2018年2月21日水曜日

銕仙会能楽研修所~能楽堂建築シリーズ5

表参道駅徒歩3分。
東京らしい能楽堂として真っ先に思い浮かぶのが、ここ、青山の能楽堂。



スタイリッシュな通りになじむ、コンクリート打ち放しの建物。




1983年竣工。
80年代の香りと、進取の精神に富むエネルギーが感じられる能楽堂です。




現代感覚に和のテイストがほどよく組み込まれて、おしゃれで素敵。


昼間はこんな感じ


エントランスの靴箱
ここで、履物を脱いであがります。


見所は2階

狭小空間をうまく活用して建てられているのも現代的。



2階からの眺め

見所入口の踊り場には、ウォーターサーバーも完備。
壁には(たぶん観世寿夫の?)《井筒》のスチールパネルも。




銕仙会能楽「研修所」の名の通り、観客の前で上演する能舞台でありつつ、稽古能などで研鑽を積む場であり、また、さまざまな実験的(前衛的)試みが行われてきた場でもあります。

四月からは、清水寛二師が主催する「青山実験工房」も始まるとのこと。

つねに、何か新しいものが生み出されてゆく。
そんなアトリエ的な能舞台なのです。



銕仙会の舞台も、関東大震災や空襲などで幾度も焼失してきました。
現在の能舞台そのものは、昭和30年に落成したものでしょうか?
だとすると、観世寿夫もこの鏡板の前で舞っていたことになります。

そのほか、多くの一流の能楽師たちがここの稽古能で叱られながら、鍛えられてきたことをよく耳にします。
(故・観世元伯さんも八世銕之亟に罵倒されたことをインタビューで語っていらっしゃいました。)

能舞台にはそれぞれの歴史と物語があり、能舞台が役者を育て、役者が能舞台の風合いを育てる、その相乗効果をこの能楽堂でも強く感じます。





残念ながら、わたし自身はこの能楽堂へは数えるほどしか訪れていませんが、いちばん印象に残っているのが「広忠の会」で観た《定家》。

お囃子はもとより、味方玄さんのシテ、宝生欣哉さんのワキ、そして片山九郎右衛門さん地頭の地謡もこのうえなく素晴らしく、師走の夜の静けさとともに、舞台の余韻が心にしみいるようでした。
この場所でしか生まれない、見所と舞台との無言の一体感に耽溺したのを思い出します。





それから、《砧》で観た宝生閑師の芦屋の某も忘れがたい。
ここの橋掛りは短いのですが、ワキの姿とハコビを、光が乱反射したようにひときわ美しく見せる不思議な効果があるように感じます。





2018年2月19日月曜日

千駄ヶ谷の富士塚 ~鳩森八幡神社

能楽堂に行くついでに寄り道して、富士塚初体験。
関西では見たことがないから、たぶん、富士山の見える場所にしかないのでしょう。
昔は、ここからも富士山が見えたんですね。

富士塚入口
寛政元年(1789年←フランス革命の年?!)築造とされる千駄ヶ谷の富士塚は、都内最古のもの。
東京都の有形民俗文化財に指定されているそうです。





登山道の階段は自然石でつくられ、頂上付近には富士山の溶岩が配されているとのこと。





山裾付近は、比較的ゆるやかな階段。





里宮
すこし登ると、里宮があります。
河口湖畔に行ったつもりで参拝。




亀岩

八大龍王が祀られている蓬莱亀岩。
この辺りから、ゴツゴツした岩を登っていきます。






溶岩っぽい岩も見えてきました!



小御嶽石尊大権現

山梨県神社庁のサイトによると、小御嶽は富士山よりも先に出現した山で、小御嶽石尊大権現は、富士登山者の守護神だそうです。
富士登山者の家運隆昌、交通安全、延命長寿、縁結びの守護神とのこと。





「釈迦の割れ石」と「金明水」


釈迦の割れ石とは、白山岳の手前にある縦に割れたような岩のこと。
廃仏毀釈の前に、白山岳が「釈迦岳」と呼ばれていたため、「釈迦岳の割れ石」がつづまって「釈迦の割れ石」になったようです。

金明水は、富士山の清らかな水が湧く聖泉。
琵琶湖からの通い水が湧いているという伝説もあるとか。


富士塚って箱庭みたいに小さな世界だけれど、けっこう凝った造りになっていて、作り手の遊び心とこわだりが細部にも感じられます。

ヨーロッパにもグロッタのような精密かつ豪奢な人工洞窟があるけれど、あれをもっと、う~んと庶民向きに、簡易に作った感じでしょうか。




奥宮

頂上に到着。
奥宮に参拝しました!

子供たちがはしゃぎながら登っていて、かわいい。
子供はこういう場所が好きですよね、秘密基地みたいで。





頂上から見た境内。河津桜がきれいに咲いています。



能楽殿





白梅と絵馬がこの時期らしい


御社殿
御祭神は、応神天皇・神功皇后。
能楽殿で観世流《箱崎》の演能があれば、ぴったりですね。





紅梅白梅ともに見ごろ


もう春だなあ。
でも、まだ四月は遠い。
その前に、花粉が……。





2018年2月16日金曜日

杉並能楽堂 ~能楽堂建築シリーズ4

1929年に現在の場所に移築再建。有形文化財。
東京都杉並区和田一丁目:地下鉄中野富士見町駅から徒歩5分



ガラガラッと格子戸を開けると、そこは都内で二番目に古い能楽堂。
能楽堂といっても、古民家の屋内にある、見所つきの能舞台といった風情。

大蔵流山本東次郎家の本拠地は、とても趣きがあって、素敵なのです。





舞台床の剥げた箇所が、通常の能楽堂と違うのが分かりますでしょうか。

三世・山本東次郎著『狂言のことだま』には、
狂言の舞は舞台の角々(目付柱や脇柱)できっちり方向転換をするように使う、ということが書かれています。これは、角々に悪しき物が宿るという古来の信仰から、角々を祓う意味もあるそうです。
また、狂言ではセンターラインを田の畔や川岸、垣根などに見立てるため、センターラインを非常に重視した舞をすることも記されています。


山本家の舞台を見れば、東次郎師のことば通り、舞台の四隅とセンターラインだけ特に床板が摩耗して、色が薄くなっているのが分かります。


床の摩耗や汗の沁みは、檜板の色の濃淡やツヤ・テリに反映され、それはもう「用の美」の結晶のような、鑑賞に価する美術工芸品といえます。
汗と涙で磨き抜かれた床は、ほんとうに美しい。


この能楽堂は、明治43年(1910年)、二世山本東次郎が、銀行頭取だった素人弟子の渡辺勝三郎の援助により、本郷弓町(現・文京区本郷二丁目)に創建しそうです。

その後、渡辺銀行は倒産、その資産も差し押さえられましたが、本能楽堂だけは二世東次郎の名義になっていたため、昭和4年(1929年)、草深い田舎だった杉並区のこの場所に移転再建されたといいます。






彦根藩井伊家に残る江戸城三の丸の図面をもとに再建され、鏡板の老松も、江戸城で使われた下絵を写して描かれたそうです。

関東大震災、太平洋戦争、東京大空襲……歴史の荒波をくぐりぬけて来たかけがえのない能楽堂。

どうかこれからも、ずうっとこのまま、大切に残されていきますように。





お庭も好い雰囲気















2018年2月11日日曜日

靖国神社能楽堂(芝能楽堂)~能楽堂建築シリーズ3

「芝能楽堂で催された能の中で、満場立錐の余地もないほどの大入りを占めたのは、桜間伴馬が道成寺を演じた時と、(宝生)新朔が壇風を勤めた時とで、二幅対といわれたものであった。」       
       ━━池内信嘉『能楽盛衰記・下巻』




1881年落成、1903年に靖国神社に移転した芝能楽堂

能楽の激動の時代を目撃してきた、都内最古の能楽堂。

明治の三名人をはじめ、数々の名手たちの汗が染みついています。
岩倉具視を筆頭に、この能楽堂建設・経営・維持に腐心した人々の努力はいかほどのものだったでしょう。

21世紀のいま、わたしのような一般庶民が気軽にお能を楽しめるのも、この能楽堂と、その建設および演能に尽力した人々のおかげだと思います。



野ざらしになっているのに、手入れが行き届いている

「能楽」の額は、加賀藩十二代藩主・前田斉泰が書いたもの。
(宝生九郎の関係でしょうか。)

毎春、この舞台の太鼓座に坐っていた方のことを思い出しました。

ここから桜を眺めていたんだなあ……と。
そこだけが、あたたかい光が当たっているような気がして。
すこし悲しくなって。
そっと、手を合わせました。






冒頭に記したように『能楽盛衰記』によると、桜間伴馬の道成寺では芝能楽堂が大入りの大盛況だったそうですが、現在は、鐘を固定する「輪」は取り外されています。






連子窓も当時のものでしょうか。





『六平太藝談』には「能舞台照明事始」と題して、芝能楽堂の面白いエピソードがつづられています(以下に引用)。

「能舞台にはじめて電燈の点けられたのは、明治27年。その能舞台というのは、後に芝から九段の靖国神社の境内に移されたあれですが、これに電燈の設備をすることになって、清廉さんと私とが、委員格に選ばれたのでした。ところがいざ実行となると、なかなか反対がある。そんなことをやるというのは、今に囃子などに洋服を着せて椅子に腰かけさせるつもりなのか、とか。

(略)今の設備から考えると、ほんとに夢の様な昔話ですが、それでも非常にあかるくなったように感じたものです。

電燈反対者の中には梅若実さんもいましたが、委員側(?)としては、あなたの御出勤は昼間ですから電燈はつきませんと説明して、我慢してもらったなども随分古いおはなしです。」  ━━『六平太藝談』



能舞台に照明をつけるという、今ではごく当たり前のことでも、明治期には反発・反対があったようです。

流儀を跨いでの(しかも、梅若実VS喜多六平太!)侃侃諤諤の議論が交わされていたというから、当時は、情熱どうしがぶつかり合い炸裂した、熱い時代だったんですね。









橋掛りはかなり長い。
こういうところにも、設計者や監督・指揮者のこだわりが感じられます。





外苑休憩所

映画のセットみたいにレトロな外苑休憩所。

外のベンチでは、復員服(かな?)を着た人たちが昔の軍歌を歌っていた。



九段会館

7年前の震災の際、天井が崩落した九段会館。
現在は立ち入り禁止となっています。
一部保存されるとのこと。
建築史的・美術史的にも価値の高い建物なので、ぜひ残してほしいものです。





聖アンセルモ教会~カトリック目黒教会

前々から訪れたかった聖アンセルモ教会。
能楽堂の帰りに立ち寄ってみた。


設計は、フランク・ロイド・ライトに師事したアントニン・レーモンド。
1956年に竣工したこの教会堂もいかにもモダニズム建築らしい、コンクリート打ち放しの簡素で静謐な空間。

無機質な堂内のピンと張った空気が、冷たくて、心地よい。



外観



パイプオルガンとステンドグラス

立派なパイプオルガン、聴いてみたかった。
ステンドグラスは、昼間だともっときれいだろうな。



洗礼堂かな?