2017年11月13日月曜日

黒川能《木曽願書》《こんかい》~国立能楽堂特別企画公演

2017年11月11日(土)13時~17時 国立能楽堂

橋掛りの壁に掛けられた、春日神社の社紋「六つ目結の紋」
これは、12~16世紀に領主として黒川能を庇護した武藤氏の家紋でもある

能《木曽願書》上座
  
狂言《こんかい(釣狐)》上座

能《鐘巻》下座



先月の椎葉神楽、四天王寺舞楽の国立能楽堂公演に続き、今回は黒川能。
東京に居ながらにして楽しめるのが嬉しい。

今回上演された《木曽願書》と《鐘巻》は、それぞれ上座と下座によって明治中期に復曲されたもの。
幕末までは藩主・酒井氏の庇護のもとで発展してきた黒川能が、維新の混乱ののち、上下両座が競って実演曲を開拓。五流では廃曲になったものも、次々とレパートリーに加えられたという。
(これって、凄いことだと思う!)

権力者の庇護もなく、観光や町おこしのためでもなく、ただ黒川能と王祇祭への純粋な情熱に突き動かされ、集落の結束力・組織力に支えられて展開してきたというところに、黒川の人々の並ならぬパワーと努力を感じる。

さらに、演能の最初と最後に、一同が両手をついて深々と総礼をするのも、黒川能の特徴だ。
ちょうど《翁》でシテが正先で神々に向かって恭しく一礼するような、美しく敬虔なお辞儀で、「ああ、これは神事なんだ!」と素直に納得させる。
神の存在、神への畏敬の念のようなものが随所に感じられるのも、黒川能の魅力だった。


ふだん五流の能を観ている者の目には、黒川能は何かとても、前衛的でアヴァンギャルドに映った。
とにかく、ぶっ飛んでいたのだ!


能《木曽願書》上座
木曽義仲の倶利伽羅落の説話を舞台化したものだが、江戸中期に大幅に改作された観世流の《木曽》では、シテが太夫坊覚明なのにたいし、黒川能の《木曽願書》では義仲がシテとなる。
三読物のひとつとされる木曽願書を読み上げるのも、観世流では覚明だが、黒川能では義仲が勤める。

また、黒川能では酒宴のシーンと男舞がカットされ、代わりに源平戦闘場面(斬組)が残されている。

と、いうところまではあらかじめ知っていたのですが、後場の思わぬ展開にビックリ!!

【前場】
まず、笛片を先頭に、囃子方4人→地謡4人が揚幕から登場します(切戸口は後見のみが使用)。
地謡が脇座のところまで舞台前方にずれ、代わりに笛方が、通常の笛座ではなく、地謡前列右端の位置に着座します。

ん? 囃子方が4人?

直面物の現在能なのに、なぜ、太鼓が入るのだろう?
と、思ったら、これは後場への伏線でした。

一声(?)らしき囃子で、シテとツレの立衆が登場。
どこか森田流の寺井政数を思わせる、魔的な短調系の笛が味わい深い。

大小鼓の掛け合いも独特で、アイヤアーハー×3、ア、イヤイヤ、アーハー、ハイヤーアーハー、のような感じ。
時折、「ハッホンヨー」的な掛け声もあるが、聞きなれたものとはずいぶん違っていて地方色が強い。
地頭が前列端に座るのも、黒川流。

謡は、東北地方独特の方言なまりが混じり、なにかの呪文のような響き。
一音一音のあとに、「ナビキ」という、音の末尾の高さを変えたり、上下に震わせたりする謡い方をするのが、黒川の特徴とされている。

登場したシテ・ツレは、黒川能独特のカマエのまま、橋掛りを進んでくる。
両手の人差し指をまっすぐに伸ばし、両腕をかなり開いた状態に保つのが、黒川の基本のカマエ。
このカマエの形が、上掲写真の「六つ目結の紋」の形に似ていて、興味深い。


前場は、シテが義仲になって木曽願書を読み上げる以外は、観世流の《木曽》とだいたい同じ。
前述のように、黒川流の謡で読み上げられた願書には、祝詞のような呪術性があり、今にして思えば、それが後シテの登場へとつながっていた!


【後場】
早笛っぽい囃子で、ツレの立衆が登場。

カケリ風の囃子のなか、立衆たちが倶利伽羅峠での戦いを斬組(源氏は白鉢巻、平家は赤鉢巻)で再現していたかと思うと、
囃子が変わって揚幕が上がり、

なんと、
羽生八幡の神霊(後シテ)登場!!

ええっ! 
《木曽願書》って、現在物じゃなかったの!?

予期せぬ展開に驚きつつ、息を呑んで観ていると、
怪士系の面をつけ、男神の出立に身を包んだ後シテが、手にした弓にいきなり矢をつがえ、平家軍めがけて発射!

これには平家軍もひとたまりもなく、義仲軍は大勝を収めたのでした!
(たしかに神霊が出現したほうが、木曽願書の効力が視覚化されて分かりやすい。なるほどー。)


狂言《こんかい》上座
《釣狐》の別名だそうですが、黒川能では秘曲扱いではなく、「こんかい」には「後悔」の意味が重ねられているといいます。

《釣狐》では、後シテはキツネの着ぐるみを体全体に着るのに対し、黒川では、狐の面をかけ、毛皮のようなものを背中に被るのみ。

またキツネの罠も、《釣狐》は、木枠でつくった簡素なものに黒いネズミっぽい餌が載っている形ですが、黒川の罠には、尻尾のついた黒いネズミの餌が吊り下げられ、それを覆う熊笹のような草木が付けられていて、本物っぽい。
おそらく、実際に罠を仕掛けていた村人たちの実体験に基づく形状なのでしょう。

大習や極重習という大曲扱いではないものの、黒川の《こんかい》でも、シテのいかにもキツネらしい、獣性を帯びたリアルな所作に見応えがあります。
重々しくなく、もったいぶらないところも、黒川能の魅力です。

最後は、《釣狐》のようにキツネが罠を外して逃げるのではなく、罠にかかったままで終わってしまいます。
(キツネさんの運命や如何に!?)

こういうところも、自然とじかに対峙してきた黒川の里ならではの展開なのかもしれません。



黒川能《鐘巻》につづく






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