2018年3月30日金曜日

セルリアンタワー能楽堂~能楽堂建築シリーズ9

渋谷駅西口徒歩5分
(このシリーズでは、思い出の能楽堂の画像をアルバム代わりに掲載しています。)

国立能楽堂と同じく屋根は切妻
シテが正先に出た時に、面が翳らない設計

ホテルの地下二階にある、比較的新しい能楽堂。
客席数200席程度の程よい大きさ、座席の段差も適度にあり、見やすい。

難点は座席のクッションが硬いことと(長時間座っているとお尻が痛くなる)、出入口がひとつしかないこと。








能楽堂の入り口にあるグランドピアノ。
ロビーは、隣の宴会場と兼用。





能楽堂へのエントランス

能楽堂へのアプローチは、多目的エリア。

イベントの際には、お酒やおつまみが並べられることも。




能楽堂入り口付近の楽屋口と休憩エリア

能楽堂入り口付近の楽屋は、客席が足りない際には桟敷席に早変わり。




比較的短い橋掛り

橋掛りは短い。
それでも、一流の演者にかかると短さを感じさせない。

いちばん印象に残っているのが、本能楽堂15周年記念公演で上演された《養老・水波之伝》。
片山九郎右衛門さんが左袖を被いて、この橋掛りから大滝を遠望した姿が忘れられない。
轟々と流れ落ちる雄大な瀑布と爽やかな水飛沫。

キリで勢いよく袖を巻き上げたときには、装束の下の、筋骨隆々とした肉体の感覚、気の充実と力強さがリアルに感じられた。







この能楽堂には観世元伯さんの大切な思い出もある。
まだ2年前のことだけれど、もう遠い昔のよう。
懐かしさや悲しさといった感傷も日に日に薄れ、
その人の不在に無感覚になってゆく。
だから、忘却の中に埋没してしまう前に、こうして能楽堂の画像とともに名前だけでも書き留めておかないと。
この舞台の、あの場所に、その影が浮かび上がるように。



ほかにも代々木能舞台、鎌倉能舞台、そして、個人的に思い入れのある梅若能楽学院会館もこのアルバムに残しておきたかっけれど、撮影しておかなかったのが悔やまれる。


また、いつか。











2018年3月28日水曜日

Dreams are true while they last....


MIHOミュージアムには何度か訪れたことがあります。
おそろしく不便なところにあり、車で行けども行けどもたどり着けない気がするほどの、文字通り深山幽谷の桃源郷。
絶景に建築、常設展も素晴らしいお気に入りの美術館です。
↓の画像は長澤蘆雪展に行ったときのもの。

設計は、ルーブル美術館のガラスのピラミッドで知られるI・M・ペイ


その美術館で、4月29日に片山九郎右衛門さんのワークショップがあると聞き、はりきって申し込んで(受付番号1番!)すっごく楽しみにしてたのに、抜き差しならない用事が入ってしまい、泣く泣く断念 (>_<)

怒涛の3月~4月上旬を乗り切るための、心の支えだったのに……。


そんなわけでキャンセルが1名出るので、参加をあきらめた方もよろしければ問い合わせてみてください。











2018年3月25日日曜日

喜多能楽堂~能楽堂建築シリーズ8


「七つの年から芸道に入って、丁度七十年。その間に、震災、戦災と、二つも舞台を焼いてしまったのだから、いままでの家元の誰もが味わったことのない、苦い経験を嘗めたものです。……舞台さへ再建出来れば……わたしが死んでも死に切れないと思うのはこのことだけです。なんとかして、わたしの眼の黒いうちに、実現させたいと、明け暮れ希求して熄まないところでした」     ━━『六平太藝談』


入り口を飾るのは、焼失した喜多舞台の門扉でしょうか

かくして、六平太の悲願だった能楽堂の再建(再再建!)は昭和30年に実現し、「十四世喜多六平太記念能楽堂」として蘇った。
その後も改築・改修を重ね、現在に至る。

能楽堂には、それぞれの歴史や建設・再建・移転までの長く険しい道のりがあり、建てた人々・建設・再建に奔走した人々・関わった人々の思いが詰まっている。

能楽堂は、そこを拠点とする能楽師の方々のかけがえのない財産。そのことに思いを馳せつつ、心して訪れなければ。





前田青邨が監修し、江崎孝坪が筆をふるった鏡板。
伸びやかで豪壮な松。





通常は地謡座の横にある貴人口の位置が、喜多能楽堂では地裏の奥になっている。
それゆえ笛柱が壁付けではなく、一本の独立した柱として立っているのも、この舞台の特徴。
(このほうが地謡の人も通りやすいのでは? と思ったりもする。)






脇正面から2階席を見上げた図。




2階席から舞台を見下ろす


2階席前方から舞台を見たら、こんなふうに。
舞台全体がけっこう見やすい。






脇正面から舞台を見るとこんな感じ。
この能楽堂は、座席の段差がたっぷりあるので、前の席の人の頭が邪魔になることはほとんどない。

ほかの能楽堂も、これくらい段差あるといいのだけれど。



1階ロビー

窓にはきちんと障子がついているのが、さりげないこだわりを感じます。





階段踊り場




2階の休憩室

いつもだいたい、窓際に座って電車を眺めています。




これも2階ロビー



壁には喜多流歴代名手たちの写真パネルが。






2018年3月19日月曜日

矢来能楽堂~能楽堂建築シリーズ7

昭和27年再建  国指定有形文化財




以前は飛び石のあったアプローチも、今ではバリアフリーに。
(アプローチというか、御当主宅のお庭なのかな?)



レトロな雰囲気のエントランス


廊下
右手は、桟敷席の入り口。




能舞台

鏡板には、老松と若竹。
右側の貴人口に梅枝が描かれているのも、矢来能楽堂ならでは。




自然光が入る能楽堂

窓から射しこむ自然光が日時計のように移り変わり、独特の照明効果に。



客席の詞章プレート


客席の背には、詞章プレート。



鶴と瑞雲の懸魚

ディテールも昭和らしい凝ったつくり。







2018年3月16日金曜日

宝生能楽堂 ~ 能楽堂建築シリーズ6

1978年竣工 東京都文京区本郷(JR・都営三田線水道橋駅)

宝生流の牙城。東京と金沢という、2つの拠点を持つのもこの流儀の強み。

わたしにとっては、都内でもっとも使い勝手のいい能楽堂。

アクセス、広さ、設備、どれも申し分なく、
見所からの見やすさや、オープンな親しみやすさ、周辺飲食店の多さなど、いろいろ便利。




明るく開放感のある、広い窓のついたロビー
傾斜地にたつマンションの1、2階をうまく活用。能楽堂自体に階段がなく、完全バリアフリー。

ロビーもゆったりくつろげ、細長い通路状ではないので、他の能楽堂に比べると、比較的移動しやすい。

ちなみに、わたしは入ったことはありませんが、宝生グリルというレトロな喫茶店?、食堂?、もあります。




能舞台の屋根は寄棟造り

この規模の大型能楽堂としては、見所との距離が比較的近く、座席列の高さもほど良く、見やすい。

ひとつだけ難をいえば、見所の照明が微調整できないこと(めちゃくちゃ明るいか、真っ暗かのどっちか)。
通常は蛍光灯が煌々と照っているせいか、現実に引き戻される気がして、すこし残念。




適度な長さの橋掛り

橋掛りも、長すぎず、短すぎず、ちょうどよい。

《鞍馬天狗》の花見稚児や、《紅葉狩・鬼揃》の鬼女たちがずらりと並んださま、橋掛りや欄干に足を載せる九郎右衛門さんの印象的な型や、宝生流若手によるキレのいい欄干越えを観たのも、この橋掛り。

そして、この能楽堂は音響が素晴らしく、ここで何度も聴いた観世元伯さんの太鼓の音色は大切な宝もの。





生松

橋掛りに使われているのは、本物の松。
写真でも、下のほうの松葉が少し茶色く枯れかかっていて、
松が生きているのがわかる。
みずみずしく、形がきれいですね。




ロビーにある立派な銅像
歴代家元の銅像。
左端が、伝説の巨人・宝生九郎翁。




16世宝生九郎知栄
 明治の三名人と謳われたザ・レジェンド、宝生九郎知栄。



五雲の扇のいはれ

銅像の横には、五雲の扇の謂れが。




金毘羅宮東京分社

水道橋の能楽堂は、こんぴらさんを抜きにしては語れない。
能楽堂に行くたびに、あるいは近くを通るたびに、ほぼ必ずお参りをしたものです。

ほんとうに、幸せを呼ぶこんぴらさん。




水道橋稲荷大明神

もちろん、ここのお稲荷さんも!







2018年3月12日月曜日

以心伝心・以身伝身「ワザを伝えるワザとは何か?」&ワークショップ「型付だけで舞えますか?」

2018年3月12日(月)11:30~17時 法政大学スカイホールほか

ワークショップ 型付だけで舞えますか?
   講師 高橋憲正

■シンポジウム 以心伝心・以身伝身「ワザを伝えるワザとは何か?」
  玄人の稽古・素人の稽古 大島輝久 聞き手 山中玲子
 他 型付および技芸伝承・ワザ伝達にまつわる研究発表



時間がないので簡単な感想だけ。

このワークショップでお稽古(舞の型)体験初体験。
まずは、カマエのご指導から。
うーん、同じようにやっているつもりでも、講師の高橋さんとは、何かがぜんぜん違う!

それに、高橋さん、さすがにご指導が上手い。
分かりやすくて楽しいし、そして、なぜかだんだん関西弁になってくる。
金沢弁=関西弁? と思っていたら、師匠であるお父様から関西弁でお稽古を受けたため、それがそのままご自分にも移ったのだそう。
(幼少期からご指導を受けた体験が、ことばのなまりも含めて、身体に沁みついているんですね。)
高橋さんと関西弁って意外な取り合わせだったので、それだけでも面白い。

そして宝生流では、「サシコミ・ヒラキ」のことを「シカケ・ヒラキ」というのも初めて知りました。同じ「シカケ」という型も流儀によって違っていて、たしか宝生・喜多・金剛では「(観世流の)サシコミ」のことを指し、金春流では別の型を指すとか(→ちょっとうろ覚え)。



あ、それから、「型付だけで舞えますか?」というワークショップのタイトルの答えは、「型付だけでは到底舞えません」でした。プロの指導、あるいは、せめて映像がないと無理(もしくは繰り返し舞台を見るとか)。
映像でも……映像は二次元だから、微妙な角度とか、立体的にとらえた全体の動きとかが把握できないし。
自分と相性がよく、「ああなりたい」と憧れる師匠に教わるのが、いちばんなんでしょうね。



シンポジウムでは、大学生に指導する大島輝久さんの動きをモーション・キャプチャのようにデジタル的に動作分析(バイオメカニクス分析)した林容市氏の研究発表が面白かった。

スティック・ピクチャーで真上から見ると、大島さんの重心と頭頂部のポイントがほぼ常に重なり、体の軸がブレていないことがわかったり、動作(活動)量を示した波形グラフでは初心者素人と比べて、大島さんの型には抑揚(メリハリ)が随所についていたことが判明したりと、いろいろ興味深い。
おそらくプロの中でも、この抑揚の波形に個人差があり、それが舞の個性となっているのかも。



いちばん心に残ったのは、「玄人と素人の稽古の違いは?」と尋ねられた時に、大島輝久さんがお答えになった言葉。
(基本的には「素人も玄人も同じです」と前置きしたうえで、)

「お素人」には、まずは稽古(能)の楽しさを教えることが主眼となるが、玄人はその逆。
玄人能楽師は、辛いところをどこまで平気で舞うかという、耐性を学ぶことが主眼となる。
玄人が舞台に出る8~9割は地謡や後見などの裏方の仕事。
裏方に徹し、個性を叩き潰し、自我を失くす。
一兵卒になり切れるかどうか、そこがプロが学ぶべき事だという趣旨のことをおっしゃっていた。




ワークショップで講師をされた高橋憲正さんも一般聴衆席から示唆に富んだお話をされ、ほかにも金春流の中村昌弘さんの御姿も。














2018年3月7日水曜日

オペラ《ホフマン物語》

2018年3月6日(火)14時~18時 新国立劇場 オペラパレス



オペラは久しぶり。もっと来るべきだった。
東京と他の都市との大きな違いのひとつが、オペラ環境の充実度。
ことオペラ劇場に関しては、誠に残念ながら関西の諸都市は東京に完敗だし、とりわけ新国立劇場の存在は大きい。



オペラ《ホフマン物語》は、第2・3・4幕をそれぞれE.T.A.ホフマンの小説『砂男』、『クレスペル顧問官』、『大晦日の夜の冒険』を下敷きにした、オッフェンバックの未完の遺作。

この日観た《ホフマン物語》は、一見奇抜な印象を与えるものの、ホフマンの三作品の象徴的なモティーフを巧みに配しており、原作に比較的忠実な演出といえるかもしれない。

たとえば、第2幕で使われる「望遠鏡」。
ホフマンがこれをのぞきこみ、レンズの向こうにいた自動人形のオランピアに見惚れる場面は、原作『砂男』で主人公が窓の外を懐中望遠鏡で眺めたとき、それまで特別な関心を抱かなかったオランピアのこの世ならぬ美しさに初めて気づき、恋に落ちたときの様子を踏襲している。

小説『砂男』のなかで望遠鏡は重要な役目を果たす小道具であり、ホフマンの影響を受けたとされる江戸川乱歩の『押絵と旅する男』でも、双眼鏡をのぞいた先に、美しい娘の姿(実は押絵で象った八百屋お七)を見留め、一目で恋に落ちる。


鏡やレンズなどの光学機器への傾倒・偏愛はホフマンと乱歩に共通するものであり、彼らの作品では、レンズを介して世界を見ることが意識や次元の変容を招くきっかけとなる。
フィリップ・マルローの演出は物語のカギとなるレンズや鏡を、舞台に効果的に織り込んでいた。


第3幕では、原作『クレスペル顧問官』で重要な要素となる「ヴァイオリン」を舞台床と上部に装飾的に配し、さらに舞台床を斜面状に傾け、長テーブルを座礁した難破船のように床面に突き刺すことで、小説に描かれたクレスペルのギクシャクした動作や狂気すら感じさせるエキセントリックな性格を描写している。


第4幕では、高級娼婦の色香に惑わされて鏡像を盗まれた男の話『大晦日の夜の冒険』のモティーフとなる「鏡」が、舞台天井部を大判のモザイクのように覆い、欲望のままに踊り狂うヴェニスの男女を官能的に映し出し、あるときは教会の天井画のだまし絵のように、あるときは極彩色の錦絵のように、ホフマンの世界を視覚的に表現する。


演出・美術・照明を担当したフィリップ・アルローは作中の人物像について初演時にこう述べている。

「……詩人は短命であり、その鋭敏は感受性ゆえに、五感を通して掴んだすべての波動が火傷のように彼らの魂を焦がし、その深い傷がもたらす痛みが詩句に結晶するのです。このオペラでは、詩人ホフマンの運命が絶望という名の黒い糸で紡がれていきます。彼は、登場の瞬間から、死に至る病、つまり絶望を抱える主人公なのです。その彼を取り巻くのは、死、性、芸術への欲求という三つの側面を持つ女性です。当時の人々の欲望のひとつでもある、工業技術の完璧な成果たる人形で、そえゆえに死の恐怖を一切感じないオランピア、死が生をもたらす芸術の象徴として、歌えば肉体が滅んでいくものの、歌わなければ魂が死んでしまう表現者アントニア、退廃の極みにあり、エロスを体現し、まるで死を飼いならすかのように男を次々と葬り去りながら自分は輝き続ける娼婦ジュリエッタ……」


フィリップ・アルローは色彩感覚に優れた演出家で、第2幕では機械仕掛けのオランピアをあらわす人工着色料のようにカラフルな蛍光色、第3幕では胸を病む歌姫アントニアの死の香り漂う黒とグレー、第4幕では肉感的なジュリエッタの色であるワインカラーで舞台を彩り、ヒロインのキャラクターを端的に可視化していた。


ただ、あまりにも「死」を意識しすぎたせいか、もしくは、繊細で短命な詩人としてホフマンを描きたかったからなのか、アルローの演出では最後、ホフマンは絶望のあまり、ピストルで頭を撃ち抜いて自殺する。

舞台に横たわるホフマンの無慙な遺体が、「On est grand par l'amour et plus grand par les pleurs!(人は恋によって成長し、涙を流してさらに大きくなる!)」というミューズたちの希望に満ちた言葉と合わずしっくりこなかったが、ここは、精神錯乱の果てに塔から身を投げ墜死した『砂男』の主人公の姿と重なるところでもある。


そして何よりも、遺体となったホフマン役のティミトリー・コルチャックの姿が最高に美しく、それだけでもう、何も言うことはない。
今公演初役というコルチャックはじつに魅力的なテノールで、いまでも〈クラインザックの歌〉が耳の中でこだましている!
情感豊かで表現力あふれる彼の歌声を聴くと、こちらも胸がドキドキ高鳴り、アドレナリンがどっと分泌され、ひとりでに涙があふれてくる。


多彩な悪役をこなしたバス・バリトンのトマス・コニエチュニーのアクの強い存在感と重厚な声量の素晴らしさは、ここで書くまでもなく申し分ない。

そして、三人の歌姫もコルチャックの相手役を見事に勤め、なかでもアントニア役の砂川涼子さんの、胸を病んだ女性にふさわしい脆く壊れやすい透明感のある歌声に惹きつけられた。
〈逃げてしまったの、雉鳥は〉が特に好きだから、よけいにそう感じたのかもしれないけれど。












2018年3月2日金曜日

新演出《玉井・龍宮城》後場~国立能楽堂企画公演

2018年2月28日(水)18時30分~21時 国立能楽堂

能《玉井・竜宮城》シテ豊玉姫 梅若紀彰
   海龍王 梅若実(玄祥改め)玉依姫 川口晃平 
   彦火々出見尊 福王和幸
   栄螺の精 野村又三郎 鮑の精 松田高義
   板屋貝の精 藤波徹  蛤の精 奥津健太郎
   法螺貝の精 野口隆行
   杉信太朗 大倉源次郎 國川純 観世元伯→小寺真佐人
   後見 梅若長左衛門 小田切康陽 山中迓晶
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
      佐久間二郎 坂真太郎 中森健之介 内藤幸雄


《玉井・龍宮城》前場からのつづき

【後場】
〈ワキの出、シテ・ツレの出→天女の舞〉
出端の囃子で、龍宮城の引廻シが下され、シテ・ツレが登場。

龍宮城の中で床几に掛かるホオリは、皇室の祖であることを示す高貴な紫の狩衣姿。
珍しいワキの中入での物着は、豊玉姫の懐妊によるホオリの神話的立ち位置の変化をあらわすためでしょうか。

(それにしても、ワキが大小前の宮のなかでずっと床几に掛かっているという演出は、福王和幸さん以外では成り立たないかも……絵的に。)


後シテ・ツレは、いずれも泥眼の面に緋色の舞衣、天冠龍戴、黒垂。
前場では、シテは増、ツレは小面で、装束の文様にも違いがあり、シテとツレの格の区別が明確だったのですが、後シテはほぼ同装。


天女の舞は、最初から最後まで相舞だったけど、途中からシテ単独の舞にして、シテの存在を際立たせるやり方のほうがよかったかも。
(その場合、装束も豊玉姫の装束をツレと同装ではなく、白地金紋の舞衣にして。)

とはいえ、ツレの川口さんの舞も以前にも増して丁寧できれい。久しぶりに拝見できてよかった!



〈海龍王の存在感!〉
龍王は、通常は大ベシで登場するところを、今回はシテ・ツレの後に続く形で橋掛りに出現。

ド迫力の牙悪尉の面に白頭、大輪冠(大龍戴)、狩衣、半切、鹿背杖。
この出立、玄祥改め梅若実以上に似合う人はいないっていうくらい、玄祥改め梅若実そのもの。
とくに牙悪尉の面には威力があり、生半可な役者では太刀打ちできないような強さ・怖さがある。
梅若実師だからこそ使いこなして、わが身と一体化させることができる、そんな力強い悪尉です。

この姿を見て、やはり今回の演出には梅若実師は欠かせなかったのだと妙に納得。

だいぶお痩せになり、足腰も不安定なのでお身体を心配したのですが、この存在感、カリスマ性、全身から立ち昇る気迫。
それだけで十分すぎるほどの説得力を持ってしまう。

新演出のあれこれが必然だったのだと、海龍王の姿を見て、なんとなく腑に落ちたのでした。





〈付記〉
観世元伯さんのお名前が公演チラシに載るのも、おそらくこれが最後。
(プログラムではもう小寺真佐人さんのお名前になっていた。)
ひとつの時代が終わり、
わたしにとっても、ひとまず、この公演がひとつの区切り。















2018年3月1日木曜日

《玉井・龍宮城》前場~近代絵画と能~水底の彼方から

2018年2月28日(水)18時30分~21時 国立能楽堂



復曲狂言《浦島》シテ浦島 野村又三郎
   アド孫 野村信朗 アド亀の精 奥津健一郎
   地謡 奥津健太郎、野口隆行 伴野俊彦

能《玉井・竜宮城》シテ豊玉姫 梅若紀彰
   海龍王 梅若実(玄祥改め)玉依姫 川口晃平 
   彦火々出見尊 福王和幸
   栄螺の精 野村又三郎 鮑の精 松田高義
   板屋貝の精 藤波徹  蛤の精 奥津健太郎
   法螺貝の精 野口隆行
   杉信太朗 大倉源次郎 國川純 観世元伯→小寺真佐人
   後見 梅若長左衛門 小田切康陽 山中迓晶
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
      佐久間二郎 坂真太郎 中森健之介 内藤幸雄



日本近代洋画でいちばん好きな《わだつみのいろこの宮》をテーマとする企画公演。

新演出《玉井・龍宮城》は、舞台全体がゴージャスで、風流能の醍醐味がいかんなく発揮され、天津神の高貴な眩さを前面に押し出した、青木繫の傑作にふさわしいつくり。
道具・作り物にも種々の工夫が凝らされ、現行よりも詞章の内容を忠実に映像化した演出と緻密な構成でした。

ただ、紀彰さんのシテが目当てだった者としては、年に一度の国立能楽堂主催公演の貴重なシテの機会なのに、ツレ的扱いだったことが惜しまれます。
昨年の《二人静》も出番がめちゃくちゃ少なかったし。
天冠舞衣姿での天女の舞を拝見できたのはうれしかったけど……。
(舞台自体は新演出にもかかわらず緊密で緩みがなく、十分に満喫。やっぱり能楽鑑賞はたのしい。)




【前場】
大小前に、緋色の引廻シで覆われた龍宮城(一畳台+小宮)の作り物。
正先には、幤を張り巡らせた井筒の作り物。
通常は脇座前に置かれる桂の立木はカットされ、代わりに井筒の右端に桂木をセット。
(こういう省略・兼用の工夫もセンスがいい。)



〈ワキの出:半開口→名ノリ笛〉
常の《玉井》では半開口(置鼓)でワキが登場しますが、今回の演出では、半開口の音取置鼓部分はカットされ、それに続く名ノリ笛で登場。
とはいえ、笛の独奏だけでなく、源次郎さんの置鼓ノ地っぽい(?)小鼓も入り、この源次郎さんの小鼓がとても素敵でした。

ワキのホオリの出立は、狩衣・白大口・唐冠という、常の《玉井》と同じ。
(ワキツレは省略。)



〈シテ・ツレの出〉
登場楽は真ノ一声が、一声に変更。
「はかりなき齢をのぶる」から「清き水ならん」もカットされるため、橋掛りで向き合うことなく、シテ・ツレはそのまま舞台へ。

豊玉姫は亀甲文の唐織、玉依姫は鱗文の鬘帯という、龍宮城の姫君たちの正体(大鰐(鮫)などの海洋生物)をほのめかす出立。

ここのシテとツレの連吟が耳に心地よい。
シテの音域を補い、その良さを巧く引き出すような、ツレの謡。
川口さんの謡は以前から好きだったけれど、やっぱりいいですね。
良い意味でハモるような美しい連吟。
詞章もはっきり聞き取れ、シテ・ツレ連吟にありがちな冗漫さを感じさせない。
(成人後にこの世界に入って、これだけ謡のうまい人はあまりいないのではないでしょうか。音感の良さはもとより、きっと相当努力されているのでしょう。)




〈クリ・サシ・クセ〉
輝くばかりに美しいホオリに出逢った豊玉姫は、釣針を探すという口実で、父母に引き合わすべく、ホオリを龍宮城へ誘います。
(育ちのいいイケメンは得という、ミもフタもない話。)


ここで正先の井筒が撤収され、舞台正面の視界がスッキリ開けたところで、新演出のポイントのひとつ。
クリ・サシ・クセでは、通常はシテが正中下居するところを、ワキが正中で床几に掛かり、シテは脇座で下居します。

シテのセリフをワキが謡うのですが、あらめて詞章を見ると、
クセでは、ホオリが釣針を探しに来たいきさつが地謡によって語られるので、ワキを正中に据えて、その語りを地謡が代弁する、という形も成り立つのかも。

(個人的には紀彰さんが脇座に控えるのではなく、正中にいてほしかったのですが。)



〈中入〉
この中入も趣向が凝らされていて、ワキが龍宮城の作り物に入って物着。
シテ・ツレは、来序で橋掛りから中入。
来序冒頭のシテの足遣いがきれいでした。

ここで、替間《貝尽し》となります。
通常の《貝尽し》よりも短めですが、やんややんやの楽しい酒宴。



《玉井・龍宮城》後場につづく






復曲狂言《浦島》~国立能楽堂二月企画公演

2018年2月28日(水)18時30分~21時 国立能楽堂

復曲狂言《浦島》シテ浦島 野村又三郎
   アド孫 野村信朗 アド亀の精 奥津健一郎
   地謡 奥津健太郎、野口隆行 伴野俊彦

能《玉井・竜宮城》シテ豊玉姫 梅若紀彰
   海龍王 梅若実(玄祥改め)玉依姫 川口晃平 
   彦火々出見尊 福王和幸
   栄螺の精 野村又三郎 鮑の精 松田高義
   板屋貝の精 藤波徹  蛤の精 奥津健太郎
   法螺貝の精 野口隆行
   杉信太朗 大倉源次郎 國川純 観世元伯→小寺真佐人
   後見 梅若長左衛門 小田切康陽 山中迓晶
   地謡 観世喜正 山崎正道 鈴木啓吾 角当直隆
      佐久間二郎 坂真太郎 中森健之介 内藤幸雄




復曲狂言《浦島》は、野村又三郎家に伝わる番外曲だそうです。
これがめちゃくちゃ面白かった!

又三郎さん、やっぱり、うまいなー。
御子息の信朗さんもカマエや発生などの基礎がしっかりしていて、頼もしい。
とにかく、心から楽しめました。


お話は、老人になった浦島太郎が孫と海辺に出て、孫が釣りをしているところから始まります。 
お伽噺の「浦島太郎」の後日談ではなく、ふつうに加齢で年老いた浦島太郎が主人公。

又三郎さんのおじいさん役が、もうノリノリ!
腰を思いっきり低くして、前かがみになって、足取りをヨロヨロさせながら、老人姿を形態模写されるので、身体的にはかなりきついはずですが、おそらくご本人は心から楽しんで演っていらっしゃるのでしょう。
それがこちらにも伝染して、浦島太郎おじいさんが観ているだけでとっても楽しくて、幸せな気分になります。
なにかこう、芸に温かみがあるんですよね。


孫が「大物を釣り上げた」と言って、浦島太郎のところへ亀を抱えて持ってくるのですが、ここでは甲羅の形をした笠が亀の代わり。
この笠、《隅田川》で使われるものと同じなのか、それとも特注なのか、丸みの形がほんとうに亀の甲羅そっくり。

亀を食べちゃおう、と言う孫に、浦島太郎は亀の祟りの恐ろしさを聞かせます。
その昔、天竺の提婆が殺生を繰り返し、おびただしい数の生き物を殺した挙句、その締めくくりに亀を殺そうとしたところ、大地にのみ込まれてしまった……。

祖父の話になった孫は、亀を海に放すことに。
このとき、太郎じいさんは「腰痛を治してほしい」と亀に願掛けをします。

孫が、亀に見立てた笠を手放して床に置くと、見えない糸(釣糸?)が笠についていて、うまい具合に、シューッと橋掛りを通って、幕の中に入っていきます。
(このときの様子が、なぜか、わたしの笑いのツボにはまってしまい、隣の人と一緒に大爆笑!)


後半は亀の精が登場。
助けてくれたお礼にと、きれいな蒔絵の箱を浦島太郎に授けます。

太郎が恐る恐る箱を開けると、サーッと白い煙が立ち上り(←ここは、白い縒水衣をかぶることで表現)、

白い水衣を被った又三郎さんは、(たぶん衣の影で)マジックのようにサッと老人の面を取って箱に納め、白い衣を剥ぎ取ると、そこには直面姿の青年(中年?)が!


浦島太郎の若返りというオチなのですが、こういう玉手箱ならほしいよね。






神保町逍遥

ただいま鋭意、断捨離中。
ようやく書棚一架分を処分できたところ(ほんとうはもっと減らしたい!)なので、神保町の古書店街はわたしにとって危険ゾーンだけれども、近くまで来るとつい、ふらふ~らと……。

文房堂

大正11年(1922年)の外壁が補修保存されている文房堂のファサード。
この老舗画材店には、素敵なギャラリーカフェも併設されていて、古書店めぐりの休憩にはちょうどいい。




ボヘミアンズ・ギルド

デザイン・アート本が充実。インテリア関係の洋書が特に好き。




原書房

2階は浮世絵ワンダーランド。
国芳、芳年、英泉、北斎漫画など、浮世絵の作品を手に取って鑑賞できます。
初刷りと後刷りを並べて見せてくださるなど、店員さんがいろいろ親切に教えてくださるので、勉強にもなって楽しい。





高山本店

能楽関連書の宝庫。
棚ごと買いたくなるくらい面白い本に出会えます。
能面も置いているので、いつか気に入ったものが見つかるといいな。




玉英堂書店

店主が集めたフクロウの置物たちが出迎える妖しげな階段を上っていくと、そこは稀覯本のフロア。

萩原朔太郎や志賀直哉、中井英夫、芥川龍之介といった文豪の生原稿や書簡がガラスケースに納められていて、観ているだけでもワクワクします。

心惹かれたのが、上田敏の歌の掛け軸。

 ほととぎす、聲もさかりになりにけり、あふち花さく 山かげの道






一誠堂書店

ここの2階は洋書の質・量が素晴らしい。

美しく重厚な革装本を手に取り、ページをめくる時の快感といったら……。
ほとんど官能的ともいえるくらいの、あの手触り、重量感、質感、革装本独特の香り。

電子書籍では絶対に味わえない、あの陶酔感。





大屋書店

こちらは和綴本のパラダイス。
有機的な紙の本の魅力が満喫できます。





大島書店

ここはペーパーバックが充実。
思いがけない本にめぐり会えたりします。






神田まつや

小腹がすいたら、少し足をのばして、神田まつやへ。
関西人からすると、つゆは醤油味が強め。
東京の味。
いつも混んでて相席だけど、美味しい。








建具や照明などのデザインも、この店が好きなポイント。