2017年9月14日木曜日

東京能楽囃子科協議会定式能~舞囃子《絵馬・女体》九月夜能

2017年9月13日(水)18時~20時35分 最高気温30℃ 国立能楽堂

舞囃子《絵馬・女体》 友枝昭世
  ツレ 香川靖嗣 塩津哲生
  一噌幸弘 曽和正博 國川純 観世元伯→小寺真佐人
  地謡 粟谷能夫 粟谷明生 長島茂
     内田成信 金子敬一郎 大島輝久

狂言小舞《景清》 山本東次郎
  地謡 山本則俊 山本則重 山本則秀

一調《山姥》 宝生和英×三島元太郎

能《楊貴妃・干之掛》 梅若万三郎
  ワキ 森常好 アイ 山本則俊
  松田弘之 大倉源次郎 亀井忠雄
  後見 加藤眞悟 山中迓晶
  地謡 梅若紀彰 観世喜正 鈴木啓吾 伊藤嘉章
     角当直隆 小島英明 坂真太郎 川口晃平




囃子科協議会の九月夜能は去年も良かったけれど、昨年以上に企画力がパワーアップして、観客の潜在ニーズを汲みとった夢の選曲・配役。
アンケートで要望が多かったのか、全席指定席制になっているのも有難い。

とにかく、舞囃子・小舞・一調・能、どれをとっても超一流。
息をのむ舞台が次々と展開し、観能砂漠だったわたしの心に、沁み込む、しみこむ……。



【舞囃子《絵馬・女体》】   
喜多流を代表する三名手による、ありえないほどの贅沢な布陣。
舞囃子といっても、ワキと作り物が出ない半能+袴能のように充実していて、上演時間も30分。

「われは日本秋津島の大頭領」で、シテ・ツレ三人が立ち上がり、シテは大小前に立ち、ツレの天鈿女命(香川靖嗣)と手力雄命(塩津哲生)は、それぞれ笛座前と常座で下居して待機。


〈シテ・天照大神の神舞〉
「女体」の小書なので、シテは中之舞ではなく、神舞を急の位で舞う。

神舞といえば、男神が颯爽と舞うイメージが強い。
女体のシテが急の位で神舞を舞うものが、この曲のほかにもあるのだろうか。
十四世六平太は、「絵馬女体の神舞は、滞りなくスーッと舞っちまはなくちゃいけない」と言っているが、「女体」だからどうすべきなのかは芸談では述べていない。


友枝昭世の絵馬女体の神舞には、王者たる女神の気品と気高さが香り高く漂い、曲線の美しい川を流れ下るように、緩急のつけ方やスピード感にも優美な空気が一貫して流れていた。

いつまでも観ていたかった……。
が、舞囃子なので(?)神舞は早くも三段で終わり、シテは「天の岩戸に閉ぢ籠りて……御影を隠し」で、パントマイムのように観音開きの扉を開き、目に見えない作り物(岩戸)の中へと姿を消す。




〈ツレ・天鈿女命の神楽〉
「荒ぶる神々これを歎きて」から、囃子が急調になり、「取るや榊葉の」で、ツレは扇から幣に持ち替え、「神楽の韓神催馬楽」で、シテに向かって幣を振り、幣をもって神楽を舞う。
(神楽を幣で舞うところが舞囃子では異例。)

神を岩戸からおびき出すというよりも、女神の怒りを鎮めるような丁寧な神楽。


じつというと、神楽のあいだの半分は、大小前で床几にかかるシテの姿に無意識に吸い寄せられていた。
その胸を打つような彫刻美━━。

天岩戸に籠ったシテの姿は本来、扉の奥に閉じ込められ、隠されているべきもの。
しかし作り物がないために、美が必然的に露出され、意図せずおのずと輝いて、観る者をどうしようもなく、抗いようもないほど惹きつける。

沈黙と静止が、何よりも雄弁に太陽神アマテラスの存在を示し、舞台をおごそかに照らしている。
それはたとえば、広隆寺の弥勒菩薩を目の前にした時の感覚にも似ていて、仏像は黙して語らずとも不動のまま、心に強く、深く、訴えかけてくる、そんな感覚だった。





〈ツレ・手力雄命の急之舞〉
神楽の最後、天鈿女命が幣を振りながら、常座で待機する手力雄命に近づいていく。
囃子が神楽から急之舞に切り替わるタイミングで、手力雄命は下居姿から左足を大きく踏み出し、威勢よく立ち上がって、急之舞を舞い出す。

塩津哲生師が男性的でかっこいい!

装束をつけない紋付袴姿のほうが、膝の折り方や両脚の広げ方がわかりやすい。
手力雄命の名にふさわしく、力みなぎる雄渾な舞。

昨年、高千穂の夜神楽で鑑賞した「戸取」(天岩戸を取りはらう舞)の手力雄命を思わせる。たぶん、こうした民俗芸能の神楽由来の能なのかもしれない。

ツレの二人がそれぞれ陰と陽(女と男)の要素をあらわし、その中央で君臨するアマテラスは、あるときは男体、あるときは女体といった、小書の有無で、性が入れ替わる両性具有的な側面をもっている。

その陰陽・晴雨のバランスのなかで、国土が潤い、民が豊かに繁栄するというのがこの曲のテーマなのだろう。
そうした曲のテーマと呼応するように、シテ・ツレ三者の芸が見事に調和して古代神話の世界を舞台に現出させた。

能の名舞台を観たような高い満足感。
企画者、演者に感謝!



九月夜能・狂言小舞《景清》、一調《山姥》につづく



追記:お囃子も、もちろん良かったのですが、
やはり、あの方の太鼓で拝見したかった。
1年前の《融・笏之舞》の太鼓を思い出す。
能の舞台はほんとうに一度限り。 はかなく、貴い。






0 件のコメント:

コメントを投稿