2017年10月24日火曜日

万三郎の《当麻》後場・橘香会~古代大和のレイライン

2017年10月22日(日)13時~15時5分  国立能楽堂
《当麻》前場からのつづき (台風接近のため1番のみ拝見)

能《当麻》シテ化尼/中将姫 梅若万三郎
   ツレ化女 八田達弥
   ワキ旅僧  福王和幸 従僧 村瀬提 矢野昌平
   アイ門前ノ者 野村万禄
   槻宅聡 久田舜一郎 亀井忠雄 林雄一郎
   後見 清水寛二 山中迓晶
   地謡 伊藤嘉章 西村高夫 加藤眞悟 馬野正基
      長谷川晴彦 梅若泰志 永島充 古室知也



能《当麻》の舞台は、彼岸中日の二上山の麓。
二上山の真東には三輪山があり、この古代大和の太陽の道に沿って、春分・秋分の日には、三輪山から昇った太陽が、二上山へと沈んでいく。
 
小川光三著『大和の原像』(大和書房)によると、二上山と三輪山を東西につなぐレイラインの延長線上には、伊勢神宮の故地とされる伊勢斎宮跡があり、彼岸の中日には斎宮跡から昇った太陽が、三輪山を通って、二上山に沈むという。

ここからは私見だが、
能《三輪》で天岩戸伝説が再現されるのも、偶然ではないと思う。

《三輪》の時節とされる晩秋には、三輪山から見て日の出の方角が、ちょうど現在の伊勢神宮に当たることになる。

つまり、《三輪》の舞台の進行と呼応するように、シテが夜神楽を舞ったのち、「常闇の雲晴れて、日月光り輝けば」で、伊勢の方角から朝日が光輝き、アマテラスの象徴である曙光が三輪山をサーッと照らすと、三輪山頂にある「磐座」に降臨して、文字通り、「伊勢と三輪の神」(天照と大物主)が「一体分身」となるのだ。


大和申楽出身の《当麻》や《三輪》の作者は、先祖代々刷り込まれた古代大和の太陽信仰を無意識に感じながら、これらの名作を作曲したのかもしれない。

万三郎の《当麻》は、太陽の光と存在を感じさせる舞台だった。



【後場】
出端の囃子で、後シテが現れる。
「二段返」の小書を元伯さんの太鼓で観たのは3年前の銕仙会
もうずいぶん、遠い昔のような気がする……。
この日の太鼓は林雄一郎さん。音色が澄んで、研ぎ澄まされてきた。端正な居住まいもお師匠様の風を受け継いでいらっしゃる。

中将姫の出立は、白蓮の天冠にサーモンピンクの緋大口、唐草文を金で施した輝くような舞衣。
面は、佳麗無比の増。
もしかすると、2年前の《定家》の時と同じものだろうか?
いつまでも飽きることなく眺めていたいほど神々しい女面で、万三郎の中将姫にしっくり合う。シテを選ぶタイプの増の面だと思う。



〈称賛浄土教の伝授〉
中将姫の精魂は、ワキ僧に経巻を授け、経巻を広げたワキとともに称賛浄土教を読誦し、阿弥陀如来の教えを説く。

シテと地謡の掛け合いの箇所に特殊な節が入り、「令心不乱、乱るなよ」では「なよぉ~~」、「十声(とこえ)も」では「もぉ~~」と、高音の節でグンッと山をつくるような独特の謡い方をするのが特徴的。



〈早舞〉
森田流の破掛リの盤渉早舞。
菩薩の境地に至った中将姫が仏の教えを説く高貴で荘厳な舞のため、速度は速くなく、ゆったりしている。

まばゆい光の粒子をまき散らしながら、純白の袖を翻すシテの姿は、
かぎりなく軽やかで、自由で、天使のように無心に見える。

天冠の瓔珞ゆらめきが、陰翳のうつろいをつくり、
中将姫はうっとりとした法悦の表情を浮かべ、
極楽の世界を垣間見せるその舞姿に、阿弥陀如来の面影が重なり合う。

シテは舞うなかで、
中将姫になり、菩薩になり、阿弥陀仏になり、

さまざまに印象を変えながら、
やがてすべては一体となり、

「さを投ぐる間の夢の」と、常座で左袖を巻き上げ、

万三郎は、こちらに
まっすぐ視線を向けたまま、

一歩、二歩、三歩、
しずかに、おごそかに、後ろに下がりつつ

夕日のような金色の後光に包まれながら、

ゆっくりと、沈んでゆく
あの山の向こうへ

志賀津彦、大津皇子、隼別、天若日子、
俤人、
山越の阿弥陀……

すべては、シテのなかで溶け合い、
ひとつになって、

あの山の向こうへ
消えていった。







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