら物凄の宮中かな、あら物凄の宮中かな」が入るところ。
このあと、「昔は驪山の春の園に……」とつづく。

この作り物の中からのシテの謡には哀切な響きと、思いを秘めたような情感があって、胸にジーンとくる。

今年2月の土岐善麿の能《鶴》のときも、幕の中からの謡だしがとても良く、多門さんの謡が大きく変化したのを感じた。
この日の謡もたんに良いだけではなく、柳眉の麗人が深い眠りから目醒めたような抒情的な味わいがあり、舞台の空気をこのシテならではの曲の色に染めていく。


ワキが蓬莱宮の荘厳華麗なようすを描写したあとの、このシテの謡。
絢爛豪華な宮殿が立ち並ぶなか、独りポツンと置き去りにされた絶世の美女、その孤独さや寂寞感が際立つ「あら物凄の宮中かな」の謡だった。



(個人的メモ)
観世では引き回しが下されるのが「六宮の粉黛の顔色なきも理や」あたりなのが、喜多では「雲の鬢づら」「花の顔ばせ」のシテ・ワキの掛け合いあたりとなり、
シテが作り物から出るのが、観世では「仙宮に至りつつ」or「比翼も友を恋ひ」なのに対し、喜多では地次第「そよや霓裳羽衣の曲」の箇所となる。



【釵は天冠ごと】
それからいちばん驚いたのが、引廻しが下ろされたときに、楊貴妃が天冠をかぶっていなかったこと!!

観世では最初から天冠をかぶっていて、立て物(釵)だけ取り外してワキに渡すのですが、喜多では天冠ごと渡すのですね。
(知らなくて、最初、着け忘れたのかと思ってしまった。)

シテの出立は、秋の草花づくしの豪華な紅入唐織壺折に緋大口。
天冠の立て物は、楊貴妃の気品が引き立つ月輪。

面は小面だろうか。
この女面、はじめはイノセントで可憐な少女のように見え、イロエを舞ううちに蠱惑的な表情を見せ、序ノ舞では憂いのある高貴な女性に見えてきて、楊貴妃の多面性を映し出すよう。
使用された面は黄金比からすると下顎の比率が長いのだが、顔だちが整いすぎていないほうが、角度や陰影によって表情が変化しやすいのかもしれない。もちろん、シテの技量のなせる業でもある。



【ワキの表現力】
欣哉さんのワキを拝見するのもテアトル・ノウぶりで、久々。

同じく禅竹作の《小督》の仲国と同様、ともするとビジネスライクに見えてしまう役柄を、ヒロインの心にそっと寄り添う、深みのある人物像として描いていて、やはり欣哉さんは非凡だと思う。

とくにロンギの「さらばといひて出舟の伴ひ申しかえるさと、思はばうれしさの猶いかならんその心」のところ。

貴妃の魂魄をひとり冥界に残して去るのは忍び難いが、そればかりはいかに方術をもってしてもどうしようもない、死者を現世に連れて帰ることはできない、という苦渋が滲み出ていて、美しい姿勢で楊貴妃に背を向けたその背中が、孤独な佳人への憐憫の情を語っていた。




【序ノ舞→終曲】
貴妃の懐旧の念をそのまま映像化したような序ノ舞。
純白の梨の花が雨に打たれているような、しっとりとした趣きがあった。

舞い終えて自ら冠をとったシテは、「しるしの釵また賜はりて」で冠をワキに渡し、
「暇申してさらばとて」でワキと舞台上ですれ違い、ワキは橋掛りへ。
「気味にはこの世逢ひ見んことも」で、ワキは深くお辞儀をしたのち、シテと思いを込めて見つめ合う。

「恋しや昔」でシテがシオリ、「はかなや別れの」で宮の中へ入ると、
「常世の台に伏し沈みてぞ」で、深い淵に沈みこむようにすーっと下居し、
「留まりける」で、枕の扇。






2017年10月8日日曜日

第十一回 燦ノ会 ~仕舞《天鼓》《項羽》・狂言《咲嘩》

2017年10月8日(日)14時~16時40分 喜多能楽堂


仕舞《天鼓》 大島輝久
  《項羽》 友枝真也
   佐藤寛泰 金子敬一郎 内田成信 塩津圭介

狂言《咲嘩》 太郎冠者 野村万蔵
   主人 野村万之丞  咲嘩 能村晶人

能《楊貴妃》 楊貴妃ノ霊 佐々木多門
   ワキ方士 宝生欣哉  アイ常世国ノ者 河野佑紀
   槻宅聡 森澤勇司 亀井広忠
   後見 友枝真也 粟谷浩之
   地謡 塩津哲生 大村定 長島茂 狩野了一
      金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 大島輝久



九月は忙しかったから、今月は趣味の時間が持てるといいな。
久々の燦ノ会は、唐物尽し。


仕舞《天鼓》
喜多流の《天鼓》といえば、昨夏の袴能をどうしても思い浮かべてしまう。
あの月夜の湖面を飛び跳ねるような清らかな透明感は、生涯忘れられない。
心の奥底にしまっている大切な宝物だ。

喜多流のキリの謡は美しく、とくに「月にうそむき水に戯れ」の箇所が好き。
大島さんの舞はいつもながら技術的に巧い。


仕舞《項羽》
《項羽》は能でも未見だし、仕舞で観るのもはじめて。
友枝真也さんは舞う前から気焔がメラメラとあがり、天下分け目の戦いでの項羽の壮烈な最期を骨太な舞で表現していてよかった。
面白そうな曲なのに、稀曲なのはなぜ?


狂言《咲嘩》
万蔵さんの濃緑地の肩衣に描かれた兎が3羽。
ウサ、ウサ、ウサの、うさ子たちが可愛すぎて、思わずニンマリしてしまう。
(東次郎さんのふくら雀と同じくらいキュートな肩衣だ。)


それにしても、 野村万之丞さん、以前観た時よりもうまくなっていて、さすが。
発声とか、間の取り方とか、自然で親しみやすく面白い怒り方とか、落ち着きのある佇まいとか。
やっぱり襲名は脱皮や羽化のようなもの。その名にふさわしい役者になるべく飛躍する、大きな起爆剤になる。

万蔵さんの太郎冠者が生き生きとしていて、面白かった。
(萬師との共演の時よりも、御子息との共演の時のほうが顔が若返って見える気がする。)


能《楊貴妃》につづく



2017年9月16日土曜日

《楊貴妃・干之掛》~東京能楽囃子科協議会定式能九月夜能

2017年9月13日(水)18時~20時35分 国立能楽堂
舞囃子《絵馬・女体》 小舞《景清》一調《山姥》からのつづき

能《楊貴妃・干之掛》 梅若万三郎
  ワキ 森常好 アイ 山本則俊
  松田弘之 大倉源次郎 亀井忠雄
  後見 加藤眞悟 山中迓晶
  地謡 梅若紀彰 観世喜正 鈴木啓吾 伊藤嘉章
     角当直隆 小島英明 坂真太郎 川口晃平



楊貴妃が最高に似合うシテ。しかも、この囃子陣。
この日は舞囃子から感動の連続で、とどめを刺すように、この舞台。
もう胸がいっぱいで、いまでも余韻に浸っています。


〈ワキの出→蓬莱宮に到着→シテの出〉
「げにや六宮の粉黛の顔色のなきも理や」で、太真殿の作り物の引廻しが外され、まばゆく輝く天冠と豪華な壺折大口に身を包んだ楊貴妃が姿を現す。

生身の美女というよりも、仙女に還った楊貴妃が、華麗な外見とはうらはらに、深い憂いに沈んでいる。

「また今更の恋慕の涙」で二度シオル、あの白く美しい手の、情感豊かなシオリ。
透き通った水晶玉の涙が、きらり、きらりと零れ落ちるよう。

こんなに悲しそうな万三郎のシテを見たのは初めてだった。
定家の時よりも、野宮、朝長の時よりも。



〈イロエ→序之舞〉
悲しそうに見えた原因は、シテの佇まいだけにあるのではなく、
松田さんの笛、そして、スーパーコンビの大小鼓が、サブリミナル効果のように潜在意識に作用して、観客の心に、強くダイレクトに訴えかける。

梅若紀彰師率いる地謡は、シテの心の襞をメロディアスに優しくそっとなぞるように繊細で、高音の箇所が美しい。かなりゆっくりめなのはシテの要望だろうか、それとも曲の解釈・位によるものだろうか。


会者定離ぞと聞くときは、逢うこそ別れなりけれ


ここでシテは、方士を通して玄宗皇帝に語りかけるようにワキをじいっと見つめる。

「羽衣の曲」と、地謡が上音で謡い、それに呼応するように、笛が序之舞の序を高音で吹き出す。
楊貴妃の、言葉にならない悲哀、悲痛な叫び、むせび泣きのようなガラス質の音色を、松田さんの笛が奏でてゆく。

「干之掛」の小書のため、序を終えて地に入る前に、笛が干(甲)の調子の譜を吹く。
これにより、舞の哀切で女性的な、高貴な雰囲気が高められるように感じた。

この日はほかにも初段オロシなどに特殊な演奏が入ったのかもしれない(と、素人の耳に聞こえただけなので、違うかもしれません。いずれにしろ能の囃子って、ホントによくできている)。


最高の囃子陣が最高の技と特殊演奏で、《楊貴妃》という位の高い曲の品格をあますところなく表現する。
とりわけ詩趣に富む松田さんの笛が、楊貴妃の心のうちを代弁するかのよう。
風に乗って、貴妃のせつない声が聞こえてくるようだった。


そのなかで最高の舞手が、気品あふれる究極の序之舞を舞う━━。


その時間はもう、この世の時間ではないような、幽明の境で見た夢のような、幻のような、なにか途方もなく美しい世界が目の前に展開して、美しいなかにも、楊貴妃の悲しみと孤独が伝わってきて、胸が戦慄くようにふるえるのを止められなかった。

楊貴妃の悲しみと孤独が憑依して、自分も悲しいのに、このうえなく幸せだった。




2017年9月15日金曜日

小舞《景清》一調《山姥》東京能楽囃子科協議会定式能九月夜能

2017年9月13日(水)18時~20時35分 国立能楽堂
舞囃子《絵馬・女体》からのつづき

狂言小舞《景清》 山本東次郎
  地謡 山本則俊 山本則重 山本則秀

一調《山姥》 宝生和英×三島元太郎

能《楊貴妃・干之掛》 梅若万三郎
  ワキ 森常好 アイ 山本則俊
  松田弘之 大倉源次郎 亀井忠雄
  後見 加藤眞悟 山中迓晶
  地謡 梅若紀彰 観世喜正 鈴木啓吾 伊藤嘉章
     角当直隆 小島英明 坂真太郎 川口晃平





小舞や一調という、簡潔な表現形式のなかに、時空を超えた広がりと奥行をもたせる日本の舞台芸術って、やっぱり凄い! 
なによりも、その醍醐味を観客に存分に堪能させた演者の方々の力量に感服。



狂言小舞《景清》 山本東次郎
「能の舞は謡から遅れ、狂言の舞はその字に当てる」という大蔵流の口伝がある。
稽古の時も、謡が表現するものに、舞の型をピタリピタリと合わせていくという。

そうしたアテブリ的な狂言小舞に東次郎さんの名人芸が加わると、過剰や誇張に傾きがちな写実表現を様式美の枠内にキチッと嵌め込みつつ、型の存在を忘れさせるほど、自然で実体感のある表現世界が生み出される。

錣引きの場面では、勇猛果敢な景清の腕力、三保谷四郎の首の骨の強さ、戦場のざわめき、兵たちの息遣いが、リアルに伝わってくる!
引き合う錣の向こうに相手の存在が感じられる、たしかな張力と弾力。

そしてそれを俯瞰的に回顧する盲目の景清の幻影さえも浮き上がってくるよう。

それにしても、あれだけ縦横無尽に舞台の隅から隅まで舞い進みながらも、息がまったく乱れない強靭な足腰・心肺はいつもながら驚異的だ。


大倉源次郎師による解説にあった、「皆様にとっては出来ることが出来なくなってから出来たことは何でしょうか?」という問いかけが胸に響く。




一調《山姥》 宝生和英×三島元太郎
これほど一調に引き込まれたのは、はじめてかもしれない。

当代銕之丞さんがインタビューで「(息を)引くという技術に特化している流儀の謡が宝生流なんです」とおっしゃっていたが、それはこういうことなのだろうか。
観世のような朗々とした強い息遣いではなく、いったん内に深めてから放出されるような謡。
とはいえ籠った感じではなく、聞き取りやすく、独特の旨味がある。

「都に帰りて世語にせさせ給へと」で謡いだした謡に、太鼓が、最初は寄り添うように音色を響かせ、しだいに盛り上げながら、クライマックスの「山また山に、山めぐり、山また山に、山めぐりして、行方も知らずなりにけり」で、謡と太鼓が溶け合い、互いの呼吸を図って引き立て合いながら、最高潮に高めていく。


和英宗家の非凡な芸力と、三島元太郎師の包容力のある太鼓。
最後は、山々の梢間を吹き抜けてゆく一陣の風を感じさせた。




能《楊貴妃・干之掛》につづく













2017年9月14日木曜日

東京能楽囃子科協議会定式能~舞囃子《絵馬・女体》九月夜能

2017年9月13日(水)18時~20時35分 最高気温30℃ 国立能楽堂

舞囃子《絵馬・女体》 友枝昭世
  ツレ 香川靖嗣 塩津哲生
  一噌幸弘 曽和正博 國川純 観世元伯→小寺真佐人
  地謡 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
     内田成信 金子敬一郎 大島輝久

狂言小舞《景清》 山本東次郎
  地謡 山本則俊 山本則重 山本則秀

一調《山姥》 宝生和英×三島元太郎

能《楊貴妃・干之掛》 梅若万三郎
  ワキ 森常好 アイ 山本則俊
  松田弘之 大倉源次郎 亀井忠雄
  後見 加藤眞悟 山中迓晶
  地謡 梅若紀彰 観世喜正 鈴木啓吾 伊藤嘉章
     角当直隆 小島英明 坂真太郎 川口晃平




囃子科協議会の九月夜能は去年も良かったけれど、昨年以上に企画力がパワーアップして、観客の潜在ニーズを汲みとった夢の選曲・配役。
アンケートで要望が多かったのか、全席指定席制になっているのも有難い。

とにかく、舞囃子・小舞・一調・能、どれをとっても超一流。
息をのむ舞台が次々と展開し、観能砂漠だったわたしの心に、沁み込む、しみこむ……。



【舞囃子《絵馬・女体》】   
喜多流を代表する三名手による、ありえないほどの贅沢な布陣。
舞囃子といっても、ワキと作り物が出ない半能+袴能のように充実していて、上演時間も30分。

「われは日本秋津島の大頭領」で、シテ・ツレ三人が立ち上がり、シテは大小前に立ち、ツレの天鈿女命(香川靖嗣)と手力雄命(塩津哲生)は、それぞれ笛座前と常座で下居して待機。


〈シテ・天照大神の神舞〉
「女体」の小書なので、シテは中之舞ではなく、神舞を急の位で舞う。

神舞といえば、男神が颯爽と舞うイメージが強い。
女体のシテが急の位で神舞を舞うものが、この曲のほかにもあるのだろうか。
十四世六平太は、「絵馬女体の神舞は、滞りなくスーッと舞っちまはなくちゃいけない」と言っているが、「女体」だからどうすべきなのかは芸談では述べていない。


友枝昭世の絵馬女体の神舞には、王者たる女神の気品と気高さが香り高く漂い、曲線の美しい川を流れ下るように、緩急のつけ方やスピード感にも優美な空気が一貫して流れていた。

いつまでも観ていたかった……。
が、舞囃子なので(?)神舞は早くも三段で終わり、シテは「天の岩戸に閉ぢ籠りて……御影を隠し」で、パントマイムのように観音開きの扉を開き、目に見えない作り物(岩戸)の中へと姿を消す。




〈ツレ・天鈿女命の神楽〉
「荒ぶる神々これを歎きて」から、囃子が急調になり、「取るや榊葉の」で、ツレは扇から幣に持ち替え、「神楽の韓神催馬楽」で、シテに向かって幣を振り、幣をもって神楽を舞う。
(神楽を幣で舞うところが舞囃子では異例。)

神を岩戸からおびき出すというよりも、女神の怒りを鎮めるような丁寧な神楽。


じつというと、神楽のあいだの半分は、大小前で床几にかかるシテの姿に無意識に吸い寄せられていた。
その胸を打つような彫刻美━━。

天岩戸に籠ったシテの姿は本来、扉の奥に閉じ込められ、隠されているべきもの。
しかし作り物がないために、美が必然的に露出され、意図せずおのずと輝いて、観る者をどうしようもなく、抗いようもないほど惹きつける。

沈黙と静止が、何よりも雄弁に太陽神アマテラスの存在を示し、舞台をおごそかに照らしている。
それはたとえば、広隆寺の弥勒菩薩を目の前にした時の感覚にも似ていて、仏像は黙して語らずとも不動のまま、心に強く、深く、訴えかけてくる、そんな感覚だった。





〈ツレ・手力雄命の急之舞〉
神楽の最後、天鈿女命が幣を振りながら、常座で待機する手力雄命に近づいていく。
囃子が神楽から急之舞に切り替わるタイミングで、手力雄命は下居姿から左足を大きく踏み出し、威勢よく立ち上がって、急之舞を舞い出す。

塩津哲生師が男性的でかっこいい!

装束をつけない紋付袴姿のほうが、膝の折り方や両脚の広げ方がわかりやすい。
手力雄命の名にふさわしく、力みなぎる雄渾な舞。

昨年、高千穂の夜神楽で鑑賞した「戸取」(天岩戸を取りはらう舞)の手力雄命を思わせる。たぶん、こうした民俗芸能の神楽由来の能なのかもしれない。

ツレの二人がそれぞれ陰と陽(女と男)の要素をあらわし、その中央で君臨するアマテラスは、あるときは男体、あるときは女体といった、小書の有無で、性が入れ替わる両性具有的な側面をもっている。

その陰陽・晴雨のバランスのなかで、国土が潤い、民が豊かに繁栄するというのがこの曲のテーマなのだろう。
そうした曲のテーマと呼応するように、シテ・ツレ三者の芸が見事に調和して古代神話の世界を舞台に現出させた。

能の名舞台を観たような高い満足感。
企画者、演者に感謝!



九月夜能・狂言小舞《景清》、一調《山姥》につづく



追記:お囃子も、もちろん良かったのですが、
やはり、あの方の太鼓で拝見したかった。
1年前の《融・笏之舞》の太鼓を思い出す。
能の舞台はほんとうに一度限り。 はかなく、貴い。






2017年8月29日火曜日

第48回 東西合同研究発表会

2017年8月29日(火)11時~16時45分 国立能楽堂

宝生流舞囃子《加茂》石黒空
 高村裕 成田奏 森山泰幸 澤田晃良
 地謡 藤井秋雅 辰巳大二郎 川瀬隆士 上野能寛

喜多流舞囃子《箙》高林昌司
 山村友子 清水和音 柿原孝則
 地謡 友枝雄太郎 谷友矩 友枝真也 狩野祐一

観世流能《半蔀》シテ 樹下千慧
 ワキ野口琢弘 岡本宏懇
 貞光智宣 岡本はる奈 山本寿弥
 後見 味方玄 河村和貴
 地謡 分林道治 橋本忠樹 大江信行
    梅田嘉宏 河村浩太郎 大江広祐

観世流舞囃子《菊慈童》浦田親良
 杉信太朗 清水和音 亀井洋祐 姥浦理紗
 地謡 寺澤拓海 上野雄介 齊藤信輔 山本麗晃

〈休憩〉
大蔵流狂言《土筆》小西玲央 中川力哉

高安流連吟《鵜飼》原陸 有松遼一 岡充

和泉流小舞《名取川》上杉啓太
大蔵流小舞《宇治の晒》茂山虎真
大蔵流小舞《吉の葉》茂山竜正
大蔵流小舞《景清》井口竜也

観世流独吟《田村クセ》西野翠舟

〈休憩〉
金春流舞囃子《花月》金春飛翔
 高村裕 鳥山直也 柿原孝則
 地謡 野村雅 本田布由樹 政木哲司 鎌田氏勝

観世流舞囃子《春栄》大江広祐
 杉信太朗 吉阪倫平 河村凛太郎
 地謡 河村和貴 橋本忠樹 大江信行 梅田嘉宏

金剛流舞囃子《三輪》惣明貞助
 藤田貴寛 鳥山直也 森山泰幸 澤田晃良
 地謡 宇高竜成 宇高徳成 山田伊純
    辻剛史 向井弘記

観世流能《春日竜人》大槻裕一
 ワキ 喜多雅人 村瀬慧 矢野昌平 アイ 山本善之
 山本友子 成田奏 河村裕一郎 中田一葉
 後見 赤松禎友 山本博通
 地謡 寺澤幸祐 上野雄介 齊藤信輔
    寺澤拓海 浦田親良 山本麗晃

 


三年ぶりの東京公演。
ふだんなかなか拝見できない関西勢が多く、しかも、レベルが高い!
夫の転勤が解けたら関西に帰る予定だから(いつになるかは不明だけど)楽しみが増えてうれしい。


さて、初番から観る予定だったのですが、この日は片山家追善能の一般発売日で電話がなかなか繋がらず、宝生流の《加茂》を見逃してしまいました。
最後のほうを少しだけ拝見したのですが、舞・囃子・地謡とも良かったので残念。

無事チケット予約後、見所に入ると、脇正面最後列に大槻文蔵師が端然と座っていらっしゃってびっくり。
佇まいが普通の人と、ぜっんぜん、違う!
(三年前の東京公演の時も九郎右衛門さんがロビーを何気なく歩いていらっしゃって、その後姿があまりにも美しく、今でもあの理想的な姿勢と歩き方を思い出してイメージトレーニングしているくらい。)


喜多流舞囃子《箙》高林昌司
シテは演者唯一の色紋付。
薄い抹茶ミルク地の色紋付が涼し気で、数日前の素謡・仕舞の会を思い出す。
高林昌司さんは細身のせいか、塩津圭介さんを彷彿させる。
二本の扇を用い、一本をシューッと後ろに滑らせるところや飛び返りもシャープに決まっていた。

清水和音さんと柿原孝則さんの大小鼓の組み合わせが良かった。



観世流能《半蔀》樹下千慧
樹下さんは舞囃子・仕舞を何度か拝見しているが、能のシテでは初めて。
まず、前シテの出と幕離れがいい。
花の精とも亡霊ともつかない謎めいた感じが漂っていて、唐織姿が楚々とした可憐な風情。
テノールっぽい甘い美声も夕顔の雰囲気と合っている。
面遣いも巧みで、後場に「さらばと思ひ夕顔の」で半蔀のなかで脇正を向くときの表情に愁いを含んだ陰翳があり、趣き深かった。

大鼓方(大倉流)の山本寿弥さんは山本哲也さんの御子息なのかな?
斜め上から力いっぱい鼓を叩きつけるような打ち方が山本哲也さんにも似ているし、もっといえば大倉正之助さんにも似ている(とても痛そう)。

貞光智宣さんは、後見に杉市和さんがついていらしゃったので、師事されているのだろうか。ところどころに光るものがある方なので、注目していきたい。

岡本はる奈さんの小鼓は安定していて、音色がいつもながら小気味よい。




観世流舞囃子《菊慈童》浦田親良
シテは間の取り方がよく、
美しい型のイメージ(腕の微妙な角度や体軸の線)をしっかり持っておられて、それをひとつひとつご自分で体現されているから、舞姿もきれい。




大蔵流狂言《土筆》小西玲央 中川力哉
ほのぼのした狂言。

(長丁場なので、連吟・小舞・独吟は休憩してました……。)




金春流舞囃子《花月》金春飛翔
お囃子は東京勢で固めているから、息があっている。
鳥山さんはもう中堅の貫禄。
すでに相当の舞台経験を積んでいる柿原孝則さんも堂々とした演奏。

金春らしい和やかな謡。シテの舞も良かった。



観世流舞囃子《春栄》大江広祐
ビックリした!
吉阪倫平さんって、吉阪一郎さんの御子息でしょうか。
まだ小中学生くらいだと思うのですが、巧いのなんのって!!
掛け声が声変わりしていない声なのをのぞけば、間合いからコミから打音の響きから、何から何まで、まったくふつうに大人のプロとして通用するレベル! 
まさに天才子方囃子方さんです。

河村凛太郎さんもたぶんそっくりだから、河村大さんの御子息ですね。

今回、ジュニアたちの活躍・成長が目覚ましい!
(杉信太朗さんはご自身の会まで成功させた方だから言うに及ばず。)

シテは大江又三郎さんの御子息。日本一ノッポな能楽師・信行さんの弟さんだけあってこちらも上背があり、スッキリしたかっこいい男舞で、謡もGood!

地謡もわたしの好みの地謡で、凄く良かったです。



金剛流舞囃子《三輪》惣明貞助
《三輪》はわたしが謡える数少ない曲のひとつなのですが、観世流と節が別の曲のように全然違う!

面白いのは、囃子の大小太鼓がすべて観世流だったこと。
めったにない組み合わせ。
(とはいえ、どこがどう違うのか、この組み合わせだとどうなるのか、ということはわからなかったけれど。)
太鼓の澤田さんは高音の掛け声がきれいに出ていて、このまま何としても、お師匠様めざして突き進んでほしい。

シテは謡も舞もうまく、舞金剛の名にふさわしい芳醇な舞でした。




観世流能《春日竜人》大槻裕一
シテはまだ十代(もうすぐハタチ)なんですね。
それでこの巧さとは……。 
前場は老いた宮守なのですが、下居姿が美しい。
そしてなんといっても、本領発揮は後シテ・龍神。
キレがあるのはもちろんですが、若いのに緻密で精確。粗雑なところがない。

飛び安座の跳躍も見事。
ちょっと足を傷めたのかな?という場面もあったけれど、最後まで緩みのない舞台。
三年ちょっとの観能歴のなかで、この年齢でここまでの完成度の舞台を観たのは初めて。

小鼓の成田奏さんは掛け声も音色もますます味わいが増し、将来がとても楽しみな方。
藤田流の山本友子さんもうまい方ですね。
河村裕一郎さんは、河村眞之介さんの御子息でしょうか?(違ってたらごめんなさい。)
 
間狂言の山本善之さんの熱演も爽やか。



もちろん、東京の国立能楽堂もそうだけれど、養成会の研究発表会をひんぱんに開いて、後進の育成に力を尽くしている京阪能楽界の並みならぬ熱意が着実に実を結んでいるのを、身をもって感じた素晴らしい会でした!





2017年8月27日日曜日

喜多流 素謡・仕舞の会~十四世喜多六平太記念能楽堂改修勧進

2017年8月26日(土)15時30分~17時30分 喜多能楽堂

仕舞《白楽天》  佐々木多門
  《敦盛クセ》 粟谷充雄
   地謡 塩津圭介 佐藤寛泰 谷友矩 佐藤陽

素謡《井筒》シテ 友枝昭世
      ワキ 長島茂
   友枝昭世 粟谷能夫 大村定 谷大作 長島茂
   粟谷浩之 金子敬一郎 友枝雄人 内田成信 友枝真也

仕舞《蝉丸》 長島茂
  《融》  粟谷明生
   地謡 佐藤章雄 塩津圭介 佐藤寛泰 佐藤陽

素謡《金輪》シテ 出雲康雅
   ワキ 狩野了一 ワキツレ 大島輝久
   香川靖嗣 塩津哲生 出雲康雅 粟谷明生 内田安信
   佐々木多門 狩野了一 中村邦生 粟谷充雄 大島輝久



こういう素謡と仕舞だけの会ははじめて。
番組と配役が素敵なので行ってきました。

関東大震災と戦災で二度にわたり能舞台を焼失させるという辛酸をなめた十四世六平太。
その悲願がかない、やっとの思いで再建された現在の喜多能楽堂。

能楽堂入り口の重厚感のある木製の扉は、焼失した能舞台の名残でしょうか。
こうして素謡・仕舞の会で改修勧進が行われ、大切に、大切に補修されている……。



素謡《井筒》
友枝昭世さんは二年半前の「友枝昭世の會」で《井筒》は舞納めにされたという。
自決用の懐刀をしのばせて臨むような覚悟で、ひとつひとつの舞台を舞っている(少なくともわたしにはそう見える)。

「友枝昭世」という究極のブランドについてまわる観客の高い期待。
それを、歳を重ねても決して裏切らない舞台を続けている。
その想像を絶するほどの困難さ。



暁ごとの閼伽の水、月も心や清むらん

あのときの舞台を観ているからだろうか、シテの謡は井筒の女そのものに聞こえ、水桶と数珠を持った唐織姿の美しい女が、陽炎のように半透明になってスーッと舞台に立ち現れる。

井筒の女の美しい姿と、能面の裏側にあったシテの表情が二重写しになり、ああ、あのとき昭世師はこんなふうに謡っていたのか、とか、こんなふうに思いを込めていたのか、ということが素謡の進行に合わせて見えてくる。

昭世師の謡は、謡だけが突出して巧いという類の謡ではなく、その曲を舞っている時とまったく同じように(おそらく心の中で、魂そのものが舞いながら謡っているのだろう)、その時々のシテの所作や動きが視覚化されるような謡。


形見の直衣、身に触れて恥ずかしや。昔男に移り舞

ここのところはとりわけ情感がこもっていて、わたしも感極まって涙があふれてくる。

クライマックスはシテと地謡の謡がともに素晴らしく、二年前の舞台の時に耳にこびりついていた「さながら見みえし昔男の冠直衣は、女とも見えず、男なりけり、業平の面影」で最高潮に達し、井戸に手をかけて中をのぞきこみ、さらにススキをかき分けて井戸を深くのぞいた、あの印象深いシーンがよみがえってくる。

最後は、秋の気配を感じさせる静かな余韻━━。




仕舞四番
こういう会の仕舞って、舞手の色紋付姿もちょっとしたファッションショーみたいで秘かな楽しみ。
着付けの仕方も、襟を鈍角に合わせて詰め気味に着る人や、鋭角に合わせてゆったりと着る人、(おそらく補正で)胸・腹をふくらませる人、逆にお腹がすっきり見えるよう工夫する人など、さまざま。

トップバッターは、品のいいスモークパープルの色紋付の佐々木多門さん。
《白楽天》は能はもとより、舞囃子・仕舞もあまり観たことがないので、ストーリー以外どういうものかわからないのですが、男神の真ノ序ノ舞物だからかなり重い位なのですね。地謡も難しそう。
とにかく、十月の《楊貴妃》がとても楽しみなのでした。

次は粟谷充雄さんの《敦盛クセ》。
こちらはキリリとした黒紋付。たしか二月に仕舞を拝見した時は別の髪型だったと思うのですが、この日は僧侶の剃髪のような頭がジョン・マルコヴィッチのようで素敵でした。

《逆髪》の長島茂さんは薄灰色の色紋付。
わたしはこのとき咳の発作に見舞われそうになり、下を向いて抑えるのに必死だったので、見どころの水鏡に姿を映すところも拝見できず。

最後は白茶の色紋付の粟谷明生さん。
今まさに身体能力・技術力と豊かな経験が交差した円熟期の舞。
(身体を絞っていらっしゃるのかな……以前と比べて引き締まって見える)
欠けたることもなき望月のような、存在感のある《融》の仕舞でした。




素謡《鉄輪》
《鉄輪》は素謡だと、なぜか狂言役がいないから、前場はほとんどシテ一人の謡。
そんなわけで前場は独り舞台的な感じで終わり、物語は後半へ。

ワキツレ・浮気男の大島さんと、ワキ・安倍晴明の狩野了一さんの掛合が見事。
とくに狩野晴明の祈りの謡「肝胆を砕き祈りけり、謹上再拝」には強い呪力がこもっていて、この曲の素謡の白眉だった。







2017年8月23日水曜日

はじめて能《安達原》~夜の部

2017年8月22日(火) 19時30分~21時10分 観世能楽堂

仕舞《高砂》  角幸二郎
  《羽衣キリ》佐川勝貴
   地謡 小早川泰輝 清水義也 野村昌司 武田祥照

能の解説 山階彌右衛門
 すり足実演 武田祥照
 謡ってみよう!謡入門編《安達原》(糸車の謡) 

解説付ダイジェスト能
《安達原》里女/鬼女 武田宗典
   阿闍梨祐慶 大日方寛 同行山伏 御厨誠吾
   能力 野村太一郎
   藤田貴寛 田邊恭資 原岡一之 林雄一郎
   後見 武田友志 木月宣行 野村昌司
   地謡 坂口貴信 清水義也 高梨万里
      関根祥丸 井上裕之真 久田勘吉郎→武田祥照

仕舞《融》 山階彌右衛門
 地謡 坂口貴信 武田祥照


荒磯能を昼・夜二部式にしたような「はじめて能」。
親子ペアで行くとお得だけれど、さすがに夜の部はお子さんは少なくて、代わりに仕事帰りらしき現役世代が6割ほど。
比較的若くておしゃれな女性たちもちらほら(能ガールさん?)。
立地を生かし、仕事帰りにぶらっと気軽に立ち寄れるよう時間帯・価格帯もよく考えられている。



仕舞
佐川勝貴さんの舞を観るのははじめて。
謡い出しから引き込んでいく。
たっぷりした豊かで厚みのある謡。
舞もきれいで、細身の両腕には羽衣が風をはらんで浮遊していく、天使の羽根のような軽やかさがある。
美しい増女の面とあでやかな装束をつけた舞姿が自然と思い浮かぶ。
思いがけず、良い仕舞を拝見した。


解説
噂には聞いていたけれど、彌右衛門さん、お話が上手で面白い!
ご自身も心から楽しんで話していらっしゃるような。

いろいろ蘊蓄を交えながらお話しをされていて、たとえばすり足の解説では、「あいつは板についてきた」というのは、能のすり足から来ているとか、
「結婚式なんかで『人生の檜舞台に立つ』というのもこの能舞台に由来するのですが、おそらく今後も結婚の予定がないだろうという人もいらっしゃると思うので、せめて能舞台に立ってみては……?」(つまりはお稽古&発表会のおすすめ)などなど。

自虐ネタではなく、観客をネタにするのが彌右衛門さん流。
(他虐ネタって高度なテクニックだと思うのですが、それも彌右衛門さんの陽気なキャラのなせる業。)

「謡ってみよう!」のコーナーでも、枠桛輪を回しながら憂世の辛さを謡うところでは「私はいっつも元気いっぱい幸せですので、皆さんのように人生に疲れきった方々のほうが、このうらびれた感じが出やすいですよ~」みたいな(笑)。




能《安達原》
「解説付ダイジェスト能」ってなんだろうと思っていたら、こ、こういうことだったんだ!
ビックリ!! 面白くて、笑いをこらえるのに苦労しました。
演者の方々も真面目くさった顔でされているのだけれど、心の中では「プッ」と吹き出していたりして……?

まず、お調べが始まったあたりから彌右衛門さんがマイク片手に舞台に立ち、お調べの意味や、入場してくる囃子方を「これは笛、この人は小鼓……」と紹介していきます。

囃子方の皆さんはいつものごとく厳粛にしずしずと舞台に入ってくるので、彌右衛門さんのハイテンションなノリとの取り合わせがなんともコミカル。


やがてワキ・ワキツレが登場し、名乗りをしたあたりで、「ハイ、ここで、ストップ!」と、彌右衛門さんから待ったがかかり、演者一同、凍り付いたように静止。

マネキンのように動きを止めたワキ(大日方さん)の横に彌右衛門さん立ち、山伏の装束や道行の解説をしてゆくのですが、可笑しさと真面目さが入り混じった前衛的なパフォーマンスのよう。

こんな感じで、前場二カ所と中入りに解説が入り、後場はノーカット。
シテの宗典さんは品のあるきれいな鬼女で、中入り前に「(閨の中を)御覧じ候ふな」と何度も念を押すところにも、鬼気迫るものがあり、見応えがありました。


お囃子カルテットの早笛・イノリを聴くと、やっぱり能の囃子っていいなあと思う。
(この大小鼓の組み合わせはわりと好きなのです。)
田邊さんは以前から物腰が源次郎さんによく似ていらしたのですが、久しぶりに拝見すると、掛け声や仕草・姿勢、シテを射抜くように見つめる鋭い目つきまで、お師匠様にそっくり!
音色の響きも美しく心地よい。


そして印象に残ったのが、鬼女と山伏とのバトル。
宗典さんと大日方さんの長身細身どうしのバトルは、能的にどうこうというよりも、ヴィジュアル的に従来のシテ・ワキのバトルとは違っていて、このシューボックス型の縦長空間にしっくり馴染む。

そう思って舞台を見渡せば、囃子方も地謡も間狂言も、ほとんどの方が小顔でシュッとしている。
全体的に現代的というか。
時代や場所の空気を吸いながら能の雰囲気も観客も変化して、ひとつのヴァリエーションになっていくのだと、妙に感心した舞台でした。









2017年8月21日月曜日

アルチンボルド展

会期:2017年6月20日ー9月24日     国立西洋美術館





お盆過ぎとはいえ上野公園は例年にも増してすごい人。
パンダブームのせいもあるのかしら?
ちなみに、パンダの赤ちゃんの名前は「ルンルン♪」で応募しました。
明るく元気に、幸せに育ってほしいから。

アルチンボルド展も親子連れや子供たちでいっぱい!
自分の顔をアルチンボルド風に描いてくれるマシーンも3台設置され、長蛇の列ができていました。
わたしは並ばなかったけれど、人のを見ていると、この顔がこんな風になるのかと、なかなか面白い。とくに美男美女がやると、ギャップが……。


さて、肝心の展覧会。
すごい人でじっくり観れなかったのが残念だけれど、いちばん人気は、皇帝マクシミリアン2世の顔を春の花々で描いた《春》(1563年)。
(これを観ていると、あちこちから「可愛い!」の声が。)

首から上は、世界中の色鮮やかな花々で彩られ、首から下は、さまざまな色や形の草の葉で構成され、草の葉の間から可愛らしい木苺の赤い実がのぞいている。
草花の精緻で細密な写実描写と、パズルのような肖像画の奇抜な表現。
この個性的なコントラストが、アルチンボルドを唯一無二の画家に仕立てている。


【追随者作品との比較】
事実、彼の構成力と色彩感覚、写実描写の技術は卓越していて、彼の追随者・模倣者の作品と比べれば、その差は一目瞭然。
追随者のアルチンボルドもどき、いわゆるバッタもんの作品(たとえば水生生物で構成される《水》という作品)は、画面が弛緩していて、魚には生気がなく、アルチンボルドが描く魚たちとは明らかに鮮度が劣る。
アルチンボルドがいかに緻密に動植物を配置し、構成したかがよくわかる。


【パトロンとのコラボ】
そして、やはりいつも思うのは、こうした傑出した天才・異才の活躍は、その真価を理解できる審美眼の高いパトロンの存在なしにはありえないということ。

フェルディナント1世・マクシミリアン2世・ルドルフ2世のハプルブルク家三代の皇帝の、世界のすべてを掌握し収集したいという欲望や博物学への関心を汲み取り、それを絵画に巧みに取り込んで、帝国の繁栄を称揚したアルチンボルド。
先見の明のある強大なパトロンと、たぐいまれな才能をもつ芸術家との相互作用によって、後世に残るに足る画期的な作品が生まれる━━。

そういう意味で、自分の顔をカリカチュア的に描かせて悦んだ皇帝のユーモアのある美的センスにも思いを馳せたのでした。
(彼ら三代の皇帝に見いだされなかったら、アルチンボルドはあまりにも斬新すぎて、忘れ去られた名画家のひとりになっていたかもしれない。)


【いちばん気に入った作品】
個人的に今回とくに気に入ったのが、冒頭に展示されていたアルチンボルド最晩年の作品《四季》(画像はこちら)。
「四季」といっても、人生の春、夏、秋を経て、冬も終わりに近づいた人間の顔が、四季の植物で構成されている肖像画だ。

衣服には華やかな花々、頭にはみずみずしい果実が描かれ、春・夏・秋が表現されているが、顔の大半は枯れた木の瘤や切断された枝で構成され、頭には鹿の角のように二股・三股に分かれた枝をはやしていて、そのことが肖像画の冬のイメージを強めている。

その鹿の角のように頭から生えた枝の一部から樹皮がペロリと剥けていて、樹皮の剥がれた木目にアルチンボルドのサインが記されており、この絵はアルチンボルドの自画像ではないかといわれている。

この絵を観ていると、能の《遊行柳》を観た時とよく似た感慨に打たれる。
また、いつか、この絵と出会いたい。
今よりも歳を重ねた時、自分はどんな思いでこの絵と向き合うだろうか。