2017年4月17日月曜日

《薩摩守・謡入》・《恋重荷》~銕仙会定期公演4月

2017年4月14日(金) 18時~21時15分 宝生能楽堂
片山九郎右衛門の《百万・法楽之舞》後半からのつづき
 
狂言《薩摩守・謡入》シテ船頭 野村萬斎
    アド僧 内藤連 小アド茶屋 深田博治
    後見 野村太一郎

能《恋重荷》シテ山科荘司/亡霊 野村四郎
    ツレ女御 浅見慈一 ワキ臣下 森常好 
    アイ下人 石田幸雄
    寺井久八郎 曾和正博 柿原弘和 三島元太郎
    後見 浅見真州 長山桂三
    地謡 観世銕之丞 清水寛二 柴田稔 小早川修
       馬野正基 谷本健吾 安藤貴康 鵜澤光



狂言《薩摩守・謡入》
薩摩守忠度=タダ乗り(無賃乗車)に掛けるところを、アドがオチを忘れる設定なので、実質上オチなしで終わるから、なんとなく尻切れトンボ。
曲の消化不良は、わたしの理解不足が原因かもしれない。
とはいえ、内藤連さんの成長が著しいのがうれしい。
「謡入」とあるけれど、萬斎さん、謡ってたのだろうか。記憶があいまいです。


さて、能《恋重荷》です。
老女物はいいとして、老人物はなかなか共感しづらいところもあるのですが、
過去に観たなかで印象に残っているのは玄祥師の《恋重荷》。
このときは九郎右衛門さんが女御役で、こんなにきれいな人を見てしまったら、
庭師の老人が恋に落ちるのも無理はないと思ったものでした。
重荷の上に置いていた白菊を女御の前にバンッと投げつける演出も斬新。

それと、テレビで観た片山幽雪さん(当時・九世九郎右衛門)の《恋重荷》
(西本願寺南能舞台で上演)も忘れられない。
前シテの一部しか放送されなかったけれど、女御への怒りというよりは、
老いという人生の不条理に対して苛立っている感じがして感情移入しやすかった。
あのおやじギャグ的な「しめぢが腹立や」で、
老体に閉じ込められた精力みなぎる魂を爆発させ、
乱恋になして思ひ知らせ申さん!」と、捨てゼリフのように言い放ち、
池に潔く身投げするようにタタタターッと橋掛りを走り去るという、
幽雪さんならではの名演だった。


この日の野村四郎さんの《恋重荷》は;

【前場
地謡がとてもいい。
銕之丞さんの曲の解釈と統率力はさすがで、ほかの地謡の方々とともに、
わたしがイメージする銕仙会の地謡をつくりあげていた。

あと、いつも言っているけれど、柿原弘和さんの打音がきれい。

肝心のシテ(山科荘司)の面は、子牛作の阿瘤尉。
装束は、無地熨斗目着流しに茶水衣だったのですが、
この無地熨斗目の裾が膝上までたびたびめくれ上がり、
後見が直しても、すぐにまためくれ上がってしまったのが残念でした。



後場】
山科荘司が庭園で憤死したことを聞いた女御は、臣下の勧めにより庭に出て遺体を拝む。

銘「閨月」の小面をつけた浅見慈一さんの女御役がとても美しく、
「恋よ恋、わが中空になすな恋」の謡も情感豊か。
女御は真実、荘司に諦めさせるつもりで重荷を持たせようとしたのだろう、
と思わせるほど弔いの心がこもっていた。


それなのに、
出目満真作・中悪尉をつけた後シテ(山科荘司の亡霊)は打杖を持って現れ、
女御を無理やり立たせたり座らせたりしたあげく、重荷を持ち上げ、
「さて懲りたまへや、懲りたまへ」と、女御の背中に重荷をのせて責め立てる。

荘司の怨みの表現としては分かりやすいものの、女御が可哀そうに思えてしまう。

鬱積した恨みをぶちまけてからでないと、
終曲部の赦しの場面につながっていかないという解釈だろうか。



最後の「千代の影を守らんや」で、
女御を名残惜しげに見つめながら後ずさりするシテの姿は、
恋や愛憎を超えた慈愛のようなものを感させ、この舞台の白眉だった。





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